(二)
「え? 大里くん、これは」
「自転車」
「うん。それはわかってるけど」
「健太に借りた」
「借りたって……」
「乗って。家まで送る」
「送るって……、あっ!」
放課後。昇降口を出たところで、戸惑う山野から、カバンを奪って前カゴに放り込む。
「ほら、早く」
カバンを人質にしたことで、有無を言わせず、後ろに座らせる。
「しっかりつかまってなよ」
言って僕も自転車にまたがり、グッとペダルを踏み込む。
「わっ!」
グラリと山野の身体が揺れたのが、ハンドルに伝わる。
右。左。右。左。
自転車の左側から横座りした山野。そのせいで右よりも左に傾きやすくなる。それでもスピードに乗り始めると、車体の振れ幅が小さくなっていく。
僕が健太に頼んだもの。自転車。
休んだところで、身体が辛いだろう山野を、家に送り届けるために、学校から一番近いところに住んでる健太に借りた。
授業が終わったら、すぐに健太の家へ借りに行こうと思ってたんだけど。
――待ってな! 俺が、チャリ一丁届けたるわ!
軽トラ宅配便! とふざけて持ってきてくれたのは航太さん。
――しんどいなら、未瑛ちゃんの両親に迎えに来てもらえばええのに。そこをあえての二人乗り! ええなあ、アオハルや!
ニシシと笑って囁かれて、ようやくその方法もあったかと気づく。でも、ここまでしてもらって、「やっぱナシ! 山野の両親に連絡する!」ってのもヘンな気がして、初心を貫徹。
校門を出て、美浜屋まで続く道を走る。幸いというかなんというか。この平坦な道は楽勝だし、警ら中のパトカーなんかもいない。(田舎バンザイ!)
いつの間にか、セミも鳴き始める季節になっていたけど、まだ練習不足なのか、それともソロで鳴いてるからか、シャワシャワ鳴いても、すぐに静まってしまう。もう少し時間が過ぎれば、上達して仲間も増えて、クソ暑い夏を演出するんだろう。
今はまだ、日差しは暑いけど、切る風は海の近くを走るせいだろう。爽やかで涼しい。
けど。
(ンギギギギッ……!)
美浜屋を過ぎて、坂を登り始めると、その雲行きが怪しくなる。
普段、歩いてる時はたいしたことない登り坂だけど、自転車で、それも山野を乗せてとなると……。
フラフラ。ヨタヨタ。
ハンドルは真っ直ぐ持ってるつもりなのに、車体は右へ左へ大きく揺れる。座って漕ぐのも厳しくなって、立って漕ぐからさらにふらつく。ギアを変えて、少しでも軽く、楽に漕げるようにするものの。
「ねえ、わたし、降りようか?」
山野が不安そうな声を上げた。
「だい、じょう、ぶっ! 座って、て!」
「そんなこと言ったって……」
「いいから!」
半ばヤケ。
(こういうの、なんか映画で観たことあるな)
ヒーローと自転車二人乗りしてたヒロインが、「私も役に立ちたいの!」とかで、自転車を降りて、坂道で苦しむヒーローを助けるってやつ。
一方的にされるんじゃなく、こちらからも彼を助けたい、役に立ちたいってヒロインの意志がよくわかるシーン。
けど。
「山野は、絶対降りるなよ!」
そんなことしたら、せっかく自転車を借りて、冷やかされながらも乗せた意味がわからなくなる。
自転車は進めば進むほど、見えないバリアに阻まれてるように、前に進まなくなってくる。それどころか、前輪がグラグラと、そのバリアに張り手で押し戻されてるような動きをみせる。
(ダメだ)
諦め、自転車から降りる。
「大里くん?」
「だから、山野は座っててって」
次いで降りかけた山野を制す。
自分は降りて自転車は押していくけど、絶対山野に降りてほしくない。降りるなら、彼女の家の前で。自転車押してくなんて情けない状態だけど、それだけは、山野を乗せていくということだけは、男のプライドデットラインとして死守したい。
「ありがとう」
囁くように山野が言う。
どういたしまして。そう言えれば、少しはカッコいいが回復するのかもしれないけど。
(あっちぃ……)
どっちかというと、ゼイゼイハアハア。
喋る余裕がない。
全身から吹き出す汗。シャツがベッタリ張り付いて気持ち悪い。髪の合間で生まれた汗がそのまま流れ落ちて目に入る。痛いのに、拭きたいのに。自転車を押してる今は、少しでも痛みを和らげようと、顔をしかめることしかできない。
(あともう少し……)
坂道を曲がった先、石垣の上に建つ家。この地域特有の、石積みの擁壁。横に渡した板に、黒い塗料の塗られた家の外壁。
ゴールに定めた山野の家が、今は輝いて見える。
(あと、五歩、四歩、三歩、二歩……、一歩。I did it!)
たどり着き、なぜか心のなかで英語で叫ぶ。
「ありがとう、大里くん」
ストンと降りた山野。
「大変だったよね。わたし、重かったでしょう」
「そんなことないよ。それなりに重かっただけ」
「軽かったよ」なんて言わない。
「それなりにってナニっ!?」
「ハハッ」
プクッと、ふくれっ面の山野が面白い。
でも、そこまで感情を出せるまでに回復したのならいいや。
「ねえ、大里くん」
頬をもとに戻した山野が言う。
「これ、受け取ってくれないかな」
スカートのポケットから取り出したもの。――シーグラス?
「今日のお礼」
「いや、そんな……」
そこまでたいしたことやってないし。自転車乗せたけど、後半、かなりカッコ悪かったし。
「じゃあ、今日の頑張ったご褒美。――ね?」
受け取ろうとしなかった僕の手を、強引に引っ張って、山野が手のひらにシーグラスを乗せる。
「え。あ、うん。じゃあ……、ありがと」
僕の手をシーグラスごと包む、山野の両手。
「じゃ、じゃあ! これ、健太に返してくる! じゃあね!」
渡されたそれを握りしめ、急いで自転車にまたがる。
下り坂、もと来た道。ペダルを漕がなくても、自転車は勢いつけて走り出す。
自転車の返却はいつでもいい。
そう言われてたけど。
(あんなことされて、そのままいられるわけないだろ!)
少しヒンヤリしたシーグラス。温かくて細い山野の指。風に揺れた山野の髪。ほほえみ見上げてくる山野の顔。
(――――! 思い出すな、僕!)
でないと、下り坂で勢いついてるのに、思いっきりペダルを漕ぎたくなる。