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変貌のバトルクライ  作者: 海洋ヒツジ
雪花の章
3/72

はじまりの雪1 雪の日

はじまりの雪


       ❆


 顔に貼りつくような冷たさを感じて目を覚ました。いつもより静かで澄んだ気配のする朝。

 寒くて毛布に包まるけれど、体はちっとも温まらない。ベッドに籠るのは諦めて起き出す。毛布のわずかな温度を味方にしながら、ふと窓の方へ。

 霜で曇ったガラスを拭うと外の景色が目に飛び込んで来る。


 真白の雪が村一面を覆い尽くしていた。


 アラタ・マクギリはしばらく固まっていた。

 長く、時を忘れて。

 寒さに凍てつくような体とは逆に、心からはドクドクと熱が湧き出す。


 空から舞い降りてくる結晶のことを、その時までは信じていなかった。

 あり得ないのだ。アルトランの大地に雪が降るなんてことは、あってはいけない。

 誰もが寝しなに語り聞かされた昔話にある。雪が空から舞い降りる時、恐ろしい災厄もまた一緒になって降りそそぐのだと。

 だからこの光景は何かの間違いだ。そうでなければ、夢。


 けれど、どちらにしても悪くないと思った。

 恐怖はない。


 気付けば鼻先が窓に触れていて、慌てて離すとそこだけが氷のよう。

 羽織った毛布が肩から落ちるのも構わないで、どれくらいの時間、立ちつくしていただろうか。

 どれくらいの時間、見とれていただろうか。


「きれいだ……」


 溜息が窓ガラスを濁らせる。見えない間にその景色がぱっと消えてしまうような気がして、慌てて拭って、雪がまだそこにあることに安心した。


 静かな予感があった。この雪の日に起きた出来事は、この先何度も思い出す。それは窓の外を見た時、空を見上げた時、あるいは懐かしい顔に出会った時。

 きっと昨日のように憶えていることだろう。

 たとえ夢であっても忘れない。

 だってもう、真白の景色は胸に焼き付いて、離れそうにないから。


       ❆


 アルトラン王国の辺境に位置するタリエ村は温暖な気候の平穏な村だ。異変や厄介事はとんと起きず、国の中心で起こる悲劇や喜劇とも縁が遠い。

 草木と花に囲まれながら百人程度が慎ましく暮らしている。

 日々の生活にあまり大きな変化はない。村人はささやかな移り変わりの中で、小さな幸福に喜び、感謝をして生きるのだ。


 村という一つの共同体では誰もが役割を持ち、弛むことなく日々を廻し続ける。

 だからこそ、温暖な土地の歯車を狂わせる異常現象には誰もが困り果てていた。

 幼い子供以外は。


「わあっ!」


 外に飛び出したアラタは、曇った空から降ってくる冷たい結晶を顔で受け止める。突如として日常を塗り替えてしまった異変を、全力で楽しんでいた。


 どこか心待ちにしていた。こんなおとぎ話の景色が訪れる瞬間を。

 村の暮らしは好きだ。

 それでもたまに、どうしようもなく憧れてしまう。

 出会ったことのない何か、想像もつかない出来事。

 誰も足を着けていない雪面の上に、色鮮やかな期待は膨らんでいくばかり。


 だがそんなアラタの高揚した気持ちとは裏腹に、村は静かだ。

 もう日は高く昇ったというのに、誰も家から出ようとしないのはどうしてだろう。こんなに珍しいことなのに、勿体ないと思う。


「アラタ」


 声がした方へ振り返ると、母親の細い体が家の屋根の下に見えた。厚手の毛布を羽織って、随分と寒そうにしている。


「すごい積もりようね。雪で遊ぶのは楽しい?」

「うん! すごいんだよ! ふわふわで冷たくて、ちょっと触っただけで融けちゃうんだ。それでね、ふわふわしてるのに、ぎゅっとすると固くなって。それでね……」


 言葉にしきれない思いを母に伝えたかった。その一心でアラタは叫ぶ。


「見てて!」


 アラタは思い切り駆け出して、雪上に足跡を残した。どんな意味を込めたのでもない、無秩序な足跡だ。

 息を切らして母親を見つめる。


「そう。それは良かったわね」


 母シンシアは薄く微笑んだ。


「でも体が冷えたでしょう。そろそろおうちに戻りましょう。温かいスープを作ってあるから」


 満足した後で、アラタは自分の手を見た。先の方が真っ赤になってかじかんでいた。それに鼻水も出ている。


「わかったよ、母さん」


 渋々ながらシンシアの待つ玄関まで走って向かう。


「まあこんなに冷たい」


 シンシアはアラタを迎えると、その頬を両手で挟んだ。それからアラタの肩と頭に積もった雪を丹念に、まるで汚いもののように、払いのけた。


「はいこれでキレイ。入りましょう」

「うん」


 そうして開けてくれた木の扉をくぐる。

 食卓には出先から帰ってきた父親と祖母もいて、みんなで特製のスープを飲んだ。

 母の野菜スープはおいしくて、体の芯まで温まった。

 ご飯の時でもないのに飲めるのがいつもとは違って、やっぱりなんだか特別だ。


「この雪、いつまで降り続けるんでしょうね」


 ぽつりとシンシアが漏らす。すると父テツロウも何とも言えない表情で窓の外を見つめる。


「何かの異常気象か。それとも、大気の魔力がおかしくなっちまったか。どちらにせよ、早く止んでもらわなければ、作業が滞るな……」

「表の野菜は大丈夫ですかね?」

「分からん。初めてのことだ。今は止むのを待つしかないか」


 溜息をつくテツロウとシンシアに、アラタは首を傾げて言う。


「雪が降るのって、そんなにいけないことなの?」


 息子の純粋な疑問に、テツロウはもっともらしい顔つきで答える。


「ああ。とっても不吉なことだ。アラタも、今日はもう家で大人しくしてるんだぞ」

「どうして、雪が降っちゃいけないの?」

「ん、どうしてって、そりゃ……」


 彼は目を丸くして、シンシアへ目くばせをした。彼女が頷くと、テツロウは仕方ないとばかりに頷きを返す。


「お前も見たよな? 雪が降り積もったせいで大事な野菜が雪に埋まっちまった。このままだと野菜が駄目になるかもしれない。この寒さで家畜は凍えているし、川は凍って水を汲むことも水車を回すこともできなくなった。良いことなんてないさ」

「……そうなんだ」


 冷えた空気は全てを凍てつかせる。野菜も、水も、生活さえも。

 日々を廻す歯車が止まれば、生活は停滞する。

 雪が降ることで利は得られず、自分たちは苦しむだけだと、父は言っているのだ。


「『雪は重く積もる呪いとなりて大地を祟る』か」

「何それ?」

「聖書の言葉だ。実際に直面すると、あの本に書いてあることもでたらめじゃないと分かる。となると、こりゃ本当に凶兆かもしれないな」


 聖書の言葉など知らない。

 アラタは父が言う事を聞きながら、しかし納得できずにいた。

 父の説明には理があり、それはアラタにも理解できる。けれど感情の部分では、やはり窓の外の雪を美しいと思ってしまう。

 美しい雪を否定したくないと思うのは、いけないことだろうか。

 アラタの視線がうしろめたさで下を向く。それを不安と捉えたか、テツロウは豪快に笑ってアラタの背中を叩いた。


「ダハハハ! そう心配すんな。こんな問題、村人みんなで協力すれば解決できる。そのために、父さんたち話し合ってきたからな」


 朝一番にテツロウは村の集会に出かけていた。指導者の寄り集まりでは、この状況への対策が早々に話し合われたのだという。

 村にとって最善なのは一刻も早く雪が止むことだろう。

 一日だけならまだしも、これが続くとなれば、小さな村の生活は危うい。


 その時、正面でちびちびと器の中身を啜っていた祖母のナガミが目を見開いた。


「キエェエーーー! 神よ! レディネイトよ! 我らをお救いくだされぇ!」


 わんわんと耳に響きが残るような声。危うくスープを取り落としそうになる。


「どうしましたお義母様!? スープ、熱かったですか!?」


 興奮して腕を振ったせいで、ナガミはスープをこぼしてしまったようだ。シンシアがおろおろとして、雑巾で机を拭く。テツロウは呆れた顔で息を吐いた。


「お袋、行儀が悪いぞ。アラタが真似したらどうする」

「僕はそんなことしないよ」

「うるさいわい! この災厄の日に野菜スープなぞ飲んでられるか!」

「じゅうぶん飲んでたじゃないか……」


 テツロウがツッコむと、ふんとナガミはそっぽを向いてしまった。

 祖母はいつもは穏やかなのに、たまに火がついたように癇癪(かんしゃく)を起こすことがある。困った人なのだ。


「災厄の日に降る雪。雪は即ち侵略の狼煙(のろし)だ。恐ろしい怪物があの壁の向こうからやって来るのさ」

「あの壁……」


 ナガミのおどろおどろしい口調がやけに身に迫るようで、ごくりと唾を飲み下す。


 あの壁(・・・)についてはアラタもよく知っている。

 薄い蒼色をした魔力の壁。それはアルトランの大地をまるごと包み込む。

 タリエ村からごく近い場所にあって、晴れた日には北の方角に大きな絶壁がいつも見えたものだった。

 壁は〈揺籃(ようらん)〉と呼ばれていた。


「アラタ、いい機会だから、一つ昔の話をしてやろう」


 そう言ったナガミの目には、神妙な光が宿っていた。

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