①兎角亀毛
こんばんは、天目兎々と申します。
当作品を閲覧していただきありがとうございます。
うさぎ好き少女とうさぎさんの物語、短いですが楽しんでいただけたら嬉しいです。
青い空。若草色の草原。見渡す限りの美しい世界。
それはまるで夢のようで、現実かどうかわからなくなる光景でした。
あまりの爽快感と開放感に魂まで抜けてしまったような私は、ぼうっと青色を眺めながらここにいるワケを思い出そうとしました。
なんだったかな。何をしていたっけ。
目を閉じた先で浮かんできたのは――。
中間テストの真っ只中、四日間あるうちの三日目。爆散した英語を頭の隅からも放り出し、自転車を漕いでやって来たのは愛すべき我が家。
鞄を放り投げ、手洗いうがい、自室から飛び出して向かうのはリビング。
「ただいまです、因幡さん!」
勢いに揺れるブレザー。
彼はこちらを見ずに耳だけ動かしました。おかえりという言葉はありません。
その代わり、ゆったりと座っていた体を起こしてこちらにやって来ます。
「留守番ありがとうございます。何か問題ありました?」
問いかけに鼻をひくひくさせて応えます。
これは……、『問題なし』ですね。
「さっそくですが、失礼します!」
彼に抱きつき、そのぬくもりを一心に感じます。
これこそ至極の時間。私の幸せ。
ふわふわの毛並み。じんわり伝わる命のぬくもり。ぺたりとくっつくふたつの耳。両手で包み込める彼の体はオレンジ色に染まっています。
「うさぎさんが世界を救う……。はぁぁぁぅぅ~……、幸せの予感~……」
毛並みに埋もれながら人間性を失いそうな声を出す私に、因幡さんは呆れたように目を細めました。
一応言っておきますが、すべて私の想像ですよ。
声帯を持たないうさぎさんは声を出すことができません。
けれど、その代わりにとても豊かな感情表現で応えてくれるのです。
今もそう。なでこなでこする私に目を閉じ、耳がぺったり体についています。
リラックスの証です。
もちろん、因幡さんとお話してみたい気持ちはありますが、そんなことができるのは夢の中くらいでしょう。
「因幡さん、お昼ごはんにしましょう」
その言葉に、彼はぴくりと耳を立てました。
中間テストの間はお弁当がないので家でお昼ごはんを食べます。ゆえに、いつもは休日の時にしかできない因幡さんのお昼ごはんタイムを味わうことができるのです。
冷蔵庫を開ける前に察知して近寄ってくる因幡さん。
「準備するので少し待ってくださいね」
因幡さん用のにんじんを水で洗い、水気をよく拭き取って最後に目視で汚れを確認。
よし、きれいですね。
葉っぱがふさふさしているミニキャロット。見た目が可愛いだけでなく、甘みが特徴でとってもおいしいのですよ。
ルンルンで戻ってきた私の足元には因幡さんが座って待っています。
こちらを見上げて鼻をひくひく。
はい、可愛い。大優勝~。
「お待たせしました。よく噛んで食べてくださいね」
差し出したにんじんをむしゃむしゃ食べる因幡さんを眺めるのも最高の時間です。
カーペットに体を沈みこませ、下アングルからにんじんタイムを見つめる私。
ああ……、これです。この角度!
「かぁわいい~~~‼」
片手でにんじん、片手で携帯を掲げる私に目もくれず食べる因幡さん。
そういうクールなとこ、好きですよ。
にんじんから伝わる振動と咀嚼音に感覚を集中させつつ、この後は何をしようと考える私。
溜まり始めたアニメを観るのもいいですね。好きな異世界アニメの続きはどうなったでしょうか。
あ、新刊を買ってくるのを忘れました。明日の帰りは本屋に寄らなくては。
因幡さんのお昼ごはんが終わったら私もお昼を準備して、片づけをして、それから……。
ふと、因幡さんが舌をぺろりと見せて伸びをしました。
「ごちそうさま、ですね」
口元を丁寧に拭き、彼は優雅な動作で箱座りをします。
あっという間にふわふわの塊の完成です。きゅーと。
すうっと目を細くする因幡さんはお昼寝の体勢。静かなリビングに眠気が漂い始めました。
可愛らしい三角の鼻が緩やかになっていくのを見ながら、私は赤子のほっぺのように優しい毛並みを撫でます。
そうしていると、どうなるかというと。
「……ねむい……ですね……」
そうです、夢の世界に誘われます。
こうして穏やかな時間を過ごしていると、理想の未来というものを想像してしまいます。
いつまでも因幡さんと一緒にいたい。
学校は好きですが、因幡さんといられるのは家にいる時だけです。だから、家にいる時間を二十時間にしてほしい。
大切な人ができたら、因幡さんを間にして川の字で眠りたい。
因幡さんが食べても問題ない草が生えた広い場所でかけっこしたい。
因幡さんの素晴らしさをもっと世に広めたい……。
「因幡さんは世界を救ううさぎさんなのですから……。ふふふ~……」
このふわふわもふもふ、略してふわもふを前にしたらどんな敵でもいちころなのです。
愛すべきうさぎさんにひれ伏すがいいのです。
なんて、何度目かわからないことを考える私の脳内は眠気でどんどん雑多になっていきます。
まだごはん食べていないけど、明日はテスト最終日で赤点ピンチの化学もあるのに、アニメも観たい、勉強しなきゃ、因幡さんの毛並みふわふわぁ~……。
思考がゆらゆらぐわぐわとしていくのを感じつつ、私は手のひらにあるぬくもりから生まれる幸せに身を任せました。
……ふむ。なるほど。そういうことですか。
「夢ですね」
完璧に理解しました。因幡さんとふわふわとうさぎさんともふもふを感じながら眠った私は、いつも彼と行きたいと思っている広い広い草原を夢に見ているというわけですね。
気持ちの良い風も感じます。空には眩しい太陽も輝いている。なんて素敵な世界なのでしょう。
色も匂いも感触もある。こんなリアルな夢は初めてです。
私の脳も成長したということですか。なるほどなるほど。こうして実感できる成長があるのはよいですね。異世界アニメを観続けたかいがあるものです。
さて、私はこんな広大で素敵な草原には行ったことがないので、ここがどこだかわかりませんが夢なので問題はないでしょう。
大方、北海道とかでしょうか? 行ったことありませんけど。
でもまあ、沖縄でないのは確かです。こちらも行ったことありませんけど。
因幡さんと草原を駆け回りたいと願ったことが叶ったのでしょう。
ということはですよ?
「この素敵な草原に因幡さんがいるはず!」
夢が覚める前に発見して幸せ時間を楽しまなければ損です。
「因幡さぁぁぁぁぁん! 因幡さんどこですかーー!」
この一週間で一番の大声を出します。
一週間前の大声はリビングに蚊を発見し、因幡さんの危機を察知して「成敗!」と叫んだ時です。因幡さんの為なら鬼にだってなりますよ、私は。
「因幡さんーー! 私ですよー! 隠れてないで出てきてくださいー。一緒に草原をお散歩……じゃなくて、うさんぽしましょうー」
ブレザーを身にまとう私は、足元に目線を落としながら慎重に歩いて行きます。
ご丁寧にローファーも履いてあります。夢、便利ですねぇ。
ココアクリームのような彼の色を頭に浮かべ、青々とした草に足を踏み出します。
その時、背後でがさりと何かが動く音が聞こえました。
この音はもしかして……?
「因幡さ――!」
ぷるんとした空色のからだ。薄く透き通った向こうは草原が見える。
こちらを見上げる黄色い目はなんだか私を睨んでいるようで……。
というか、これなんですか?
いえ、知っているといえば知っているのですが、実物を見るのは初めてと言いますか。
ポストカードで見た景色の場所に行ったことがあるかと訊かれて「いいえ」と答える感覚と言いますか。
存在を知りながら、私の知る限り絶対に存在しないはずのものと言いますか……。
「あなたはスライム……ですか?」
質問してから首を振ります。
いえいえ、そんなはずありません。だってスライムはファンタジーワールドの代名詞。
私の住む世界にはいるはずのないものです。
あ、そういえば、これは夢でしたね。私ったら何を言っていたのでしょう。夢ならスライムの一匹や二匹、登場してくれなくては困ります。
ハッ! もしやこのスライムが因幡さんという可能性も⁉
「因幡さんったらイメチェンですか? ぷるんぷるんのフォルムも素敵ですが、私はやっぱりふわもふの方が――」
私の髪が強風に煽られました。
……なんぞや?
「い、今のなんですか!」
思わず後ずさり、風を感じた髪を抑えます。同時に、スライムが口らしきところから何かを吐き出したのを見ました。それは猛スピードで私に向かい、寸でのところで当たりませんでした。
あ、あれはまさか……!
「なんだろう! 全然わかりません!」
でも、やばいことだけはわかります! 私の髪がおさげじゃなかったら、危うく無料散髪になるところでしたよ。
というか、私のうさぎさん風おさげスタイルを攻撃するとは何事ですか。毎日丁寧に編んでいるのですから、解かれては困ります。
ど、どうしましょう。とりあえず逃げますか。いくら夢とはいえ、物騒なものや痛いものは勘弁していただきたく……!
因幡さんと草原でキャッキャウフフと追いかけっこをしたかったのに、実際は私を攻撃してくるスライムから逃げるだなんて。
「悲しみの予感です……」
地平の先まで同じ景色ですが、どこまで草原なのやら。いくら北海道といえど、さすがに広すぎではないでしょうか⁉
ちなみにですが、飛んでくる謎攻撃は運よく当たっていません。偶然か、スライムのコントロールが下手なのかわかりません。後者であればよい――。
「ひぃぅ!」
頬をかすりました。前者だったかもしれません。
必死に走っていますが、息が上がってきました。わ、私、運動はちょっと苦手で……。
「ひゃぁっ⁉」
髪が揺れました。嘘です冗談ですかなり苦手です全然運動できません!
家の中で因幡さんと戯れるだけの生活を送っているので土日に外出もほぼしない私。
そのツケが回って来たようです。
肺が悲鳴をあげています。私が悲鳴をあげたいのに!
「わっ……! い、いたた……」
脚をかすめた攻撃により転んだ私は、気づかないふりをしていた体の重さに打ちのめされました。
夢のくせにこんなところまでリアルにしなくてもいいと思うのですが! どうでしょう!
世界記録もびっくりの俊足にしてくれてもいいのに……。
「ま、まずいですね……」
攻撃的なスライムは私にじりじりと近寄り、仕留める体勢に入りました。
私は体力が限界で動けません。息が絶え絶えでどうしようもなく、武器になりそうな物もなく、襲い来る痛みに備えて体に力を込めた、その時。
「伏せろ、杜和子」
それは知らない声でした。けれど、一瞬で味方だとわかる。
だから、渾身の力で草に伏せました。
低くなった私の上を軽やかに飛んでいく小さな影。それは目にもとまらぬ速さでスライムに向かい、出遅れたモンスターに猛烈な脚キックをお見舞いしました。
小さな体からとんでもない威力が出ることを私は知っています。
スライムは弾け飛び、切り刻まれたゼリーになって草原に散らばりました。
一口サイズのゼリーもぱちんと弾け、地面に吸い込まれて消えていきます。
「にんじんを食べて出直すんだな」
妙に渋い声で不思議なことを言いますね。
というより、これは勝ったのでしょうか?
「ケガはないか、杜和子」
声の主はトコトコと近寄り、愛らしい顔を私に向けました。
「因幡さん!」
見慣れた姿に安堵が広がります。思わず抱きつき、そのふわもふを胸にうずめました。
やっぱりいたのですね! 夢、バンザイ!
しかも、こんなにカッコいい因幡さんを見ることができました。
スライムに襲われたかいがありましたね、私!
「助けてくれてありがとうございます、因幡さん。とってもカッコよかったです。さすがはうさぎさん!」
「褒めるのはいいが、楽観的にいる場合ではなさそうだぞ」
「なんでですか? せっかく楽しい夢を見ているんです。念願だったうさんぽをしましょうよ」
「夢ならそうしたんだがな」
「はえ?」
その言い方では、これは夢ではなく現実だと言っているようですが。
いやいや、そんなわけ。さっきのスライム然り、因幡さんがしゃべっていること然り、夢ではなくては説明がつきませんよ。
「杜和子、これは夢ではない」
「と、言いますと……?」
「ここは俺たちが住んでいた世界とは異なる世界。お前がよく観ているアニメに近い場所だ」
「つまり?」
因幡さんは耳をピンと立てました。
「異世界だ」
お読みいただきありがとうございました。
何の変哲もない少女と何の変哲もないうさぎさんの異世界物語が始まります。
第2話もお楽しみくださいませ。
うさぎさんはいいぞ。