後編
そんな時にアリルの両親の訃報が舞い込んだ。葬儀に出て欲しいというものだ。
領地への手紙は王都経由で来るので、城ではアリルへの親族からの手紙は検閲され、届かない様になっていた。しかし、西の修道院からの手紙が王都を通らないで来てしまった。
問題だったのは、アリルが受け取って自分宛だから開いてしまった事だ。落ちている手紙に気づいた時には、アリルは居なくなっていた。
アリルの優秀さはこういう時に問題になる。領地から忽然と消え、痕跡を追えなかったのだ。
(俺が何年かけて毒を抜いたと思っているんだ)
王は、家族全てを国の犠牲者だと言った。だから両親は自分達も犠牲者だと根底では思い込んでいる所もあるのだという情報は伝え聞いている。修道院で夫婦は過ごしているが、実際には昔馴染みの元従業員と使って修道院の経営を上向ける為に事業を興していた。
修道院の子供達に教育を受けさせ、成人させるには金が必要だ。それを稼ぐ訳だから事業は国から歓迎された。彼らにとっては罪滅ぼしには十分だと言う認識になっただろう。
修道士やシスターが清貧なだけで子供達の世話を出来る訳もないのだからこれは悪い話ではない。
では、何がいけなかったのか。
彼らは、アリルに謝れなかったのだ。アリルから歩み寄る事を望んでいたのだ。
検閲されていても、彼らから反省した様子が見て取れれば手紙は届いた筈なのだ。しかし……現実には届かなかった。アリルにこちらに来るように誘う文言ばかりだという話は伝わっていた。マリアンからの手紙は届くのだから事実なのだ。
会いに行けば、彼らは謝罪しアリルは許すだろう。それは傍目には美しい光景かも知れないが、加害者に呼ばれて被害者が出向くというのはおかしな話なのだ。しかし彼らはそれを譲らないままだった。だから、国もアークも両親から彼女を遠ざけた。
マリアンは鉄道事業に忙しい上に夫が番犬の様に付き添っている。結婚式で会ったが、アーク以上に上背と筋肉のある男だった。見ただけで威圧感が半端ない。
だからマリアンを取り込むのは諦めたのだろう。それでアリルに手紙を何者かが出したのだ。親なのかその周囲なのかはまだ分からないが、知恵の回る者の策略である事は分かる。
アークにとってアリルは美しい絹の様な女だ。
傷つきやすく生地から丁寧に染みを抜いている最中に、ワインをグラスごと布に落とされた様な不快感と怒りは人生でも最大級のものだった。
「俺のフットマッサージ一年分をよくも!許さん!」
謎の叫びと共に馬を駆る領主を、領民達は呑気に手を振って見送った。
アークが修道院に到着したのは、それから一か月以上も後だった。頭に来ていたので準備不足で出たのが悪かったのだ。宿場町のあるルートで土砂崩れがあったり、馬が疲れて走らなかったりと……想像以上の事が起こった。
それに比べてアリルは手際が良かったと思う事は、旅の間に幾度もあった。
男爵の領地へ移動する際の手配をする際、アークはアリルと相談をしたのだ。その時に自分よりも遥かに作業の何手も先まで読んで行動できる事を素直に褒めたら、真っ赤になって逃げ出した。
可愛いのでからかっていたら作業が進まないと言われて、勝手に手筈が整ったのだ。
(俺よりも優秀なアリルを王家は惜しんで俺をお守に付けた。……もし俺が思う以上に立ち直っているのであれば、アリルは何かをしたいのかも知れない。だとしたら俺のしている事は、才能を潰すだけの領地軟禁ではないのか?)
アークは頭を振って雑念を追い払う。夫としてアリルを探しに行く事は間違えていない。見つかってから本人に聞いて考えようと。
修道院は新築の様で美しい木造の建築物だった。
入口には衛兵が置かれ、高い塀がある。その中から子供達の歌声が聞こえる。
(……寄宿学校レベルだな。孤児が居るとは思えない)
ド田舎に唐突に現れた場違いな場所にアークは戸惑う。
「失礼、ここにアリル・シュタイナーは居るだろうか?」
シュタイナー男爵。それがアークの身分だ。
「あなたは?」
「私はアリルの夫でアーク・シュタイナーと言う」
衛兵二人は顔を見合わせてから言う。
「あの……実は……」
アークは衛兵の話を聞いて、頭を抱える事になった。
そもそもの発端は、この場違いな程の修道院にある。この近辺は数年で、修道院に居るアリルの両親主導の産業で豊になった。
その業績はここの領をも潤わせたが、領主は勘違いをしていた。……奪い取れば自分も同じことが出来ると考えたのだ。結果……彼らは毒を盛られる事となった。
両親は同時に死亡した。領主を元々怪しんでいた幹部達は領外へ逃げてしまった。事業は動かなくなり、領主の税収の見込みは事業が立ち上がる以前よりも下がる事になってしまった。
そこで……領主はマリアンを両親の死でおびき寄せたが、屈強な元騎士の夫と共に王国騎士団がついてきた為、葬儀を出して追い返す事になった。
領主はそこでもう一人の娘であるアリルに手紙を出す事を思いついたのだ。
王国騎士団がついてきては困るので、王都を通さない手紙の出し方を思いついたのだ。
「それで、アリルは?」
「ここに対してだけ寄付が届くように手配した後、事業の拠点を隣の伯爵領に移しました。伯爵様の方から王都へこの子爵領への調査依頼は出されました。実は我々は伯爵領の騎士なのです」
言い辛そうに経緯だけ話す衛兵に対し、アークは嫌な予感をそのまま言葉にする。
「まさか、顔を知られていない事を利用して、領主の館でメイドをしているのか?」
衛兵は二人共目を見開き、こくこくと何度も頷く。
「間違いない。あなたはアーク・シュタイナー男爵ですね。アリル様があなたならそう言うとおっしゃっていたので」
「嫌な確認方法だな!」
結局、アークは街で宿を取り情報を整理する事にした。
まずアリルは、筆跡から母親の手紙でない事を知っていてここに来た事になる。
「伯爵様に話を通しますよ。伯爵領で滞在なさいますか?」
「いや、妻を迎えに行く」
「しかし王都の調査団が来る前に子爵にこちらの動きを知られる訳には……」
アークは一瞬、虚を突かれた顔になってから言う。
「何の為に潜伏していると思っているのだ?」
「ご両親の敵討ちの為かと。調査団が来たら一緒に糾弾するとか」
「ああ……」
気の抜けた返事をアークがして、騎士達の方が今度は虚を突かれた顔になった。
(アリルといると普通の人間の感性が失われる)
「……調査団の派遣なんていらないんじゃないかな」
「へ?」
「ついて来るか?何をするか心配なんだろう?」
「はぁ」
「まぁ」
二人が道案内をしてくれるというので、子爵の屋敷に馬で向かう事になった。
やがてなだらかな丘の上に屋敷が見えて来る。
門の前まで来ると、
「……簡単そうだな」
ぽつりとアークが呟くので、二人は怪訝な表情でアークを見る。
ドアのノッカーを叩くと、中年の家令が出て来た。
「先ぶれもなく失礼する。私はアーク・シュタイナー。妻の事でご領主に話をお聞きしたく、参上しました」
言った途端、家令が一瞬顔を強張らせる。背後にあえて騎士達を立たせているのもアークの計算の内だ。家令にはアークが連れて来た様に見えるだろう。
家令は戸惑った後、家の中に入り暫くすると戻って来た。
「中でお待ちください」
騎士達を一瞥して無言のままついて来る事を示唆すると、二人は小さく頷いてついてきた。
その後、応接室に通されて騎士達はアークの背後に立つ形で、アークはソファーの真ん中に座った。
カートを押して来て紅茶をサーブしたメイドはアリルだった。アリルは少しも気にした素振りを見せず、壁際に控える。アークも素知らぬ顔だ。
それが終わると子爵が現れた。痩せていて神経質そうな猫背の男だ。腰に帯びている物を見て騎士もアークもぎょっとする。……鞭だ。
「ああ、これは体の弱い私に父が与えてくれた武器ですよ。剣は重くて私には扱えないので」
アークは頷く。この国では貴族と騎士が帯剣する事が認められている。アークも帯剣している。
「それで、奥方の事ですが……私も探しているのですよ。ご両親の事もあって話したい事があるのです」
子爵は嘘を並べ立てる。自分が世話をして事業を興したとか、亡くなった後を託されたとか、アリルとの婚姻を両親は強く望んでいただとか。壁際にアリル本人が居るのに。
「それで、奥方が見つかった暁には、私に奥方を譲ってくれないかな?」
アークは高位貴族や王都の貴族としか交友がないまま男爵領に引きこもった。離れた西の田舎子爵の事など知らない。同じ様にこの子爵も、自分やアリルの出自を知らないのだ。
隣の伯爵は特産物の小麦で潤っており広大な土地を持っている。そこは有名なのだ。多分、そこばかり見て劣等感を抱き、敵視しているのだろう。……だから男爵と言う身分だけでアークに圧をかけて、アリルを奪い取ろうとしている。
アークは少し考えてから言った。
「俺達の結婚は王命が絡んでいる。離縁するなら王都で陛下の指示を仰がねばならない」
子爵も騎士達も、子爵の背後に立つ家令も唖然として目をみはる。
「王命?たかが男爵の婚姻ではないか!」
「俺は元シャレルド侯爵家令息、アーク・シャレルドだ」
騎士達が顔色を無くしてアークの名に反応する。
「……王都の剣術大会で五年連続優勝して殿堂入りした」
「王太子の幼馴染で近衛騎士団への入団を望まれていたが、頑なに拒んで市井で犯罪の検挙をし続けた、清廉の騎士……」
騎士達の言葉に、子爵もアークがただの男爵ではないと理解して真っ青になった。でも、アークの事は今も測りかねているのが分かる。
アークは腰の剣を鞘ごと外して見せる。
「陛下より賜った剣でな。これには特別な意味がある」
物凄く悪い顔でアークは言った。
「この剣であれば、俺の判断で悪と断じた者は、貴族であっても斬っても良いと言われている。これは下賜の際の文言で、爵位以上の価値として知られている」
真っ青な子爵が救いを求める様に騎士達を見ると、激しく頷いている。子爵の顔色は土気色になった。もやしの様な子爵は、この辺の知識を全く持ち合わせていなかったのだ。
「ここで俺から提案が二つある。どちらかを選べ」
完全に形成が逆転し、子爵は震えながらアークの言葉を待つ。
「オルディアン元伯爵夫妻の毒殺を認め、王都で裁きを受けるか……今ここで俺に切り殺されるか」
子爵の震えが更に大きくなる。
「どちらが楽だろうな」
子爵は気絶した。
気絶した子爵は、鍵付きの三階の部屋に閉じ込められた。
「伯爵へ早馬を。状況説明と騎士の派遣をお願いしたい」
騎士の一人がすぐに外へ出て行く。
「逃げる者がいない様に使用人を食堂にでも集めてくれ」
もう一人の騎士も外に出て行った。
残ったのは、壁際のアリルとソファーに座ったままのアークだ。
アリルは目を伏せて俯いている。
「鞭とマッサージ、どっちが好きだ?」
アリルはゆるりと顔を上げる。
暫く考えた後、アリルは言った。
「む……」
「あ?」
次の言葉を言う前に声を上げて止めて、立ち上がるとアリルに近づいて来る。
「鞭打ちされたのか?!」
慌ててしゃがむとスカートを乱暴にめくって足を見る。そして腕も服をまくり上げる。
「背中か?」
アリルは幼子の様に首を左右に振る。
「子爵の鞭は飾りです……」
アークはほっとした様に表情を緩める。
アリルはその表情を見てみるみる目に涙を溜めた。
「無断で居なくなって申し訳ありませんでした」
アークはアリルを抱き寄せた。
「心配した」
泣きじゃくっているアリルをなだめていると、しゃくりあげながらアリルは言った。
「私……今も……両親や姉に……どう接したらいいのか……わからなくて……でも、もう会えないと思うと……何だか苦しくて……ほっとして」
「それでいいんじゃないか?」
アークはしれっと言う。
「別に誰かに売る物でもあるまい。綺麗に体裁を整える必要はないだろう?」
「そういうものなのですか?」
「お前のそんな感情を見るのは俺だけだ。俺は気にしない。だから気にするな」
アリルは流されている気がしたが……小難しく考えても仕方ないと言われているのは分かった。そして一瞬目を閉じると、真剣な表情で頷く。
「はい」
アリルは初めて自分の意志で人を頼った。それは虐められている事を愛だと思い込んで耐えるよりもずっと心を軽くするものだった。
「真面目だな」
アークはそう言って笑った。
二人が今までの事を話していると、伯爵子息自らが騎士を率いてやってきた。
「ワイズ……?」
かつて王都で一緒の騎士隊に居たワイズは隣の領地にある伯爵家の三男だった。
「ここで見合いの予定が組まれていて帰って来ただけなのに……お前ら絡みだって聞いたら来ない訳にいかないだろうが!今日は採寸だったのに。俺、何着てご令嬢に会えばいいんだよ!今度ダメだったら三連敗になるんだぞ?!」
「悪いな。迷惑かけて」
「ワイズ様を振るなんて、相手に見る目がないのですよ」
アリルが笑って言うと、ワイズは不思議そうにアリルを見た。
「アリル嬢いや夫人。……昔と顔付き変わったよな?」
アークもアリルも不思議そうにワイズを見る。
「何ていうか、普通?」
「どういう意味だ」
「いや、ほら、結婚する前のアリル夫人ってもっと表情が尖っていて目が荒んでいたというか……」
アークは毎日見ていたので全く気付かなかったが、何年も会っていないとそう見えるらしい。
アリルは柔らかい笑みを浮かべてワイズに言った。
「だとしたら、アーク様のお陰です。私はドMですが……ドが付くくらいのマッサージ好き男爵夫人に変わりましたので」
アークは唖然としてアリルを見た後、にやっと笑うとアリルの肩を抱き寄せる。
「だそうだ」
ワイズは頭をガシガシとかいた後、悔しそうに言った。
「結婚してぇ。何か悔しい。結婚してぇ」
ワイズは物凄い勢いで仕事を片付けると、アリルの伝手で来た仕立屋の服でお見合いに臨み、無事婚約する事になった。伯爵もその兄弟も、不穏な隣の領地の問題と弟の結婚が一気に片付いて大喜びした。その後、隣の子爵領は伯爵家の次男が当主として立つ事になり、ワイズは王都の騎士団で副隊長になる事が決まった。
元子爵領には、マリアンとアリルの指示で人が集まり、事業は再開された。事業の内容は牧羊である。山地である子爵領では産業として定着しつつあったのだが、子爵は加工する施設や販路を横取りした後、維持も管理も全くできなかったのだ。
そして、爵位をはく奪された元子爵は、毒を調達したとされる家令と共に処刑される事になった。
ちなみに……マリアンの夫は元々城の騎士だったが、特殊な役割だった。首切り騎士と言う。普段は覆面で顔を覆っており、アークも知らない影の騎士だった。
傷みを与えられて喜ぶ歪みの原因はこの仕事のストレスのせいだった。辞めたくても行き場がなかった。何故なら彼は王の私生児だったからだ。恐妻家である国王は、彼を不遇にする事で生かしていたのだ。
そんな折に王妃が病を得て死去した事から、マリアンの夫として城の外に出したという経緯があるのだが……この時だけは首切り騎士に復帰したという。
怪力によって振るわれた斧で床石まで切断された牢は、新人の騎士や文官が見学に来て罪人の末路を知る為の場として長く残される事となった。
……そして城からの密命を帯び、各地で悪を討つべく清廉の騎士とド級の密偵メイドが出没する様になるのだが、それは後の話。
お読みくださりありがとうございました。