(四)
美浜屋のお婆さんが亡くなった翌週。待ちに待ってない期末テストが始まった。
お婆さんが亡くなって寂しいとか悲しいとか、そんなことを気にしている余裕はない。机の上に置かれた問題用紙と解答用紙。問題用紙を読み、解答用紙の空欄を埋める作業だけに集中する。
わからない? 空欄のまま? なんでもいいから書いておけ。そしたら、万一当たるかもしれない。書かなきゃそこは☓のまま。
榊さんのように、スラスラとシャーペンを動かせる者もいれば、夏鈴のように唇の下にシャーペンを押し当てて、ムムッと眉を寄せてる者もいる。健太のように、「うぎゃああ! もうダメだ! わっかんねえっ!」って心の声が聞こえそうなのは――健太だけだ。他のみんなは、つかえながらもなんとか必死に答案に向き合ってる。
テスト続きの雨続き。
砂と砂利で構成されたグラウンド。降った雨は、地面に吸い込まれることなく、まだらに水たまりを描いてる。時折、空が鈍色に重くなって、激しく雨が降る。ザアッともゴオッとも聞こえる雨の音。窓を滝のように濡らし、教室にいる僕たちは、その滝を裏側から透かして見る。
午前中に二教科テスト。午後は自宅。明日のテスト対策。
そんな日々が続く。
時折、家に帰っても「〉教えて陽!」と、健太から連絡がくるけど、それ以外いたって平和。
(山野も、落ち着いたし。これでいいのかも)
あの日以来、山野が美浜屋のお婆さんのことで、塞ぎ込んだり泣いたりすることはなかった。お婆さんは迎えに来た誠治さんと天国で幸せにやっている。その話を信じたのか、それとも、テストで感傷に浸ってる余裕が無くなっただけなのか。
どっちにしたって、山野が泣いたりしないのはいいことだと思う。
誰かが悲しみ泣くのは、心が痛い。山野だけじゃない。泣いているのを見ていると、こっちまで辛くなって、ギュッて抱きしめてあげたくなる。
あの時。僕の胸を濡らして泣いた山野。
傘を持っていなければ。肩にカバンをかけていなければ。僕は彼女を「泣かないで」と抱きしめていたかもしれない。
(今思うと、ちょっとヤバい人だよな)
悲しんでる山野に乗じて、どさくさ紛れのハグ。さすがにマズい。
山野は帰り道、美浜屋の前で、ほんの少し、わかるかどうかのかすかな時間だけど、足を止める。そして、海を見て、店を見る。
でもそれはホントにわずかな一瞬で、すぐに普通に歩き出す。話題だって、お婆さんのことじゃなく、今日のテスト、あそこ難しかったよねとか、明日のテスト、ここ出るかな? とか、そういうことばかりだった。
山野は山野なりに、お婆さんの死を受け止め、悲しみを乗り越えようとしているのかもしれない。傘がぶつからないように、少し間を持って隣を歩く僕には、それを見守ることしかできない。
いつか、あの店にそんなお婆さんがいたねって、懐かしい出来事として話せるようになるまで。
(って、僕、いつまで山野の隣を歩くつもりなんだ?)
高校を卒業したら。そうしたら、いっしょに歩くなんてないかもしれないのに。
(歩きたいのか? 僕は)
考えるほど頭が混乱する。
カップルカレシ(仮)をして、距離感がバグってきたのか?
(落ち着け自分)
深呼吸をくり返し、教科書と問題集に向き合う。今は、そういうことを考えるんじゃなくて、テスト勉強をしなくては。
けど。
ちっとも頭に入ってこない。そんなに難しい問題でもないはずなのに、東大レベルの難問に向き合ってる気になる。
(もしかして僕も、健太と同じで赤点→補講コース?)
それはイヤだ。カッコ悪いし情けない。
* * * *
「おう、陽。お前、明日の夜、ヒマか?」
テストの最終日。健太が声をかけてきた。
「特に予定ないけど?」
明日は土曜日。
テストも終わったことだしで、のんびりするしか予定はない。
「じゃあ、参加決定な!」
「は?」
「明日の夜さ、花火大会しようぜ!」
「花火大会?」
「健太がさ、テストの打ち上げに花火がしたいんだって」
そばにいた逢生が会話に加わる。
「じゃあ、明日買い出しに行くかんじか?」
この町に花火を取り扱ってる店はない。美浜屋ならあるかもしれないけど、そんな娯楽っぽいものを買いに行くのは、ちょっと気が引ける。
「いんや。オレがネットでポチッといた。後でお金は徴収するけどな」
「ポチッといたって。お前、テスト勉強そっちのけで、そんなことしてたのかよ」
己の用意の良さに、エッヘン! と健太が胸を反らせるけど。
軽く「ポチッといた」って言うけど、ポチるためには、色々比べて選ばなきゃいけないわけで。
(コイツ、赤点確定だろ)
そう思った。
* * * *
テスト終わりの打ち上げ花火大会は、土曜の夜八時からとなった。
連日の雨続きだったけど、今日はうっすら月の存在がわかるぐらいに、雲が薄くなってる。
会場は、なんと高校のグラウンド。健太が立花先生たちに掛け合って、場所を借りたらしい。
「先生がさ、俺達も参加させてくれるならやってもいいぞだってさ」
先生に打診しにいく行動力もすごいけど、参加させてくれるならでOKくれた先生もすごい。
参加するのは二年生が中心なので、先生も担任の立花先生と副担任の日下先生の二名。日下先生が参加する。そのことで、芋ヅル式に(?)日下先生推しの榊さんも参加となった。
――お前ら、必ずカップルで参加しろよな!
女子は浴衣で参加してもいいぞ!
そう言ってた健太だけど、フタを開けてみれば、女子の誰も浴衣なんて着ていなかった。健太のお目当て、明音ちゃんはフリルつきのブラウスに青いキュロット、夏鈴なんて、トレーニング帰りのTシャツハーパン姿。
――夏の情緒が~、ロマンが~。
健太が泣いたのは言うまでもない。
健太が購入した花火セットは、手持ち花火だけでも四百本近く、線香花火も七十本と、全員で必死に消化しないと終わらない量だった。
一人あたり約五十本のノルマ。
――アホやろ。
全員の感想だった。
でも。
「キレイだね、大里くん」
僕のとなりで、ノルマ消化の花火を見ながら、山野が言った。彼女が持ってるのは、途中で色の変わる花火。今も淡いピンクから緑へと色が変わっていった。
「そうだね」
僕は、彼女と違って、バチバチと火花の弾けるスパークル。その飛び散る火花は、キレイだけど少しだけおっかない。
淡いクリーム色のワンピースを着た山野。珍しく両サイドの髪を編み込んでる。浴衣は着ないけど、それなりにオシャレしてきたんだろうか。
「とってもキレイだ」
花火だけ見て呟く。
校庭にできた水たまり。そこに花火が映ってキラキラ光をはね返す。
「あ~、終わっちゃった」
残念そうな山野。花火の明かりが消えると、それまで明るく照らし出されてた彼女の顔が夜の闇に沈む。
「大丈夫だよ。ホラ、ノルマはまだある」
「そうだね。じゃあ、次はなんにしよっかな~」
用意されたバケツの水に終わった花火を突っ込んで、次をいっしょに選ぶ。
火薬と煙、濡れた土の匂い。
「おりゃああっ! これがオレの手持ち花火っ! 極上火花だっ!」
「ゴルアァ! 川嶋っ! んなもん、振り回すなっ!」
「……アイツ、あんなものまで買ってたのか」
「健太くんらしいね」
長いトーチの先、バチバチと火花を飛び散らせて走る健太。健太を追いかける立花先生。花火の終わりと同時に、捕まった健太が立花先生のゲンコツをくらうまでがセット。
明音ちゃんが呆れ、逢生と夏鈴が、お腹を抱えて笑い、榊さんが「バカね」と呟く。
僕のとなりで、山野もクスクス笑う。楽しそうに、うれしそうに。
(サンキューな、健太)
心のなかで呟いた。




