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衷心記 第七章 第八章

熱心な皆さま、いつもありがとうございます。


今回もムラを巡る攻防なのですが、壊れてしまったタケノヒコの心は・・・

折り合いのついていなかったタケノヒコの心にけじめをつけることが出来るのか・・・


ということで、お楽しみください!

第七章 取り戻せ 心を


「どうした!我らに降るのではなかったのか!」

 カクは怒鳴った。

 ムラ人たちは、迷いに迷った。みすぼらしいなりをした初老の男が言った。

「だからワシはタケを信じようと言っただに・・・」

「今さら言っても仕方なかろう!」

 顔役が言い返した。そもそもタケノヒコ一行の追放を強く主張したのは、この男だった。

「早く決めろ!そなたたちが生きようが死のうがワシらには関係ない!」

 カクの言葉にツヌガ軍から笑い声が起こった。人権意識など、まるでない時代であった。

「ツヌガの御大将!ワシら大人だけでも許してくれぬか」

 顔役がそう言うと、ムラ人たちが悲鳴をあげ、ツヌガ軍からは、さらに笑いが起こった。

「ならぬ!一人残らずじゃ!」

 言い返すカクに、ツヌガの将軍が耳打ちした。

「カク殿、タケノヒコ一行が罠にかかった様子。攻めるなら、今かと」

 カクはうなずいた。

「ムラの者!もはや手遅れじゃ!これより攻めつぶす!皆、かかれっ!」

 ツヌガ軍は一斉に矢を放ち、楼門に集まっていたムラ人たちが次々と倒された。皆は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。さらにツヌガ軍は楼門の破壊を始め、柵をよじ登った。次々と討たれていくムラ人たち。どうにもならない惨状であった。


「たいへんなことに・・・」

 遠くからその様子を見たシンは、報告するために急ぎ戻った。


 旅の草は、頭とともにサルとキヨを引き付けていた。その間に物見や草の者たちが集結し、タケノヒコに狙いを絞った。銘々が矢を放つと、タケノヒコの周囲には雨のような矢が突き立った。

 タケノヒコは片膝をたててかがみ、ナナを静かに横たえた。

 尋常でないその雰囲気に他の者たちは戸惑った。激しい慟哭の後、無口になったタケノヒコからは、普段の優しさや包容力がまるで感じられなかった。というより、全てを拒む氷のような冷たさと、天をも焦がす炎の激流がタケノヒコを覆っていた。

 スクナが、顔を引きつらせながらヤスニヒコに言った。

「これは、まさか・・・」

 ヤスニヒコの表情も渋い。

「ああ。本卦還りだな。昔の兄上だ」

「何じゃ?それは」

 ムネがそう聞くと、ヤスニヒコは頭を抱えて答えた。


「暴れ神だ・・・」


 雨あられと降り注ぐ矢を、タケノヒコは剣で打ち払いながら敵側へ歩をすすめた。

 バラバラに放っても効果がないと思ったツヌガ軍は、タイミングを合わせて一斉に放った。今でいう飽和攻撃だ。

 二十本を超える矢が、あらゆる方向からタケノヒコを襲った。

「兄上!」

 ヤスニヒコが悲鳴のような叫び声をあげた。

 タケノヒコは腰を落として下段に構えると、その剣が蒼白い炎を纏って輝いた。

 ぶうん。

 タケノヒコは、円を描くように大きく剣を振りあげ、その蒼白い炎で全ての矢を叩き落とし、素早い跳躍であっと言う間に敵兵へ肉薄した。

 ツヌガの者たちは、恐れをなして逃げ散った。

「こんなタケノヒコ様は初めてだ」

 クロが、そう漏らした。

「すごいのう・・・」

 ムネですら唾を呑み込んだ。

「兄上は、ナナの事がヒナの事と重なって見えたのだろうな。その深い怒りと悲しみで我を忘れておられる・・・」

 ひとり、またひとり、対岸からツヌガの者たちの悲鳴が聞こえた。

「どうしたものか・・・」

 スクナもつぶやいた。昔のタケノヒコは、戦いにおいては恐怖の対象であった。その凍てついた心を穏やかなものへ変えたのはトヨだ。ならば・・・

「ヤスニヒコ様、ワシがトヨ様を呼んで参ります。トヨ様ならばきっとタケノヒコ様を引き戻してくれるはず。もう昔のタケノヒコ様は見とうない」

「わかった、頼む」

 トヨの元へ向かったスクナと入れ替わりに、シンが戻ってきた。

「ヤスニヒコ様!大変でございます!ムラが、ムラ人たちが!」

「今度はムラか。よし。私はここで兄上を見届ける。ムネ殿は皆を率いてムラの救援を!」

「わかった。ヤスニヒコ。兄上を頼むぞ!」

 そう言うと、ナナの亡骸とロクを連れて、ムネ、クロ、タク、シンの四名がムラへ向かった。


 その頃、サルとキヨも旅の草たちと激しい戦いを演じていた。

 木々の枝を飛び移りながら、石礫を投げつけ、矢を放ち、一合二合と刃を交え、互いに一歩も譲らなかった。実力で劣るキヨも、ナナの笑顔を抱きしめて懸命に戦った。

「良いか、キヨ。ナナを射た草だけは逃すまいぞ」

 もとよりそのつもりのキヨはうなずいた。その表情には大きな怒りを顕わにしていた。サルも、怒りを抑えがたかった。

 旅の草には、二人の感情が手に取るように分かった。ニヤリと笑い、その思い込みに付け込んだ。旅の草は二人を引き付け、ごく自然にわずかな隙を見せた。

 今だ!

 サルもキヨもそう思い、短刀を投げつけた。

 旅の草の幻影は霧散し、サルの短刀はキヨの右腕をかすり、キヨの短刀はサルにかわされた。同士討ちのような格好だ。旅の草の笑い声が森の中に響き渡り、剣を構えた草の頭は、空中から真っすぐにキヨを狙って降りてきた。キヨの腕は上がらない。剣も弓も使えない。頭は笑っていた。腕の痛みでかわすこともできない。キヨは目をつぶった。

 次に目を開いた時、斬られて崩れ落ちる頭の向こうに、剣を返すサルが見えた。

「このサルをなめるな!そなたの幻術などお見通しじゃあ!」

 サルが吼えた。

 その様子を離れたところで見ていた旅の草は舌打ちして、全力で逃げて行った。

 辺りから旅の草の気配が消えると、サルはキヨへ駆け寄った。

「大丈夫か、キヨ」

 キヨは苦しそうだったが、命にさわりはない。

 安心したサルは弟子の手当てをしながらからかった。

「手加減したからな。まだまだだな。あれぐらい普通にかわせるぞ。ふつう」

 そう言って笑うサルにキヨはむくれた。

「やつの逃げた先にはムラがある。痛いだろうが、もう一仕事じゃ。恐らくムラが襲われている」

 キヨは表情を引き締めてうなずいた。

「わかりました。急ぎましょう」


 大川のムラでは、戦いが終盤を迎えていた。

 ムラ人たちは、五十人は入れる大きな竪穴式の集会所に百人ほどが立てこもり、その入り口は盾を並べて三十人ほどの男たちが守っていた。矢が届く辺りに敵兵がひしめいて、双方ともに弓矢の応酬であった。降り注ぐ矢に当って、一人、また一人と倒れていった。

 みすぼらしい男も、左肩に矢を受けて倒れた。

「だからワシはタケを信じようと言っただに・・・」

 手を伸ばしムラ長へ助けを求めたが、長にもどうすることもできない。

 全滅を、覚悟した。


 敵の後方からにわかに喚き声が聞こえた。

 どんどんこちらまで伝播してくる。

 長は目を凝らした。

 ムネじゃ。

 長はつぶやいた。

 ムネは大男だ。敵兵の平均的な身長より頭ふたつ抜けているから遠くでも分かる。裏山から柵を乗り越えて突入してきたムネは、さかんにわめきながら手あたり次第敵兵を殴り倒していた。その左右ではクロとタクが斬りあいを演じていた。後方はロクを抱えたシンが守り、四人は怒涛の勢いで真っすぐ集会所に向かっている。

 入口にいたムラ人の一人が叫んだ。

「皆!ムネじゃ!ムネが来てくれた!」

 屋内に避難していた顔役が入口から顔を出し、確かめた。

「本当じゃ!ムネ、クロ、タク、シンの四人じゃ!おおい、みんな!助けがきたぞ!」

 屋内にいたムラ人たちの歓声が沸いた。

「よし、この機を逃がすな!我らも反撃じゃ!矢を放て!」

 長がそう叫ぶと、入口で守りを固めていた三十人の者たちが息を吹き返したかのように躍動し、盛んに矢を放ち始めた。

 背腹に敵を受け、ツヌガ兵たちは戸惑った。やがてムネたちの進路を避けるように左右に散らばった。


 その様子を旅の草は観察していた。

 チッ。たががムラ人程度にやられおって。

 そうつぶやくと、もうどうでもよくなった。元々、彼は流れの草だ。ツヌガ軍へ肩入れをする必要はない。このまま消えることも考えた。やがて追撃してくるはずのサルと一人でやりあっても面倒だ。

 よし、消えるか・・・

 そう思った時、ふとタケノヒコの事を考えた。

 ふむ。あの小僧だけでも討ち取れば、若様からご褒美を頂けるな。

 旅の草は、タケノヒコを過少評価していた。草の者は、草の者しか評価しない。ただの武人なら、その幻術でひねり潰す自信があった。

 手土産じゃ。

 そう思って、サルたちの気配がしない方から回り込んで、さっきの川原へ戻って行った。


 宿営地に戻ったスクナは、愕然とした。

 仮設した小屋の中で、トヨが横になったままうなされている。

 両側にいる姫もカエデもどうすればよいのかまるで見当もつかない様子で、トヨにすがりついて盛んに声をかけている。いつもなら、こんな時は必ず神懸かりとなって道を示す最後の希望であるはずのトヨが、意識不明でどうにもならない。今までこんな事はなかった。

 もののけ以来、トヨの様子はおかしかった。それがこの最悪のタイミングで最悪の様子となっている。

 スクナは、トヨにすがりついた。

「タケノヒコ様が大変じゃあ!大変じゃあ!トヨ様!」

 そう叫ぶのが精いっぱいであった。


 サルとキヨは、ムラでの大乱戦に戸惑った。

「何てことに・・・」

 まさか、一行がいないこのタイミングで、ここまでムラがやられているとは。わかっていたつもりだったが、想像以上にひどい有様だった。

「キヨ。あの草の者は後回しじゃ。今はムラを助けよう」

 キヨも真剣な眼差しでうなずいた。

 二人は集会所に忍び寄り、その周囲にいた敵を排除しようと試みた。

 目つぶしの灰をキヨがまき散らし、サルは石礫を投げつけた。新たな敵の出現に驚いたツヌガ兵は、我先にと逃げ出し、結果的にムネの道をひらいた。ようやくムネたち三人もムラ人たちと合流できた。「ムネ様、ムネ様」とムラ人たちはムネたちに取り縋って涙を流した。シンに連れられたロクはナツと抱き合って再会を喜んだ。


「よし、もうひと踏ん張りじゃ!兄上とトヨ殿がきっと助けに来る!」

 ムラ人たちは、ムネがタケを兄上と呼んでいることは知っていた。しかし、トヨについては聞いていなかった。

 顔役は不審に思って尋ねた。

「トヨとは、誰ぞ?」

 ムネはムッとした様子で怒鳴り上げた。

「トヨノ御子殿じゃあ!アナトノ国の御子殿じゃあ!」

 ムラ人たちは皆一様に「あ!」という表情をした。その神懸かりな力の噂はこのムラにも聞こえていた。

「あの女衆のお頭さまかえ?」

 ムラの女の一人が聞き返した。

「そうじゃ!あのお方がトヨ殿じゃ。神懸かりなお力で悪い奴らを吹き飛ばす!」

 ムラ人たちから歓声が上がった。

 そこへ、敵を追い払ったサルとキヨが合流してきた。

「何のさわぎだ?今は戦の最中だぞ」

 訝しむサルに、シンが事情を説明した。

「そうか。しかし敵はまだおる。今は向こうも様子見しているから、ムネ様を大将に、防備を固めよ」

「よし、兄上が来るまでワシが大将じゃ。皆、急ぎ矢の回収を!それから、この辺りを盾で囲め!」

 ムネの指示にムラ人たちは従った。今はムネやサルを信じるしか生き残る道はない。ムラ長は苦い顔をしていたが、もはや長に気兼ねする者はいなかった。


「タケノヒコ様が、一体どうなされたのです?」

 宿営地でカエデがスクナに聞いた。

「本卦還りなされた。昔の冷血なお姿だ。あんなお姿は、違うのだ・・・」

 カエデは胸を痛めた。そのような話を聞いた事はあった。

「大丈夫でしょうか」

 スクナはうつむいて呟いた。

「あんなお姿は、ワシはもう見とうない。違うのだ・・・」

 ジイは眉間にしわを寄せながら言った。

「そんなにひどいのか?」

 スクナはうなずいた。

「敵兵には、まるで遠慮がない。必ず息の根を止める・・・それは無残なものじゃった。血煙の向こうで笑っていなさった・・・」

 ふと気づいた姫が言った。

「私は、今こうして回復の呪文をトヨ様にかけている。カエデが改心の呪文をタケノヒコ様にかけてみてはどうか」

 スクナの表情が明るくなった。今は何でも試してみたいところだ。

「カエデ、良いか?敵中に乗り込むが」

 カエデは畏まって答えた。

「タケノヒコ様の御為なら」

「よし!では今から一緒に行こう。皆はトヨ様を頼む!」

 そう言い残すと、カエデの手をとってスクナは川原へ向かった。


 森の中では、ヤスニヒコが無残な敵兵の亡骸を見た。それもひとりふたりではない。若い者や年寄りのような亡骸があたり一面に散乱していた。

 ヤスニヒコは、涙が流れ落ちそうになった。どうあってもこのような殺戮を止めたい。

 そんな時、向こう岸の川原からヤスニヒコを呼ぶ声が聞こえた。見ると、スクナとカエデがいた。

「おおーい!ここだ!」

 ヤスニヒコの声に気づいた二人が川を越えてやってきた。

「トヨ殿はどうした?」

 ヤスニヒコの問いにスクナがかぶりを振った。

「そうか・・・」

 唯一の希望であったトヨが動けない。タケノヒコやムラ人たちのことを思うと、ヤスニヒコは目の前が暗くなった。ふと見ると、横にいたカエデが無残な亡骸を見て口を手で押さえ、涙を溢れさせていた。ヤスニヒコはカエデの後ろから腕を回して目を覆った。

「そなたは見ずともよい。しかしまた、何故ここへ?」

「カエデの改心の呪文なら、タケノヒコ様の心を取り戻せるのではと」

 スクナが答えると、ヤスニヒコは何やら考えていた。

 心を穏やかにさせると言う改心の呪文がどれほどの役に立つのか分からない。なのに武術の心得もないカエデをトヨ殿もいない危険な戦場に連れて行けるのか?それに、もし兄上が・・・

「だめだ。危険すぎる。カエデは帰れ」

 カエデは、ヤスニヒコの横顔を見つめた。

「私は参ります」

 ヤスニヒコはカエデの方を向いていない。中空を見つめている。

「戦場なのだぞ」

「戦場なら、今までもご一緒でございました」

「今までとは違う。兄上は今、そなたが知っている兄上ではない」

 カエデは、その両眼に溢れさせていた涙をぽろぽろと流し始めた。

「だから私は行きたいのです。私が必ずタケノヒコ様の心を取り戻します」

「だめだ。今度の戦場は兄上もトヨ殿もいない。あまりにも危険だ」

「お願いでございます。私も一緒に・・・」

 カエデはそう言って、へなへなと腰をおろし、両手で顔を覆って泣いた。しかしヤスニヒコは認めなかった。ここから宿営地までは敵もおらず安全だから帰るようにと厳しく言いつけて、ヤスニヒコとスクナはタケノヒコの後を追った。

 一人残されたカエデ。

 しかし彼女はあきらめていなかった。

 ヤスニヒコはカエデの事しか言わなかったが、もしタケノヒコの暴走が止められないなら、ヤスニヒコは刺し違えても止めるつもりなのだと、カエデには分かっていた。

 タケノヒコ様は、私が守りたい・・・

 カエデは、心の底からそう想った。


「よーし、もう一息じゃあ!」

 ムネの叫びにムラ人たちは呼応して気勢をあげた。

 ムネ、クロ、タクの三人は驚くほど強かった。サルとキヨは敵の指揮官クラスを次々と仕留め敵兵たちを混乱させた。物見台に上がったシンは、敵の様子を大声で報せ、効果的な指示を送った。集会所以外に逃げ隠れしていたムラ人達も合流して戦った。何より、タケノヒコ一行が戻ってきたという現実が敵兵たちの心を折った。そうして、ムラに侵入した敵を柵の外に追い出しつつあった。


「仕方ありませぬ。一旦引きましょう。罠が失敗だったという事。我々のせいではありませぬ」

 そう進言する将軍の言葉を受け入れ、カクはムラの外へ引くよう命令した。

「将軍。そなたの申される通りじゃ。責任は草の者どもじゃ」

 カクは、言い訳を見つけて安心した。これで粛清される恐れはないだろう。

「はい。若様にはそう申しましょう。それにムラの損害も大きく、本軍が来ればあっという間に決着がつくでしょう。それまでこちらも兵を休め、のんびりと包囲しておきましょう」

「うむ。そなたにお任せする」

 引き上げを命じる鐘が打ち鳴らされ、ツヌガ軍は我先にとムラの外へ出た。すかさずムネが楼門を閉じ、閂を応急処置した。そしてすぐさま楼門の上に登り、敵が離れた事を確かめるとムラの方に向き直って大声をあげた。

「我らの勝ちじゃあ!」

 ムラ人たちから鬨の声が上がり、攻防は一時膠着となった。


 生き延びた喜びでムラ人たちが湧く中、裏山に隠しておいたナナの亡骸をシンとサルが運び入れた。その笑顔でムラ中から愛されたナナの死は、ムラ人たちの心をうち、ナツは泣き崩れた。いきさつをロクから聞いたムラ人の一人がつぶやいた。

「ワシらが、あの時タケノヒコ様たちを追い出したから、ナナは許して欲しかったのじゃなあ・・・」

 辺りの嗚咽の声が大きくなった。

「しかし敵は何故こんな幼子を・・・」

 腕組みをして難しい顔をしていたサルが答えた。

「恐らく、我らがムラに加勢に来られないように敵が仕向けたのじゃ」

「むごい・・・」

 ナツの涙はとまらない。

「ばかめ。そんな事をしてもワシらは止められぬわい!」

 ムネが怒鳴ると、ムラ人たちの視線はムネに集まった。オオヤマトへの恨みはあるが、トヨノ御子もいるのなら、この一行だけは、別に考えても良いように思えてきたからだ。少なくとも今は彼らにすがる他、生き延びる道はない。

 手当てを受けたみすぼらしい男が言った。

「だからワシはタケを信じようと言っただに・・・」

 その言葉をかみしめて、ムラ人たちはタケノヒコ一行と心を合わせるつもりになっていった。


 ところどころに敵兵の亡骸が散乱しているので、ヤスニヒコは、タケノヒコの跡を追うことができた。

「それにしても酷い・・・」

 スクナが口を手で覆ってそうつぶやいた。

「そなたは昔、兄上とともに戦ったことがあるだろう?」

「はい。しかしあの時以上です」

「ふむ」

「思えば、ヒナと一緒の頃は、輝くような笑顔を見せておられました。しかしその後はご存じの通りで」

「暴れ神だな」

「いや、その・・・」

「隠さずとも良い。皆知っている事だ」

「はぁ」

「スクナにだけは言っておく。もしも兄上がこのような事を続けるならば、私は兄上を討つ。そのつもりでいてくれ」

 ヤスニヒコは、真っすぐな視線でそう言った。

 スクナはびっくりを通り越して驚愕した。

「もしもの場合は、後を頼む」

 スクナは答えようがなく黙り込んでしまった。

 やがて、二~三十人もの亡骸をたどって行ったところで、タケノヒコらしい人影を見つけた。既に日は傾き、森の木々が長い影を落としていた。遠く西方に暮れゆく夕日を浴びて輝く姿のその手には、たった今斬り落としたかのような敵兵の首のもとどりを握りしめていた。どこを見るわけでもなく、タケノヒコは遠くを見つめながら直立していた。

「兄上!」

 ヤスニヒコが声をかけると、タケノヒコが振り返った。

 その目は、氷のように冷たかった。全身に返り血を浴びていて、スクナはゾッとした。

 タケノヒコは、首をその辺に無造作に放りなげ、どかっと座り込み、うなだれながらつぶやいていた。

「ヒナ、仇をとったぞ・・・」

 ナナとヒナの区別もついていない。タケノヒコの様子は深刻で、ヤスニヒコは覚悟せねばならぬと思い始めた時だった。


「ほう。物見の者達全てを討ち取ったというのか」


 旅の草がそう言いながら木の上から飛び降りて真っすぐに攻撃してきた。

 タケノヒコの反応は速かった。

 素早く立ち上がり、剣を握ると下段に構え、その剣は蒼白い光を放ち始めた。


 なんじゃ。こいつは。


 旅の草は、タケノヒコの剣撃を受けて弾き飛ばされた。

 ただの武人と思っていたが、何やら幻術をも使うようだ。

 そう思って、飛びのいた旅の草は、離れたところで様子を窺った。しかし、タケノヒコは踏み込んでくる。大上段から振り下ろされた剣を、剣で受けるのが精いっぱいだった。激しい打ち合いを何度か交わし、命からがらやっと飛びのくことができた。

 ふむ。こいつは確かになかなか手強い。ならば・・・

 旅の草はタケノヒコの間合いに一歩踏み込んで、妖しい煙を撒いた。それはタケノヒコを覆うように浮遊した。


 タケノヒコさま。

 今日はヒナが薬草をとりにいってまいります。

 はずれの森にはいい薬草がいっぱいです。

 帰りを、待っていてくださいね。


 幼き日、病床に臥す自分がいた。

 あの日、ヒナはそう言って笑顔を見せて出かけて行った。


 だめだ、ヒナ、いくな・・・いくな・・・


「ヒナー!」

 タケノヒコは全身を伸ばして叫んだ。その左手は中空をつかもうとしていた。

 取り戻す事のできない遠い日の出来事を、その手につかもうとしているように。


「スクナ、兄上がおかしい。あの草に何かやられたようだ。ひとまず我々であの草を倒すぞ!」

「承知!」


 再びタケノヒコを襲う旅の草へ、ヤスニヒコとスクナが斬りかかった。

 チッ。

 舌打ちしながら旅の草は飛びのいた。

「余計な者たちだが、まあいい。手土産だ」

「やかましい!人の心を弄ぶなど、絶対許さねぇ!おまえは俺が斃す!」

「威勢だけはいいようだな」

 木々を飛び移り、上空から襲ってくる旅の草に向けて、ヤスニヒコはその剣を下段に構えた。すると、ヤスニヒコの剣も蒼白い光をわずかながら放った。

 ほう。こいつも幻術使いか。

 そう思ったが、躊躇なく旅の草は襲い掛かった。

 ガキン

 激しい金属音とともに旅の草は飛びのいた。すかさずスクナが斬りこむ。かわす旅の草。するとその先にヤスニヒコが居て、上段から斬りかかる。激しい戦いとなった。


 チッ。面倒だ。やはりさっきの奴だけ倒して引き揚げるか・・・

 旅の草はそう思ってタケノヒコを見ると、意識を失って倒れているタケノヒコをカエデが大岩の陰に運び込もうとしていた。

「カエデ!」

 ヤスニヒコが叫んだ。カエデは無心にタケノヒコを助けようとしていた。

「スクナ、カエデを助けよ!」

「承知!」

 旅の草はカエデに斬りかかった。カエデはタケノヒコを庇うように覆いかぶさった。その剣をスクナの剣が払い、ヤスニヒコが襲い掛かった。一歩飛びのく旅の草。すかさずスクナとカエデは大岩の陰へタケノヒコを運び入れた。旅の草はヤスニヒコに追い詰められた。

「小僧、そなたの名は?」

「ヤスニヒコだ。オオヤマトのヤスニヒコ」

「知らんなあ。しかし、さっきの奴はタケノヒコであろう?」

「だから何だ!」

 旅の草は首をコキコキと鳴らしながら、不気味な笑みを浮かべて言った。

「そなたも良い腕であった。ほめてやろう。実はそなたの名も知っている。土産はその首でもよかろう」

 そう言って旅の草はヤスニヒコへ一気に詰め寄り剣を振り上げた。

 しまった。速すぎる。

 ヤスニヒコはそう思った。

 この剣はかわせない。

 ヤスニヒコは、目を見開いた。

「ヤスニヒコ様ぁー!」

 スクナとカエデが同時に叫んだ。

 だめだ。やられる。

 三人とも、そう思った。


 立ち尽くすスクナとカエデ。

 二人の間を、空間を震わせる蒼白い衝撃波が真っすぐ旅の草へ向かって行った。


 何?


 旅の草は横目でその光を見た。

 そして、その体は真っ二つに切り裂かれた。


 カエデが振り返ると、渾身の一撃を放ったタケノヒコが崩れ落ちた。慌てて抱きとめるカエデ。

 タケノヒコは満足そうな笑みを浮かべて、ひと粒の涙がその頬を伝っていった。

「タケノヒコ様、タケノヒコ様」

 必死で呼び続けるカエデ。ふと、タケノヒコが目を覚ました。

「ああ、カエデか・・・。すまぬ。またやっかいになりそうだ・・・」

 タケノヒコは優しい目でそう言うと、カエデの膝枕で意識を失った。

 タケノヒコ様は、心を取り戻された。

 そう思い、カエデは嬉し涙を拭いながらタケノヒコを介抱した。



第八章 ナナのムラ


 タケノヒコが旅の草を討ち取った頃。

 沈みゆく夕日を浴びて輝く、もう一人の男がいた。

 ツヌガノ国の王子で、皆が若様と呼ぶ男である。


 年老いた父である国王の命令により今回の戦争は起こった。若様は最後まで反対していた。そのため、なかなか本軍は出てこなかった。

 無駄に、民を苦しめることもなかろう。

 と言うのが、若様の想いであった。しかしテイの言葉を鵜呑みにして二ノ国攻略を急ぐ国王は再三再四、若様に出陣をせまっていた。そこに大川のムラでの敗報が届いた。国王は激怒し、直ちに発てとの厳命が下った。そこで本軍は出陣したのだが、この時、若様は積極的に自ら出陣したような恰好であった。ムラの援軍にタケノヒコ一行がやって来たらしいという旅の草の報告があったからだ。

 面白い。

 若様はそう思った。

 戦争などどうでもよかったが、そこにタケノヒコ、トヨがいる。古くは竜山合戦、最近ではイズツ大戦やチクシ大戦があり、その詳細は物見の者から報告を受けていた。そしてトヨノ御子もいるのだ。

 つわものたちと手合わせしてみたい。

 そう言う、いわば子供じみた想いが若様の原動力となっていた。


 夕日の頃、大川のムラを包囲し、あと一押しで攻略できるという報告が若様へ届いた。

 若様は意外な気がした。

 タケノヒコ一行がそこにいて、そんな簡単に攻略できたのか?

 報告者は、罠をかけてタケノヒコ一行を二分した事、現在タケノヒコは行方が分からない事を報告した。

「ほう」

 そう言ったのは、若様と轡を並べるテイだった。

「若様。ならば本軍の半分を先行させ、夜襲をかけて一気に殲滅すべきです」

 テイはそう言った。

 それもよかろうと、若様は思った。その程度で殲滅できる男なら若様にも興味がない。それをはねのける力を持つ男なら斃し甲斐がある。とにかく、若様の眼中にはタケノヒコしかなかった。若様は振り返って、猛将とされるニホ将軍を呼びつけた。

「よいか、そなたは今より先遣隊の大将となってムラへ急行せよ。そのままムラを踏みつぶせ。兵は五番隊までの五百を与える」

 ニホは跪いて拝命し、ただちに五番隊までを率いて先発した。

 さぁ。どうなるか。

 若様の心は浮き立った。


 月夜の森の中。

 けものの声も聞こえず、焚火のバチバチという音が響いていた。

 カエデは湧き水でタケノヒコの身体を清め、優しく介抱していた。ひと時の幸せをかみしめて。

 ぴくっとタケノヒコの眉が動き、その眼が開いた。

「ああ、カエデか。そなたにはいつも迷惑をかけているようだ」

 タケノヒコがそう言うと、カエデは手で口を覆ってタケノヒコを見つめた。

「敵は?草の者たちは?」

 タケノヒコは半身を起こし、カエデが支えた。側で焚火をしていたヤスニヒコとスクナもその様子に気づいた。

「兄上、お気づきで」

 スクナは涙をたたえて言った。

「よかった。あの冷気が消えておられる・・・」

「冷気?何の事だ?」

「覚えておられませぬか・・・」

「スクナ、まぁ良いではないか。それより兄上、お体は?」

「体?ああ、もう大丈夫のようだが」

「よろしゅうございました。タケノヒコ様」

 後ろでタケノヒコを支えるカエデが取り縋って涙を流した。

「どうした?カエデ」

「いつものタケノヒコ様でございます。ほんによろしゅうございました」

 タケノヒコは何があったのか覚えていない。周りを見渡しぼんやりとしている。

「それはそうと兄上、大川のムラが襲われている様子。助けに行こうと思いますが」

「ムラが?誰か加勢に向かったのか?」

「ムネ殿、クロ、タク、シンの四人が向かいました。恐らくサルとキヨも一緒でしょう」

「トヨ殿は?」

「体調が優れぬようで、宿営地で臥せっておられます」

「何?トヨ殿が?」

「はい。しかしゼムイ殿、ジイ殿、姫が一緒です。心配ありません」

「そうか。わかった。ならば我々はムラへ向かおう」

「兄上、腹は?さっき仕留めたうさぎが焼けたところです」

 タケノヒコ相好をくずした。

「そうだな。先ずは腹ごしらえだな」


 ムラの物見台の上にはシンとキヨが警戒にあたっていた。

 月と星が輝き、風が冷たい夜。ふたりは莚にくるまって体を寄せ合いながら寒さをしのいでいた。お互いに照れがあり、しばらくの間、無言のままであった。

 先に口を開いたのはシンだった。

「キヨには、迷惑をかけるなぁ・・・」

 思いがけない言葉に、キヨはきょとんとしてシンを見つめた。

「我々と出会ったばかりに、こんな目に・・・。そなたはどこかでいい男でも見つけて幸せに暮らせたものを」

 キヨはムッとした。その話を蒸し返されても。

「いい男はいなかったのか?」

 シンなりにキヨを想い、その辺りを聞いておきたかった。その心はキヨにも分かった。それで、ちょっとからかってやろうと思った。

「いましたよ・・・」

 シンの心にさざ波が立った。遠くを見つめるキヨに振り向いた。

「もう何年になるか思い出せません。その人は、はるか東の国へ旅立っていきました」

「何故?」

「ムラ長の言いつけです。東国でつくられた見事な漆器を見た長が、その作り方を習って来いって」

「漆の器か・・・。確かに見事な物だな」

「はい。私のムラは山の中で作物も少なく、漆器で暮らしを豊かにしたいと」

「それで、そのまま帰ってこなかったのか?」

「はい。ムラからは三人が出かけていきましたが、誰も・・・」

 それで、今でもその男を待っているのか、シンはそこが気になった。しかしキヨは遠くを見つめたまま何も言わない。

「それより、シンはどうなの?」

 急に振り向き、キヨが尋ねた。

「いや、ワイは奴隷だったからなぁ・・・」

「その話はスクナ様から聞きましたよ。お手打ちされようとしたところをタケノヒコ様に助けていただいたのでしょう?」

 シンは笑顔を見せて話した。

「ああ。トヨ様、ヤスニヒコ様も庇ってくだされた。それから、皆さまのために懸命に働いた」

 キヨはシンの横顔を見つめた。自分は、そんな真っすぐなシンが好きなのだ。そう言いかかって、言葉を呑み込んだ。

「それよりも、キヨ・・・」

 シンがそう言いかけた時、キヨは急に真剣な表情をして楼門の向こうや森の方を見渡した。

「何?どうした?」

 キヨは人指し指を口に当て、小声で言った。

「敵です。私は急ぎムネ様に。シンは戦いの準備を」

 素早く物見台を飛び降りて、キヨはムネがいる宿舎に駆けて行った。

 キヨの急報を受け、ムネは直ちに指示した。クロとタクが楼門や番所に知らせ、キヨはそのまま集会所へ走った。サルは敵の様子を探るため、ムラの外で出て行った。

 思ったより手強いのう・・・

 ムネはそう思いながら楼門へ向かった。まさか今夜また攻めてくるなど思ってもいなかった。油断と言えば確かにそうだった。


 敵は静かにムラへ迫っていた。

 その様子を木から木へと飛び移り、サルは観察した。

 これは・・・

 さすがのサルも絶望の思いが渦巻いた。

 息を殺して進むなど、練度の高い兵にしかできない。それに数が増えている。少なくとも七百。タケノヒコもヤスニヒコもトヨもいない戦場でまともに戦えるのか?サルは急いで報告へ帰った。


 楼門には、既に戦闘準備を終えたムラ人とムネがいた。サルは見たままを報告した。さすがのムネも、驚きを隠せなかった。

 せめて兄上がいてくだされば・・・

 ムネの正直な感想だった。タケノヒコさえいればどんな敵にも負ける気がしない。しかし今は・・・。今は自分が大将なのだと言い聞かせた。弱音を吐いてはならぬ。ムネは覚悟を決めた。

 眦を決して、ムネは指示した。

「よいか、敵を十分に引き付けてから矢を放て。最初の一撃がその後を左右する。よいか、敵はまだ我々が気づいているなど思っておらぬ。出バナをくじくのじゃ。サルとキヨは急ぎそのように各番所へ知らせい」


 ニホは、ムラの様子が見えるところまで前進してきた。カクは後方から指揮するが、猛将のニホは必ず最前線にいる。

「まだ、ムラは気づいておらぬようじゃな」

 ムラの静かな佇まいに、ニホはそう言った。側にいた副官もうなずいて言った。

「ムラ人たちもまさか立て続けに夜襲があるなど思いますまい。昼間の疲れで眠りこけておる様子」

「では、このまま静かに進み、柵を乗り越えよ。先に乗り込んだ者達が楼門を開け。囲いを突破すれば容易に勝てる。眠っている者達を襲うのは忍びないが、これは戦じゃ。若様の御為、我々は勝たねばならぬ」

 ニホは初老の男で分別もある。猛将と言われているが、無理やりな力攻めで双方の被害を大きくせずに済むと思える戦術をとった。


 ニホの指示を受けてツヌガ兵たちは静かにムラへ進んだ。

 そして、柵の中が見えそうなところまで進出した時、ムネが叫んだ。

「皆!かかれっ!勝利は今、この時ぞ!」

 ムラ人たちも呼応した。

 物見台ではシンが鐘を打ち鳴らした。

 それまで物音ひとつしなかったムラから、いきなり大地を震わすような大音声があがり、ツヌガ兵たちは驚き、戸惑った。そして雨のように矢が降り注ぐ。

 戦い慣れている。うかつじゃった。

 そう思ったのはニホだった。しかし、こうなった以上仕方ない。

「力攻めじゃあ!勇敢なツヌガの兵たちよ!柵を越えよ!楼門を打ち破れ!敵は百人!我々は勝てる!進め!」

 ニホが大音声で命令すると、ツヌガ兵たちは我に返って戦い始めた。

 柵を挟んでの大乱戦となった。

 タケノヒコの指示で大量に作っていた長い竹やりが意外と役に立った。敵は短い矛しか持っていない。ムラ人たちはリーチの差を活かして次々と敵兵を突き倒していた。ムネも柵の外には出ず、竹やりで戦った。物見台の上からは長弓を構えた者たちが外の敵兵を射抜き、形勢はムラに有利であった。

 しかし、半刻も経った頃。

 ツヌガ兵は、疲れたら後方に下がり、新たな兵が前線に出た。ムラ人たちは戦い詰めで疲れが見え始め、矢も尽きていた。ムラ人の動きが緩慢になった事を見計らって、ニホは楼門の突破を命じた。多くのツヌガ兵が楼門に殺到し、門を挟んでの押し合いとなった。ムラ人たちが楼門に集まってくると、今度は柵の守りが手薄になる。その隙をニホは突いた。大勢の兵が手薄になった一点に体当たりして、その柵を押しつぶそうとした。

 しまった。破られる。

 ムネはそう思ったが、自身は楼門を体ごと押さえているため動けない。ロクもクロもサルもそれぞれの持ち場にいる。七百もの敵になだれ込まれたら、もう勝ち目はない。

「ものども!楼門を死ぬ気で守れっ!」

 ムネは楼門を集まってきたムラ人たちに任せ、自身は破られそうな柵へ向かった。しかしムネが到着する直前、ムネの目の前で柵は破られた。大勢の敵がなだれ込んだ。手あたり次第にムネは殴り倒したが、次から次に入ってくる。やがて、左肩、右脇の傷を負い、右足に矛が刺さった時、ムネは崩れた。殺到する敵兵。よってたかってムネを打ち据え、矛で突いてくる。まさに袋叩きであった。

 ここで死ぬのか?

 いや。兄上が来るまでは・・・

 必ず、必ず、ワシがムラを守る!

 ムネは最後の力を振り絞り、周りの兵を追い払うと、指揮官クラスの敵兵を殴り倒した。そして彼が持っていた上等な矛を奪い、大振りに二回三回と振り回し次々と敵兵を薙ぎ倒した。

「ワシは、ムラを兄上から任されたんじゃあ!兄上のため、絶対負けぬ!」

 ムネの魂の咆哮だった。

 一瞬、敵兵たちはひるんだが、それでも次々とムネに襲い掛かっている。

「ほう、面白い男がおるな」

 ニホは隣の副官に言った。

「あの大男でございますな。兄上とはタケノヒコの事でしょうか?」

「先ず、まちがいあるまい」

「ならば、あれがヤスニヒコで?」

「いや、違うだろうな。あれは恐らくチクシ大島の者だ」

「はぁ」

「義兄弟となった大男がいると報告があった。きっとそれじゃろう」

「それにしても、実の兄ではないタケノヒコのために、あんなに戦えるものでしょうか」

「あの男の心映えじゃな。良き男じゃ」

「まことに」

「平時なら酒でも酌み交わしたいところじゃが、今は戦じゃ。情けは無用。どんどん兵を送りこめ」

「承知」


 副官が後方で待機していた者たちを突撃させようとした時。

 この世のものとは思えない蒼白い閃光が走った。

 続けて襲ってきた衝撃波が副官とその周辺にいた兵たちをなぎ倒した。


 ニホはぎりぎりで持ちこたえた。

 その光が来た方向を見ると、男が三人、女が二人、悠々と川を渡ってきている。

 ムネも、その光を見た。周辺の者たちは腰を抜かしているし、戦場全体があまりの出来事に様子を見ていた。

 川を渡る男のうち一人が立ち止まって名乗りを上げた。


「我が名はタケノヒコ!義によって大川のムラへ加勢する!」


 ムネもムラ人も歓声を上げた。

 ナツもロクもその声を確かに聴いて、涙が溢れてきた。

 ナナ。タケが帰ってきたよ。

 ロクは手を合わせてナナに祈った。


 タケノヒコとヤスニヒコ、スクナは素早く敵将ニホへ攻め寄せた。

 キヨは蒼白い光の連続弾で敵兵を押しのけ、壊れた柵からカエデをムラへ引き入れた。


 何じゃ?あの幻術は?


 ニホは困惑した。様々な草から多くの幻術を見せられてきたが、あれほどの威力を持つものはなかった。それにタケノヒコは真っすぐ自分の方に向かっていている。何故大将たる自分がここにいると分かったのか。


 ムネは感涙した。タケノヒコが来てくれた。ただそれだけで勇気百倍の自分がいる。

「どうした!ムネ!そなたも来い!ここに敵の大将がいる!」

 タケノヒコの呼び声に、ムネの血は煮えたぎった。あちこちの傷の痛みも消え失せた。

 ワシは、やはり兄上とともに戦いたい。

 心の底からそう思った。

「ムネ様、早く!ここは私が!」

「おう、キヨ頼むぞ」

 ムネは全力で矛を振り回し、敵を追い払いながら進んだ。その様子に、タクもクロもたまらず柵を乗り越えてタケノヒコの元へ向かおうとした。その三人の気迫にツヌガ兵たちは逃げ惑った。周辺部をムネたち三人が、主要部をタケノヒコたち三人が圧倒的な強さで敵兵たちを打ち倒し、ムラに残った敵兵はムラ人たちに追い込まれ、楼門に登ったキヨは、光の連続弾を放って威嚇した。


 形勢は逆転した。


「ニホ様。あの不思議な幻術に我が兵たちが怯えております。ここは一旦引いて若様をお待ちするべきかと」

 副官の言葉に、ニホは同意した。彼は戦いの呼吸と言うものを熟知していた。

「よし、のき鐘を鳴らせ!一旦カク殿のところまで転進じゃあ!」

 ツヌガ兵たちは、引き揚げて行った。

 姿が見えなくなると、タケノヒコら六人は踵を返した。

 遠くに見えるムラからは、ムラ人たちの歓声がとどまることなく湧き上がっていた。


 敗報は、アヤベノムラに進出していた若様の元へ届いた。

「何!?たった六人で七百の兵を押し返した、と?」

 若様は椅子の上から思わず身を乗り出した。周囲の将軍たちも驚きの声をあげた。

「はっ。カク様によりますと、タケノヒコ一行を甘く見たニホ殿の責任であると」

「で?どのような戦ぶりであったのか?」

「一時は柵を突破して我が方に勢いがありましたが、川の向こうからタケノヒコが現れ、蒼白い光の幻術で我が兵たちを薙ぎ払いましてございます」

「幻術とな・・・」

「その後は、まさに暴れ神のごとく本陣まで押し寄せまして・・・」

 タケノヒコ。底の知れぬ男じゃ・・・

 若様の拳は震えていた。

 しかし・・・。

 若様は握りこぶしに力を込め、やがてふっと力を抜いた。

 おもしろい。そうでなくてはならぬ。

 そう思ってわずかに笑みを漏らした。

 若様の真意を測りかねて将軍たちはざわめいた。

「足速の者、報告ご苦労!さがってよし!」

 将軍の一人が命令すると報告者は下がった。その姿が見えなくなると、将軍たちのざわめきが大きくなった。

「若様、いかがいたしましょう。なまなかな敵ではない様子」

「おう。カク殿が苦戦されたのも道理」

「なに、我ら五百が合流すれば千二百。問題なかろう」

 将軍達がそれぞれ思った事を口にする中、若様は目をつぶって静かに聞いていた。

 若様は、北方の大国エツノ国との国境争いで戦いの経験を積んだ猛者だ。しかしそれでもこの様な戦いは記憶にない。遊びに出かける子供のように浮き立つ心を抑えつつ、ゆっくりと目を開け、命令を申し渡した。

「変更はない。明日の朝ここを発ち、大川のムラを攻めつぶす」


「ささ、タケノヒコ様。もっと火の近くへおいでませ」

 ムラの中年女がタケノヒコに勧めた。

「しかし、真夜中に川を渡るなどワシらでもおっかなくてできねぇな」

 ムラの老人がそう言って笑った。

 戦いの後、集会所に入ったタケノヒコらの周りに人が集まっていた。

「しかし、やはり皆さまはお強い」「これでツヌガも諦めてくれれば良いが」

 皆、思うことを口にして和やかな雰囲気だった。

「そう言えば、サル殿はどうなされておったのかの」

 サルはムッとした。ムネたちの華やかな戦いぶりを褒めるばかりで、誰もサルの事など語らなかった。というより見ていないから語れない。

「ワシは一人で裏山に回り込んだ敵と戦っておったのじゃ。守りが誰もいなかったからのう。いわば影の軍功第一じゃ」

「おう。そうじゃ。ワシが裏山へゆけと命じた。裏山が破られなかったのはサルのおかげじゃ」

 ムネがそう褒めると、サルの表情が緩んだ。サルは褒められると喜ぶ性質であった。木に登るほどの。

「そうじゃったか。ワシはてっきり逃げ隠れしておったと思とった」

 サルは怒った。

「やかましい!おまえら、とっとと寝てしまえ!明日はもっと厳しい戦いになるぞ!」

 ムラ人たちの膨らんだ気分が急にしぼんだ。まだまだ戦は続くのだ。その現実に気づかされ、場の空気は重くなった。

「柵の修理が終わりました!」

 キヨが明るい声で戻ってきたのは、そんなどんよりとした時だった。

「あはっ。みなさん、大丈夫ですよ。戦は明日も続きますけど」

 だから、それが・・・

 キヨの言葉にムラ人たちはいよいよ落ち込んだ。

「柵の修理も終わったし、弓矢もたくさん回収したし、敵の武具だってたくさん拾ってきましたから」

 キヨの話を聞いていたヤスニヒコは、振り返ってタケノヒコに聞いた。

「どうでしょうね、兄上。敵は本軍が合流したようですが」

「うむ。思ったより早いな」

「それに、トヨ殿も心配です」

 ムネが口を挟んでからかった。

「ヤスニヒコはトヨ殿ではなく、姫が心配なんじゃろう?」

 サルがくすっと笑い、ヤスニヒコも笑顔を見せて言った。

「ああ。そうだな」

「なに、あのトヨ殿じゃ。姫もゼムイもジイもおる。ジイなどは残りの酒を独り占めして今頃高いびきじゃ」

 ムネの心は今、晴れ晴れとしていた。珍しい軽口だった。

「そうだな。トヨ殿は心配あるまい。それより明日の戦いだな。私は明日この辺りに風が吹くと思う」

「は?風ですか?兄上」

「うむ。それは西から東の風だ。東は川向うに森がある」

 ヤスニヒコにはいよいよ分からない。

「恐らく敵はあの森に多くの兵を潜ませて、いよいよの時に川を渡って攻め寄せるはず。その足を止めねばならぬ」

「で?どうなさいます?」

「ムラの残りの油をかき集めて、サルとキヨが森を焼き払う」

 ヤスニヒコは驚いた。数日前に雨が降ったばかりだし、そもそもそんなにうまく火は着かない。まして森を焼き払うなど。

「できるな?サル」

 サルはニヤリと笑った。

「できまする」

「できなければ我々は勝てない」

 熟練の敵兵一千対ムラ人百。確かに何か思い切った手を打たなければならない。しかしムラの貴重な森に火を放つなど、果たして許してもらえるのか。

「大丈夫だ。さっきムラ長には話した」

「長は何と?」

「生きるためなら仕方ないと同意してくれた」

「生きるためか・・・」

 ヤスニヒコは嘆息を漏らした。


 もう誰も死なせない。ナナのムラは、私が必ず守る。

 そうつぶやくタケノヒコの膝枕で、いつかのナナのようにロクが寝息をたてていた。


完読御礼!

次回は最終部分になります。

ご期待ください!

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