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変貌のバトルクライ  作者: 海洋ヒツジ
雪花の章
13/72

幸福な日5 この手のひらの温もり


       ❆


 踊りの披露を終えたキノウたちは、花嫁のソラノに祝福と別れを惜しむ言葉をかけてから、その場を後にしようとする。


 汗で衣装がじっとりと蒸れている。何か飲み物で体を冷やして、せっかくだから衣装は着たままがいい、と話していると、


「キノウちゃん、ちょっといい?」


 主役の席から離れたソラノが声をかけてくる。

 キノウは頷くと、他の村娘二人には先に行くよう声をかけ、ソラノに連れられるまま喧噪から遠ざかって川のほとりに向かった。


「アラタ君とはどう? うまくいってる?」


 彼とのことをもう何度も打ち明けたソラノは、キノウにとっての良き相談相手であり、そして今やその道の先輩でもあった。


「実は――」


 キノウは何と言えばいいか悩みつつ、つい昨夜あったことを口にしていった。


 アラタが将来のことなんか聞いてくるものだから、つい気持ちが先走ってしまったこと。あの時の自分は、どうも祭りの雰囲気に酔っぱらったようだった。本当に我ながらおかしい。いきなり聞かされたアラタはさぞ困ってしまっただろう。


 けれどおかげで、今まで滞り続けてきた関係から、やっと前に進み出せる。

 そのはずだった。そのはずだった、なのに。


「あー、逃げちゃったんだ」

「はい……」


 自分で話して、改めてがっくりと肩を落とすキノウ。頭で整理がつけばつくほど、昨日のうちに決着をつけておくべきだったと思えて、後悔が迫ってくる。


「まー仕方ないって! キノウちゃんはよく頑張った!」

「でも、このままじゃきっと、曖昧なままで終わっちゃいます。あの雰囲気が薄れないうちに、またすぐ会わなきゃいけないのに。朝からなんだか顔も見づらくて……」


 返事は今日聞く、とは言ったものの、そもそも結婚式があるのだから、後片付けのことも考えれば彼に会う時間はないかもしれない。けれど今日を逃せば、約束は日常の流れに押し出されてしまうだろう。


 無為を嘆くキノウの肩に手が置かれた。


「同じ屋根の下で暮らす関係って、互いへの思いが鈍くなりがちなのかなって思うわ。仲のいいあなたたちを見てるとね。何日も一緒にいるものだから、相手の存在に慣れてしまう。でもその分だけ、知らない相手の一面を見つけた時の喜びは何にも勝るものだと思うの」


 ソラノの手が、キノウの束ねられた白銀の髪を触る。


「今日のキノウちゃん、とっても特別で綺麗よ」


 力なく肩を落としていた臙脂(えんじ)の祭事衣装。その背中に、ふと活力が漲った。


 会わなければ。言わなければ。


 ソラノの言葉を受けて、内側から突き動かす何かが、それは今でなければいけないと伝えていた。

 足りなかったのは、きっと時間でも雰囲気でもなくて、この胸にある熱さだ。


 キノウは勇気を貰うように、胸に提げた宝石のペンダントを握り込む。

 雪結晶の宝石。本当の母親から託され、いつでも肌身離さず持っているお守りだ。


「……行っても、いいですか? 今すぐ」


 キノウが顔を上げると、花嫁は笑顔で言った。


「ええ、行ってらっしゃい。スペシャルなあなたを、あの甲斐性なしに見せてあげて!」

「ありがとう、ソラノさん!」


 言葉に背中を押されるように、キノウは飛び出していった。

 今会いたい。すぐに会いたい。我慢していた思いを解放するように、キノウはひたすらに走る。

 その途中、一度だけ振り返って、


「結婚おめでとう! 今度会う時は、私もきっといい報告ができると思うから!」


 そう言ってから、またわき目もふらず走っていった。


 ひたむきな女の子に、頑張れ、と胸の内で呟いて、ソラノも元の場所に戻ろうとする。


「ん……なんだろう、アレ?」


 遠く、森の方に見えた閃光に彼女は足を止めた。


「雷……?」


 雨の気配もないのに雷なんて。妙に思いながらも、それ以上の疑問を持つことはなく、そのまま新郎の元へ向かう。

 願わくば、あのまばゆい雷が、彼らと自分たちの明るい道しるべになることを。歩む未来が光に満ちていることを、彼女は願った。


       ❆


 隅の方で椅子に座り込むナガミ。気分が悪くなった祖母のために、アラタは今しがた水を杯に入れて戻ってきたところだった。

 そんなアラタに、祖母は開口一番に言う。


「ありがとうよ。じゃあもういいから、とっとと行きな」


 人の気も知らず突き放すナガミにも慣れたもの。アラタは強く気を持つ。


「そんなわけにはいかないよ。さっきまで顔が真っ青だったじゃないか」


 キノウたち舞踊が終わったあたりから、ナガミは意識の定かでないような顔をしていた。声をかけても空返事という有様だったのだ。

 大方、浮かれて酒を飲み過ぎたのだろう。もういい歳だから控えてほしい、という父の心配も虚しい。味の好みにはうるさいのに、酒はよく飲む。


「いつまでも年寄りに構ってんじゃないよ。こちとらいつでも逝く準備はできてるんだからね。そうそう心配されちゃ、死ぬに死ねないじゃないか」

「そう死ぬ死ぬ言うなよ……」

「アンタは若者らしく、若い娘と密会なりなんなりしてくればいいのさ」

「……もしや聞こえてたのか」


 水を貰って戻る時、アラタはキノウから声をかけられていた。


『昨日の返事、聞かせてくれる?――――鐘の下で待ってるから』


 少しも逸らさず見つめてくる目、覚悟を決めたように引き締められた唇。その雪のような肌色の顔は赤らんでいるように見えた。それが踊りのせいだけではないと考えるのは、自惚(うぬぼ)れだろうか。

 そしてキノウはこちらが何かを言う前に、パタパタと駆けだしてしまった。


 思い出しても緊張してしまう。


 そんな強張ったアラタの顔を見て、ナガミは「ケッ」とせせら笑った。


「こ、この地獄耳……!」

「なんでもいいさ。あの恐ろしい娘を押さえつけてくれると、アタシも気が楽だよ」


 確かに。キノウがこの場にいれば、酒を飲むナガミのことを許しはしないだろう。一滴も飲ませないように傍で監視するに違いない。


 だから祖母はずっとキノウから隠れて酒を飲んでいたのだ。恐らくは舞踊の間も。

 なんというか、呆れたものだ。


「……じゃあ、キノウも待ってるだろうから、僕はもう行くけど。あんまり飲み過ぎないように。結婚式に酒飲んで死んだ、なんてみんなに笑われるよ」

「そりゃあ案外悪くないかもしれないねぇ」


 疑いの眼差しを向けるアラタに、ナガミはシッシッ、と手を振る。


 やっぱりこの老婆から目を離すべきではないのでは、と思ったが、今はその発言が本気でないことを祈り、キノウの元へ向かうことにした。


 祭事や見張りのために使われる鐘のある高台。つい先ほどまでは新しい夫婦のための誓いの場でもあった。村の端にあるその場所までは少し距離がある。


 歩いていこう。気持ちを落ち着け、正直な思いを口にできるように。

 返事はもう決まっている。けれど言葉には少し迷う。

 選んだ言葉が、笑われないといいけれど。でも笑ってくれたら、それはそれで幸福な道しるべにもなるのかもしれない。想像して、そんな部分にも救いを求める自分が滑稽で、笑えた。


 その瞬間を迎える前に、不安なんてものはどこにもなかったのだ。


       ❆


 真昼の下、少女は静寂に身を置いて男を待つ。


 募る思いの熱は、照り付ける日差しよりもなお強く、少女の白肌を焦がす。けれど少女はそれを抑えようとも我慢しようともしない。ただ心に感じていたいのだと、この長い待ち合わせ時間を大切に噛みしめる。

 時に痛いけれど、苦しいけれど、それもいいかと思えるくらい温かい。

 この尊い時間こそ、かつて苦難の果てに求め、手に入れられた宝物なのだと思う。

 震えるばかりの自分は、もういない。


 首のペンダントを外して、手に提げる。お守りを握り込んで力を貰おうとするのはいつもの癖だけれど、今回ばかりはそれにも頼らないことにしよう。


 もうすぐここに顔を出す彼にどんな顔をして会おうか。なんて声をかけようか。

 そんなことばかりを考えて、時間が過ぎて。


 焦がれて慕って待っていた鐘楼の下。そこへ誰かが足を踏み入れる音がした。

 少女は振り返る。喜びをたたえた表情で、来てくれた彼に今の自分の姿を見てもらうために。


 現れた人物に、しかし彼女の笑顔は凍り付くこととなった。


「あなた、は……」


 その瞬間、自分が何に囚われているかを思い出した。

 なぜ自分が壁を越えてこの地で過ごしてきたのか。

 自分の本当の役割。生まれてから死に至るまで、定まりきったその道筋。仮初の平穏に宿ったのは、そのためなのだと。


 夢を見る時期は、終わっていたのだ。


「そう…………わかってた。いつかこんな日が来るなんてこと」


 少女は呟く。


 叶うならば、もう少しだけでも続けていたかった。

 遠い未来は忘却したまま、星見の丘に寝そべって、夢に浸っていられたなら、それはどんなに輝かしい瞬間よりも温かい永遠なのに。


 それでも変えることを選ぶのだ。


 温もりを手放せば、この手のひらはすぐに冷たくなる。その辛さに耐えられるよう、心は固くもたなければならない。

 だから、寂しがるのは、この涙が落ちるまで。

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