(一)
「ゴメンね。今日はいっしょに登校できなくって」
二限目が終わったあと、山野が謝ってきた。
「昨日、興奮してなかなか寝つけなくってさ。寝坊しちゃた」
テヘヘ。
すごく明るく謝罪する。
珍しく学校に遅刻してきた山野。さっき、お父さんの車で送られてきたばかり。
「別に。それより身体、大丈夫か?」
「え?」
「寝坊するぐらい、身体が疲れてたってことだろ?」
「あー、うん。そうだね」
「山野は体弱いんだからさ。大事にしろよ」
「うん。ありがと」
ニコリと笑った山野。
でも。
(悪いのは僕たちだろ)
昨日の試合観戦。
もともと身体の弱い山野。体育の授業を免除されるぐらい、身体が弱い。この間の清掃活動でも倒れてた。それなのに、暑い屋外に長時間連れ出してしまった。
今だって、笑ってるけど、きっと身体が辛いはず……って。
「あれ? もしかしてメイクしてる?」
その顔を見て思った。
ギラギラバチバチにしてるわけじゃない。でも、ほんのりうっすら頬が透き通って見えるし、唇も赤く潤んでるように見える。
「あ。バレちゃった? これ、先生に叱られる案件かな」
メイクした頬に一瞬触れて、慌てて手を離した山野。メイク=塗りたてキケンかどうかは知らないけど、でも触ったら崩れるんじゃないかな。山野もそれを思い出してか、ピクっと指を震わせた。
「そこまでは、大丈夫じゃないかな。あの立花先生がメイクに気づけるほど、細かい性格だと思えないし」
「そっか。なら大丈夫か」
ホッと息を吐いた山野。
「でも、どうしてメイクを?」
明音ちゃんにされた時は、とっても困った様子だったのに。
「お姉ちゃんがね。未瑛もそろそろオシャレを覚えなさいって。健太くんのところじゃないけど、ウチのお姉ちゃんもなにかとうるさいのよ。恋はいいわよ~、恋はって」
「へえ。あの寧音さんがねえ」
健太の兄、航太さんとつき合ってる寧音さん。航太さんと違って、シッカリ者に見えるけど、恋をノロケて妹に余波をぶつける人だったんだ。
「ねえ、似合わない……かな?」
「え? あー。似合うよ。カワイイ」
前回と違って、「と思う」はつけない。実際カワイイし。
「よかった」
メイクのせいだろうか。花が咲いたような山野の笑顔。
(うん。カワイイ)
見てるこっちまで気持ちが明るくなる。
だから。
*
「――え? 大里くん、それはなに?」
「自転車」
「いや、それはわかるけど」
翌朝。
僕は自分の自転車で、山野を迎えに行った。
「せっかくだし。カレシらしく、送迎しようかなって」
違う。これ以上、山野に負担をかけたくなくて。
「まだ仮免カレシだけどさ。よかったら乗ってよ」
これ以上無理させないために。
それでなくても、この暑さと湿度は普通に辛い。身体の弱い山野には、ことさら堪えるだろう。
だから、せめて登下校だけは楽にさせてあげたい。
「ありがとう、大里くん。じゃあ、お言葉に甘えて」
自転車の後ろがきしむ。山野が腰掛けた証拠だ。
「じゃあ、シッカリつかまってて。下りだからスピード出る」
「うん」
山野の手が、サドルに近い荷台のワイヤーを掴む。
(ここで本物カップルなら、僕の腰に手を回すんだろうな)
そんなことを思いながら、ペダルを踏み込む。
梅雨明けが近いのか。
朝から晴れた空は、ぬけるように青い。
坂を下る僕たち。位置エネルギーが運動エネルギーに変換され、ほぼ無風だった僕たちの周りに、うしろへ流れる風が生まれる。
「駐在さんに見つかるとやっかいだから。遠回りするよ。いい?」
「うん」
ハンドルを持つ手に力を込める。
駐在さんに~は、言い訳。ただこうして、山野を乗っけていっしょに走っていたかった。
この朝がずっと続けばいい。この道がどこまでも続けばいい。
そんなことを思う。
理由は、わかるようなわからないような。まだこねてる最中の粘土のように、フワフワ掴みどころのない雲のように、ハッキリとした形として僕の胸に収まっていなかった。
* * * *
「あのね、大里くん。今日はこれ、作ってきたの。よかったら食べて」
「え?」
「ほら、最近、自転車で送ってくれるでしょ? だから、その御礼」
自転車登下校二日目。
お昼に、山野がクローバー柄のホイルに包まれたものを出してくる。
コロンコロンコロン。――もしかしてこれって。
「――おにぎり?」
「うん。この間のリベンジも兼ねて」
差し出すその顔が、メイクを通してもわかるぐらいに赤い。
たしかにこれはリベンジ。以前のお弁当に入ってたゴロンゴロンおにぎりからみれば、かなり小ぶりになった。
「じゃあ、遠慮なくいただく。ありがとう」
自分の弁当もあるからちょっとお腹は厳しいけど、それでもおにぎりをありがたくいただく。
「あ、これ梅だ」
一口二口。食べて少し崩れたおコメの先に赤みの濃い梅を見つける。大ぶりだけどややぺチョっと潰れた梅。
「大里くん、ウチのおばあちゃんが漬けたの、好きだって言ってたから」
「うん。僕、この味好き」
言って三口目を頬張る。
途端に広がる梅干しの酸味。ホロホロ崩れる塩味のおコメ。
山野のおばあさんが作る梅干しは、お店のものと比べて、無骨で赤みが濃いんだけど、酸っぱすぎるとかそういうのがなくて、とても美味しい。ハチミツを使ってまろやかにとか、そういうわけじゃなくて。なんて言うのか、ちょうどいい「塩梅」。
お腹はきついけど、いくらでも食べられる。
「おっ、陽、ええもん食ってるやん」
僕が食べてるものに、健太が興味を示す。
「あげないよ」
これは、僕のもの。山野が僕にお礼として作ってくれたもの。
「もらわねえよ。その代わり――」
健太が、いっしょにお弁当を食べに来てた明音ちゃんに、ニカッと視線を向ける。
「なあ明音。オレにも作ってきて欲しいな~、なんて。アオハル計画の一環として、さ」
「え~、なんでアタシが」
「お前、仮にもカノジョだろ? だから」
「(仮)でしかないんだけど?」
カリはカリでもカリ違い。
厳しい指摘に、ガックリうなだれた健太。
「――じゃあ、仕方ないから作ってあげるけど。アンタはなにが嫌いなの?」
少しだけ明音ちゃんが温情をかけた。けど。
「なっ、なんで嫌いなものを訊くんだよっ!? まっ、まさか、嫌いなもん食べさせて、試すつもりかっ!?」
「――は?」
明音ちゃんが片眉をしかめる。
「だってそうだろっ!? でなきゃ、わざわざ嫌いなもの、訊くか? フツーは好きなもの訊いて、好きなものづくしするんじゃないのか?」
確かに。健太の言葉にも一理ある。
「それを『嫌いなもの』って。オレにわざと嫌いなものを作って、『アタシのこと、好きなら食べられるよね?』の試練を与えるつもりだな?」
だからって、どうしてそう飛躍するんだ?
「よぉっっし! その試練、受けてやんよ! どんなマズい料理でもなんでも来やがれってんだ! カレシとして全部食ってやるぜ!」
エアー袖まくりする健太。受けて立つ気満々。
「――ゲテモノ作ってやろうかしら」
明音ちゃんが呟いた。