(二)
僕の通う、県立大榎高校仁木島校舎。
複雑に入り組んだリアス式海岸。その中の一つ、仁木島湾に面した学校で、全校生徒が20人にも満たない小さな分校。来年度の新入生の募集は停止することが決定しており、今年の新入生はたった3人。僕たち二年生6人が卒業したら、彼らは本校に通うことになる。
「ええかお前ら、よく聴けや」
そんな二年生5人と、逢生の妹、一年生の明音ちゃんを集めて、ガツガツとチョークを叩きつけるようにして、健太が黒板に書きつける。
「これからオレたちは模擬恋愛を始める! 恋をするためには、まず恋がなんたるかを知らんとあかんからや!」
相対する僕たちは、よくわからないまま席にすわらされる。明音ちゃんの席はこの教室にないから、(彼女的に不本意ながら)健太の席に腰掛ける。
(これで、「何ページ目、開いて」とか言ったら、テレビみたいだな)
オレみたいになるなよ~みたいなヤツ。
「で。でや。恋を知るためには、誰かとカップルにならんとあかん。そこまでは理解できとるか、諸君」
「理解できてるもなにも……」
ウンザリ顔の生徒。
逢生なんて部活に行きたくて、腰が浮かび上がりかけてる。
「とりあえず、誰かと誰かをカップルとして行動させて、恋がなんたるかを学ぶ。まずは友達から。そこから、徐々に仲を深めていって、恋愛に発展するもヨシ!」
「発展しなかったら?」
「そしたら、チェンジ! 組み合わせを変える。とりあえずつき合うてみぃひんと、相手の良さとかわからへんやろし、恋が理解できへんやろ」
なるほど。
一理あるようなないような。
「相手の良さって。あたしらの間で、知らないことがあるとでも?」
夏鈴の冷静なツッコミ。
「そうよね、生まれたときから知ってるような間柄で、良さとかなんとか言われても……ねえ」
同調したのは、明音ちゃん。
ここにいる僕を除いた6人は、中学校も小学校も保育園も、なんなら産院まで同じの腐れ縁。今さら知らない良さなんてないと思うけど。
「ええんやって。つき合うてみてわかることもあるから。……たぶん」
健太、ちょっとだけ弱気。
「まあ、そういうことで、カップリングするぞー! 意見、希望があるなら、今のうちに言えよぉ!」
教壇に立つ健太がみんなを見回す。
「じゃあ、あたしは逢生にするわ」
ハイっと、勢いよく挙手した夏鈴。
「夏鈴……」
一番に名指しされた逢生が驚き、隣の席の夏鈴を見た。
「逢生なら、いっしょにマリンスポーツを楽しめそうだし。チビだけど体力もありそうだから、いろいろつき合ってくれそうだし」
は?
「お前、そんな理由なん?」
僕と同じくキョトンとした健太。
「つき合う」の意味、履き違えてないか?
「悪い? なら、健太にチェンジしようか?」
「エンリョします!」
健太は、子どもの頃に海で流されたとかで、このクラスで唯一のカナヅチ。海は好きだが海に入れない。
それに対して、夏鈴はガンガン海を楽しむタイプ。泳ぐだけでなく、シーカヤックなどのマリンスポーツも嗜む。
やや小柄だけど、陸上で短距離をやってる(そして普通に泳げる)逢生なら、体力バカに近い夏鈴につき合えそうだけど。
「で? 逢生はそれでいいの?」
健太の代わりに問いかける。
「うん、まあ。お試しだし」
「じゃあ、逢生は、夏鈴と、っと」
カツカツと黒板に書き込んだ健太。
「ねえ、その逢生♡夏鈴っての、やめてくんない? なんか生々しくてイヤ」
「そうか? テレビとかでこういうのあるやん」
「いつの話よ! イヤったらイヤなの! 気持ち悪い!」
言われてちょっと不満そうに、キュキュっと黒板消しを鳴らして「♡」を書き直した健太だけど。
「だーかーらぁ、その『✕』もイヤなんだってば!」
怒り出した夏鈴。その結果、逢生と夏鈴の間は、空白のままとなった。
「まあいいや。で? 次は、榊。お前は誰がいいんや?」
健太が、夏鈴の隣の席に座ってる榊さんに問う。
「誰も目当てがおらへんのなら、オレ、いっとく?」
ウィンクでもかましそうなほど、軽くチャラく健太が訊くけど。
「は? 冗談でしょ。私、バカは嫌いなので」
ズバッと切られた。芸人っぽくなのかマジなのか、健太が「グハア」と胸を押さえて崩れる。
「私は、そんな計画に乗らなくても、ちゃんと推しがいますから」
「推し?」
「そうよ。国語科の日下先生」
榊さんが、クイッとメガネを指先で持ち上げた。
「〝推し〟って。恋愛とはなにが違うんや? 一緒やろ?」
切られた傷を抱えつつ(?)健太が訊いた。
「違うわよ。ぜんぜん違う。そりゃあ〝推し〟にも〝好き〟って感情は含まれるけど、〝推し〟とは、手の届かない距離感があって、不釣り合いな相手に対して見えない線引きが存在してるの。〝恋愛〟は自分だけが相手と親しくなりたいと望むのに対して、〝推し〟は他者にも、対象の素晴らしさを薦めたいという気持ちが含まれている点が大きく異なるの」
「な、なるほど」
理路整然とした答え。さすが、古典満点の猛者。文系得意なんだな。
「日下先生はね、そのお顔立ちもさることながら、穏やかな声とか物腰とか、すべてが推せるのよ。本を読んでる時に流れ落ちるあの柔らかそうな髪、銀縁メガネのツルのあたりを持ってクイッとする仕草。見つめ続けてると、少し困ったような顔でこちらを見てくださる。そして『どうしましたか、榊さん』って。ああ、推せる……。尊い……」
榊さんが顔を赤らめ、あらぬ方向にお祈りを始めた。
「ソ、ソウデスカ……」
少し腰が引けてる健太。それは、他のみんなも同じ。ちょっとだけ(いや、かなり)ついていけない。榊さんとはあまり話したことなかったけど、好きなものになるとメッチャ饒舌になるタイプだったんだな。物静かな本好きの子だって思ってた。
「じゃ、じゃあ、榊は日下先生推しってことで……」
日下先生←榊と黒板に書かれるけど。
「並んで書くなんておこがましい!」
と、「←」だけでなく日下先生の名前も消され、白くぼやけた空白が残った。
「と、残すは、オレと陽、それと未瑛と……明音か」
ひぃ、ふぅ、みぃ、よー。
健太が指差し、数をかぞえる。
「じゃあ陽、お前、未瑛とくっつけ」
「――は? なんで? 僕と山野?」
なんで僕が、山野と? ってか、こっちの意見はナシか?
「オレが未瑛とくっついたら、兄姉カップルに弟妹で、カップル被りするやろが」
「そりゃ、そうだけど……」
健太の兄、航太さんと、山野の姉、寧音さんが恋人になったことが、この計画の発端だった。
「それにお前ら家も近いやん? アオハルお試しするのに、ちょうどええんやよなあ」
それを言ったらお前だって――と思いかけて、口をつぐむ。
僕と山野の家があるのは、港から離れた船越地区。健太の家は海に近い浜浦地区。近さで言うなら、僕のが上。
「それともなんや、陽。お前、未瑛より、こっちの明音のほうがええんか?」
「そっ……」
そう言われて、どう返したらいいんだ?
ここで「そうだね、明音ちゃんのがいいな」って言ったら、間違いなく山野が傷つくし、「山野でいいよ」でも結局傷つける。「山野がいい」なら彼女は傷つかないが、代わりに明音ちゃんを傷つける。
「アタシはぁ、健太より大里先輩のがいいなあ」
頬杖ついたまま、チラリと明音ちゃんがこちらに視線を投げかける。
「顔もいいしぃ、頭もいいしぃ、落ち着いてるし、なんたって青春の〝先輩〟枠だし」
「そっ、それを言うたら、オレも〝先輩〟枠やろが!」
なぜか、健太が慌てる。
「えぇ~っ、健太って、〝先輩〟って感じじゃないんだよねえ。赤点だらけだし」
確かに。幼馴染とはいえ、一年生に呼び捨てされてるあたり、健太に「先輩」感はないかもしれない。
「ううっ、うるさい、うるさい! とりあえず陽と未瑛! オレと明音! この組み合わせで行く! ええな!」
ガツガツダンダン。
殴るように、健太がカップルを黒板に書き出す。
「♡」も「✕」もないけど、これでカップル(仮)は成立らしい。