表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アオハルオーバードーズ!  作者: 若松だんご
7.7月のキミに伝えたいこと
35/37

(五)

 雨が激しく窓に叩きつけられる。

 昼間だというのに、目の前の手すら判別できないほど暗い空。

 梅雨明け前の大雨。梅雨前線の最後の悪あがき。

 その雨のなか、何をするでもなく、布団に横たわる。学校も休んだ。


 (どんな顔して山野に会えばいいんだよ)


 あんな情けないフラれ方して。

 山野は、「おはよう大里くん」って挨拶してくれるだろうけど、僕には、同じように笑って返すだけの根性がない。


 (どうせ、たいした授業もないし)

 

 このまま夏休みまでズルズル休んだって問題ないだろう。

 今はとにかく、なにもしたくない。なにも考えたくない。


 (雨、もっと降れ)


 このぐちゃぐちゃな感情も、情けない僕も。フラれ砕けた恋も。なにもかも押し流してくれ。この世界をきれいサッパリ洗い流すだけの、雨よ降れ。

 そしたら、彼女の言う通り、元の仲良い友だちに戻れるだろうから。


 「(はる)。入るぞ」


 掛け声と同時に廊下と部屋を仕切るふすまが、パアンとけたたましく開く。


 「なんだ、健太か」


 てっきりじいちゃんかと思ったのに。


 「お前、学校はどうした」


 布団の上、仰向けのまま見上げた視界。

 全身ずぶ濡れの健太が逆さまに映る。


 「学校は、この雨で休校だ」


 「そっか」


 そんなに降ってたのか、雨。僕にはまだ足りないけど。


 「それより、お前、どうしてこんなとこおるんや」


 間抜けな健太の質問。

 僕の部屋に僕がいたって、おかしくないだろ。


 「てっきり、お前は未瑛(みえい)のとこ、おるんやと思っとったのに」


 (未瑛(みえい)のとこ?)


 今は聞きたくない名前に、砕けたはずの心がズキンと痛んだ。


 「なんで僕が彼女といっしょにいなきゃいけないんだ?」


 アオハル計画の、カレシ(仮)だからか?


 「ああ、そうだ、健太。あの計画だけどな。僕と彼女は降りさせてもらうよ」


 「――なに?」


 「フラれたんだよ、僕は。告白したけど、これからは仲良い友だちでいようってさ」


 ハハッ。

 笑ったつもりだったけど、出たのは、かすれた息だけだった。


 「だから。だから、今は少しほっといてもらえないか。絶賛傷心中なんだよ」


 健太が上手くいきそうなこと。逢生(あおい)も上手くいきそうなこと。

 それを見るのも辛い。

 

 (あの時と同じだ)


 ――お兄さんはできたのに。

 ――それに比べて弟は。


 兄さんは有名私立に合格して、今も一流企業に勤めてる。受験に失敗して、進んだ公立中でイジメられて。逃げるように仁木島に来た僕とは違う。

 僕は、いつだって失敗する。他の誰かはデキることを、僕だけは失敗してしまうんだ。


 「――(はる)


 低い声。力を失くし、横たわってた僕の胸ぐらを掴んだ健太。


 ドゴッ。


 自分の頬から異音がした。

 殴られた。

 そのことに気づいたのは、口腔に鉄気臭い味がしたから。口の中を切ったらしい。


 「痛いな」


 「うっせえっ! お前っ、今、未瑛(みえい)がどうなってるのか、知らねえのかっ!?」


 どうなってるのか?

 学校に行ったんじゃないのか? 失恋した僕と違って、いつものように学校に。


 「未瑛(みえい)はなあっ! 今、生きるか死ぬかの瀬戸際なんだよ!」


 「なんだってっ!?」


 殴られたことより、そのセリフが深く胸を貫き押し潰した。


          *


 ――未瑛(みえい)が、身体が弱いってこと、知ってるだろ。

 

 怒りの嵐が収まって、健太が話した。


 ――アイツ、赤ちゃんの頃から何度も、あっちこっち手術をくり返しててさ。それでも、思春期までしか生きられないだろうって言われてたんだ。


 中学で越してきた僕の知らない情報。

 体育に参加できない、激しい運動は控えてる。

 それぐらいのことしか、僕は知らなかった。


 ――アイツの心臓、もう限界なんだよ。このひと夏、越えるられっかどうかの瀬戸際なんだ。今までに、何度も倒れてる。移植を待つしか方法がないんだ。


 そんなの知らない。

 知りたくない。

 頭が情報を拒絶する。


 ――オレ、だからあの計画を立てたんだ。最後になるかもしれねえ未瑛(みえい)の夏を、最高の夏にしてやりたかったから。


 そうだったのか。

 あの計画は、山野のためのものだったのか。

 でも、それならどうして僕にそのことを教えてくれなかった? あの計画が山野のためのものだって知ってたら、僕は――


 ――未瑛(みえい)がイヤがったんだよ。(はる)、お前にだけは自分の身体のこと、絶対知られたくねえって。


 どうして僕だけ?


 ――お前のことやからさ、未瑛(みえい)がそういう状態やって知ったら、絶対気ぃ使うやろ? 大事にして、大事にして、ヘンに気ぃ使こて。未瑛(みえい)は、そういうのがイヤやったんや。普通の女の子として見て欲しい。普通の女の子として、お前とニセモノでもええから恋愛を楽しみたかったんや。


 普通の女の子として。

 確かに健太の言う通り、僕が山野の状況を知っていたら、山野を繊細なガラス細工かなにかのように扱ってしまう。優しく、哀れむような真綿でくるんで、大事にしてしまう。

 壊さないように。壊れないように。そっと、そっと包み続けてしまう。

 でもそれは、本当の意味で大事にしているんじゃない。包むだけで、なに一つ山野を見ていない。山野が欲しがってる感情を見せてるわけじゃない。


 ――今、未瑛(みえい)は、かなり危ない状態なんや。兄貴から聞いたんやけどさ。時折意識がなくなるんやて。この間の日曜も、かなりヤバかったらしい。


 泣きそうな。歯を食いしばった健太の声。

 

 (日曜?)


 それって、山野が僕に会いに来た日だ。

 仁木島から山野が入院したという大学病院は、ものすごく遠い。この間の競技場どころの距離じゃない。

 その距離を、意識を失うほどの山野が来られるはずがない。海辺を歩けるはずがない。

 だとしたら。


 「ゴメン、健太。ありがとな」


 自分の意志で、立ち上がる。


 「僕、ちょっと病院まで行ってくる」


 山野が、会いに来てくれたのだから。今度は僕が会いに行く。


 ――おっしゃ! その言葉、待っとったで!


 素早くスマホを取り出した健太。


 ――待ってな! 俺が、恋する少年一丁、お届けしたるわ!


 軽トラ宅配便、再び! とスマホの向こうからふざけた返事は航太さん。

 すぐに、雨のなか、僕の家まで来てくれた。


 ――行ってこい、(はる)


 健太に励まし、見送られる。


 ――未瑛(みえい)泣かしたら、承知せえへんぞ。


 明るい言葉なのに。雨に濡れてこっちを見上げる健太は、泣いてるようにも見えた。


*     *     *     *


 「大丈夫や。ちゃあんと未瑛(みえい)ちゃんのもとに届けたる」


 「ありがとうございます」


 激しく動くワイパー。拭いても拭いても、雫がガラスに滝を作る。

 屋根を叩く雨の音。タイヤが弾く水と土の音。

 木々に囲まれ曲がりくねった道を行く白の軽トラ。

 そのガタゴトと揺れる助手席に座り、前だけを見る。時折、木の根が作ったアスファルトのうねりに、車体が大きくバウンドする。


 (山野の心臓が限界? この夏を越えられるかどうか?)


 そんなの知らない。

 だって山野は、あんなに元気に学校に来てたじゃないか。

 学校に来て、みんなでいっしょに笑って、楽しんで。

 休みの日には、スケッチに出かけて、応援に出かけて。

 そんな余命、全然感じなかった。

 いつも笑って、いつも明るくて。

 誰にだって優しくて、控えめで。少し繊細で。絵を描くのが大好きで。

 僕がおにぎりを「美味しい」と言えば、緊張からへニャッと崩れてゆるく笑って。いっしょにパキコ食べて、美味しいねって笑い合って。

 それから、それから――。


 「大丈夫や」


 隣から、伸びてきた手が、僕の手を止める。


 「未瑛(みえい)ちゃんは、大丈夫や」


 だから、そんなに爪を噛むな。

 軽トラに乗り込んでからずっと噛んでいた爪。ボロボロになって、ズキズキ痛む指先。その痛みが、これは現実、夢じゃないと通告してくる。


 (山野……)


 雨にうなだれた木の枝が限界を超え、ザアっと音を立てて、たまった雫を軽トラに撒き散らした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ