幸福な日4 花が舞う
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夢を見た。
一面の真っ暗闇が目の前に広がっている。
そして闇に浮かび上がる、小さな白い蛇。
一目見た途端、それが何であるかを理解した。
夢の世界では、全てが既知の領域。であれば直感めいた理解もまた、真実に違いない。少なくとも、自分の中では。
長い体は過去と未来を一つに繋ぐ時間の軸。
頭が先で、尻尾が後。
白い体に始まりから終わりを包んだ怪物。
つまり自分はこう思うのだ。
運命というものが目に見えるならば、それはきっと、白い蛇の姿をしている。
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よく晴れた日に堂の鐘は鳴った。
式の日の朝は早い。まず村の人間である新婦は輿に乗せられ、村中の家に挨拶をして回らなければならないためだ。
最後だからと、花嫁が一人ひとりから言葉を受け取る。大きな街ではこうはいかないが、少数が慎ましく暮らす村では誰もが知り合いのようなもの。
花嫁の根気と、輿を担ぐ男たちの苦行により、このしきたりは午前中までに終えられる。そして輿は、新郎が待つ鐘楼へ。
用意された壇上に新郎と新婦が上り、神父が語る誓いの言葉に頷く。
「――――汝ら、今日この時をもって夫婦の契りを交わし、共に生き、互いに助け合い、その愛と幸福を、この大地の主、レディネイトに捧げることを誓うか」
誓いの言葉に乗せられて紡がれるのは主の御名。アルトランに伝わる唯一神であるレディネイト。
彼らはその身の愛を、大地を守る神に示す。すると神から新しい夫婦へ祝福がもたらされる、ということだった。
そうして村人たちに見守られながら、二人は口づけを交わした。
荘厳な空気に包まれながら式は終わる。
堅苦しい儀式が片付けば、残すところは盛大な宴のみ。村人たちは待ってましたと言わんばかりに、既に用意された会場に場所を移しては、大いに食って飲んでを愉しむのであった。
広場のテーブルに座るアラタの前にも、およそ一般家庭では使われないであろう巨大な皿に盛られた肉の山がある。
隣のジュドがそれをつまみながら、視線を周囲の騒ぎに向ける。
「いつもそうだが、こうなっちゃ何を祝ってるかわからなくなるな。オヤジ共に関しちゃ、やってることは昨晩の続きだ」
「まあこういうのって、みんなで楽しんでること自体が祝ってるってことになるんじゃないか。ほら、幸せそうな絵面って、見ている人も幸せな気がしてくるじゃないか」
「そういうものかね」
「そういうことにしておくんだ。たまの贅沢にも口実は必要なんだから」
「ハハッ、アラタはいいこと言うな。それなら俺が酒を貰う口実にもぴったりだ」
ジュドはいつの間に持ってきていたのか、その手に酒の入った杯を収めている。顔の色もほんのり赤い。飲酒を許される歳でもないというのに。
羽目を外す気のないアラタは軽く諫めつつ、自分も肉を頬張る。
自分なりに贅沢を楽しみながらも、さりげなくキノウの姿を探していると、騒ぎから少し離れたところにいる見慣れない人影が目に入った。
「ほら、ジュド。君が目指す軍の兵士があそこにいるぞ」
「あー? 大丈夫だってぇ、何も言われやしないさ……」
飲酒の心配をしていたつもりはなかったが、口調が若干怪しいところを見ると、そろそろ止めるかどうか悩ましい。それはともかく。
ネイビーブルーを基調とした制服に身を包む兵士が五人ほど、宴に加わることもせず、ただ村の様子を眺めている。彼らがこの結婚式と無縁の存在であることは誰の目にも明らかだろう。
「一般人の結婚式に軍の護衛がつくなんて」
「お偉方の長距離移動に兵士が付き合うのは珍しくないさ。あの男か、その親か、どっちかに軍との繋がりがあるんだろ。それに最近は物騒だからな」
「物騒って?」
「絵ばっかり描いてるアラタくんには、世界情勢への関心が足りないらしいな。ただでさえ情報が入りづらい村なんだから、行商人の話くらいは聞いておいた方がいい」
「絵は関係ないだろ。いいから教えてくれよ」
「……狂獣だよ。最近、よく出現するんだってさ。それも、あの壁の近くに」
アルトランの大地を囲う〈揺籃〉。昼時の今は、その存在が北の方角にはっきりと確認できる。
「兵士が寄越されるのは、その視察も兼ねてるんだろ。現状、あの壁に一番近いのはこの村だ。狂獣が現れる可能性が高いのも、な」
「どうして壁の近くに狂獣が現れるんだろう?」
「そりゃお前、あの向こうが魔の地だからだろ。狂獣は魔王軍の手先だって聞いたこともあるぜ。俺たちが知らない間に侵攻の根回しをされていたり、なんてな」
「あり得ないよ。だって〈揺籃〉が僕らを守っているじゃないか」
「あれは俺たちを守ってるんじゃない。閉じ込めているだけだ」
ジュドは慣れない酒をちびちび飲みながら壁の方を見ていた。何があるとも知れない、壁の外側を。
あの先には、アルトランからは切り離された世界がある。かつてこの地に侵攻せんとした魔王の領域が。そこでもキノウのような人が暮らし、この村のような結婚式を挙げていたりするのだろうか。
壁の外にも、やはり狂獣は存在するのだろうか。
「おっと、今日は暗い話はナシだな。そんなことより、そろそろじゃないか?」
ジュドが話に区切りをつけた時、騒がしい披露宴の空気が一層沸き立つような気配がした。振り返れば、新郎新婦がいる辺りに人だかりができている。
ジュドに声をかけ共にそこまで行ってみると、村人たちの視線の先で何かが催される寸前だった。
皆の期待を受けて中心にいるのは、衣装に身を包んだ三人の村娘。近しい年齢の彼女たちによる踊りの披露だ。
そしてアラタの目を一際引いたのは、一本に束ねられた白銀の髪。
脇で待機する楽器奏者が奏でる音に合わせ、少女たちは一斉に舞い上がる。
軽やかな足の運びにつられるように、腕や肩が躍動する。笛の旋律と太鼓のリズムも、それに追従するように、または先導するように、両者が絡まり合って、この舞踊を映える景色に仕立て上げていた。
身にまとう衣装は鮮やかな臙脂色の生地に、青々と茂るような緑色の裾。豪華な刺繍も施された祭事服は、体の線を見せつつも袖の部分には余裕があり、腕を振るたび揺れ動く。
はためく袖は花びら、中心には幸福を願う笑顔。一たび彼女たちが回り出せば、その姿は咲き誇る花そのもの。三つ束ねて、夫婦へ贈る祝福のブーケ。
その中のただ一人。楽しげに舞い踊るキノウに、アラタは見とれていた。
普段では決して見ることのできない特別な姿。花開いたその一瞬の光景に、胸を高鳴らせて。
終わりの拍手が鳴っても、なお募って溢れそうになるのは、彼女への思い。
そのまま、好きだ、と。伝えてしまいたかった。




