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変貌のバトルクライ  作者: 海洋ヒツジ
兆しの章
41/72

持たざる者6 淀む夜


       ◐


 明かりの消えた自室の中、メアは暗い天井を見上げている。

 ユルルの寝息が近くで聞こえていた。ちょっと起き上がって隣の寝台を覗いてやれば、それはそれは幸せそうな寝顔がある。


 スクエアハウスは平均的な一般家屋よりはやや大きい建物だ。その中でリバースの構成員には一人につき一つの部屋が与えられている。

 だが隊員の中でもユルルは幼く、誰かが同じ部屋で居てやる必要があった。


 メアは自分のベッドに寝転がり、また天井を見上げた。


 やってしまった。


 最近リバースに入った、自分と同じくらいの男の子。彼にはどうも、強く当たってしまう。

 悪気があるわけではない。けれど善意があるわけでもない。だから意味も分からないまま、気がつけば腹が立って自分を抑えられなくなってしまう。


「だって、情けないんだよ、アイツ」


 ――本当に情けないのは誰よ。


 吐き捨てたそばから、言葉は自身に返ってくる。

 だからそれは、気がついているということ。彼に悪態をつくたび、その言葉で本当に貫いてやりたいのは誰なのか。

 卑怯で稚拙な自傷行為。そしてその汚さに無頓着でもいられないから、こうして後悔なんて馬鹿な真似をしている。


 魔想が使えない。それは自分がリバースの一員となった一年前からの悩みで、もうとっくに開き直ったものかと思っていた。

 けれど、そうではなかったみたい。


 シーツの上でじくりと熱くなった左手首に舌打ちする。

 古い切り傷なのに、ここ最近はよく痛んだ。


「ああもう、こんなことで眠れなくなってるとか馬鹿みたい……!」


 どうにも悶々として眠れない。終わった一幕を思い返して、頭に血が昇るやら、後悔に胸を掻きむしるやら。そうして考えているうちは眠れない。眠れない夜は自分を押しつぶそうとしている気がして、どこまでも逃げたくなる。

 いつまで経っても眠気は訪れてくれなかった。


「あー本気でイライラしてきた!」


 眠れないのに寝転がっていても仕方ないので、それならいっそと、起き上がった。

 その動作があまりに勢いよかったせいだろう。シーツの音に反応したユルルが眠たげに呻った。


「んー…………め、あ……?」


 メアはぎくりとしたが、ユルルはまだ覚醒してはいない。程なくして穏やかな寝息を立てはじめた。


「……喉、乾いた」


 気の抜けた溜息を洩らして呟く。


 今度はユルルの眠りの妨げにならないよう、そっとベッドを抜け出し、廊下に出た。

 飲み水ならキッチンだ。少し頭を冷やして、それから眠ろう。


 階段から一階に降りてキッチンへ。

 誰もが寝静まった夜更け。自室からキッチンへ向かう慣れた経路を、明かりも灯さないままに移動する。たとえ暗闇の中だろうと、食器や食材の位置くらい分かる。


 そうして足がダイニングに差し掛かろうという時、部屋からわずかな明かりが漏れていることに気づく。こんな時間に誰がいるのかと覗いてみれば、ヘクターとナギが揃ってテーブルについていた。


「…………アンタら、こんな時間に帰ってきたの?」


 メアは明らかに不機嫌そうな声色で牽制する。それにヘクターは動じることなく返した。


「ああ。もしや起こしてしまったか?」

「いや、ウチは……なんとなく眠れないだけ。そんで? そっちのどうしようもない酒飲みは――」


 メアが視線を向ける先にはナギがいるが、彼女は先ほどから机に突っ伏したままぴくりとも動かない。


「――珍しく酔いつぶれて死んでるってわけ。いつもはあの新人を余裕で連れまわしてるくせに……どんだけ飲んだのよ」

「自分が飲むたびに張り合ってきてな。合わせる必要はないと言ったんだが……自分では酒を持ったナギを止められない」

「ってことは、ヘクターも同じ量飲んだってことじゃん。それで顔色一つ変えてないアンタが怖いんだけど」

「酒に酔うのが下手なんだ」


 そう言ってヘクターは赤ワインのグラスに口をつけている。飲んだそばからアルコールが分解される体質なのだろうか。もしそうなら、あまり羨ましくはないなと思った。


 と、メアはここへ来た目的を思い出し、ダイニングに併設されているキッチンに向かってコップに水を汲んだ。

 蛇口を捻ると水が流れる水道の仕組みは、アルトランの都市部のみに普及しているもの。ここに長く住んでいると、水汲みにいちいち苦労する生活を忘れてしまいそうになる。

 水に口をつけ、自分も椅子に腰かける。


「そんで、ウチが作った夕飯をすっぽかしたことは、どう言い訳するっての?」

「それに関しては……申し訳ない」


 彼は正面向いて頭を下げた。変に言い訳をしないところがヘクターらしい誠実さ。怒る方がみっともなく思えてしまう。


「フン、まあいいよ。どうせその女から強引に誘ったんだろうし。珍しいじゃん、二人が一緒に飲むの。何か内緒話でもあった?」


 彫像のような姿勢から頭を上げて、ヘクターは少しはにかんだ。


「鋭いな、メアは」

「誰でも分かることだし……あぁ、あの甘ったれ以外の誰でもってことね。あもしかして、話ってアイツのことだったり?」

「……さすが。メアには隠し事ができないな」

「だから、こんなのは分かって当然なんだって。大げさすぎ」


 ヘクターは不思議そうな顔をしたが、構わず続ける。


「それで? アイツの魔想はどうにかなりそうなの? それとも駄目そう?」

「方法を考えてみた。だがまぁ、結局は正攻法でいくしかないようだ」

「それって、前と同じ……」

「そうだ」


 内側の動悸がわずかに速まる。熱を帯びた血潮がちりちりと手首を焼く。

 数秒、自分がぼうっと一点を見つめていたことに気づいた。嫌な記憶がちらついたせいだ。

 静かなヘクターの視線に何か返さなければと、メアは無理やりに口を開いた。


「――――そ。まあ、どうにか、魔想を使えるようにしてやんなよ。そうすればあんまり、惨めな思いをしなくて済むんだからさ」

「もしも失敗した時は、君が彼の力になってくれると助かる」

「分かってるって。それがウチの役割なんでしょ……」

「そうだ。メアにしかできないことだ」


 また、断定の言葉。包み隠すことのない強い意志。


 リバースにいる自分の役割は理解している。魔想の使えない自分だから、魔想が使えないなりに、できることをしなければ。それを他者から改めて確認されると、なかなかにキツイものがあるけれど。

 例えばごはんを作るとか。彼らの衣服を洗濯するとか。部屋の掃除をするとか。

 魔想の使えない同類を慰めるとか。特別な彼らにはそんな暇がない。役割を持て余す自分の価値はそんなところ。


 ヘクターはずっと、目線を逸らすことなくメアの目を見ていた。その眩しさが、今の彼女には少し刺さる。


「メアにはいつも苦労をかけるな。いろんなことを押し付けてばかりだ」


 苦労をしているのはヘクターの方だ。この前もシャルコルの戦場に赴いて、軍の手助けをしたと言うじゃないか。

 彼の能力はリバースの任務に不可欠のもの。みんなが彼を頼りにしている。背負っている責任も、自分とは比べものにならない。


「本当に助かっているよ」

「フン、そう。なら今度はご飯が冷めないうちに帰ってくることね」


 素直な言葉を胸に秘め、メアはぶっきらぼうな返事でヘクターを困らせた。そうして少しだけ眠気が出てきたので、コップの水を片づけて部屋に戻ることにした。

 明日も早い。みんなよりも先に起きて、朝食を作らないと。


 特別になれなかった分、特別な彼らの手助けに回ること。それが自分の役割。


 それでもやっぱり、私だって魔想を使いたかったよ。

次回の更新は2/12の17時ごろになります。

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