(三)
「なあ、お前ら、日曜ヒマか?」
翌日、教室に到着するなり健太に訊かれた。
「ヒマだったら、なんかあるの?」
僕と山野。
机にカバンを下ろしながら、健太に問い返す。
「逢生のさ、陸上本選があるんだよ」
「本選?」
「せや。会場も近い。せやもんで、いっちょみんなで応援行かへんかってお誘い」
「なるほど」
陸上競技選手権大会。
先月、逢生が10秒88の記録を持ってるから、予選抜きで本選に参加できるって説明してたやつだ。
「別に。応援なんて来なくってもいいよ」
ちょっとイヤそうに、逢生が顔をしかめた。
「アホウ! 友達の勇姿、応援せんヤツがおるか! 一瞬にかける青春! それを近くで見守り応援するっちゅーのが友情ってもんやろ!」
「いや、暑苦しい……」
「暑苦しい結構! むさ苦しい上等! それがアオハルってもんや!」
ジリジリ下がる逢生。ニジニジ間を詰める健太。
「なにやってんのよ。健太は、明音ちゃんから、美味しいクレープ屋の話聞いたから行きたいだけでしょ」
ゔ。
近くにいた夏鈴の言葉に、健太の動きが止まる。
「クレープ屋?」
「そうよ。この間、明音ちゃんが出かけた時に食べたんだって。で、そのお店が競技場に近いって話」
「ちゃ、ちゃうで! 逢生の応援も行きたいんやって!」
「も? 〝も〟なわけ? ボクの応援は、美味しいクレープのついで?」
ゔゔ。
焦った健太が墓穴を掘った。ジト目の逢生。攻守逆転。今度は健太がジリジリ下がる。
「ええやん! オレだって食べたいんや! クレープ!」
窮鼠猫を噛む――じゃないけど、追い込まれた健太が開き直った。
「せっかくカップル(仮)になったんやから、いっしょに美味いもん食べたいやん! んでもって、『ちょっとこっち味見してみる?』みたいなことしたいんや!」
うわ。欲望丸出し。
「健太、お前、人の妹とナニするつもりなんだよ」
「ええやん! それぐらいのアオハル、間接キスぐらい夢見させてくれや」
「これ、美味しいよ」「どれどれ。ん、ホンマや」「そっちはどう?」「こっち? 美味いで。食べてみる?」――みたいな。
(でも、それって結構ハードル高いんじゃあ)
まだカップル(仮)なのに、それを求めるのは難易度高いような気がする。せめて、なにかの拍子にウッカリとかじゃないと――。
「ん? どうした陽。顔、真っ赤やで」
「な、ななっ、なんでもない!」
慌てて、手で顔を隠す。
「それより。逢生の応援をメインに、ついでにクレープも食べる。それでいい?」
健太が掘った墓穴に埋められる前に、フォローを出す。
あの、うっかりサイダーの味を思い出してたとは、口が裂けても言えない。
「山野もそれでいい? 日曜日、出かけられる?」
僕はいいけど、山野に外出は辛い?
「だっ、大丈夫だよ?」
うつむき加減で答えた山野。昨日と違って、その顔色は少し明るい。それどころか耳まで真っ赤に茹で上がってる。おそらく、僕と同じことを思い出したんだろう。
「お前ら、なんかあったんか?」
「なにもない!」
「なにもないよ!」
僕と山野の声が重なる。
「――勘弁してくれよ。恥ずかしい」
ヘンな疑惑をかけられた僕らの隣で、逢生が頭を抱えた。
* * * *
「えっーと。逢生はっと」
迎えた日曜日。
僕たち二年生全員と明音ちゃんは、競技場を訪れた。
電車の走ってない仁木島町。車のない僕たちが出てくるには、バス+バスという公共交通機関を使うしかなかった。
「おっ、いたいた! 逢生~」
聞こえるわけない。これだけ遠いんだから。
競技場の応援席。適当に探した席から健太が声を上げ、手を振る。
(あ、気づいた)
驚くべきは逢生の視力か。
浮かれトンチキになってる健太を見つけると、ハッキリわかるぐらい苦虫潰したような顔になった。遠すぎて、ゼッケンもほとんど読めないのに、「マジで来たのか」という、逢生の感情は読み取れた。
予選抜きの本選。県内の高校生でも上位でないと参加できない。
そういう大会だけど、それでも参加する生徒の数は多い。
100m、200m、400m、800m。4✕100mリレー。ハードル。棒高跳、走幅跳、砲丸投、円盤投。他にも色々。
全部の競技を同じ会場でするわけじゃないけど、それでもあっちこっちで試合が繰り広げられてて、何かとせわしない。
逢生の出場する100mは、参加する選手の数も多い。そのせいか、次から次へ、流れるように試合が始まる。その予選、第7組第四レーン。真っ青なランニングシャツとスパッツ姿、長谷部逢生の名が呼ばれる。
「いよいよね」
「うん」
手を挙げ、ペコリと頭を下げた逢生。
山野の隣、夏鈴が、知らず手を組んだ。
――オン・ユア・マークス。
放送が流れる。
――セッ。
両手を地につけ頭を垂れた逢生。その腰がグッと持ち上がる。
一瞬が永遠にも感じられる。
パァンッ!
鳴り響く号砲。弾かれるように飛び出した選手。うつむき、前傾姿勢で一気にトップスピードまで駆け上がる。
(スゴい)
それ以外の感想が出てこない。
いつもは、教室で健太にからかわれたりしてる逢生なのに。二人の妹に押され気味な優しいお兄ちゃんなのに。
一瞬の風になる。
ゴールに向かって走る逢生は、僕が知ってる逢生じゃなかった。
「スゲえ! 一着!」
白いラインを走り抜けた青のランニングシャツ。
隣のレーンと競り合いながら、僅差でゴールラインを駆け抜けた。
「ってことは、次、準決勝進出ってかっ!? おい、スゲえな、おい!」
「わかった。わかったから、揺するな」
僕のとなり、健太が興奮して、グラグラと僕を揺さぶる。感動してるのはわかるけど、ちょっと邪魔くさい。
「スゴいね、長谷部くん。カッコいい」
反対となり、山野が言った。健太ほどではないけど、山野も声が上ずるぐらいには興奮してる。
「夏鈴もそう思わない? って、夏鈴?」
「え? ああ、なんでもない。なんでもないよ!」
山野にユサユサ揺すられ、夏鈴が我に返る。自分がお祈りポーズになってたことに驚き、その手を慌てて崩す。
「お兄ちゃん、スゴいわ」
夏鈴の向こうに座ってる、明音ちゃんも感動してる。
「そうね。これはなかなか……」
感想を述べたのは榊さん。こういう騒がしいのは苦手かと思ったんだけど、意外にも彼女は、応援に参加した。けど。
「ねえ、なにしてるの?」
スマホを取り出し、なにやら打ち込んでる榊さん。さっきの感想が中途半端な印象なのは、スマホ入力に注力しているからだろう。さすがに逢生の走りは観てただろうけど、その次には一切目もくれない。
「小説の練習よ」
「練習?」
「そ。私、将来は小説家になりたいのだけど。その時に使えそうな表現とか、こうして書き留めておくの」
書き留めるっていうか、入力し留めるっていうか。
もしかして、小説の練習>逢生の応援じゃないだろうな。
「長谷部くんの走りを言葉で表すならどう書くか。比喩か倒置か反復か。比喩だとしたら、直喩か暗喩か擬人か。そういう語彙と文章力を養いたいのよ」
「ひゆ? とーち? あんゆぅ?」
健太が頭が一回転しそうなぐらい、首をひねった。そして「助けて」って顔で僕を見る。
「ま、まあ。次の準決勝も逢生のこと応援しよう。な!」
あいまい笑顔で、その場を収める。