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アオハルオーバードーズ!  作者: 若松だんご
5.空と海と風と大地と
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(二)

 「――お婆さん、キレイだったね」


 「うん」


 「眠ってるみたいだった」


 「うん」


 「幸せそうに笑ってた」


 「――うん」


 美浜屋の前にある青いベンチ。そこに並んで腰掛けた山野。買ってあげた麦茶のペットボトルをギュッと握りしめ、ずっと俯いてる。


 ――最後に会わせてもらえませんか?


 山野がお願いして、対面したお婆さん。

 じいちゃんから聞いてた通り、ずっと食事を取らず、静かに眠るように亡くなったという。

 使い慣れた介護用ベッドではなく、畳の上に敷いた布団に寝かされていた。

 血の気がなく、白く、やや黄色っぽくも見える肌。白く薄くなった髪。シワに埋もれそうな唇。もう二度と開かないのだろう瞼。

 細く、小さく、頼りなく。ここのお婆さんってこんなんだっけ? と記憶を探りたくなるぐらい、はかなく感じた。

 でも。


 (笑ってた)


 死に化粧を施されてたからの錯覚じゃない。亡くなったお婆さんは、いい夢をみて寝ているかのように、微笑んでいた。紙のように白い肌でなければ、今にも起き出して、「ちょっと未瑛(みえい)ちゃん、(はる)くん、聞いてや。オバちゃんな、すっごくええ夢見てたんやで?」って笑って話してくれそうな。

 でも、それはあくまでそう見えただけで。お婆さんは、もう誰ともお喋りをしてくれない。


 「――どうして」


 ポツリと山野が呟く。


 「どうして、死んじゃったの?」


 「山野……」


 ペットボトルを握りしめて、涙をこらえてる。

 お婆さんの死因は、やはり食事を取らなかったことでの衰弱死だった。餓死とも言える。食事を取らないことで、お婆さんは自死を選んだのだ。

 

 「――未瑛(みえい)ちゃん、(はる)坊。さっきは、ありがとな」


 「オジさん」


 店から出てきた美浜屋のオジさん。

 亡くなったお婆さんの息子で、この店を切り盛りしている人。

 

 「未瑛(みえい)ちゃん。泣いてくれるのはうれしいけど、そんなに悲しまんといてやってくれ。婆さんはな、今、きっと幸せやろから」


 「え?」


 俯いたままの山野の代わりに、僕がオジさんを見る。


 「ちょっと長い話になるけど。聴いてくれるか?」


 オジさんが言った。


*     *     *     *


 美浜屋のお婆さん、和子さんには、かつて結婚を誓った相手がいた。お見合い結婚が多い時代、珍しく恋愛で話がまとまったのだという。


 「ただな、その相手、誠治さん言うんやが。誠治さんに、赤紙が来たんよ。赤紙。わかるか? 戦争に来い、兵隊になれっていうお知らせや」


 第二次世界大戦。

 当時の若い人たちは、徴兵され、兵隊として戦地に赴いた。


 「普通、そうなった場合は家に子孫を残すため、急いで結婚するんやけどな。婆さんと誠治さんの場合、婆さんがまだ十六歳やったから、結婚は誠治さんが帰ってきてからってことになったんや。誠治さんは漁師やし、息が長いからラッパ吹きになるやろう。長男やし外地には行かされへんやろうって。そう思っとったから、帰ってきてからってなった」


 いくら子孫を残したいからって、十六で結婚はない。

 だから、安全な所で兵役を終えたら結婚しようってことになった。


 「けどな。それが間違いやったんや」


 オジさんが大きく息を吐く。

 

 「誠治さんは、なにがどうなってそうなったか知らんけど、ラッパ吹きにもならんと、任地も外地に配属された。そんで、外地に向かう途中、乗ってた船が魚雷を受けて亡くなったんや。漁師が海で溺れて死ぬって、なんやねんって思うわ」


 ゴクリ、と唾を飲む。

 オジさんは、軽く話すけど内容はとても重い。


 「まあ、誠治さんが死んだのを知ったのは戦後やけどな。それまで戦時中、婆さんは誠治さんの家で、残った家族、誠治さんの母親と疎開して来とった姉と、その子どもの面倒を見とったんや。気持ちだけでも誠治さんの家族。そう思うて孝行しとったんやろなあ」


 愛する誠治さんが帰ってくるまで。

 結婚こそまだだけど、心は彼の妻だったのかもしれない。


 「けどな。そこで起きたんが地震や。東南海地震。昭和十九年のことや。ここの浜のモンもようけ流された。婆さんが見てた誠治さんの家族も流された。残ったのは、わずかの差で山に逃げられた婆さんと、婆さんが連れとった誠治さんの甥だけや。後は家もなんもかもキレイに流されてしもうた」


 そこまで話して、オジさんが暗い、雨降る空を見上げる。


 「戦後にな、届いた誠治さんの訃報もあってな。周りは婆さんに別の人と結婚せいって言うたらしい。そんな義理の甥なんてほっぽって、まだ若いんやからちゃんと結婚せいって。けど、婆さんは首を縦に振らなんだ。誠治さんと結婚せんかった、子を授からんかった代わりに、その甥を我が子として育てたんや」


 「それって……」


 「せや。その甥がワシや」


 ニッと笑って、オジさんが自分を親指でさした。


 「婆さんはな、いつか誠治さんが帰って来るかもしれへん言うて、ここに店を構えたんや。誠治さんだけやない。流されたワシの母ちゃんも祖母ちゃんも。誰か帰ってきたらわかるようにって。それでこんな海の近くに店を構えたんや」


 美浜屋の前。道路を挟んだその先に海が広がる。海を抱きしめるように、両手を広げたような湾の形。

 遠く、誠治さんの亡くなった海。誠治さんの家族が流された海。

 今は暗く、雨で見えないけれど、もしかしたら、あの岬は和子さんが愛する人たちを抱きしめようと伸ばした(かいな)だったのかもしれない。


 「婆さんな。最近、夢を見た言うてたんや」


 「夢?」


 かすれかけた声で返す。


 「せや。誠治さんが会いに来てくれたって、うれしそうに話しとった」


 「それって」


 「ああ。もうそろそろこっちゃ来いって、誠治さんが迎えに来たんかもしれん。離れてから八十年近く。守らなあかんかった甥もええ歳なったし、そろそろええやろって」


 愛する人と別れ、八十年も生きてきたお婆さん。彼に代わって守り育てた義理の甥も立派に育った。オジさんには、子もいれば孫も生まれた。もう充分だ。ここから先は、愛する人と共にありたい。


 「だからな。そう悲しまんでええぞ、未瑛(みえい)ちゃん。婆さん、いや和子さんは迎えに来た誠治さんと、楽しゅう話しとるやろうからな。もしかしたら、八十年遅れの祝言上げとるかもしれへん」


 ちょっと吸ってもええか?

 軽く尋ねてから、オジさんがタバコを一本取り出す。

 吐き出されたタバコの煙。淡く揺らいで、雨の降り続ける空に溶けていった。

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