(三)
「じゃあ、またな~」
「またな~」
放課後。
いつものように健太、明音ちゃんと別れる。場所もいつものように美浜屋の前。そこからは山野と僕、二人だけの通学路。
「明日、晴れるかなあ」
唐突に、山野が言い出した。
昼間に比べて、明るさは増している。雲も途切れとぎれになって、薄い雲の部分は、白金色に輝いてる。
「晴れるんじゃないなあ。多分」
今日は天気予報見てないから、どうなのか確証はないけど。
でも、山野が晴れを望んでるなら、明日は晴れにしてあげたい。天気を動かす力なんて持ってないけど。
「梅雨、なかなか始まらないね」
「だなあ」
6月に入ってしばらく過ぎた。
いつもなら、「例年通り」もう梅雨に入ってもいいのに、今年は曇ったりするだけで、梅雨に入ったりしない。週末の雨をキッカケに梅雨入りするかもしれないって、以前テレビで言ってたけど、今のところ、「梅雨」が来る感じはしない。
「雨はありすぎても困るし、なさすぎても困るんだよねえ」
「そうだなあ」
妙な相槌マシーンにでもなったような、間抜けな返答。
「でも、晴れが続いたら、スケッチに出かけやすくなるんじゃないのか?」
相槌マシーンをやめたくて、こっちから質問してみる。
雨が降らなければ出かけやすい。そうしたら、色んなところで絵を描けるじゃないか。
「う~ん。晴れの仁木島もいいけど。雨にけぶる仁木島も描きたいんだよね」
「雨に?」
「うん。そんなゴウゴウビョウビョウ吹きすさぶ嵐じゃなくて。シトシトと降る雨に、世界は白っぽく、薄い灰色に染まるの。山も木も海も町も。みんなボンヤリして、淡く混じるんだ」
「へえ……」
そんなんだっただろうか。雨の景色。
「それに、雨の降ったあとは、透き通ってキレイな空気に包まれるから。それまでよりも何倍も光が輝いてるし、世界の色がハッキリするんだ」
そうだったかな。雨上がりの世界。
僕と山野は、身長も違えば、視点の高さも違う。同じ黒い目だけど、違う個体の目。
同じ景色を見ていても、山野には僕とは違う景色に見えてるのかもしれない。
山野の見てる世界は、山野の手でスケッチブックに残される。今も小脇に抱えてるスケッチブック。少し見てみたいと思った。
「おーい、陽くんや~」
坂を登り始めた僕たちの背後。ブオオオンと、騒がしい排気音が近づいてきた。
スクーターに乗って現れた、中年、やや高齢よりの女性。じいちゃんの診療所で見かけたことあるけど。――誰だっけ? 名前は知らない。
「あ~、間に合うた~。さっき見かけたから、そうかなと思ったんやけど~」
僕らの脇でスクーターを止めた女性。なぜかフヒ~と息を吐き出す。坂を走ってしんどいのは、オバサンじゃなくて、スクーターだろうに。
「これ、持ってき」
ドサッというか、バサッというか。
前カゴがら取り出したソレを、ドスンと渡される。
(うわ!)
受け取った衝撃で、あたりに広がる強烈な青臭さと土臭さ。
「さっき畑で採ってきたネギや。先生のとこ持ってこかと思とったんやけど。陽くん、持ってき」
「あ、ありがとうございます」
お礼は言うけど。どこか実の入ってない、上っ面くささを感じる。
「ほなな。先生によろしく言うといてや~」
颯爽と? スクーターを巡らせて、元来た坂を下っていくオバサン。
(よろしくって言われても……)
ホント、どこの誰なんだろう。そして。
(こんなに大量のネギ、どうしろと?)
新聞紙で包まれた採りたてのネギ。包んだ新聞の中から匂いとそのツンツン具合で、主張してくる青ネギ。右腕で抱えてるけど、どうかすると左手も動員したほうがいいぐらいの量。ネギでお店開けそう。
せっかくの好意を「要らない」とは言えないし。
「プッ……」
「なんだよ、山野。なんで笑ってんだよ」
僕に背を向け、肩を震わせて笑ってる山野。その姿に、思わずムッとする。
「ご、ゴメン。で、でも、おかっ、おかしくって……」
謝りながらも、笑いが止まらない。
「おかしいって。なにがさ」
「そのっ、大里くんが持ってるネギが……」
「ネギ?」
強烈なネギ臭だけど?
「送別会のはなむけでもらう花束みたいだなって、そのっ……」
言葉が続けられなくなった山野。背中を丸め、クスクスと笑い続ける。
「ネギが餞別って……」
絶句する。
カラフルなラッピングじゃなく、よれた新聞紙で包まれた大きなネギの花束(?)。バラやカーネーションのような上品な香りではなく、強烈なネギ臭と土臭さが鼻を突く。
その抱え方こそ、花束っぽいけど。
「こんな餞別、さすがにイヤだ」
こんなの、嫌われてるみたいだ。ネギの花束なんて、なんのイジメだ?
「うん、だよね。ゴメンね、笑っちゃって」
こっちに向き直して目尻を拭う山野。でも、ちょっとつつけば、また笑い出しそう。
「じゃあ、お詫びとして――」
ネギの花束から、適当な量をガシッと掴んで引っこ抜く。
「山野もネギ、持っていけよ」
「え? ちょっ、大里くんっ!?」
「おすそ分け」
「こんなにもらえないよ!」
「じいちゃんと二人暮らしの僕ン家じゃ、こんなに食べ切れないから」
「そんなこと言ったら、わたしン家も五人しかいないよ? それに、おばあちゃんが庭でネギ作ってるし」
知ってる。
この辺の家は、漁師の家でも庭で少し菜園を作ってる。近所に八百屋とかなくてもやっていけるのは、そういう菜園があるからってのが理由。山野の家の庭にも、ネギやらトマトやら、色々な野菜が植えられている。
「でもウチより人数多いじゃん」
ってことで、返品不可。
「というかさ。僕、どっちかというと白ネギのが好きなんだよね」
「白ネギ? ああ、東京ネギね」
僕の言葉を山野が言い換える。
この辺では白い部分の多いネギ、白ネギを東京ネギという。東京の方で食べられてるネギという意味らしい。
関西では青い部分の多いネギが主流らしいけど、僕にしてみれば、その青の向こう、厚みのない空洞が気になる。ネギは、どっちかと言うと、シャキッとして歯ごたえある方が好き。白ネギと豆腐の味噌汁を、地味に一押し味噌汁としている。もちろん、味噌は白味噌派。
まあ、もらった分はちゃんと食べ切るけど。
「よかったらさ。そのネギを使って、なにかお弁当作ってよ」
「え?」
「山野のお弁当。一度食べたら忘れられない衝撃だったんだよなあ」
だって、おにぎりゴロンゴロン。あんな巨大なおにぎりは、絶対忘れられない。
「衝撃って。美味しいじゃなくって?」
「そう。衝撃。もちろん美味しかったけど」
味よりも、そのインパクトが強烈だった。
「じゃあね!」
いつもの別れ道。軽くネギの花束を振って別れる。
なぜかスキップしたい気分。
少しだけ振り向いてみると、山野はまだそこにいて。渡したネギを大事そうに、花束のように抱えていたけど。
――ネギクサッ!
かすかに聞こえた声に、今度は僕のお腹が、笑いでよじきれそうになった。