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変貌のバトルクライ  作者: 海洋ヒツジ
雪花の章
11/72

幸福な日3 明日の向こうの話


       ❆


 突貫作業で行われた結婚式の準備は、夕暮れ時になってようやく全ての作業が終わりを迎えた。後は明日の本番を待つばかりとなり、一安心といったところ。


 この日ばかりは元気盛りの子供も疲れ果て、早くに眠り込んでしまう。


 それに引き換え大人たちは集会所に集まり、前夜祭と称して、この日から護衛を引きつれて滞在していた新郎と親睦を深める酒宴を催していた。贅沢を楽しむ大人たちの所業にも、子供は文字通り目をつぶるしかない。


 村人の質問攻めに遭う新郎の胃痛ばかりを不安の種に、夜は更けていく。


 そんな喧噪から離れた村の外れで、アラタはひとり瞑想にふけっていた。


 空白。頭を空にし、無になった自分をただそこに置く。それだけの作業を苦痛と感じないまでになるには時間がかかった。数年前よりの習慣の賜物だ。

 無意識の海を揺蕩う形なき存在。自他の境界も融け合って混ざる。心を鳴らし、血を廻し、呼吸する。今の自分にはそれだけ。

 そうしていると、閉じた外側に何かが灯った。それは空白を揺るがす刺激。

 無我の存在は、まるで光に集まってしまう羽虫のように、その刺激につられて浮上していった。


「おはよう、アラタ」


 目を開くと同時に声がした。

 地べたに胡坐をかき、顔を下へ向けていた自分を、その声の主は覗き込んでいたようだ。瞼が開く瞬間まで。

 そういえば、やけに膝に重みを感じると思った。


「キノウ……何してるんだ」


 目と鼻の先にいるキノウと目が合う。

 彼女はその白銀の長髪と小さな頭をアラタの膝に乗せ、あどけない顔でアラタを見つめ返していた。


 きっと晩飯のことを伝えに来たのだろう。アラタがよく瞑想をしている場所、北東の森を見渡すことのできるこの場所を、彼女は知っている。


「またこわい夢みたの……?」


 覗き込むようにこちらを見るキノウに、アラタは毅然とした表情で答えた。


「いつもの日課をこなしていただけだよ」

「ほんとう?」

「ああ。僕は大丈夫だ。…………キノウ?」


 キノウはアラタの膝に寝そべったまま動こうとしない。これではアラタも立ち上がれず、晩飯にありつくことができない。瞑想の前から腹は減っているのに。

 困惑気味に眉を下げる自分をキノウは見つめてくる。藍色の瞳はどこか眠たそう。夢とうつつの境に漂うかのようだ。

 そうして緩く微笑んだかと思えば、そのまま別の方向を向いてしまう。


「まったく……」


 いつもの甘えたがりだ。それに応じるように、アラタは自分の足に垂れる白銀の糸をできるだけ丁寧に梳く。

 それがこそばゆかったのか、キノウは喉の奥から高い声を出して、こめかみを腿にぐりぐりと押し付けてきた。


「んーっ……えへへ」


 彼女にはたまにこういう瞬間がある。今しているように、寝食を共にしている幼馴染に気を許しすぎてしまう瞬間が。十五の少女が、まるで幼子のように。

 それは友愛というよりは、父母に対するような親愛の表れに、アラタには見えた。


「いつになったら卒業できるんだか」


 アラタもすっかり晩飯に急ぐ気を失くしてしまって、しばらく腰を落ち着ける思考にシフトした。

 無邪気に甘えるその頭を撫でてやる。


 壁の向こうから来た、とかつて彼女は言った。アルトラン全土を覆う壁、〈揺籃(ようらん)〉の外側から。何ものも通さない〈揺籃〉の先のことを、自分はよく知らない。

 キノウもそれより深い部分の事情は話すことがなかった。


 けれど確かな事実がある。それは、この土地で彼女がどうしようもなく独りだということ。


 ここに来るまでに、誰かと別れてきたはずだ。何かを()ってきたはずだ。それは肉親との縁かもしれないし、もっと別の何かかもしれない。隠した事情の裏に何が潜んでいようとも、寂しくて震えていたあの雪の日のことは揺るぎようがない。

 こうして彼女が甘える姿も、不足した思い出の埋め合わせに過ぎないのかもしれない。


 そんなキノウを守ると誓ったのだ。

 彼女が孤独と別れられるように。寂しくならないよう、傍にいると。


 キノウが壁の外から来たことは他の誰も知らない。家族でさえ、彼女が記憶を失っている少女なのだと信じ込んでいる。本当のことは二人だけの秘密。


「アラタ~」

「どうした?」

「結婚式、楽しみだねぇ」

「そうだね。ソラノさんが何かやらかさないといいけど。あと新郎の人も、飲み過ぎで倒れないか心配だ」

「ふふっ。明日のソラノさん、きっと今までで一番キレイだよ。一生ものの晴れ舞台なんだもんね。憧れちゃうな」


 やはりキノウでもそういう願望があるのだろうか。誰かと結ばれたい、豪華な衣装を着て祝福されたいという、女の子らしい夢が……。


「キノウはさ、将来のこととか考えてたりするの?」

「……なあに? いきなり」


 キノウの頭がくるりと回って、また目が合う。


「いや、なんかさ、いろんな人から聞かれるんだよ。これからどうするんだって、よく分からないんだけどさ」

「アラタもすっかり大きくなったものね」

「母さんみたいなこと言うなぁ。ジュドなんてさ――」


 つい言いかけて、慌てて口を閉じた。

 不思議そうに見つめ返してくるキノウに「いや、何でもない」と言っておく。


『お前は……キノウとのことはどうするつもりなんだ?』


 ジュドに言われたことを、本人の前で話せるわけがない。彼の前では平然を装ったが、彼が指摘するほどには鈍感ではないつもりだ。

 すなわちキノウという人を、自分の中でどう位置付けるか。自分はキノウにとって何者でありたいのか。どういう関係になりたいのか。


 わざわざ結婚式なんて時期にそんな話題を持ちかけるなんて。おかげで膝の上に乗るキノウを意識してしまうではないか。

 彼女にとって膝枕をする自分は、親か友人の代わりでしかないというのに。


「これから、ね」


 キノウは呟き、思い悩むアラタの膝から離れた。


「ど、どうしたんだ?」

「……私は、このままでいいと思ってないよ。このままじゃいられないってことは知ってるから。未来のことだって話しておきたいよ。アラタ、あなたと」


 彼女の藍色の眼が真っすぐと遠くを見据える。どこか神妙な空気が、体にひやりと触れるようだった。


 高く見晴らしのいいこの場所からは、夜に染まった森が見える。


「あの日のこと、私はとっても感謝してるんだ。あなたは森で挫けそうだった私を見つけて、この村まで連れていってくれた。折れかけだった私の希望を、あなたは救ってくれた。ありがとう」

「そんなの、なんてことない」


 だって自分がキノウを助けるのは当然のことだから。出会った日から、今までずっと。


「ううん。私にしたら、それはとても大きなことだった。本当に」


 キノウは胸の内にあるものを抱きしめるように、そこへ手を当てた。


「……聞いてもいいかい? キノウがあの壁を越えてやってきたのは、どうして?」


 単刀直入に問うと、キノウは逡巡するように目を伏せる。


 ずっと迷っていた。聞くべきかどうか。それを知ったところで自分の中の好奇心が満たされるだけだ。知ってしまえば、何かが変わってしまうかもしれないのに。


「…………みんなのためよ……きっと……」

「みんなって……?」


 うつむいていたキノウは突然立ち上がり、軽やかに歩き出す。


「なあ――」

「どう? ふふ、さまになってるでしょう」


 そう言ってキノウは手を広げてくるくると回った。

 夜空を背景に、白銀の妖精は舞う。


「明日の結婚式で、私、おめかしして踊るの!」

「キノウ……」


 膨れ上がったスカートが、キノウが回転を止めると同時にしぼんでいく。


「不安なんだ。私は一人だと何もできない。どこかで失敗しちゃうかもしれない。だからあなたに居てほしいの。明日も、明後日も、その先も。何があっても、私から離れないで。そうしたら私は、きっと大丈夫だから。どうか一緒に居てよ」

「僕には、君が何を言いたいのか、よくわからないよ」

「これは未来の話だよ。遠くない未来、私と、私の大事な人が同じ場所にいるっていう、小さな夢の」


 彼女は何を望んでいるのか。彼女が広げる未来図には、どんな景色が描かれているというのか。自分には分からない。彼女が今もって隠し続ける真実の姿も、その影すらも。


「僕は――」


 けれど、やはり彼女の望みがそうであるなら。


 ある覚悟を決めて返答しようとしたその時、


「あぁぁーやっぱり待って! 今はまだ言わなくていい。明日はソラノさんの結婚式だもんね。余計なことを考えないで、全力で祝ってあげなくちゃ!」


 と、急激に方向転換したキノウによって、アラタは言葉を遮られるのだった。


「こ……ここまで言っておいて?」

「ごめんね。この話の続きは今度にしよ? 絶対、ね」


 自分の中に返答は用意してあった。

 キノウといる。それが指し示す道のりがどういったものであっても、後悔するつもりはない。

 そうであるだけに、喉元まで出かかった言葉を押さえつけられたことが、やや気持ちの悪い後味を残した。


「キノウのことだから、すぐに忘れてしまいそうだ」

「アラタの方こそ、いつもぼーっとしてるんだから。とぼけたりしないでよね」

「するもんか」

「じゃあもう、明日にでも聞かせてもらおうかな」

「望むところだ」


 そう言って二人して顔を見合わせると、自然と笑いがこみ上げた。


 結局、今日という日にするにはあまりに急な話だったということ。返事を言うにも、返事を貰うにも、心の準備は足りなかったのだ。

 ここまで育んできた気持ちを、大事に、腐らせないように。咲き誇る一瞬までも丁寧に。むしろ歯がゆい時間を楽しみながら、明日のその時を心待ちにする。


「ねえ、ちょっとだけ一緒に踊りませんか?」

「……僕は踊りは苦手だ。前にジュドに笑われたことがある」

「私が教えてあげるよ。ほら、手握って」


 アラタはキノウの小さく柔らかな手を取り、ぎこちないステップを踏んだ。キノウは微笑み、自分の体をアラタに委ねた。


 行きつかない思いをそのままに、今は楽しもう。

 星が見つめる夜の下、観客のいない丘のステージ。

 祝福の前夜、互いを見つめる二人だけがそこにいた。

今日の22時過ぎあたりにまた更新します。

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