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アオハルオーバードーズ!  作者: 若松だんご
4.あまくはじけてほろ苦く
19/37

(四)

 「こんばんは~。大里くん、いますかぁ?」


 土曜の夕方。

 誰もいない待合室のほうから、僕を呼ぶ声がした。


 「――山野? どうしたの?」


 今日の診察は午前で終わり。だから、受付の看護師さんもいない。ドアに鍵をかけてないのは、万が一、誰か急患が訪れた時のため。そもそもこのあたりで、鍵をかける習慣もないし。

 そんな、診療所のドアから入ってきたのは、いくつかタッパーを持った山野。いつもの制服じゃなくて私服姿。


 「大里くん、もうゴハン食べちゃった?」


 「いや、まだだけど」


 今はちょうど、夕飯作ってる最中。

 今日の夕飯担当は、僕。僕も、Tシャツにハーフパンツというラフな格好。


 「よかった」


 ホッとして、山野が顔をゆるませた。


 「あのね。昨日もらったネギでおかず作ってきたの」


 「おかず?」


 「うん。ネギ入りの卵焼き」


 いそいそとタッパーを開けた山野。フタの間から見えたのは、黄色に緑の混じった卵焼き。


 「あ、もしかして、大里くんも同じメニューを作ってた――とか?」


 僕が無反応に見えたんだろう。急に、山野の声が落ち着かなくなった。

 ネギ入り卵焼きを作ってる最中に、ネギ入り卵焼きをおすそ分けしたら、間抜けというか、なんというかなんだけど。


 「違うよ。僕が作ってたのは肉豆腐。豆腐と豚肉とネギを煮込んでた」


 煮込んでた――というより、今煮込んでる。

 台所の引き戸を開けっ放しで出てきたので、醤油の匂いがここまで漂ってきてる。


 「よかった。おかずかぶりしなくって」


 緊張がほどける。


 「それとね。おばあちゃんから梅干し持ってけって。去年漬けたヤツだから、ちょっと古いけど。また新しいのを漬けたらおすそ分けするから、今日はこれでって」


 山野が持ってきた二つ目のタッパー。半透明のプラスチックから透けて見える、赤くて少し黒っぽい中身。


 「やった。僕、山野ン家のおばあさんの作る梅干し、好きなんだよね」


 山野のおばあさんが作る梅干しは、お店のものと比べて、無骨で赤みが濃いんだけど、酸っぱすぎるとかそういうのがなくて、とても美味しい。ハチミツを使ってまろやかにとか、そういうわけじゃなくて。なんて言うのか、ちょうどいい「塩梅」。


 「じゃあわたし、おばあちゃんに梅干し作り、教えてもらっとこうかな」


 「え?」


 「そしたら、いつでも持ってきてあげられるでしょ? こんにちは~、梅干しのお届け物で~す。毎度おなじみ、山野家一子相伝の味です~って」


 「同級生のなじみで?」


 「そ。同級生のなじみで」


 言って、互いに笑う。

 おばあちゃんになった山野が、おじいちゃんになった僕のところに梅干しを届けに来る。そんな未来を想像した。


 「おーい、(はる)。ちょっと往診に出かけてくるが……、なんや未瑛(みえい)ちゃん、来とったんか?」


 「お邪魔してます、先生」


 ペコリと山野が、じいちゃんに頭を下げる。


 「また、美浜屋さんとこのお婆さん?」


 「そうや。なんや、ずっとゴハンを食べへんって、大将から相談があった」


 「ゴハンを?」


 「食べさせようとしても嫌がるんやと」


 なんで?

 疑問が頭に浮かぶ。

 美浜屋のお婆さん。足を骨折して以来、ずっと寝たきりで介護を受けている。

 その場合、身体を動かさないことが影響して、便秘になって食欲が落ちることがある。けど、それでずっと食べない、家族が心配するほど食べられないってこと、あるんだろうか。それも食べさせようとして嫌がるなんて。


 「まあ、ちょっと飯前やけど、診てくるわ」


 「うん。気をつけて」


 話す間に、じいちゃんが靴を履く。


 「そや。未瑛(みえい)ちゃん、どうや。身体、しんどいことあらへんか?」


 「わたし? わたしは元気やよ。この通り」


 ムン。山野が空いた片手で力こぶを作る。できてないけど。


 「そっか。それならええけど。しんどい、づつない時は誰でもええから言うんやで? 無理したらあかん」


 「はい」


 「(はる)、お前もちゃんと戸締まりして用心してな」


 「わかってるって」


 「あと、未瑛(みえい)ちゃんを送ったり。暗なってきたからな」


 「うん」


 それもわかってる。

 診療所の外。初夏の今、まだ明るいはずの時間なのに、雲が空を覆い始めてるのか、灯りがほしいくらいにドヨンと暗い。


 「美浜屋のお婆ちゃん、なんでゴハン食べないんだろう」


 じいちゃんが出かけてしばらくして。ポツリと山野が言った。


 「ゴハン、ずっと食べなかったら、死んじゃうのに」


 「山野?」


 「食べたら、まだ生きられるのに。どうして」


 うつむいたままの彼女。

 食べなかったら死んじゃう。けど、食べたら生きられる。

 生きることは食べること。食べることは生きること。

 食を拒絶するということは、緩やかに自死を選んでいるようにもみえる。

 美浜屋のお婆さんを心配してるのか。僕と違って、山野とお婆さんのつき合いは長い。それこそ、山野が生まれた時からのつき合いかもしれない。


 「大丈夫だよ。じいちゃんがなんとかしてくれ――山野?」


 ポタポタと、コンクリートの三和土(たたき)に落ちた水滴。泣いてる?

 美浜屋のお婆さんのことを心配して?

 未来を想像して、暗いため息をつくならわかるけど、どうして泣くんだ? まだ、お婆さんは助かるかもしれないってのに。

 山野がやさしいから? 人に共感しやすい質、感受性が強いから?


 「山野」


 静かに泣く山野。涙が、乾いたコンクリートに、いくつも丸い模様を描いていく。


 「大丈夫だよ。きっとじいちゃんがなんとかしてくれる」


 だから泣くなよ。


 「――うん」


 泣き止まない山野に、どうしたらいいのかわからない僕の手が、伸ばすことも戻すこともできなくて、宙ぶらりんになる。カレシなら、ここで優しく抱きしめたりするんだろうけど。(仮)でしかない僕には、中途半端でありきたりな慰めしかできない。

 

 その日の夜遅く。

 予報通り、梅雨前線がもたらした雨が降り始めた。

 降り出した雨に満ちる、濡れたアスファルトの匂い。

 例年より遅く、仁木島町に梅雨が訪れた。

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