(二)
「ねえねえ、見て見て、先輩!」
お昼休み。
いつものように昼食に混じってきた明音ちゃんが、うれしそうに机の上にポーチの中身を広げて、女子たちにみせた。――化粧品?
「これ、どうしたの?」
夏鈴が問う。
いつも使ってるリップ……というよりは、なんか新しそうだけど。
「昨日の休み、お母さんに買ってもらったんですぅ」
ニッコニコの明音ちゃん。代わってふり返れば、ちょっとお疲れ顔の兄、逢生。
「昨日、母さんと婆ちゃんがさ、明音と公佳を連れて行ったんだよ。それも伊勢まで」
「伊勢まで?」
「そ。服を買いに行ったはずなんだけどさ。ついでにポイント5倍デーとかなんとかで、日用品買いにドラッグストアに立ち寄って、化粧品は10倍だって聞いて、ああなった」
なるほど。
普通に買い物するだけなら、伊勢まで行かなくても、こっちにも車で30分ほど走ればショッピングセンターぐらいある。それをわざわざ山を越えて伊勢まで行くんだから、よっぽどいろんなものを買いたかったんだろう。
「おかげで、ボクは民宿の手伝いでヘトヘト。父さんと二人でお客さんのお世話したんだから」
「それは……、ご苦労さま」
今朝からずっとグッタリしてる逢生。土日の本校での部活で疲れてるのかと思ったけど、どうやらそうではなかったらしい。
逢生の家、長谷部家は逢生の両親とお祖母さん、妹の明音ちゃんと、もう一人、中学一年の公佳ちゃんがいる。
男女比、2対4。勢い、お父さんと逢生の立場は女子の下になりやすい。
「なんかいろいろねぇ、カワイイ新色があったから。電話でお父さんに相談したら、欲しいのは全色買っていいって言われたの!」
男女比、2対4じゃない。逢生のお父さんは、明音ちゃんと公佳ちゃん、二人の娘にベタ甘パパだった。逢生はともかく、お父さんはニッコニコで娘たちを買い物に送り出したんだろな。
「でもさ。化粧って、校則違反じゃねえの?」
ハムっとコロッケパンの最後の一切れを食べて、健太が言った。
確かに、お化粧は校則で禁止されてたはず。
「これは、お化粧じゃなくてすっぴんメイクだからいいの!」
は?
お化粧とメイクの区別がつかない。ってか、すっぴんメイクってナニ? すっぴんってのは、化粧してないってことだろ? それなのにメイク?
「お化粧ってのは、化粧水つけて化粧下地塗って、ファンデーションつけて、チークはたいて、アイカラー、アイライナー、アイブロウ、マスカラって塗りぬり、盛りもりしていくもんでしょ? それと違ってすっぴんメイクは、塗ってるんだけど、そうとわからないぐらい、発色もかすかでナチュラル、お化粧してる感ゼロの、理想のすっぴんを作り上げるものなの」
多分、僕たち男どもが、頭に「?」を浮かべてたんだろう。明音ちゃんが細かく説明してくれた。
「だから、使うのはこのBBクリームと、プレストパウダーと……って、ええい、説明しにくい! 未瑛先輩、顔、貸してください!」
「え? ちょっ、あ、明音ちゃんっ!? きゃあっ!」
説明の難しさ、伝わらないことの苛立ち、面倒くささの犠牲に、山野が選ばれた。明音ちゃんの隣に座ってたことがアダになって、その驚く顔を押さえつけられ、容赦なくすっぴんメイクを施される。
「アタシ、一度やってみたかったんですよね~。未瑛先輩って、とってもお肌キレイだし。――って、先輩! 動いちゃダメです!」
「ふぁい……」
はからずも、メイクモデルになってしまった山野。明音ちゃんに言われるままに静かにメイクされる。
「先輩の場合は、肌が白いからこっちの血色よく見えそうなリップのがいいかな。あんまりやりすぎると先生に見つかっちゃうから、アイブロウはちょっとだけ」
ルンルンと鼻歌交じりに、山野の顔をキャンバスに描いていく明音ちゃん。
「――これでヨシ!」
最終的に、チョイチョイ微調整して、満足がいったのか、フンッと鼻を鳴らした。
「どうです、大里先輩! カノジョの出来栄えは!」
クルッと山野の肩を掴んで、僕に向き合わせるけど。
「なんで、僕?」
「未瑛先輩のカレシだからですよ!」
叱られた。
カレシって。まだカレシ(仮)というか、お試しカレシなんだけど。
でも。
「カワイイ――と思う」
メイクする様を見ていたせいか、「すっぴん」「いつもと変わらない」という感想は持ってない。「なんか塗ってるな」ぐらいはわかる。
いつもより血色よく感じる肌。ピンク色の少し潤ってる唇。
そこまで変わった印象はないけど、でもカワイイと思う。心臓がトキンと跳ねた。
「ちょっ! 大里先輩! 『と思う』ってなんですか!」
え?
「カワイイならカワイイ! 素直に褒めたらどうですか!」
またまた叱られた。
「ちょっと待って、明音ちゃん。鏡、鏡を見せてくれる? どんな顔になってるか見てみたいの」
山野が、吠える明音ちゃんに声をかけた。
「え? 鏡?」
えーっと。
明音ちゃんが止まる。
「持ってきてないのかよ」
健太がツッコむ。
「うるさいわね! コスメでポーチがいっぱいになっちゃったの!」
焦った明音ちゃんが開き直る。
「あるわよ、鏡なら」
それまで成り行きを黙って見てた(正確には、一人本を読んでいた)榊さんが、自分のカバンから折りたたみ式の小さな鏡を取り出した。
「ありがとう、文華ちゃん」
受け取った山野が、うれしそうに、でも不安いっぱいって感じで鏡をのぞく。
「なんで、榊は鏡なんて持ち歩いてんだよ」
健太が訊いた。
今も化粧っ気ナシで、そういうのから縁遠い印象なんだけど。
「図書室に入る前に必要なのよ。身だしなみを確認するために」
は?
図書室に入るのに、身だしなみって必要だったっけ?
そりゃあ、ボサボサよりはピシッとしてたほうがいいに決まってるけど。
逢生と二人、顔を見合わせ首を傾げる。
「先生に、下手な私を見せたくないの」
あー、なるほど。
振り向いてもらう予定のない「推し」相手であっても、どう見られるかは気になるってことか。
いつも本ばかり読んでとっつきにくい印象の榊さんだけど、カワイイところもあるんだなって思った。
「にしても。未瑛、そんなに必死に見てなくても、アンタ、充分カワイイって」
鏡で見るだけじゃない。前髪までツンツン触り始めた山野に、夏鈴が声をかけた。
「でも……」
「大丈夫だって。今の未瑛のかわいさは、あたしが保証してあげる。アンタを見て、カワイイって言わないヤツは、あたしがぶっ飛ばしてあげるから」
言って、グッと力こぶを作ってみせた夏鈴。なあ、それってもしかして、僕、ぶっ飛ばされる案件?
「カワイイ!」
「カワイイであります、サー!」
逢生と健太が、けたたましく椅子を鳴らして立ち上がる。鬼軍曹の前のへっぽこ一等兵みたい。
「それよりさ、あたしにもコレ、似合ったりするかなあ」
健太たちの反応にニッと笑って、夏鈴が話題を変えた。彼女が手にした、山野の使ったリップ。
「あ、それ。夏鈴なら、こっちを使ったほうがいいよ」
直立解除された逢生が言い出した。
「夏鈴って、山野さんと違って日焼けしてるだろ? その肌色を活かすためには、赤みの強いピンクじゃなくて、こっちのオレンジの混じったピンクのがいいんだよ」
ホラと、机の上に散らばったコスメから、一本を選びだした。
「オレンジとかブラウンって、リップとして選ぶのは難しい色なんだけど。夏鈴なら使いこなせると思うよ」
「お前、くわしいな」
健太が感嘆する。
「まあね。こういうコスメとかの雑誌、家のあちこちに読み散らかされてるから。嫌でも目に入るし、なんとなく覚えた」
「なるほど」
家にじいちゃんしかいない僕と、家に女性はお母さんだけの健太では、逢生のようなスキルを得ることは難しい。
「オレン家には、兄貴のエロ本ぐらいしかねえからなあ」
「僕ン家には、それすらもないよ」
あってたまるか。