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ウジャトの眼

1.


 機動兵器、起動シーケンス、開始。

 OS(オーエス)起動完了。機体本体制御機能確認シーケンス、完了。各種燃料状態確認シーケンス、完了。セルフメンテナンス機能チェック、完了。兵装連携アプリケーション起動、完了。各種通信、レーダー制御HW(ハードウェア)ドライバ起動確認、状態確認、完了。パイロット生体識別、および維持制御HW(ハードウェア)ドライバ起動確認、状態確認、完了。各種MW(ミドルウェア)起動確認、状態確認、完了。各アプリケーションとMW(ミドルウェア)間の通信プロトコル確認、完了。音声通信確認、よし。モニタ起動。モニタ内、視覚情報に問題なし。各デバイスのLED、LCD状態、問題なし。以上、機体起動完了を確認。

 続いて、発進準備。作戦領域区域情報の受信、よし。機体活動限界時間、および損傷限界の設定、よし。兵装弾数、理論値と実値の確認、よし。パイロット生体情報について、心拍数、血中酸素濃度、血圧、許容範囲内。機体情報に、作戦参加許可を付与。識別番号、02−06、付与。発艦順番、04、付与。発艦まで、約五分。各員の点呼、状態確認、完了。

 発艦用カタパルト、一番から三番まで、状態確認、よし。四番は予備として、準備までに留める。発艦開始。発艦までの待機時間が十分以上の隊員について、予定時間五分前までの各種娯楽を許可。五分以内のものは、自身の生体情報と、身辺の確認を行うこと。

 識別番号、02−06。発艦用意。カタパルト誘導、開始。空間姿勢制御機能の再確認、よし。兵装状態の再確認、よし。作戦目標、および作戦領域の再確認、よし。カタパルト連結、完了。

 発艦まで三十秒。十、九、八、七、六、五、四、三、二、一。

「行きます」

 衝撃。体が、シートに押しつけられる。マウスピースに、歯が食い込む音が、骨を伝って、耳に入ってくる。

 音速、亜音速を経て、空間姿勢制御可能速度まで減速。その後、慣性と空間姿勢制御のみで、作戦領域へ到達していく。作戦領域から帰還する分の量を差し引きして、推進剤の許容使用時間は五分程度だった。

 真空。暗闇の、あるいは眩い光だらけの、宇宙空間。空気があるのは、このヘルメットの内部のみ。耳に入る音は、各種通信と、自分の呼吸の音だけである。

 おそらくは、遭遇戦。哨戒任務中の、出撃命令である。母艦の索敵範囲内に、識別不明信号が五点、接近中。これを確認ののち、識別情報が連合側の場合は迎撃し、撃退すること。これが作戦目標である。艦内参謀部戦略班は、現状で、連合側がこの宙域に侵入する必要性は無いと判断した、その矢先だった。

 判断誤りか、あるいは、それを見越しての奇襲か。

 初の実戦だった。発着艦シーケンス訓練と、それに伴う、機動兵器による哨戒任務ばかりだったので、些か気が緩んでいたのもある。今、こうやって、宇宙空間を漂っている中、心拍数と血中酸素濃度は、やや危険水域にまで、上り詰めている。

 音のない空間。ヘルメットの中で嗅ぎ取れるのは、自分の体臭のみ。使えるのは、視覚だけである。各種技術が急速、かつ極度に発達したがゆえに、超高精度通信技術と超高精度ジャミング技術のいたちごっこが発生してしまい、その結果、戦場の将兵たちは、第一次世界大戦以前さながらの、血と恐怖に塗れた、有視界戦闘を強いられていた。

 近距離レーダーに反応あり。識別不明信号のうち一点、正面右下より、急速に接近中。各種兵装の安全装置が、自動的に解除された。空間姿勢制御で、信号情報を常に正面に収めるよう、集中して操作していく。

 見えた。相当に速い。暗黒の宇宙空間に、噴射炎の筋。

 濃紺の、空間戦闘機。いや、可変機か。識別中。あと三秒。鼓動が、高まる。

 識別完了。連合側。識別情報、“渡り鳥”。そして、目に入ってきた。左翼に刻まれた、白いトレードマーク。

 何かの、眼。理解した途端、口が動いていた。

「敵機確認。“渡り鳥”、一機。位置情報、送信。連合の機体。“渡り鳥”。“ウジャトの眼”。“ウジャトの眼”」

 感じた恐怖とは裏腹に、体は戦意に迸っていた。バーニア噴射。ここからなら、後ろが取れる。噴射炎の方向から、読み取る。狙いは、マンスフィールド中尉。作戦指揮だ。一気に大将首狙いか。

 だが、一撃離脱特化の強襲機とはいえ、後ろを取れば、頭部機銃なり、ビーム・カービンなりで、追い立てられるはずだ。マンスフィールドも動けば、挟み撃ちにできる。

 “ウジャトの眼”。連合側の、エースパイロット。可変型機動兵器の“渡り鳥”で構成された強行偵察部隊の、隊長のはずだ。どうしてまた、こんな宙域にいるんだよ。何が目的だ。それよりもまず、撃退しなければ。

 光。爆炎か。早い。まさか、マンスフィールド。

《01−01、通信エラー。エラー、エラー。通信途絶と判断》

 機械音声。無慈悲な、抑揚のない、女の声。

 通信エラー、三回。つまり撃墜。マンスフィールドが、やられた。

《01−01、生体情報、確認できず。ロストと判断。作戦指揮を、02−01に変更。作戦総指揮より通達ない限り、作戦続行》

「オペレーターへ。“ウジャトの眼”だ。作戦総指揮に通達してくれ。この戦力では、対応困難だと」

 ヘインズ中尉の声。すぐに、ノイズに変わった。02−01、通信エラー。エラー、エラー。つまり、撃墜。

 遭遇して約一分で、二機。それも、大将首。

 噴射炎が、翻った。こっちを向いている。機首代わりの、ビーム・カノン。ただきっと、砲身は、熱を持ちすぎている。

 ビーム・カービン、射撃準備。しかし、ロックオンが間に合わない。手で合わせていくしかない。偏差射撃、二発。かすりもしてくれない。各種ブザーと、呼吸だけ。後は、体が触れる部分から、機体の軋みだとか、制御コンピュータの振動だけが伝わってくるぐらいだ。

 ブザー。LED、二種。点灯は、赤。零点五点滅、二回の後、一秒点灯。

 敵機に、ロックオンされた。

 吹かした。どこでもいい。距離を離す。その間にも、丸い光が、二つか三つ、目に入ってしまった。続く。機械音声。通信エラー、三回。

 たった一機。いや、増えている。三機。“渡り鳥”の五機中、三機。

 ビーム。飛んできた。光線じゃない。つまり、光じゃない。熱量を持つ、超微細な粒子の集合体。だから、光速じゃない。音速以上、光速以下だ。理論上は目で追える。ならば、避けれる。

 当たらなければ、どうということはない。()()()()()()()

 ただ、挟まるものが多い。カメラ。画像処理デバイス。機体自動制御システム。その他諸々を経て、モニタに表示。それが見える情報。実際の情報より、ピリオド、あるいはコンマ数秒、遅い。それから、反応する。また、挟まる。思考から、脳の信号。体の動き。操縦桿。それから逆順に通って、機体の四肢だとか、兵装に行き着く。これもまた、ピリオド、あるいはコンマ数秒。

 機動兵器のパイロットは、それを考慮しなければならない。機動兵器という機械のしくみを知ってしまったが最後、絶対につきまとう、ある種の呪い。

 視界が、回った。左足が持っていかれた。自動制御。敵機に対し、自動的に向き直る。そこだ。カービン、三発。当たらない。当たってくれない。

 光が、五月蝿い。

《01−06、通信エラー。エラー、エラー》

 嘘だ。

 名前を、叫んでいた。吠えたけっていた。

 いた。“ウジャトの眼”。バーニア全開。頭部機銃。それでも、追えない。カービンの偏差射撃。遅すぎる。残弾なし。あとは、腕部内装の擲榴弾。でも、距離が遠い。それでも撃った。どこか、破片とか、残骸とかにでも。

 後はもう、白兵戦。ビーム・ソード。使用限界、三分。

 噴射炎が、反転した。突っ込んでくる。濃紺の。鳥じゃなく、人のかたち。

 眼前。左翼ではなく、顔に。口紅のように赤く横切る、光の下に。

 白い線で。誰かの、左眼。

 揺れていた。反射的に、何かをしていた。右手だけ、操縦桿を抑えている。左手が何をしているのかは、わからなかった。

 閃光と、何かの音の後、何も見えなくなった。


2.


 暗闇の中。機械音声だけが、聞こえた気がした。

《機体通信、途絶。コックピット・ブロック、脱出シーケンス、完了。制御切替まで、三十秒》

 やられた。敵機遭遇から、五分もしないまま。何も見えない。何も、聞こえない。もはや自分の呼吸すらも。

 手は、動いているようだった。左胸に、当ててみる。パイロットスーツの感触はあれど、鼓動は、感じない。

 死んだのか。意識と感覚だけになって、あるいは魂だけになってしまったのか。何もできないまま。国のためにも、家族のためにも。同僚や先輩、あの艦の皆には、もう、会えないのか。

《パイロット生体情報、確認。心拍数、血中酸素濃度、血圧、許容範囲内。健康状態に問題なし。パイロットの生存を確認》

 声が、聞こえた。機械音声。

《お疲れ様です。状況の通達を行います。現在、貴官は作戦領域内にて、コックピット・ブロックのみで漂流中。これより、各種艦艇、および通信可能限界距離までの各種電波帯域に対し、救難信号を発します。身辺と、備品の状況確認をお願いします。ご安心下さい。大丈夫。必ず、助けは来ます》

 光。モニタの一部だけが、輝きを取り戻す。何かの娯楽番組だろう。コメディアンが走り回ったり、転んで歩いたりしている。

 生きている。反射的に、脱出レバーを引いていたんだ。ほっとした反面、これからずっと、この密室に閉じ込められるのかとも、思った。その怖気は、じわじわと昇ってきた。

 ここで、死ぬまで、生きなければならない。

 名前を、呟いていた。涙が溢れていた。真空の中、揺蕩う水滴。それを検知した、パイロットスーツの制御装置が、自動的に涙の粒を、吸い取っていく。

 駄目だ。泣いたり、叫んだりしては。備蓄された空気を、無駄に使ってしまう。この真空状態の中で唯一許された、呼吸可能な空間。使い切ったら、その先にあるのは、緩やかな窒息死。

 そんなの、いやだ。

 モニタを切った。暗闇の中、いくつかのLEDとLCDが、ぼんやりと光っている。星空を、上から眺めているようだった。

 眠ろう。そうやって、待っていればいい。生き延びることも。死ぬことも。死ぬにしても、夢を見ながらなら、きっと穏やかにそれを、迎えられるはずだ。

 ねえ。それできっと。きみとまた、会えるんだよね。

《救難信号に対する応答を検知。繰り返します。救難信号に対する応答を検知》

 聞こえた。誰かの声。機械音声。夢が、醒めていく。

 届いた。救難信号。

 助かる。

《本アナウンス終了後、五秒後に、通話を開始します。双方の音声については、プライバシー保護のため、自動的にボイスチェンジャーによる音声変換を行います。これより、通話を開始します。貴官の無事を、お祈りします》

 国の人。どこかの物資輸送会社。どこでもいい。

 ここから、出してくれ。それだけ。それだけでいい。

 通信が、開いた。変換された声。

「こちら、連合軍中尉。エイブラハム。貴官の救難信号を検知した。応答願う」

「連合?」

 敵。

 声に、出てしまっていた。口を抑えようとしたが、ヘルメットのバイザーがあった。それに手があたって、はじめてそれに気付いた。それぐらい、頭が。

「音声検知。貴官の生存を確認。意思疎通のため、使用言語の確認を願う。使用言語の通知。あるいは、アルファベットを順に発声願う。本官の発言が不明な場合、ヘルメットを叩くなりで、反応願う」

 どうしよう。でも、いやだ。死にたくない。空気がなくなって、溺れるようになんて。絶対に。

「英語です。アメリカ英語、イギリス英語、あるいは、他のでも」

 すがるように、口から言葉が出ていた。でも、頭の中にはずっと、戸惑いと、躊躇いが、せめぎ合っている。

「確認した。あらためて、こちら、連合軍中尉。エイブラハム。貴官の救難信号を検知した。確認事項あり。順に、貴官の現在の健康状態。怪我や、物資の不足などがあれば、提示願う。次に、貴官の所属について、提示願う。黙秘権はあるが、その場合、救助困難となる場合あり。ご承知願う」

「健康状態、問題ありません。非常食、空気備蓄についても、三日分あることを、確認しています」

 ここまでは、ここまではいい。

 どうする。でも、まずは。

「本官、スターリング。共栄圏解放軍、新任少尉です。現在、貴官、および貴官所属の勢力とは、敵対関係にある認識です」

 言ってしまった。

 ここから、どうすればいい。

「返答を確認。可能であれば、深呼吸、三回。貴官の用意が出来次第、話を進める。よろしいか」

 言われたとおりにした。三回。でも、腹の中に、肺の中に、空気が入っていかない。

 降伏。投降。あるいは、死。どれだ。どうすればいい。

「お願いします」

 腹を括れないまま、返答をしてしまった。

「こちら、貴官の所属するであろう艦隊の撤退を確認している。そのうえで、本官より、貴官の投降を要望する。貴官の身の安全については、本官が責任を持つ。繰り返す。本官より、貴官の投降を要望する。返答まで、五分待つ。よく、考えてくれ」

 奥歯が、軋んだ。瞼も、同じぐらい。

 でも、やっぱり。死にたくない。

「投降、します。救助を、お願いいたします」

 震えていた。でも、言ってしまった。

 ごめん。そっちには、行けない。だって、生きて会いたいから。

「承知した。貴官の決心について、感謝を申し上げる。これより貴官の救助に向かう。繰り返す。これより貴官の救助に向かう。もう大丈夫だ。気を楽にしてくれ。眠っても大丈夫だ」

 そうやって、通信が切れた。

 力が、抜けていった。敗残の兵。捕虜となって、生き延びた。国の威信とか、矜持とか、忘れてしまった。この暗闇と、密閉された、死だけが先にある空間から、逃れたかった。たった、それだけのために。

 振動が、伝わった。それと、慣性。動いている。運ばれている。

 束の間だけだろうけれど、目を、瞑った。

 夢で会えるなら、そうしたかった。


3.


 ブザー。まどろみを、破っていく。

《空気圧、調整。エアロック解除。制御装置の、外部アクセス処理を確認。救難信号の発信、終了。お疲れ様でした。以降は、救助先の指示に従って下さい》

 機械音声。どこかに、たどり着いた。そうして、光が差し込んできた。

「お疲れさん。おや、貴官。お嬢ちゃんだったかい」

 木漏れ日のような光を背に、きっと男の影。ちょっと、からかうような。それでもちゃんと、空気を伝った、人の声だった。

「酸素濃度は安定している。ヘルメット、取っても大丈夫だ」

 促され、ヘルメットのロックを解除し、ゆっくりと外した。髪が、汗でべたついている。マウスピースも、取っ払った。

 シルエットのままの男が、何かを差し出してきた。反射的に、手を伸ばしていた。温かい。白い、タオル。

「ありがとうございます」

 答えた声は、きっと、震えていた。

 顔を拭いた。首周り。髪の、結っていた部分も、解いた。そのまま同じようにして、紙ごと頭の後ろまで、拭いていく。男の人の前で、そういうことをするのは恥ずかしいけど、まとわりついたものを、すべて、清めたかった。

 裏返して、畳み直す。もう一度、顔。温かさが、心地よかった。

「あらためて、連合軍中尉。エイブラハムだ。投降を決意してくれて、ありがとう。貴官に、敬意と感謝を表する。以降の、貴官の身の安全については、本官が保証する。安心してくれ」

 男の影は、優しく、そう言ってくれた。声と輪郭から、男性的な力強さを感じた。

「こちら、共栄圏解放軍、新任少尉。スターリングです。本官の投降を受け入れて下さったことについて、感謝を申し上げます。以降、本官の身柄については、貴官を含む、連合軍、および、連合政府に委ねます」

 何とか、毅然とした態度で、言い切れた。

 そこまでで、体が重く感じた。いや、実際、重い。擬似重力かもしれない。それと、疲れ。シートにもたれ掛かって、動けなくなってしまった。

 息だけが、荒かった。肩が上下している。

「出れるかい?」

「すみません。今、シートベルト、外します」

 自分の声が、情けなかった。へとへとだった。

「ああ、無理しなくていい。今、女の人、呼ぶから」

 少しして、いくらか年嵩のある女性士官が二名、顔を見せた。おそらく医療士官。シートベルトを外してくれて、コックピット・ブロックから、出してくれた。

 重力は無かった。きっと、気が抜けたのだろう。動くのは、目と、頭ぐらいだった。頭の中は、回っていない。女性士官の片方が、体を支えてくれていた。

 光の中。明るい。空気が、新鮮だった。匂いもない。設備も整っている。人も、自分のところの倍ぐらい、多い。

 充実している。比べ物にならないぐらい。

 男の方を見た。暗い、褐色の肌。顔立ちから、おそらくは中東とか、北東アフリカの血。それなり背が高く、筋肉質。三十ぐらいだろうか。目と眉、鼻筋のしっかりした、一昔前の男前。やんちゃなお兄さん、という感じ。

 エイブラハム。イブラヒムと発音すれば、エジプトかもしれない。

 もしかしたら、このひとが。

「貴官のこれからについては、後ほど、うちの上のものから話をする。まずは、休んでくれ。ごはん、出すけれど。ビーフ、チキン?ヴィーガンもある」

「チキン。少なくていいです。それと、もしよろしければ、飲み物を。アルコールでないやつ」

 つい、言ってしまった。それほどに、息は荒く、喉が、乾ききっていた。自分でも驚くほど、消え入るような声だった。

「温かいものでなければ、すぐに出せる。オレンジジュースか、レモンティー」

「オレンジジュース。お気遣い、ありがとうございます」

「こちらこそ。先に聞くべきだったね」

 エイブラハムが、近くにいた人に、ひと声かけた。ビニールのパックに入った液体が、すぐに届いた。手の空いた、もうひとりのほうが、気を使って、飲ませてくれた。

 それで、だいぶ落ち着いた。

「新任少尉ってことは、今回がはじめての実戦?」

「はい」

「よく、脱出レバーを引いてくれた。それと、投降も」

「そこを褒められるのは、ちょっと複雑です」

 言った言葉に、エイブラハムは笑っていた。

「所感だけどさ。戦争ってのは、外交の手段のひとつでしかない。ただの殺し合いをやるってわけじゃあないよ。条約なり協定なり。つまりはルールとマナー。それと権利と、義務がある。そういうものは、使ってなんぼだろう?」

 そう言いながら、エイブラハムは、近くの鉄柵に体を預けて、言葉を続けた。

「何より、俺はパイロットではありたいけれど、ひとごろしには、なりたくない。結果的に、そうなっちまうかも知れないが、ひとりでも多く、生きていてほしいよね」

 穏やかな言葉と、表情だった。ただ、それが無性に、気に障った。

 このひとが、きっと、そうだから。

「偽善ですよね、それ」

 あえて言った言葉に、エイブラハムは、吹き出してしまった。

「善悪に、嘘も真もあってたまるもんかよ。そんなことまで気にしてたら、全部を疑わなきゃならなくなる」

 どう返していいかは、わからなかった。けどきっと、本心を言ってくれているのだとは、思った。

 自分の気持ちは、今は、抑えるべきだろう。

「仰るとおりです。私の今の発言、将校に対する侮辱罪として訴えていただいて、構いません」

 それでも、投げ捨てるようにして、出てしまっていた。

 少しだけ、間があった。

 近づいてくる。眼の前。結構な身長差。

 こわい。

 何かが、肩に触れる。少しだけ、跳ね上がった。 

「わかった。ただ、示談で済ませよう」

 朗らかな口調。見上げた。

 やっぱり、笑っていた。

「明日の朝食から、ストロベリーひとつ、貰っとく。それでいいだろ?」

 言われて、思わず笑ってしまった。

 きっと、このひとだ。でも、いいひとだ。

「ご厚意、感謝いたします。エイブラハム中尉殿」

 そこだけは、素直に礼を言った。

 連行されるときも、手錠などは無かった。人員だけ代わり、エイブラハムと、別の女性士官が何名か。

 居住区に入る。体に重み。倒れ込みそうになったのを、着いてきてくれた人たちが、支えてくれた。擬似重力。ゆっくりとでしか、歩けなかった。

 やっぱり、綺麗だった。整っている。服も皆、アイロンがかかっている。大違いだ。きっと、兵站が充実している。

 国力の差が、大きすぎた。そして、開きすぎてしまった。

 個室。ベッドと、机。シャワーとトイレも、それぞれ用意されていた。

 捕虜とは、とても思えない待遇だった。

 しばらく、ここで待っててくれ。そう言って、エイブラハムが退室しようとした。

「あの。質問、よろしいでしょうか?」

 引き止めていた。やはり、確かめたかった。

「本官は、貴官が、あの“ウジャトの眼”のパイロットであるという認識ですが、合っておりますでしょうか?」

「ああ、正解。うちの血の故郷のお守り。そっちでも、それで通ってるんだ。何だか、ありがたいねえ。きっともう、廃れたもんだと思ってたからさ」

 やっぱり、そうだった。

 このひとは、いいひとだ。でも、受け入れられなかった。

 それが、涙として、溢れていた。

「大丈夫?」

「はい、ただ」

 渡されたハンカチーフ。涙を、拭った。

「時刻、0824、352。おそらく、貴官が撃墜した機体です。パイロットの状況について、何か情報は入っておりませんでしょうか?」

 何とか、言えた。

 エイブラハムの顔に、難しいものが混じった。それでもつとめて、相手をしようとする姿勢が、見えた。

 それがやっぱり、つらかった。

「すまんが、貴官が救助、投降の第一号だ。友だち?それとも、恋人?」

「友だちです。同期。でも」

 もう、全部、言ってしまおう。それで、終わりにしよう。

「恋人に、なりたかった。好きだったんです」

 ドミニク。

 同い年の、男の子だった。優しくて、見た目がいいわけじゃないけど。それでも、好きだった。いつか言おうと思っていた。でも戦争だし。自分も家の都合とかもあって、言い出しづらかった。

 そうやって、今までずっと、思い悩んで。

 あの、通信エラー、三回。

 止まらなくなっていた。敵陣で、ドミニクの仇の前で。情けない。悔しい。でももう、いいや。つらいままでいるよりなら。そうやって、立ったまま、顔も抑えず、ぼろぼろと泣き続けていた。

 ごめんなさい、ドミニク。私、何にもできなかった。

「スターリング新任少尉」

 その人の体が、近くに寄ったような気がした。そうして、首元に、何かが回された。

「うちのお守り。魔除けの他にも、癒やしとか、再生のご加護もある。貴官が立ち直るための、足しにしてくれ」

 よく見た。首元にぶら下がった、“ウジャトの眼”。それをかたどった、銀のネックレスだった。

 そのひとの、眼を見た。穏やかで、優しい眼。朗らかな顔つき。

 その眼で、私のこと、救ってくれるんですね。

「ありがとうございます。本当に、ありがとう、ございます」

 礼を言って、また、溢れていた。そのひとは黙って、肩を叩いてくれて、退室していった。

 私の国は、きっと負ける。でも、私のことは、あのひとと、この“ウジャトの眼”が、守ってくれる。

 だからきっと、さよならか、ただいまが、言えるはず。


(おわり)

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