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➁占子の兎

皆さまこんばんは。

異世界に来てしまった杜和子と因幡さん、その後のお話です。

 因幡さんの言葉はにわかに信じがたく、そう簡単に受け入れられるものではありませんでした。

「い、異世界って、そんなまさか」

「今しがたお前を襲ったアレはスライムとかいうやつだろう。一般的には序盤で雑魚モンスターとして登場するが、実際はそうでもないらしい」

 彼は耳を立て、周囲の警戒を怠りません。

 草原に正座していた私は、未だに夢である可能性を捨てきれずにいました。

 確かに感覚はリアルですが、私がいたのは家のリビングですし、ここに来る前に寝落ちた記憶もあります。その流れでいけば、やはりここは夢の世界。

 冷静に対応する因幡さんは私の想像する因幡さんそのもの。

 ははあ、私の理想が創り出した世界というわけですか。そうきますか。

 私の想像力がついに開花しちゃったってことですか、神よ。

「ふざけたことを考えていると痛い目をみるぞ」

「ふざけてませんよ。因幡さんと会話できる喜びを嚙みしめているんです」

「それだ」

 耳が私の方を向きました。

「杜和子、なぜお前は俺と話せている?」

「そりゃあ、夢だから?」

「違うな。俺はいつもしゃべっていた。人間には通じないことを知っていたが、お前が話しかける度に答えていた」

「そうなんですか? それは……、えへへ、かなり嬉しいです」

「人間とうさぎ。違う生き物として生まれたさだめとして会話ができないことは承知していたが、望まなかったわけではない。むしろ、逆だ」

 因幡さんはくるりと踵を返し、草原をサクサクと進み始めます。

 私はその後を追い、彼の隣を歩きます。

「いつか、自分の言葉で自分の気持ちを伝えられたら……。そう思っていた」

「因幡さん……」

「幼い頃からともに生きてきたお前は娘同然。夢ならば一時の幸せを味わえばよいが、事はそう単純にはいかない。ついてきなさい、杜和子。お前を元の世界に返さねばならん」

 その声は真っ直ぐで深い。芯の強さを感じました。

 見た目に似合わない渋い声ですが、なんだかぴったりのようにも思えます。

 というか因幡さん、そんな声と話し方をするんですね。

 いつも一方的に愛を語り、可愛い可愛いと言っていたつもりでしたが、ちゃんと伝わっていたことがわかってとても嬉しいです。

 私の大切な家族のひとり。

 知らない世界でスライムに襲われたばかりだというのに、私は不安よりも安心を強く感じていました。

「夢、白昼夢、集団幻覚といった可能性を捨てたのは、俺の本能的なものが『ここは現実』だと感じたからだ」

「うさぎさんぱわーですね」

「先ほどのスライムもそうだ。あれから感じた殺意も本物。攻撃の威力も洒落にならない。当たっていれば致命傷だ」

「なんと……」

 因幡さんはスライムの危険性を説きながら、私に『現実であること』を伝えていました。夢だと思ったままでは危険だということ。

 娘同然と言ってくれた因幡さんの言葉を信じましょう。

「攻撃でも防御でも構わない。何か使えそうな物は持っているか?」

「アイテムってことですね。ええと……」

 制服のポケットをがさごそ。出てきたのは携帯、うさぎ用のおやつが二種類、以上。

「杜和子……」

「そんな目で見ないでください……。学校から帰ってきてリビングにいたんですよ。大体の荷物は鞄の中です」

「それもそうだが、財布もないのか」

「物々交換の文化があれば大丈夫です」

「そこは自信満々なんだな」

「いやぁ、えへへ」

「褒めたわけではなかったのだが」

「私は褒められて伸びたいタイプです」

「そうか。では、たくさん褒めるとしよう」

 小さく頷いた因幡さんは、

「まずは情報と道具だ。元の世界に帰るまでの資金も必要だろう。金銭の文化ならば金も稼がねばならん」

 因幡さんがとても頼もしいです。でも、私は特に何もできていませんね。

 いえ、まだわかりません。だってここは異世界なのでしょう?

 私たちは大切なことを忘れているのです。

「どうした、杜和子」

 立ち止まった私を振り返って見た因幡さんに、しゃがみながら答えます。

「ここは夢ではなく現実の異世界なんですよね」

「おそらくな」

「ということは、私たちには何か不思議な力が備わっているはずです」

「ふむ?」

 私は人差し指をぴっと立て、あの言葉を口にします。

「魔法ですよ、因幡さん!」

「なるほど。お前が観ているアニメではよくある展開だな。ただの人間だった者が突然異世界に転移や転生し、他者とは異なる圧倒的な力を手にして悪を倒したり建国したりするものか。あれを見るに、異世界に来ると因果に影響を及ぼし、異質な存在になることが推測されるが、状況を鑑みるに俺たちもその立ち位置にいると考えてよさそうだ」

「つまり?」

「俺たちも魔法が使えるかもしれないということだ」

 それ、私がさっき言ったやつですけど。でも、その通りです。

 魔法なんて小説映画漫画アニメの中だけだと思っていましたが、憧れはいつまでもありますからね。さて、私も流行りに乗って超強女子高校生になるとしましょう!

「呪文なんてわかりませんが、いでよ魔法!」

 風が吹き抜ける草原に高らかに宣言しました。

「……」

「……」

「……因幡さん」

「なんだ」

「何か変わったことはありますか?」

「いや、何も」

 冷静な因幡さんの声に現実を突きつけられ、私は地に臥せました。

 悲しみの予感……。せっかく異世界に来たのに、私はただの人間のままなのですね……。

 夢と希望の魔法が使えずに何が異世界なのでしょう。

 まあ確かに、神様に会ったわけでも『力を与えよう』と言われたわけでもないので、当然と言えば当然なのですが。

 それでも残念なものは残念です。

「魔法……使ってみたかったです」

 草を抱きしめるように寝転がる私の頬に、ふわりと当たる細やかな毛。

「そう落ち込むな。まだ使えないと決まったわけじゃない。後々わかることもあるだろう」

「そういう因幡さんはどうなんですか……?」

 魔法を使ううさぎさんが無双する異世界物語、いかがでしょうか。

 いいと思います。

「魔法とやらは使えそうにないな」

「そうですかぁ……」

「足腰の調子がよくなったかもしれん」

「異世界関係あります~?」

 頬を膨らませた私に、彼は少し笑ったようでした。

 そう思ったのは、渋さを感じる低い声が揺れたからです。

 異世界に来て初めて知ることができた因幡さんの声。じんわりとしみ込んでいくようで、なんだか落ち着きます。それが今、耳元から聴こえる。異世界への理想が崩れても、この声が聴けただけで『まあいっか』という気持ちになるようでした。

「だが、異世界に来て変わったことはある」

 おや、それは一体?

 因幡さんは私の鼻尖に自身の鼻をちょんと当てました。

「杜和子と話せる。これだけでじゅうぶんだ」

「わっ、私も! 因幡さんと話ができて嬉しいです。魔法を使うよりもずっと」

「そうか」

 起き上がった私を鼻でつつくと、因幡さんは『行こう』とでも言いたげに前を向きます。そんな彼を遠慮がちに止める私。

「あのー……」

「なんだ?」

「まだちょっと不安が残るので、抱っこしてもいいですか?」

 ぴくり。耳がこちらを向いて静止しました。

 くるり、くる、くるり、ぺたん。

 一通り耳を動かすと、因幡さんは仕方なさそうに目を細めました。

「少しだけだぞ」

「やった!」

 うさぎさんは抱っこが苦手な子が多く、因幡さんもそのひとり。いえ、ひとうさぎ。

 ストレスを溜めてしまわないよう配慮するのは当然ですが、こうして言葉を交わせる今は許可を取ることができます。

 わきの下に手を伸ばし、片手でお尻を支えます。

「大丈夫ですか?」

「うむ」

 片耳が私の方に動きます。もう片方は行く先に開き、小さな物音も逃がしまいとしているようでした。

「うさぎのことしか頭にない杜和子に任せるわけにはいかないからな」

「私はうさぎさんのことしか考えていないわけじゃありませんよ」

「そうか?」

「因幡さんのことを考えているんです!」

「同じだろう、それ」

「全然違います」

「どうだか」

 因幡さんは淡々とした様子ですが、この会話の奇跡を私たちは感じていました。

 一言ひとことがどれほど夢のようであるか。理解しているはずですが、どこかまだ夢心地なのでした。

 気持ちの良い草原を因幡さんとおしゃべりしながら歩いて行く。

 先にあるものは見えませんが、私の中でわくわくとどきどきが沸々と湧いてきます。

 うん、幸せの予感です!


 〇


 どれくらい歩いたかわかりません。ずっと因幡さんとおしゃべりしてきましたから。

「この先に生物がいるようだ」

 草原が終わり、平坦な砂利道に出た頃のことです。

 ふと、因幡さんが両耳を前方に向けました。生物がいると言われるまで、私は何も気づきませんでした。

「……どこですか?」

 言われても気づきませんでした。

「耳を澄ますとわかる。居住区域でもあるのだろう」

「耳を澄ましてもわかりません……」

「お前は人間だからな」

「あ、うさぎさんマウントですか⁉」

「なんだそれは」

「でも因幡さんだから許します」

「なんだかな……」

 ひょいと腕から降りた因幡さんは、横顔で「俺の後をついてきなさい」と促します。

 ふわふわの足裏が足音を消し、彼の存在を限りなく薄くしてくれます。そんなうさぎさんスキルを反故にする音が響きます。私の足音です。ごめんなさい。

 頑張って忍者になったつもりだったのですが、私はただの一般人ゆえ……。

「この世界のことはまだ何もわからん。いざという時はすぐに逃げるんだぞ」

「もちろんです。因幡さんを抱えて逃げますよ」

「俺は自分で走った方が速いが」

「そこは『任せた』って言うところです」

「そうか。すまない」

「ほんとに思ってます~?」

「思っているとも。ほら、行くぞ。この道の先が騒がしい。複数の声と足音とよく知らん音がする」

「了解です」

 私は草原で見つけた木の枝を握りしめました。

「それは武器か?」

「武器です」

「そうか。……うん。目潰しはできそうだな」

「爪の間に突き刺して相手が悶絶している隙に逃げます」

「そんな子に育てた覚えはないのだが」

「だめですか?」

「逆だ」

 因幡さんは片目を細めました。

「いい子だ、杜和子」

 大変ステキな声で照れくさいセリフですが、言っているのはうさぎさんですからね。

 でも、えへへ。因幡さんに褒められると、幼い頃、両親に褒められた時のように嬉しい気持ちになります。

 あ、誤解のないように言っておきますが、今でも褒めてもらうことはありますよ。

 先日も母から「ランドルト環指標を因幡さんにしたら、きっとマサイ族もびっくりの数値が出るわね」と褒められました。光栄です。

 うさぎさんは視覚よりも聴覚で物事を判断します。因幡さんも耳を開き、音のする方へ傾けています。

「第一に逃げることを考えなさい。いいね?」

「わかりました」

「では、行こう」

「はいっ」

 隠れるものもないのでとりあえず姿勢を低くして進んでいきます。

 ちょこんと顔を覗かせた先には――。

「おお~……。これが異世界、ですか……」

 特に驚くことはない風景が広がっていましたが、異世界というだけでテンションが上がるのです。

 立ち並ぶ家々、行き交う人々、きれいな青空。

 なんだか、知らない町に来ただけのようで妙にほっとします。

 着ている服は外国の民族衣装を思い出させ、文化の気配を感じるものでした。

 遠いので言葉まではわかりません。

 ……言葉?

「ねえ因幡さん、私、異世界語しゃべれません」

「そもそも何語なんだ、それは」

「……英語?」

「お前の異世界は案外近いところにあったようだ」

 いやぁ、英語は苦手なものでして。

 ですが、知らない言葉ならば外国も異世界も同じです。気楽に行くとしましょう。

「おや、旅人さんかい?」

「ひょあぁ⁉」

 上から降ってきた声に心臓が跳ね上がり、意味不明な悲鳴をあげてしまいました。

 因幡さんが私の影から耳を立てます。

「女の子ひとりで旅ってだけでも珍しいのに、なんにもないこの町に来るなんて物好きだねぇ」

「あ、えっと、あは、えへへへ~」

「もしかして迷子かい?」

「ええっと、うーん、そ、そうです……?」

「それなら、この道をまっすぐ行くと広場があるから、そこで情報を集めるといい。お店もあるし、旅に必要な物が揃えられるはずさ」

「ほんとですか⁉ ありがとうございます。行ってみます!」

「気をつけてね。よい旅を」

 そう言って窓際から消えた女性。私は笑顔で手を振っていましたが、ふと気づきました。

「あれ、言葉……」

「普通にしゃべっていたな」

「私、いつの間に英語をマスターしたんですか⁉」

「英語である可能性は低いと思うが」

 因幡さんは「言語機能に何らかの変化があったと考えるべきか」と目を細めました。

「であれば、俺の言葉が杜和子に通じているのにも納得がいく」

「つまり?」

「言葉の心配はしなくてよさそうだ」

「やった!」

「転じて、英語はマスターしていないということだ」

「そんな……」

 教えてもらった広場に向かいながら、私たちは通りすがりの人々を眺めました。

 私と同じような、言い換えれば人間の見た目をした者の中に、どう見ても人間ではない姿のひともいました。「モンスターか?」と攻撃態勢に入ろうとした因幡さんですが、私を見ても敵意を持たず「やぁ、旅人さん」と挨拶してきたので警戒を解きました。

 襲ってくるモンスターと異形さんの違いは何なのでしょうか。うーん、さすがにわからないことが多いですね。

 広場に行くまでにかなり話しかけられましたが、どれも旅人を珍しがってのことでした。どうやら、ブレザーは見慣れぬ服のようです。

 確かに、民族衣装的な彼らに比べると異質ですね。

 でも、これしか持っていません。

 ここまで目立つとなると、服を変えた方がいいかもしれません。

 到着した広場の中央には噴水があり、その周囲は地面より数段高くなっていました。のんびりと腰かけたり、走り回ったり、お弁当らしきものを広げていたり。

 とても穏やかな場所でした。

 老若男女、見た目も多種多様なひとたちがたくさんいるようです。

 ここならいろんな情報が得られそうですね。

「あ、お店だ。かわいい外装ですねぇ。何を売っているのでしょう」

「食べ物らしい」

「よくわかりましたね」

「香ばしい匂いがした。おそらくレストランだろう」

 その時、私のお腹から派手な音が鳴りました。

 ぎくっとして因幡さんの耳を手で覆います。それをあっさり躱すと、

「空腹か」

「お昼ごはん食べ損ねちゃいまして……」

「自分の食事より俺を優先するからだぞ」

「因幡さんのにんじんタイムを見ずしてご飯を食べろと言うんですか!」

「勢いがすごいな」

「ああぁぁぁ~……、お腹すきましたぁ~……」

 外壁に寄りかかった私は、ダメ元で制服のポケットを再度探ります。

 せめて百円でも……!

「…………」

 何もありませんでした。そうですよね。知ってます。だってさっき確認しましたから。

 それに、日本円が通用するとも思えません。私ったらなんて愚か……。

「腹が減ってはなんとやらだ。それに、無一文でいるわけにもいかん」

「物々交換の文化に賭けるしかありませんね」

「残念だが無理だ。先程硬貨らしき音を聞いた。この世界の通貨があるはずだ」

「まじですか……。じゃあ、お金貯めないといけないんですね」

 とはいえ、どうやってお金を得るというのでしょう。単発バイトの募集があれば……。

「…………」

 再び鳴るお腹。働く前に何か食べないと力が出ません。運動不足を極めている私は草原を歩いてきた時点で疲弊していました。

 恥を承知で「食べ物ください!」と泣いてみましょうか。旅人だと思われているので優しい人が施しをくれそうです。

 ああ……、私の異世界生活はどうなることやら。

「波乱の予感です……」

 消え入りそうな声で呟いた私。因幡さんはこちらを見上げて「少し待っていなさい」と、てとてと歩いていきます。

「どこに行くんですか?」

「広場の真ん中だ」

「わ、私も一緒に」

「お前はそこで見ていなさい」

「見るって何を……」

「すぐにわかる」

 顔だけ振り向いた因幡さんの頬はふわふわぷっくりで大変きゅーと……じゃなくて、とても頼もしいお背中です。

 揺らぎない声に言われると素直に従いたくなってしまいます。

 どのみち空腹で何もしたくありません。ここは言われた通り待っているとしましょう。

 因幡さんはぴょこぴょこ段差を上り、噴水の縁にやってきました。

 周囲の人が物珍しそうに彼を見ます。

 ………ま、まさか取って喰われたりしませんよね⁉

 この世界においてうさぎさんは超激レア生物だったりしませんよね⁉

 もしもの時に突撃できるよう、立ち上がりかけた時でした。

「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。広場にお集まりの皆々様、世にも珍しいうさぎの達者な芸をご覧あれ」

 高らかに放った声は広場に響き、稲妻のように伝染すると一気に視線を集めました。

 ある程度の人を捕まえたことを確認し、因幡さんはその場で軽やかに宙返り。

 縁を瞬足で駆け、勢いそのまま噴水のてっぺんまでジャンプしました。

 人々の視線が太陽に照らされて輝く水しぶきを捉えます。

 目にも止まらぬ速さで噴水の主となった因幡さんは、二本の足で頂上に立ちました。

 遥か上空に太陽を携え、圧巻の姿を人々に示したのです。

 しんと静まり返った広場。

 ふいに、口を開けたまま見つめていたこどもが歓声をあげました。

「すごい!」

 それを皮切りに、老若男女が拍手をし、芸を褒め、喜びに顔を綻ばせました。

 そして、誰かがこう言いました。

「素敵な芸をありがとう。もしよければ名前を教えてくれないか?」

 因幡さんは待ってましたとばかりに耳を揺らします。

「俺の名は因幡兎佐彦。我が娘より賜った大切な名だ」

 彼の目は私を見ていました。

 遠いところにいるので見えてはいないのでしょうけれど、それでよかったと思います。

 あまりの嬉しさに涙が出そうな私は、必死に泣くまいと変な顔をしていたでしょうから。

「因幡さん……!」

 出会ったあの日に決めた彼の名前。大切に、大切に呼んでいる名前。

 私の家族の名前です。

 広場では「イナバウサヒコ! イナバウサヒコ!」と因幡さんコールが沸き起こっていました。

 私も参加しようとした時、水しぶきで濡れたであろう顔をくしくしと拭く因幡さんが「次の芸を見せる前にひとつ頼み事がある」と呟きます。

「なんだい?」

「娘が空腹で困っている。もしよければ芸のお礼としてお金を投げてはくれないだろうか」

 こてんと首を傾ける因幡さん。

 なんですかその仕草。どこで覚えたんですか! ……って、割といつもやっていますね。

 うさぎさんって結構あざといのでしょうか。

「もちろんいいとも。というか、こうして路銀を稼いでいると思ったのだが」

「その通りだ。皆々様ありがとう。助かるよ」

 さらりと嘘をつく因幡さん。

 あまりに滑らかだったので私も騙されました。

「はいこれ、鑑賞代」

「美味しいもの食べてね」

「若いのに頑張るなぁ! はっは!」

「あのふわふわしたひとにも渡してね」

 などなど。

 あっという間に私の手のひらには見たこともないお金が乗せられていきました。

 両手の皿に収まりきらず落としてしまいそうなくらいです。

「あ、ありがとうございます!」

「いいのよ。この町にはあんまり旅人さんが来ないから楽しませてもらったお礼よ」

 無一文だったのが嘘のようです。

 見知らぬ通貨なのでいくら分なのか不明ですが、ご飯は買えるはず!

 というか、どうしましょうこれ⁉

 大量のお金に慌てふためく私を見かねた人が袋をくれました。

 私がほっと息をついたのを見て、因幡さんのセカンドショーが始まります。

 人々がわらわらと噴水の方に戻っていきます。

 私は少し離れた場所から注目の真ん中にいる因幡さんと楽しそうな人々を見つめました。

 彼の良さが風の如く伝わっていく光景。私が望んだことですが、ちょっぴり寂しくもありました。

 ずしりと重いお金の袋も私は何もしていません。

 因幡さんのように面白い芸もできませんし、目立った能力もありません。

 ここで私にできることはあるのでしょうか。

 空腹のままぼうっと考えていると、やがて因幡さんのショーが終了しました。

 名残惜しそうに人々が去っていき、先程の穏やかな広場に戻ります。

 熱狂的な人をそれとなく捌き、満足気に帰ってきた因幡さんは、壁際に小さくなっていた私に小首を傾げました。

「食べていないのか?」

「因幡さんが戻るまで待っていようと思いまして……」

「お前の食事代にやったことだ。待たずに食べていればよかったのに」

「私が稼いだわけじゃないので、ちょっと気が引けちゃって」

 それを聞き、因幡さんは厳しい顔をしました。

「阿呆。娘の食事代を稼ぐのは当然のこと。はやくおいで。ご飯にしよう」

「あっ、じゃあ何かお礼にさせてください!」

 さっさとレストランに向かう因幡さんは、「お礼?」とまた目を細めましたが、すぐにくりくりのお目々に戻ってこう言いました。

「そこまで言うなら、にんじんを所望しよう」

「この世界にありますかね?」

「頑張って探しておくれ」

「というか、それだといつもと変わりませんよ。お礼になりません」

「ただのにんじんではない」

 究極のにんじんですか?

「杜和子がくれるにんじんだ」

「……! い、因幡さぁぁぁん!」

 お金を放り出して抱きしめるところでした。抑え込みました。

「因幡さん大好きですぅぅぅ‼」

「おおう、熱烈だな」

「このお金で因幡さんの快適住宅を作りますからぁ!」

「ご飯を食べなさい」

「冷暖房完備かつ床暖房でふわふわ絨毯のかじり木は数か所設置おがくずスペースチモシー食べ放題清潔なお水暗がりの休憩場所走り回れる広々空間――」

「ご飯だと言っているだろう。……やれやれ。異世界に来てもお前の愛は変わらないな」

 呆れた様子の因幡さんですが、その声色は少し弾んでいるようでした。

 彼の声を、言葉を聞けるようになったからこそわかること。

 私はとびきり幸せの予感を胸に抱いてレストランに向かいました。


 〇


 満腹になった私は因幡さんを膝の上に乗せて今後の相談をしていました。

 うさぎさんは頭の上を撫でられるのが好きです。因幡さんは特に好きで、耳をぺたりと背中につけてかたかた歯ぎしりをしています。

「レストランの料金を見るに、いま俺たちはしばらくお金の心配をしなくてもよさそうだ、ということがわかった」

「では、次の目的はズバリあれですね」

「そうだ」

「にんじん探し」

「装備品」

「……」

「……」

 ぴたりと歯ぎしりが止まりました。

「にんじんは命に関わらない」

「関わります。因幡さんの、ひいては私の」

「お前はにんじん食べなくても死なないだろう」

「にんじんを食べる因幡さんが見られないと死んじゃうんです!」

「特殊な身体だな。異世界出身か?」

「因幡さんジョークですか?」

 意外とおちゃめなところがあるんですね。

「俺とてにんじんがなくとも生きられる。うさぎだからな」

「でも、にんじん好きですよね」

「それはお前が『やっぱりうさぎさんはにんじん!』と言って持ってくるからだ」

「えっ⁉ もしかして、無理してたんですか⁉」

 因幡さんは頭をぶるんと振って耳を掻きます。

 ごしごし。てしてし。

 最後にお手々をぺろぺろ。

 この一連の動作が最高にきゅーとなんですよねぇ。……ってそうじゃなくて。

「にんじんは好きだが一番ではないな」

「ほえ~……。じゃあ一番は?」

「キャベツだな。特に柔らかいところが美味だ」

「因幡さん、芯のところ残しますよね」

「満腹だからだ」

「苦手だったんですか」

「意思を持つものは、なまじ食べ物があると選り好みしてしまうものだ」

「そういえば、レタスはあんまり食べませんでしたね」

「あれは歯ごたえがなくてな」

「キャベツは柔らかいとこがいいって言ったのに」

「キャベツとレタスは別物だろう」

「私は最近まで見分けがつきませんでした!」

 どやぁ!

「自慢気に言うことではないと思うが、区別できるようになったのならいいことだ」

「因幡さんが食べる方、食べない方で覚えました」

「選り好みも役に立つ。ふむ、ひとつ賢くなったな」

「うまくまとめましたね」

 彼は「さて、お金をじゃらじゃら持っているわけにもいかん。鞄を買おう」と前を見ます。キリっとしていますが、ナチュラルに話を逸らしましたね。

 私はにんじん探しをしたいところですが、因幡さんがずんずん進んでいくのでついていくしかありません。

 町の人に聞いて入ったお店で鞄を買うことにしました。

「色々ありますねぇ」

「好きなものを買うといい」

「私が選んでいいんですか?」

「杜和子が身に付けるものだ。お前が決めなさい」

 そう言われ、私は少々ファンタジーを感じる鞄にどきどきしながら店内を見て回ります。どれもこれも可愛かったり素敵だったりで選べません。機能は……、よくわかりません。豊富な種類に右往左往していると、

「……これは」

 びびっとくるものを見つけました。深く頷いて決めます。

「これください!」

 そうして購入した鞄をさっそく使うことにしました。店を出てすぐに因幡さんの目の前に近づけます。

「どうでしょうか?」

「いいんじゃないか。たくさん入るし、頑丈そうだ」

 好評のようで安心しました。

 私が買ったのはトランクです。普通の鞄より大きめで長方形のものですね。

 オシャレな見た目は「ザ・旅行!」という感じで異世界にぴったりかと。

 少ない持ち物を入れただけでは真価を発揮できませんが、まだ因幡さんが三十人ほどは入れる余地があります。

 選んだ理由は大きさだけではありません。

 付属品の肩紐をつけると……。

「肩掛けにもなるのか。両手が空くのはいいことだな」

「ふふん」

 両手が空くと、どんないいことがあると思いますか?

「おう?」

 因幡さんをひょいと持ち上げ、私はトランクの上に乗せました。

 いつもより見上げる角度が低い因幡さん。私もわずかに目線を落として彼を見ました。

「杜和子が近いな」

「因幡さんが近くて嬉しいです」

 片手で彼の頭を撫でます。そう、これこそ私がトランクを選んだ理由です。

 因幡さんをなでなでしながら旅ができるっ‼

「最高の旅の予感~~~!」

「嬉しそうで何よりだ」

 足元だとしゃがまなくてはいけませんからね。誤って踏みでもしたら大変です。

 ……絶対にしませんけど、万が一はありますから。

「これで荷物が増えても安心だ。次に行こう」

「なんでしたっけ?」

 はっぴーすぎて思考が停止しました。

「お金、腹ごしらえ、鞄は完了した。あとは旅に必要な他の道具と情報だ。正直、俺は情報が一番欲しかったのだがこの町では得られそうにないな」

 小さな町であることや、旅人がほとんど来ない閉鎖的な場所であることが、その判断の理由なのだと思います。

「どこか大きな町があるといいのだが」

「訊いてみましょうか」

 私は新形態因幡さんを携えて広場に舞い戻りました。

 相変わらずブレザーの異質さは目を引くようで、因幡さんのショーを知らない人もちらほら集まってきます。

『元の世界に帰るため』という理由を伏せ、旅人であることを全面に押し出して情報を得られる場所の情報を求めました。……うーん、ややこしいですね。

「たくさん情報がある場所って言ったら図書館だよな?」

 あっさりと聞こえたのは『図書館』という言葉でした。

「まあ、そうね」

「情報って言ったらあの町しかないわねぇ」

「今日も定期便が出るんだったよな」

「一時間後じゃなかったかしら」

「あら、ちょうどいいわね」

 町の人たちで話が解決したようですが、私は置いてけぼりです。

「図書館とはなんのことだろうか」

「この町から馬車で三日程の場所にある施設のことです」

 因幡さんの問いに手を挙げて答えてくれた人に見覚えがありました。熱狂的な中にいた人ですね。ここはひとまず熱狂さんとお呼びしましょう。

 熱狂さんは私たちが欲する情報を的確に教えてくれました。

 図書館はツインセントリアという大きな町にあること。

 ツインセントリアには馬車で三日程かかること。

 この辺りでは最も栄えているため、人や物が集まる場所であること。

 旅人は大体ツインセントリアを通ること。

『図書館』は「世界中の記録が保管されている」場所だということ。

 ここに行けば知りたい情報が手に入るとのこと。

 知りたいことがなんでも……。私たちが今まさに求めている場所ではありませんか!

 絵に描いたように物事がうまくいっています。

 さきほど、定期便が一時間後に出ると言っていました。ツインセントリアとやらにすぐ行けるということです。なんたる偶然でしょう。

「図書館には誰でも入れるのか?」

「えぇ。有名すぎて観光地のようになっていますし、ツインセントリアに訪れた人はみんな寄りますよ」

 制限もなし。これは最高の流れです。

 心の中でガッツポーズした時、熱狂さんが「ただ……」と言葉を詰まらせました。

 おっと?

「欲しい情報が得られるかどうかはわかりません」

「どういうことだ?」

「情報は図書館の管理者によって厳重に管理されています。噂では、高額な請求を受けたとか……」

「俺は片目を持っていかれたって聞いたな」

「あたしは図書館で五年働かされたって聞いたけど?」

「うそだ。寿命の半分が正解だよ」

 などなど。一体どういうことでしょう。

「何かしらの代償と引き換えに情報を得る、ということだろうか」

 因幡さんが耳を立てます。

「ともあれ、まずは行ってみるしかないな」

「そうですね。当たって砕けろってやつです」

「物は試しだな」

 そういうわけで、私たちはツインセントリアに向かうことになりました。

 広場の人たちにお礼を言い、お別れをすると馬車があるという場所へ。

 事情を伝え、旅費を支払うと、すぐに出発の時間になりました。

 護衛役も一緒に行くため、武器などは調達していません。

 服も買っていません。元の世界に帰ったらブレザーは必要ですし、人々の目を引く効果も使えると思ったからです。まあ、今のところは、ですが。

 食糧もじゅうぶん積んでいるそうですし、適宜道の途中で調達するというので私はトランクだけ持って乗り込みます。

「珍しい恰好の旅人さんだね。三日間、どうぞよろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「それにしても、その若さでひとり旅はすごいもんだ」

「いえ、ふたり旅ですよ」

 私はトランクの上でくつろいでいた因幡さんを抱き上げました。

「この子の保護者の因幡だ」

「こりゃまた、けったいな旅人さんだ!」

「短い間だがよろしく頼む」

「おう、任せときな!」

 そうして、馬車は動き出しました。

 初めて乗る馬車に対してか、これから向かうツインセントリアに対してか、はたまた何かはわかりませんが、私の心臓はどきどきと脈打って賑やかです。

 何も知らない、何もできない私に待っている物語は一体どのようなものでしょう。

 馬車から覗く世界を眺めながら、私は因幡さんのふわもふを感じます。

 きっと大丈夫。なんとかなります。

「わくわくの予感ですね、因幡さん」

 私は気持ちの良い風を感じながら頭を撫でます。

 彼は私だけに聞こえる声で「そうだな、杜和子」とつぶやきました。

お読みいただきありがとうございました。

うさぎさんはいいぞ、ということを広めたい作者です。これからも声を大にして言っていこうと思います。

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