⑤異世界の兎中で
皆さまこんばんは。
物語が始まる物語の終わりです。最後までお楽しみくださいませ。
少女を連れて図書館の町まで戻ってきた私たちは、
「ぜぇ……はぁ……うぅ……うぬぬ…………」
体力限界の私を見かねた因幡さんとスイさんの意見をもとに宿に来ていました。
「つ、疲れたぁ……」
『大丈夫?』
「だいじょ……ばないかもしれません」
『ゆっくり休んでちょうだいね』
目の前にふかふかベッドが見えるのですが、私にはそこまでたどり着く体力すら残っていません。必死にそばまで来ましたが、今度はベッドに上がる力がありません。
仕方なく、マットレスに寄りかかって息をはきました。
「二人とも、ケガはないな?」
「はいぃ~……」
「…………」
少女は私と因幡さんを交互に眺め、てとてとと私のそばにやって来ました。
「…………」
遠慮がちに服の裾を掴み、私を真似てベッドに寄りかかります。
モンスターに襲われていたこどもを助けた時の対応など知らない私たちは、スイさんに訊いて警備隊に連れて行こうとしました。向こうの世界でいうところの警察です。
ですが、少女が私から離れようとせず、人混みを見て怯えたので保護者たちが「とりあえず体を休めよう」という意見で一致したのでした。
半分くらいは私が原因ですね。体力が終わっていてごめんなさい。
因幡さんは考え事をしている様子で、私たちから少し距離を取って座っていました。
スイさんもそちら側です。数メートルであればイヤリングから離れても具現化できるみたいですね。
疲労マックスの私ですが、少女がそばにいるので笑顔で応えます。
せっかくですし、おしゃべりしてみたいですよね。
「安心して休んでね」
「……」
「お腹すいてない? 私はもうぺこぺこ。よければ一緒にご飯食べよう?」
「……」
わずかに頷く少女。反応はありますが、しゃべってはくれませんね。声が出せないのでしょうか? でも、因幡さんが声を聞いたはずです。まだ不安や恐怖が残っているのかもしれませんね。
ええと、こういう時は……そうです!
「自己紹介しよう!」
情報の開示による交流です。
「私は杜和子っていうの。よろしくね」
「…………」
少女はじっと私を見つめているだけです。けれど、何か言いたげな様子だったので待ち続けました。
怖がらせないよう、安心させるよう、にこにこと笑って待ちます。ややあって、少女は小さく口を開きました。
「……っ」
聞こえなかったので小首を傾げます。
「……ト、トワ」
彼女は私の名前を呼んでいました。記憶に刻み付けるように何度も「トワ」とつぶやきます。
「そうっ! よくできたね!」
「……!」
少女は驚いたようでしたが、その頬はほんのり朱に染まっていました。
「トワ?」
「うん!」
「トワ!」
「うんっ!」
嬉しそうに繰り返す少女があまりに愛おしく、今すぐにでも抱きしめたくなってしまいました。その気持ちを鋼の心で押し込み、ふわもふの塊と化した因幡さんと神秘的なスイさんを紹介します。
「ふわふわしている方が因幡さん。ステンドグラスの上にいるのがスイさんだよ」
「因幡兎佐彦だ。杜和子からもらった名だ」
『スイと申します。同じく名前はトワさんからいただきました』
少女はまたも交互に見つめ、「ヒコ。スイ」と名を呼びました。
「うむ、覚えが速いな」
『お上手ねぇ』
二人から褒められ、少女はパッと私を見ました。何か言いたげな瞳です。
「お名前呼べたねぇ。えらい!」
「……っ! えへへ」
白銀の耳がふにゃんと下がりました。両耳を持って顔を隠しているようです。隙間から覗く幼い顔は先ほどよりも色濃く赤に染まっていました。
「あなたの名前も知りたいな」
そう言った途端、少女は困ったように眉をひそめて首を横に振りました。
「秘密?」
「…………」
また横に振る。
「もしかして、名前がないの?」
「…………」
わずかに縦に振る。
「今後どうするかは置いておくにしても、呼び名がないのは不便だな」
因幡さんはちらりと私を見ました。まさか。
「出番だ、杜和子」
「もう、簡単に言うんですから」
『ですが、トワさんにつけていただいたというだけで名前を呼ばれるたびに嬉しいわよ?』
「すぐそういうことを言う~……」
でも、そんなことを言われたら調子に乗ってしまいます。とても嬉しいのです。
「あ、あなたがよければだけど、どうかな……?」
「……トワから名前、ほしい」
「ほんと? じゃあ、えっと……」
頭の中で少女に似合う名前を考えます。見た目から、色から、雰囲気から……。
一時でも存在を示すための言葉なのです。妥協は許しません。
愛をもって、優しさをもって、願いを込めて、贈るのです。
私がこの子に想うことは……。
「『ニコ』っていう名前はどう?」
「ふむ。なにゆえか」
「簡単な理由かもしれないけど、怖い思いをしたこの子がこれからいっぱい笑えるように、と思ったんです。それと、もう一つ」
『それは?』
「さっき見せてくれた笑顔がとっても可愛かったからです。この子の笑顔を見ると私まで幸せな気分になれる。だから、この子には笑顔を込めた名前がいいと思って」
両頬に人差し指を当て、にこっと笑ってみせました。
「どうかな、ニコちゃん?」
少女は私と同じ仕草をし、
「ニコ!」
と、今日イチバンの笑顔を浮かべたのでした。
〇
「やっぱり賑やかですねぇ」
『ここなら大体の物は手に入りますよ』
「大体の中に一番ほしいものはなかったがな」
「代わりにスイさんと仲良くなれました!」
『トワさん……!』
感激を露わにするスイさんは、私の肩に乗っています。重さはありません。ホログラムみたいなものなので実体もないそうです。
改めて見ると、本当に多様な人がいるみたいですね。耳がついている人はついつい目で追ってしまいます。見過ぎて「どうかした?」と話かけられてしまったくらいです。気をつけなくては。
『トワさんは獣人族がお好きなのかしら?』
「獣人族?」
『種族の分類のひとつよ。ニコさんもそのひとり。彼女は獣人タイプうさぎ』
あれ? うさぎという概念は存在するんですね。
『わたくしの知る“うさぎ”はニコさんのような存在。だからウサヒコさんがうさぎだと知って驚いたの』
「ふむ。やはり相違はあるようだな」
では、この世界で因幡さんのようなうさぎさんは因幡さんだけ……。やっぱり超激レア動物じゃないですか!
「因幡さん、いざという時は逃げてくださいね!」
「言われなくてもそうするが、どうしたいきなり」
片耳を曲げる因幡さんはトランクの上。反対側にはニコちゃん。両隣にうさぎさんがいて幸せです。
姿は違えどうさぎさん。私には選ぶことなどできません。どちらも最高にきゅーとです。
私たちは食事や買い物のために宿を出て大通りに来ていました。人混みなのでニコちゃんは因幡さんに任せて私とスイさんで行こうと思いましたが、準備を終えた私にそっと寄って来る彼女を置いていくことはできませんでした。
人と物で彩られた町を歩きながら思います。ニコちゃんはうさぎさんなんですよね?
となると、うさぎさんへの対応を取るべきなのでしょうか。
初めて家に来た時は、すぐに構ったりせずそっとしておくことが重要です。なるべくストレスを与えないよう、むやみに触ることは厳禁。
「トワ、人いっぱい……」
不安そうに伸ばされた手。繋がない選択肢があるでしょうか⁉ いや、ない!
「はぐれないように手を繋ごうね」
「うん!」
そっとしておく作戦、失敗。
であれば、触れる場所に気をつけましょう。うさぎさんは手や足を触れられるのを嫌がることが多いですし、重要な耳も気をつけなければなりません。撫でられることが苦手な子もいるそうなので、頭ならばみんな好きだろうと思うのは時期尚早。
「トワ、なでなでして?」
「えっ⁉ いいの?」
「トワならいい」
ということで、なでなで。
「えへへっ」
寄り添ってくる耳が温かく、ふわふわです。美しい毛並みについ触れてしまいましたが、嫌がることなく身を任せるニコちゃん。
み、耳までお許しをいただけるとは……!
なでなで注意、失敗。
「末っ子気質のようだな」
「因幡さんとは違うタイプですね」
「若者の特権だ」
「因幡さんももっと甘えてもいいんですよ?」
「じゅうぶんだ」
私たちは飲食店に入ることはせず、テイクアウトして外で食べることにしました。
大通りから少し離れた広場に座ってピクニックのようです。
サンドイッチらしきものを買いました。お店には『サンドイッチ』と書いてありました。
「はい、ニコちゃん」
「ありがとう」
「はい、因幡さん」
「んむ、感謝する」
因幡さんには八百屋で見つけたにんじんらしき野菜です。スイさん曰く、『にんじん』だそうです。びっくりして買い占めようとしましたが、因幡さんに止められました。
「言葉は通じ、書かれた文字も読める。食べ物の名前も向こうと変わらん」
「不思議ですけど、よかったです」
「本来は全く違うものかもしれんが、認識の段階で自動処理されている可能性もある」
『お互いに通じてはいますが、実際は全く異なる言語を使っているということですね』
「つまり?」
「ひとまず、言語に関する心配はしなくてよさそうだ」
にんじんをかじる因幡さん。
「味も変わらんようだ。いよいよ不可解だな」
「サンドイッチもサンドイッチです。美味しい! ニコちゃん、食べられそう?」
私が食べるのを見て同じようにかぶりついていた彼女は、可愛らしい頬を膨らませて頷きました。
当初、因幡さんと同じものか私と同じものか迷いましたが、サンドイッチを眺める彼女の目がきらきらしていたので買いました。食べ物は人と同じでいいみたいですね。
「スイさんは本当に何も食べなくていいんですか?」
『はい。わたくしは元より食事を必要としませんから。あなた方が食べている姿を見ているだけでじゅうぶんよぉ』
そうは言っても、ちょっと寂しいです。
『サンドイッチを実際に見るのは初めてなの。こんな見た目をしているのねぇ』
「百聞は一見に如かずの極みだな」
『まさしく』
食事を終え、次に向かったのは服屋さんです。
ニコちゃんが着ている服は綺麗ですが、幼い少女が着るには味気ないと思いまして。
言い換えれば、もっと可愛い服を着てほしいのです! 『可愛い子には可愛い服を着せろ』ということわざもあることですし。
「わざとだろうな?」
「でも、服は必要ですよね」
「ブレザーはかなり目立つようだからな。この世界に準じた服を持っておいた方がいいだろう」
ところが、やって来たお店で思わぬ出来事がありました。
店員さんがブレザーに惚れ込み、アレンジさせて欲しいと願い出たのです。
「旅人さんにとって服はかさむ荷物です。旅装用にアレンジすれば一着で事足りるかと!」
目をぎらんぎらんにした店員さん。確かに、着慣れた服で過ごせる方が安心感はありますね。
元の世界に帰った時に必要だと思ってそのままにしていたブレザーですが、ここはいっちょ、二つの世界の融合といこうではありませんか。
「お願いします」
「よしきたぁ‼ すぐにお作りしますので店内を見ながらお待ちくださいませっ!」
爆速で消えていった店員さん。勢いがすごい。
「よかったのか?」
「私がいま生きているのはこの世界ですから。帰った時のことは帰った時に考えますよ」
「臨機応変に、だな」
「柔軟さが大切です。うさぎさんのように」
うさぎさんは軟体動物かと思う時がありますからね。骨どこいった。
私の服の完成を待つ間、ニコちゃんの服を探します。
「どんな服が好き?」
「ふく……」
「これとかどうかなぁ? ピンク色のワンピース! あ、こっちの青色も似合いそう!」
『楽しそうですねぇ、トワさん』
「妹ができたみたいで舞い上がっちゃって……。気をつけます」
ニコちゃんの意思を尊重しなくては。
「ニコちゃんの着たい服を教えてね」
「…………」
彼女は店内を見渡し、
「あれがいい」
と、指さしました。
「あ、あれは……!」私は驚き、
「ふむ、なかなか」因幡さんは感心し、
『あらあら、うふふっ』スイさんは微笑みました。
それからしばらく。
「お待たせしましたァ! 過去イチの力作です! お受け取りくださいっ‼」
勢いそのままの店員さんから生まれ変わったブレザーに代金を払い、ニコちゃんが決めた服を購入し、その他にも色々買ったところで店の外へ。
「……これは、これは……」
言わずにはいられない。感情が溢れてきます。
「最高の予感なのでは⁉」
ブレザーは旅人風に変化を遂げ、着心地と動きやすさが各段に上がっています。着ているだけで冒険に出たくなるような一品です。可愛さまでパワーアップしていますよ!
「なぜ俺まで……」
不服そうな因幡さんはうさぎさん用の服が。爆速店員さんがおまけとしてくれたものです。もちろん、服が苦手な子もいるので無理にとは言いませんが、少しくらいはね?
あとで脱いでいいですから、となだめる私の肩にはスイさん。
『みなさんに倣って旅の一員っぽくしてみました』
「どこか変わったか?」
『ご説明しましょう。トワさんとウサヒコさん風ステンドグラスを用意したのよ!』
「どこにだ」
『図書館のこちらに……って、見えないわねぇ……。あることだけお伝えしておきます』
「そうか。どのみち俺には見えんが」
『ハッ、そうでした』
コントを繰り広げる二人の前にはニコちゃんがいます。そして、私は彼女の可愛さに感激していました。
「可愛い!」
「トワもかわいい」
「きゃあーー! いつの間にそんなセリフを⁉」
「えへん」
自慢げに胸を張るニコちゃんが着ているのはフリルのついたワンピースです。でも、それだけではなく。
「トワとおそろい。うれしい」
「私も嬉しいー!」
彼女が指さした場所には二着のワンピースがありました。サイズ違いのお揃いコーデというわけです。「トワといっしょ」なんて言われてしまっては買わないわけにはいきません。爆速店員さんに負けない勢いで買いました。
買った服はトランクの中ですが、嬉しさは溢れ出しています。
姉妹がいたらやってみたかったのです。夢が叶った気分でした。
けれど、この幸せはそろそろ終わりですね。
「ニコちゃん、警備隊の人のところに行こっか」
「……どうして」
「詳しい事情はわからないけど、迷子なら私たちより警備隊の方が適任だよ。私は遠い場所から来て世界のことを知らないから……」
「ニコ、迷子じゃない」
「でも、帰るところはあるでしょう?」
その問いに、彼女は私に寄り添って答えました。「ここ」と。
「ニコの帰るところ、トワのところ。ひとりやだ。トワと一緒がいい……」
「ニコちゃん……」
どうすればいいのでしょう。この子が一番幸せに生きられるのはどこなのでしょう。
私は決断しなくてはいけません。
私ひとりですら、これからのことはさっぱりなのです。そんな旅にニコちゃんを巻き込んでいいのでしょうか。
『偶然か必然か、それは誰にもわかりません。ですが、出逢った奇跡は記されます』
「スイさん?」
『時間は有限よ、トワさん。自分の気持ちを見ないフリしている暇はないかと』
「でも、一人の命を預かることになるんです。簡単には決められません」
『わたくしの管理する情報から申し上げるに、警備隊に行っても幸せとは限らないの。ならば、厳しい道であろうとも、ともにいたい人と時間を共有した方が幸せだと思わないかしら?』
「俺はどんなことがあっても杜和子とともにいる。そういうことだろう」
「因幡さん……」
渦巻く迷いが少しずつ解されていくのを感じます。
「もとより、生きていくことは簡単ではない。ひとりでは尚のこと。だが、ここには四人いる」
「つまり?」
「一緒にいたいのならばいればいい」
「い、いいんですか?」
「世話の焼ける娘が一人増えるだけだ。大した問題ではない」
「むすめ?」
「因幡さんが言うと『ぽい』というか、なんというか……。というか、それだと私たち、家族みたいですね」
「奇妙な出会いによって結ばれた家族も悪くはなかろう」
因幡さんの声色はとてもとても優しいものでした。
「お前は家族を大事にする。それは俺がよく知っているさ」
「じゃあ、素直になりつつ、責任も持ちつつ、一生懸命に頑張ります」
「それがいいな」
『わたくしも改めてサポートすることを誓うわ』
話がまとまった私たちを不安そうに見るニコちゃんに、目線を合わせて伝えます。
「私たちでよければ一緒に行こう?」
「……いいの?」
「うん。私もニコちゃんと一緒にいたいから」
両手を広げ、答えを待ちます。次の瞬間、腕の中に小さなぬくもりと柔らかな白銀を感じました。
「トワ、ありがとう」
「こちらこそ、ニコちゃん」
〇
警備隊に行こうとしていた足でやって来たのは旅道具を揃えるお店。
四人の気持ちを確認し合った私たちは、今まで勢いに任せていた『旅に出る』を本格的に始動させることにしたのです。
品揃えを謳うだけあり、店内は広く旅人で溢れていました。
これだけあれば準備万端にできそうですね。ただ、これだけあると逆に。
「何を買えばいいのかわかりません」
「お前は極度のインドアだしな」
「旅ってキャンプ道具でいいんでしょうか」
「う……むぅ」
因幡さんもわからないようだったので、ひとまず彼が必要だと言ったものを買うことにしました。
「基本は宿に泊まれ。お前とニコが野宿をするのは許さん」
「野宿経験はありますよ?」
つい先日のことです。
「そういう問題ではない」
渋い顔で譲らない因幡さん。頑として野宿にオーケーを出さないので、店員さんに聞いた『初心者旅人向け! これさえあればなんとかなる旅グッズセット』を買いました。ネーミング的に若干の不安を覚えますが、累計百万部売っているそうです。
多い……んですかね?
「スイさん、これで大丈夫でしょうか」
『え? ううん……、ええと、はい、うーん……、うふふ……』
「心配そうですね」
『心配よぉ……。旅は町から町を移動する形式にして、野宿は極力避けるのよ?』
「スイ、地図情報は持っているか」
『案内役はお任せを』
因幡さんは棚を練り歩いて武器になりそうな物を探しているようでした。
店員さんを捕まえて「使用者にケガをさせない武器はあるか」と訊いていました。
「ありましたか?」
「火薬をおすすめされた。離れた位置で爆発させれば危険はないと」
「理屈はわかりますけど、買いますか?」
「買うわけなかろう。危険だ」
「でも、護身用の武器くらいは持っておこうかな……と」
「それもそうだがな……」
彼は口ごもりながら肯定しました。私がサバイバルナイフや包丁を手に持つたびに音で察知してむすっとした顔をする因幡さんです。危ない物は持ってほしくないのでしょう。
私だって同じ気持ちです。ナイフの使い方なんてわかりません。
けれど、ニコちゃんが襲われている時を思い出すと体に力が入るのです。私にできることは何でしょう。一つでもいいのです。守れる力がほしい。その為にも、私は私自身を守れるようにならなくてはいけない。……それなのに。
「…………」
吊るされた小型ナイフに触れる手がわずかに震える。
料理ではないのです。モンスターを倒す。いつか、人を傷つけるかもしれない。
知識も経験もない私が持つことは正しいのでしょうか。ちゃんと戦えるでしょうか。
「武器を振りかざすことだけが戦うことではないぞ」
「つまり?」
「逃げなさい。逃げることは立派な戦術だ」
「逃げる……」
「幸い、お前のそばにいるのは聴力に秀でた俺とニコ、そして数多の情報を管理するスイだ。危険に飛び込む前に逃げる。どうだ? 危機回避は誰もが必要とする能力だぞ」
くいっと頭を上げて自慢げな因幡さん。ナイスな姿勢です。
「頼もしいですが、それだと私の役目がありませんね。なんだか申し訳ないです」
「何を言う」
因幡さんは心底驚いたように目を見開きました。
「俺、スイ、ニコ。三人を繋げたのは紛れもなくお前だ。他者の力を借りるのも必要な力なのだよ」
「つまり?」
「愛には愛を。動物にはわかるのさ」
繋いだ手に力がこもるのを感じました。ニコちゃんが私を見て頷いている。スイさんも微笑んでそこにいました。
「安心しなさい。旅に慣れていけば次第にできることも増えよう。戦わずに逃げることを卑怯だと言う奴は放っておけ。いいか、杜和子。逃げずに死んだら元も子もない。命大事に、だ」
「あ、それいいですね。スローガンにしましょうか。それでもって、私たちはゆっくりまったり平和な異世界生活を送るとしましょう」
それでも何かを切るものは必要なので、私は小型ナイフを手に取りました。因幡さんはハサミをご所望でしたが、売っていませんでした。
レジへ向かおうとした時、前から男性が歩いてきたのでそっと避けました。けれど、なぜかぶつかってしまい、持っていたナイフが落ちてしまったのです。
「あっ、す、すみません」
謝ってナイフを拾おうとしましたが、私より先に男性が拾いました。
「なんだ、ガキじゃねえか」
「えっ……」
「ここは旅人やオレみたいな商人が来る店だ。ガキが来るところじゃねえよ」
「わ、私は旅人です。まだ初心者ですけど……」
「そうかい。ま、せいぜい頑張んな」
男性はナイフを渡す仕草をし、
「何日後に死ぬか楽しみだぜ」
笑ってナイフを高く掲げました。私の身長では届きません。
在庫はあるので構わないのですが、それよりも吐き捨てられた言葉が……。
確かに私は世界を知らない。旅を舐めているように思われても仕方ありません。けれど、因幡さんとニコちゃんとスイさんと生きると決めたばかりなのです。それを否定されたくない。
でも、無用な争いはいりません。この男性に力で勝つことはできませんから、うまくやり過ごしましょう。そう思った時でした。
「トワに謝れ」
私のそばを離れなかったニコちゃんが男性の前に立ち塞がっていました。
「ニコちゃん、大丈夫だからこっちにおいで?」
けれど、彼女は頑として譲りません。
「お前はトワの死を望んだ。許さない」
「なんだこのガキ。痛い目みてえのか?」
「お前の音、おぼえた」
「音だぁ……?」
ニコちゃんを睨む男性から嫌な気配を感じ、私はとっさにニコちゃんの手を掴んで逃げようとしました。
無用な争いはしない。多少のガマンも生き方のひとつです。命大事に。
そして、場を賢く使うのも戦術です。
「店員さーん!」
目一杯叫ぶと、声を聞きつけた店員さんが走ってきました。
「お呼びですかー?」
「初心者におすすめのナイフを教えていただきたくて」
「かしこまりました。いくつかラインナップしてみますね。まずこちらが――」
説明を聞きながら、私は店員さん越しに男性を観察します。彼は不満そうにナイフを回すと、私たちをこれでもかと睨みつけて去っていきました。
ふう……、よかったです。
「――という感じです。わたしのおすすめはこのナイフですかね。とっても使いやすく、壊れにくいですよ」
「ありがとうございます。これにします」
手に取ったナイフは男性に取られた物とは違う物です。さっきのよりも可愛いじゃないですか。店員さんに聞いてよかったですね。
「行こっか、ニコちゃん」
「…………うん」
男性が消えた方をじっと睨み、耳を鋭く立てている彼女は冷たい顔をしていました。
……ニコちゃんには笑っていてほしいなぁ。
「ニコちゃん、ニコちゃん」
「なに、トワ?」
「スマーイル、笑って?」
頬に指を当てて微笑みます。彼女は私の顔をじいっと見つめ、
「すまーいる」
同じように指を当てました。うん、素敵な笑顔です。
「…………」
笑い合う二人のそばでは非常に厳しい顔をしたうさぎさんが。
「あの男、社会的に抹殺してやろうか」
「命大事にって言ったのは因幡さんですよ」
「時として立ち向かわなければならないこともあるのだ」
「発言に責任を持ってくださいね」
「店の中ということと、いつでも噛み千切る準備ができていたから黙っていたが、絶対に許さんぞあの男」
噛み千切るって言いました?
「心配性のスイはやけに静かだな」
「あ、そういえばそうですね。スイさん?」
『~~~~~なんですかあの人はっ‼ ト、トワさんにひどいことを!』
怒りのあまり震えて声を失っていたようです。やっと絞り出したスイさんは『あんな人、記録してやりません!』とご立腹でした。記録するか否かって、そういう基準で決めていいのでしょうか……?
ぷんすこしている大人組をなだめながら、私は雰囲気の違うニコちゃんを思い出していました。
まだ幼いはずなのにあんな顔もできるのですね……。私たちと出会う前の彼女のことを知りたくなりましたが、今はそっとしておくことにしました。訊けば、彼女の笑顔が消えてしまうような気がして……。
ちょっとした騒動で剣呑になった空気を変えるため、私はもう一か所お店に寄ることにしました。
「あ、これです、これ」
「ふむ」
『あら、素敵ねぇ』
「これなに?」
「んー? 一言で表すなら『思い出』かな」
「おもいで?」
「そう、物語の予感を感じるから必要だと思って」
想像して笑みがこぼれます。
「よかん!」
「予感!」
「えへへっ」
よくわかっていない様子ですが、楽しそうなのでいいでしょう!
まだ真っ白な日記帳をトランクに入れ、記される物語に胸を躍らせます。
これから行く場所、出逢う人、積み重ねていく思い出を綴り、私だけの記録に。いつか元の世界に帰れた時、両親や友達に見せてあげたいと思ったのです。それまでは、不思議でおかしな新しい家族の旅路を留めておくものとして書いていきましょう。
知らないことはたくさんあります。異世界のことを書き連ね、知識と経験を集約する。危ないことから逃げて、逃げて、逃げまくって安全な旅を。
かっこ悪くても構いません。命あってこそ、ですからね。
大方の物を揃えた私たち四人はツインセントリアの城壁までやってきました。ここから旅が始まるのです。どきどきですね。
旅人で賑わう広場の隅。最後の確認をするために集まっていました。
なんの確認かって? 心の、です。
「それじゃあ、さっき決めた私たちのスローガンを!」
向かい合うように立った私たちは手を伸ばして重ねます。因幡さんはトランクの上からです。
「命大事に」と、因幡さん。
「逃げるが勝ち!」と、私。
「四人でしあわせ」と、ニコちゃん。
『永遠にあらんことを』と、スイさん。
ふわふわの手、私の手、小さな手、優しげな手が重なり、ひとつになりました。
うん、最高の幸せの予感です!
「せっかくだし写真撮ろー!」
元気よく携帯を取り出した途端、私は気づきました。
……メールってどうなりましたっけ⁉
「杜和子、あのメールは送ったのか?」
「た、たぶんまだです!」
「残りの充電はどれくらいだ」
「えっと……」
飛び込んできた数字は『二』。
……に、二パーセント⁉
「わぁぁぁぁぁまずいですやばいです!」
「はやく送れ!」
「まだニコちゃんのことを書いていません!」
「はやく書け!」
「せめて写真一枚だけでも!」
「はやく撮れ!」
「ニコちゃん! こっちきて! スイさんも!」
「え、えと……? ここ?」
『では、わたくしはここにっ』
「この丸いところを見てて! いい? はい、チーズ!」
ぱしゃり。残り一パーセント。
「急げ杜和子」
「わかってますってばぁ!」
写真をじっくり確認することもできず、慌ててメールに添付します。
「送信! 送信! ああぁぁぁぁ~!」
「何している」
「手が震えてボタンが押せないんです!」
「ええい、世話の焼ける。ボタンはこれだな」
「ニコも」
『わたくしもお手伝いするわ!』
「間に合えーー‼」
再び重なり合った四つの手。送信ボタンが押された瞬間、画面は真っ暗になり『シャットダウン中』の文字が浮かび上がりました。
そして、プツンと消えたのでした。
「……どう思います?」
「言っておくが、俺は画面は見えていないからな」
「もううごかないね」
『わたくし、ホログラムだから実体がないんでしたわ……』
「気持ちは受け取りましたから」
『トワさん……』
まあ、いっか。心の底から奇跡を望みました。だからもういいのです。
どうか届くことを信じ、私は進みます。
ここは、かつていた世界からとても遠い場所なのでしょう。そんな遠い遠い異世界の兎中で出逢った大切な人たちと、因幡さんと、一緒に生きていくのです。……この四人で。
「きっと大丈夫。さあ、行こう。私たちの旅のはじまりはじまり~」
「はじまり~」
「やれやれ、締まりのない幕開けだな」
『可愛らしくていいと思うわぁ』
「お前は本当に杜和子に甘いな」
『うふふっ、そっくりそのままお返しするわ』
「スイとヒコ、なかよし」
「ねっ!」
これから旅に出るというのにわちゃわちゃですね。不安はもちろんあります。でも、それ以上に『大丈夫』という気持ちがあるのです。
私はさきほど撮った写真を思い出します。ほんの一瞬だけ見えた私たちの写真。
「……ふふっ」
素敵な物語を予感させる最高の一枚。
城壁とその世界を隔てる境界線に立ち、せーので一歩を踏み出します。
四人で言うのはあらかじめ決めておいた旅立ちの言葉。
「行ってきます!」
お読みいただきありがとうございました。
杜和子、因幡さん、ニコ、スイの始まりの物語、楽しんでいただけたのなら嬉しいです。
この作品でうさぎさんに興味を持った方は、ぜひ色々調べてみてください。とても可愛いうさぎの世界が広がっています。
うさぎさんは本当にいいですよ!