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もののけ討伐記 第二章

いつもお読みくださいまして、ありがとうございます!

「大きな存在」は別格として、「邪悪で暗黒の存在」「もののけ」「使い魔」など、今回は不思議世界の住人が総出演です。

お楽しみください!

第二章 暗黒


 サルが目覚めたという報せがタケノヒコに届いた。側にいたヤスニヒコは喜び、真っ先に部屋を飛び出し、サルのところへ向かった。

 サルは、気がついたとは言ってもまだ起き上がれず、ひどい脂汗をかき、顔色も冴えない。

「サル、気がついたか」

 そう言ってやって来たヤスニヒコを認めると、「はい」と答えるのが精一杯だった。

 そこへ姫もやって来て、手をかざし、回復の呪文を試みた。しかし、どうしても苦しそうで、なかなか楽にはならないようだった。その頃には側にタケノヒコもトヨもいて、その様子を見守っていた。姫の懸命な手当ての間、トヨは中空を見つめ、何かをそらんじているかのようだ。しばらくその様な状況が続き、トヨはやがて穏やかに言った。

「もうよい。わかった」

 皆、何がわかったのだろうと、トヨを見つめた。

 さらに、トヨが言う。

「サルの心には、一点の曇りがある。そこをもののけに衝かれたのだ。そしてまだ、その曇りは晴れてはおらぬ。それがわずかながら未だもののけと繋がっておる」

 シンが驚きつつ聞き返した。

「して、それはどのような」

「まあ、うらみだ」

「まさか、サル殿に限って」

 トヨはサルを見つめ、強く言い聞かせた。

「恨みを捨てよ。そなたの父母、兄弟も、恨みなど望んではおらぬ」

 サルは目を見開いた。そして、大粒の涙を流した。

 今度は優しく言い聞かせた。

「そなたの父が言うておる。正しき道を行けとな」

 サルは小刻みに震えだした。

「そなたの母が言うておる。そなたが健やかなること、母の望みだとな」

 サルの震えは、半ば嗚咽の声に変わってきた。

「サルよ、恨みの心を追い出せ、もののけと縁を切れ。そう思う心を強くせよ」

 サルは、震えながら、泣きながら、うん、うん、とうなずいた。

「カエデ、改心の呪文を」

「あ、はい。トヨ様」

「キヨ、破邪の呪文を」

「あ、わかりました。いいですよ」

 二人は言われるまま呪文を唱え始めた。不思議なことに全く別の呪文であるのに、みごとなハーモニーを奏でた。

 しばらくそうしていると、サルの苦悩はいよいよ深くなり、脂汗をかきながら身もだえしていた。

「サル、しっかりせよ。心やすらかなクニをつくろうという約束を私は忘れてはおらぬぞ。そなたにも手伝ってもらわねば困る」

 ヤスニヒコは、サルの手をとってそう言った。

 サルは苦しみながら、何度もうなずいた。

 やがて、サルは気を失った。

 カエデが、困惑したような表情で、トヨに聞いた。

「これで良かったのでしょうか」

 かむりを振りながらトヨが答えた。

「わからぬ。一度巣くった悪霊はなかなか抜けぬ。しかし、しばらくは大丈夫であろう」


 サルが再び目を覚ましたのは二日後であった。この時は意識がはっきりとしていて、トヨの言う通り大丈夫のように思われた。サルと一緒に討ち倒された他の二人の男たちは既に回復していて、今ではすっかり一味の者とうちとけていた。彼らのムラも襲われ、気がつけばタケノヒコたちに介抱されていたと言い、普段から特に恨みを抱かず暮らしていた普通のムラ人であったため、サルのように特別恐ろしいもののけに憑りつかれた訳ではなく回復も早かった。二人ともムラへ様子を見に帰りたいと言うが、トヨは許さなかった。

 トヨには、見えていた。

 この二人のムラは、イズツの都のはるか向こうの山中にあり、そこにもののけの大将がいる。それに、二人はつい最近のことのように話すが、それは既に十年も前の出来事であった。今さら帰っても、何もできないだけでなく、命すら危うい。とにかく今は我らとともにあれ。いずれ帰郷できるであろうと諭した。


 それからしばらくの後、トヨは今後のことを皆に相談することに決めた。

 一味の者から死人が出るかも知れないから、心づもりさせるためというより、覚悟のほどを今一度確かめたかった。もし抜ける者が出ても、それは許すつもりでいた。

 トヨから真相を聞かされると、戦勝気分だった皆の勢いが急速にしぼんでいった。誰の顔にも苦悩の色が見えた。

 一座の沈黙を押し破って最初に発言したのは意外にもカエデだった。

「タケノヒコ様は、どのようにお考えでしょうか?」

 タケノヒコに迷いの様子は見られなかった。

「私は、ゆく。他に道はない」

 タクマノ姫が言った。

「ヤスニヒコは?」

「私は・・・」

「私は?どうするのだ?」

 ヤスニヒコは笑顔を見せておどけて言った。

「ちょっと、怖いな」

 何人かが笑い、重苦しかった空気がやや和んだ。

「でもな、出立前から何度も悩んだことではないか。今さら退くことはない。もし私が斃れても、生き残った者が新しき世をつくりあげてくれると信じている。オノホコ殿もヨナもおるしな。その礎になるなら本望だ」

「そうか」

 そう言う姫にジイが聞いた。

「姫様は?」

「私は、ヤスニヒコと一緒だ。ヤスニヒコが死ぬなら私も死ぬ」

「また縁起でもないことを」

 トヨが一同に言い渡した。

「ともかく、そういう次第であるから、行かない者は抜けてもかまわぬ。出立までにおのおの良く考えよ」

 トヨの言うことを疑う者はいない。それだけに今回の話は深刻であった。

 ナノ国を立つ時も皆で思い悩んだものだが、一度実戦を経て、それでもなお先行きは暗いとなると、なまじ経験がある分、より重いものとして皆の心を押し潰していた。

そんな中、キヨだけが相変わらずの明るさで、破邪の矢をつくったり、皆の食事の支度を整えたりと、忙しさにきりきり舞いであった。シンはその様子を見て不思議に思い、どうしてそのように振る舞えるのか、その訳を聞いた。

「私にはもう、親兄弟がおりませんから」

 キヨはそう答えた。

「しかし、そなたは生きておる。無理をせずともよいのではないか?」

「無理?」

「そうだ」

「無理ではありませんよ。こうしていると楽しいし、もし死んでも親兄弟のもとへ行けるのですから」

 そのようなこと、言うべきではない。

 シンは口には出さなかったが、軽々しく死ぬなどと考えて欲しくなかった。ほのかな恋心をキヨに抱いていた。


 ムネ、クロ、タクの三人はカエデに改心の呪文を習っていた。前衛軍にあって戦う時、少しでも敵を弱体化させるためであった。中でも、タクはその素質があるようで上達が早かった。


 サルの体調も戻り、いよいよ明日出立しようという日。

 その晩は、風が強かった。

 ごうごうと音をたて、周りの木々を激しく揺らした。

 妙な胸騒ぎがして、サルはなかなか寝付けずにいた。

 見張りは、ゼムイとクロとセイが交代で務めているから大丈夫だと言い聞かせてみたものの、やはり息苦しくてどうにもならない。そうしてどれくらいの時が経ったのであろう。夢現の境目で、サルは聞き覚えのある、あの低く響くような声を聞いた。

「そなたは、抜けるのか」

 聞いた。というのは正確ではない。なぜなら、その声は直接頭の中に響いているからだ。

「それがそなたの望みなら、それで良い・・・だたし・・・」

 ハタと、サルは眼を覚ました。

 さっと半身を起こし、辺りを見回した。

 特に変わった様子もなく、傍らでシンが寝息を立てていた。

 ふと額に手を当てると、おびただしい脂汗をかいていた。

 それはとてつもなく大きなものと出会った時の、あの威圧感のようでいて、しかしながら何物も包んでしまうような、あの不思議な力の記憶を蘇らせるには十分な出来事だった。サルが思うにあれは善であり、また邪でもあった。静でもあり、躁でもあり、ただひたすらに大きな存在がそこにあったのだ。

「あれが、敵?」

 そう考えてみた。しかし、いや違うとたちどころに打ち消す心の働きもあった。その迷いの深淵の中で、サルは虜になっていたのだ。

 あれを打ち倒すなどできようか。例え御子様でも。

 そのことを皆に伝えるかどうか悩んでいるうちにサルは深い眠りに落ちていった。


 翌朝。

 晴れではあるが、ところどころに動きの速い雲があり、太陽が目まぐるしく出たり隠れたりしていた。

 朝餉を終え、皆思い思いに身づくろいをしていた。

 脱落者はいなかった。皆、心をひとつにして戦いに臨む覚悟のようである。


「では、ゆくぞ」

 タケノヒコの掛け声とともに皆立ち上がり出発した。明るい声で冗談を言うものもあり、悲壮感などどこにも見当たらない中、サルの心の中だけは鉛のように重かった。いや、正確に言うともう一人、トヨもその外見振る舞いとは裏腹に重い心をひきずっていた。


 渓流沿いに、あるいは尾根づたいに、一行は黙々と歩いていた。

 うっそうとした森にさしかかり、陽が陰ると辺りはいよいよ暗くなる。しかし、心地良い風が吹きわたるため、タケノヒコは小休止を命じた。そこに至る道中で、サルは「やはり御子様にはお知らせしよう」と決意を固めていた。

 皆が思い思いの場所に腰をおろす中、サルはトヨに近づいた。トヨの側にはタケノヒコもいて、サルは「ちょうど良い。お二人には話しておこう」と思った。

「御子様。ご注進したきことがございます」

 タケノヒコは「何だ?」という表情をサルに向けたが、トヨは視線を変えず、「わかっている」とだけ答えた。

「そなたの思う、あの途方もなく大きな存在は私も気づいている。しかし、その正体は私にもわからぬ」

 機先を制されたかたちのサルは戸惑いも覚えたが、自分の知っている限りのことは話しておこうと思った。

「私は、魅入られたのです。大きな存在のその深い懐に飛び込むように。すると、おぞましい暗黒の存在がまとわりついてきて、さらに多くの邪悪なもののけに憑りつかれ気がつくとあのような形になっておりました。その時、私は私の意識がかろうじて残っており、これはならぬことと思いながらももののけたちのなすがままに人々を襲っておりました」

 さすがのタケノヒコもにわかには理解できない話であった。目を白黒させて「奇怪な」と言うのが精一杯だった。しかし、トヨは違った。その目は中空をさまよい何かをそらんじているようだった。それは、トヨが何かを見通す時に見せる所作であったが、今回ばかりは「わからぬ」と結論づけた。何か答えを見出すことができるかもしれぬと多少なりとも期待していたサルは落胆した。

「さようでございますか。御子様でも・・・」

「どうも私が考えていたよりも大きな存在がもののけたちの背後におるようだ。そこまでは分ったが、それ以上は・・・いや、残り五体の敵にその大きな存在は含まれぬようだ。それは、今見えた」

タケノヒコが聞いた。

「新たな敵か?」

 トヨはしばし思いを巡らせて答えた。

「タケノヒコ様。それを敵と呼べるのか、わかりませぬ」

「そなたですら分らぬことが、あるのだな」

「サルの申す通りあまりにも大きな存在なのです。悲しみも喜びも、恨みも、慈しみも何もかもがそこにあるのです」

 サルが同調した。

「そう、そうなのです。だからその奥を覗いてみようとした途端に・・・」

 タケノヒコがかぶりを振って強く言い切った。

「迷いは禁物ぞ。このままではトヨ殿すら敵の術中にはまっても不思議ではない。よいかトヨ殿。自らをしっかりと保ちなされよ。くれぐれもサルの二の舞とならぬように」

「はい。タケノヒコ様。でもね、サルのおかげでもやもやとしていたものが分りました。必ず倒すべき敵は残り五体。それらは強いとはいえ、倒せます。そう。あの大きな存在とは切り離して考えるべきでした。だからオオババ様も勝てると言われていたのですね。実際は相対してみぬと分らぬこともありますが、あの大きな存在は必ずしも倒す必要はなさそうです」

タケノヒコは何やらきつねにつままれたような表情をしていたが、トヨの表情は明るくなっていた。

 その後、トヨに何事か言い含められたセイが、いずこともなく姿を消した。


 一行は、それからいくつもの山を越え、イズツの都を横目に通り過ぎ、目指す山あいの地に近づきつつあった。目的地の直前に小さな集落があり、既にムラ人はいないだろうと思われたが、十数人のムラ人は何事もなかったかのように暮らしていて、人なつっこい笑顔を浮かべて一行を招き入れた。

「こんな山の中ではさぞかし難儀なさったでしょう。我がムラでおくつろぎください」

にこやかに言うムラ長に従い、一行はそのムラに留まることにした。特に怪しいところもなく、問題はなさそうであったが、キヨだけは反対した。

「このムラはおかしいです。離れた方がいいと思います」

 ムネが一笑に付した。

「何を言う。みな親切なムラ人ではないか。それにトヨ殿が何も言ってはおらぬ」

「私には、わかります。このムラはダメです」

 ヤスニヒコが言った。

「いきなり、おかしいとかダメとか言うのおかしいぞ?ムラ人に失礼だ。もしそうなら、その証拠を見せねばなるまい?」

「証拠など、ない。ダメだと感じるから申しております」

 ヤスニヒコは困惑した。

「そなたを信じない訳ではないが、みなも疲れている。戦いを前にムラのやっかいになった方が得策だと思うが」

 キヨは声を張り上げた。

「疲れておられるのは、トヨ様です。だからここの異様さにお気づきならぬ!」

 その声に、離れていたタケノヒコが気づき、キヨに近づいてきた。

 側にいたシンがタケノヒコにいきさつを説明した。

「ふむ」

 そう言うとタケノヒコは考え込んだ。

 その間にも他の面々はムラ人に案内されて家屋に入っている。もう既にみなムラで一休みするつもりであり、キヨをはじめ数人がムラの入り口で押し問答をしているような格好であった。

「キヨを信用しない訳ではないが、トヨ殿も確かに何も言っていなかった。これはどう考えるべきであろう」

 そんなつぶやきのようなタケノヒコの言葉にキヨが答えた。

「トヨ様は、もっと大きな敵との戦いで頭が一杯なのです。ここの事まで気が回らぬのです」

「すると、ここの事はささいな事なのか?」

 ヤスニヒコがそう尋ねた。

「何をもってささいな事とするのか、私にはわかりません。もののけのことは既に尋常ならざることなのです」

 キヨも引かない。意見が収束しそうになかった。

「あの」

 シンがおそるおそる言った。

「私は、キヨの申すことも間違いではないと思います。敵の本拠近くのこのムラが無事なのが、何よりの証拠ではないでしょうか」

 それはそうだと、そこにいた面々も思った。そこでタケノヒコが断を下した。

「よし。どの道敵との一戦は避けて通れぬ。ならば、ここに留まる方がこちらから捜す手間が省けるというもの。こちらから仕掛けることもないが、皆、このムラの水や食べ物にいたるまでささいな事にも決して油断すまいぞ。夜間は必ず交代で見張るように。そして事あらば、ただちに戦えるよう準備しておけ」

 その指示を、シンが皆へ知らせに走った。


 その夜。

 ムラ人たちは歓迎の宴を開いたが、そこに出された食べ物には何も異常がなく、おかしなことも何もなかった。しかし、キヨだけは何にも手を付けず、離れた位置から全体の様子を見渡していた。


 何事もなく宴は終わった。

 クロとタクを見張りにたて、みなは眠りに就いた。

 そして二人とも軽い眠気を覚える夜半過ぎ。

 怪しい影が走るのを、クロが見つけた。とっさに後を追う。タクは、タケノヒコに注進するか迷ったが、いたずらに騒いでも仕方がないと思いクロの帰りを待つことにした。

 やがてクロは戻ってきて、「ネコか狐であろう」と笑った。

 しかし。

 その笑顔は違った。

 その者はクロの偽者である。そんなこと、わからぬタクではない。

 とっさに身構え、「何奴」と叫んだその刹那。

 タクは何者かに横から蹴り倒された。

「不覚」

 実際に倒れるまで時間が長く感じられた。

 まさかワシが真っ先に死ぬことになろうとは・・・

 トヨから死人が出るかも知れぬと聞かされていたものの、まさか自分がという無念の思いであった。

 しかし。

 倒れた時に背後を見上げると、そこには蒼白く光り輝き、使い魔と戦うキヨの姿があった。

 やや。

 これはどう考えるべきか。タクはその刹那、状況を正しく把握した。

 蹴り倒したのはキヨで、背後に忍び寄る使い魔から守ってくれたのだ。

 見るとクロのなりをしたもののけが、前から襲ってくる。

 はさみうちだ。

 タクはとっさに大声で改心の呪文を唱えた。それはよほどの効き目があったのだろう。背後の使い魔が蒸発した。

 するとキヨは向きを変え、前から襲い来るもののけに破壊の力で打撃を加えた。

 剣の力は効かぬことを知っているタクはひたすらに呪文を唱えた。

 しかし。

 もののけは強い。

 打撃も呪文もものともせずに、キヨを羽交い絞めにした。

 必死でもがくキヨ。

 もののけのしっぽの様なものが、キヨのやわ腹を一突きにしようとした。

 思わず眼をつぶるタク。

 まぶたの裏にも届く光を感じて眼を開くと、そこにはタケノヒコがいて剣を振っていた。

 キヨは放り出され、シンが介抱している。

「よかった」

 タクはそう思い、ふたたび声を大にして呪文を唱える頃には、男たちが駆けつけてきた。

 ヤスニヒコが聞いた。

「キヨは無事か」

 シンがキヨを抱きかかえ安全な場所へ移しながら答えた。

「気は失っておりますが、無事でございます」

「よし。みな、声を合わせよ。呪文を唱えよ!」

 しかしそれでも、今度のもののけは強い。タケノヒコの剣劇を受けても一向に斃れる気配がない。

 そこへ、別のもののけが現れた。

 のそりのそりと二体もやってきた。

「ちっ」

 誰かが舌打ちした。

「はようキヨを起こせ、誰か、トヨ殿を連れてまいれ」

 ムネがそう叫んだ。

 誰もが絶望したくなるような局面にいきなり突入してしまった。

 ゼムイが突破口を開き、トヨのところへ走った。

 トヨだけが最後の希望であった。きっと、このような局面でも打開してくださるだろう。追いすがる使い魔たちを振り払い、ようやくトヨの宿舎に飛び込んだゼムイは、ありえない光景を前に驚愕した。

 ありうべからざる光景であり、かつてない落胆の深淵に叩き込まれた。

 トヨが、もののけに羽交い絞めされていたのだ。

「これは」

 その周りでは、姫剣を構え、カエデが改心の呪文を唱えていたが、既に涙声であった。

「姫様、これはいったい・・・」

「わからぬ。何もわからぬ。いきなりこうなっていたのだ」

「カエデ!」

「ゼムイ様、姫様のおっしゃる通りにございます。悪しき気配の風とともに、気がつくとこのような・・・」

 カエデの表情からは落胆と焦りの色がうかがえる。

 もののけは、トヨの身体をまさぐり、取り込もうとしていた。

「トヨ様まで憑りつかれたら、終わりぞ。カエデ、そなたは改心の呪文を声高に唱え続けよ。姫様はタケノヒコ様をこれへ」

「そなたは?」

「私は敵わぬまでも、時間稼ぎに切り込みます。どうぞ、急ぎタケノヒコ様を!」

その時、不思議にももののけの動きが止まった。そして力が緩み、解放されたトヨはドスンと床に倒れた。何が起こったのか皆分らぬまま、中空をにらむようなもののけの隙をついてゼムイがトヨを確保し、後方へ引きずった。

「姫様。タケノヒコ様を!」

 トヨを引っ張りながらゼムイがそう叫ぶと姫は脱兎のごとく屋外へ飛び出して行った。

「タケノヒコォオオ」

 もののけが、地鳴りのするほど恐ろしいうめき声をあげた。

 ゼムイは、何かおかしいと感じつつも今はトヨを安全なところに連れ出すのが先だと思い、懸命に担ぎあげて屋外に飛び出した。向かいの棟の前にトヨをおろし、周りの安全を確認していると、さきほどの竪穴住居を突き破って、もののけが飛び出してきた。

「かようなものに勝てるのか?」

 ゼムイは歯噛みしながらそう思った。

 決して弱気な性格ではないゼムイですら半ば絶望するような、圧倒的な力の差である。彼は気づかなかったが、そのわずかな心の隙間に、使い魔が忍び寄っていた。目の前でまるで何かに八つ当たりでもしているようなもののけの暴れぶりに注意がいっている、その隙をつくように背後からそろりと使い魔が忍び寄り、ゼムイに憑依しようとした。

 そもそも使い魔の役割は、標的となる人間に憑依して、その意識のあらかたを支配し、より強力な邪神を呼び込むものだ。かつてサルも、使い魔のあまりに小さな気配に気づかず、その案内のまま大きな存在に気をとられているうちに使い魔に憑りつかれ、暗黒の存在に取り込められてしまったのだ。

 さて、ゼムイはいかに。

 やはり気づかなかった。

 サルと同じ道をたどるであろう。

 しかし、この時状況が違う点はタケノヒコがいたことだ。

 姫に呼ばれて駆けつけたタケノヒコは、そのわずかな気配の使い魔の存在を認め、急ぎ破邪の矢を放った。

 ひゅうと空気を切り裂き、ゼムイの背後へ飛んで行った矢は、正確に使い魔を射止めた。

使い魔は、霧散した。

 何も知らないゼムイではあったが、背後での出来事に気づき、そして辺りをうかがうと月あかりに照らされたタケノヒコの姿を見つけた。

「タケノヒコ様?今何が?」

 タケノヒコは駆け寄りながら答えた。

「無事でなにより。そなた使い魔に憑りつかれそうになっていたぞ」

「私が?ですか?」

 そういうゼムイに答える暇を惜しんでタケノヒコはトヨを抱きかかえ、大きな声でトヨの名を呼んだ。

「トヨ殿、トヨ殿、しっかりされよ」

「タケノヒコ様、トヨ様の身に一体何が?」

トヨを抱き起こすタケノヒコの傍らでゼムイがそう聞いた。

「わからぬ。そもそも尋常ならざる存在なのだ。トヨ殿は」

 その時。

 まるで八つ当たりのように辺り構わず暴れていたもののけの拳が、正確にタケノヒコをめがけて襲ってきた。

 その拳を払いのけようとタケノヒコが剣を振りかざすと、その剣はいつぞやのように青白く清明な光を放ち、もののけの腕を切り落とした。

 その威力にゼムイは眼を見張った。

 さらにタケノヒコは、二太刀、三太刀ともののけを切り刻む。

 これもまた、常人では理解できない光景である。

 なぜ光り輝くのか。

 なぜその攻撃があれほどのもののけに効くのか。

 ゼムイはふと、口の中の渇きを覚えた。

 緊張のあまり、つばさえ残っていなかった。

 タケノヒコは、どんどん押して、そして最後には大上段から振りおろし、もののけは断末魔の叫びとともに霧散した。

「よし!」

 ゼムイがそう心の中で叫ぶと同時に今度はタケノヒコが崩れ落ちた。

「タケノヒコ様!」

 あわててタケノヒコにとりつき、抱えあげると、タケノヒコは気を失っていた。尋常ならざる力を発揮するために、精も根も尽き果てたかのように見えた。

 しかし、まだ他のもののけとの戦いは続いている。

「タケノヒコ様!タケノヒコ様!」

 大声で何度も名を呼び、身体をゆすってみたが、タケノヒコの意識は戻らない。

 向こうで戦っている仲間たちの怒号や悲鳴やらが聞こえてくる。急ぎタケノヒコを目覚めさせねばとゼムイは焦り、そして何度も叫び続けた。

 すると、意外にも先にトヨが目覚めた。

 タケノヒコにとりすがるゼムイの背後から、トヨが声をかけた。

「ゼムイよ、タケノヒコ様は心配ありませぬ。しかしお目覚めになるまで今しばらくかかりましょう」

 ゼムイの表情に安堵の色が見えた。

「おお。お気づきになりましたか。ようございました」

「すまぬ。心配をかけた。しかし今この場のことは夢現の境ですべて見知っておるゆえ、心配はいらぬ。タケノヒコ様が倒されたもののけは、かつて我らと因縁のあった者である。以前から私はどうしても合わぬようで、それが私の油断と重なって不覚をとったが、もう大丈夫」

 ゼムイの笑顔がこぼれた。

 トヨにそう言われると、前途に希望が見える。

「さて、私は向こうの敵をうち倒す。そなたはここでタケノヒコ様がお気づきになるまで頼む」

 そう言うとゆらりと立ち上がり、トヨは向こうの方に歩いていった。


 タケノヒコ不在の中で、三体ものもののけを相手に戦っていた面々に、疲れの色が見え始めていた。まるで終わりのない戦いのように感じられた。やはり先だってトヨが予見したように、今この場にいるもののけはあまりに強い。みな、致命傷を避けることだけで精いっぱいだった。

 ヤスニヒコが敵の突きをかわし損ねて吹き飛ばされた。

 サルは意を決し、突撃を試みるが弾き飛ばされた。

 正気を取り戻したキヨが精一杯の破壊の力をぶつけても、まるで効かない。

 シンが、姫が、ジイが、誰もがトヨの来着を希う時、ようやくトヨが現れた。

 タクが、思わず声をあげた。

「トヨ様じゃあ!」

 みなの視線が一斉にトヨへ向かった。

 もののけたちも、トヨのただならぬ気配を察したようで、動きを止めた。そのおかげで、羽交い絞めにされていたムネが解放された。

 トヨは一体のもののけに近寄り、右手を突き出すように向けた。

 そして、雷光のような激しい光とともに、赤い色ではなく蒼白い衝撃波を放ち、轟音とともに、もののけを襲った。

 たちどころに霧散するもののけ。その光景を目の当たりにした一同は絶句した。ヤスニヒコですら見たことのない、激しいトヨの姿であった。ましてや、トヨの力を話でしか聞いたことのなかったタクは、意味もなく涙があふれた。それは、あまりに神々しくて大きな力に対する畏怖の念が涙のかたちとなって溢れ出たのだった。

 トヨは、まさにその時、一段上の力を覚醒させた。

 別のもののけが怒り狂い、トヨを襲った。しかしトヨは動じず、さきほどと同じように手をかざし、激しい衝撃波を放った。二体目も、霧散した。そして三体目。あからさまに恐怖の色を浮かべ、逃げ出そうとした。すかさず姫が行く手を遮り、追いついてきたタク、キヨ、シンらと共に改心の呪文を唱え、一種の結界を張った。

 結界を破れず困惑するもののけ。ゆっくりと歩み寄ってきたトヨが、右手をかざすと、もののけは狂ったかのように結界を破ろうとした。

 雷光と衝撃波。

 それで終わった。

 

 戦いのあと、動ける者はほとんどいなかった。

 あちらこちらに倒れこみ、あるいは腰をおろしていた。

 タケノヒコとトヨは屋内に寝かされていて、わずかにタクがクロを捜しに、ムネが崩れた屋内に閉じ込められたカエデを救い出そうとしていて、キヨがみんなに水を与えたりしていた。

 一同にとって、これほど恐ろしい戦いはなかった。攻撃は何も通じず、終わりも見えず、それに、辺りはさきほどまでのムラの風景ではなく、崩れ落ちた廃屋が並ぶ廃村の風景になっていて、得体の知れない恐ろしさが虚しさとともに増幅された。

「あれは、幻であったのか」

 スクナが涙を浮かべてそうつぶやいた。

 あれとは、親切にもてなしてくれたムラ人たちのことであろう。

 冷たい月がこうこうと輝き、満天の星空のもと、渡る風が辺りの木々を揺らしていた。

「あれは、記憶なのです」

 キヨがそう断言した。

「記憶?とは?」

 ヤスニヒコが聞き返した。

 キヨは冷静に、淡々と話した。

「このムラの記憶です。このムラが襲われ、もののけの巣窟になる前の姿なのです」

「では、あの親切な者たちは、もうこの世におらぬのだな」

「はい。もう数年も前の記憶のようです」

 スクナはぐすんと鼻を鳴らした。

「よき者たちであったな」

 ヤスニヒコが言った。

「いったいどのようにして、そのような記憶を見せることができたのであろうか」

 キヨはかぶりを振った。

「わかりませぬ。けれど、もののけたちは人の魂に直接働きかけできるようですから、あるいはそのようなことも簡単なのかも知れません」

「そのようなことが、簡単なのか」

 絶句するヤスニヒコに、サルが言った。

「それが、憑りつかれるということではありますまいか。人の魂に働きかけ、それから心と身体を乗っ取るような、ワシの場合はそんな感じでございました」

 ぐすんと、またひとつスクナが鼻を鳴らした。強欲でプライドばかりが高かったスクナは、あらゆることを体験して涙もろいお人よしになりつつあった。加齢のせいもあろう。

「そうだ、キヨ。そなたの力でムラ人たちを弔ってやってもらえぬか」

 キヨは眼を細めて答えた。

「スクナ様はお優しゅうございますね。でも御心配には及びませんよ。トヨ様がさきほどみなの御霊に引導を渡しておいででした」

「さようか」

 スクナは笑顔を見せた。

 ヤスニヒコは夜空を見上げ、ため息交じりに言った。

「トヨ殿か。ひょっとするとトヨ殿は全てお見通しであったのかも知れぬな」

「はい。私にもさっきわかりました。トヨ様は、始めからわかっておいでのようでした。そのうえで勝てるとわかっていてあえて敵の策にのったようです」

「やはりさようであったか」

「はい。やはり私などトヨ様の足元にも及びません。騒ぐばかりで」

「いや、そなたも良くやったぞ」

 傍らで話を聞いていたシンが口をはさんだ。

「そうだ。ヤスニヒコ様のおっしゃるとおり。それにそなたがおると、御子様が二人おられるようで心強い」

 キヨは照れ笑いした。


 夜明けがきた。

 山際が薄桃色に染まり始め、やがて清明な、輝く太陽が現れた。

 ひんやりとした空気が、また新鮮だった。

 ゼムイはもう大丈夫だと思い、もののけたちの核となった者たちを確認しようと起き上がった。

 シンやサル、ジイにも声をかけ、並べてあった遺体の確認を始めた。

 いかにもたくましい若者三人と、全身傷だらけで坊主頭の大男一人。今回はトヨの衝撃波があまりに強力だったようで三人とも死んでいたが、タケノヒコに成敗された大男だけは気絶しているだけで命はあった。

 ひょっこりとクロが帰ってきたのは、そんな時だった。タクが走り寄り、クロの両肩をわしづかみにした。

「まこと、クロか?」

 クロは照れ笑いしていた。

「あやかしではなかろうな?」

 タクはそう言って、クロのほほを殴った。

「痛て、そなたいきなり何をする」

「本当にクロじゃな?」

「他にはおらぬと思うが」

 しつこく問いただすタクを見て、逆にクロの方が訝しんだ。

 キヨが笑いながら近寄ってきた。

「はは。タク様、その方は本当にクロ様ですよ」

 タクは振り返ってキヨに問う。

「憑りつかれてはおらぬのか?」

 キヨは、ちょっと考えてから答えた。

「う~ん、憑りつかれそうにはなっておられたようです。でもね、使い魔に憑りつかれた時、意識を閉ざして懸命に追い出そうとしていて、うまくは言えませんが、そうこうしているうちにトヨ様の波動で、この辺りの使い魔が一掃されて、助かったようです」

 タクは、いきなりクロを抱きしめた。

「心配させおって」

 クロはまた照れ笑いを見せた。

「何がどうなったかは分らぬが、心配をかけたようだ。すまなんだな」

 一同にも笑顔が戻った。

 家屋の下敷きになっていたカエデもさきほど無事救い出され、ひとまず死者は出なかった。

「まあ、めでたい。なんとか乗り切ったようだ」

 そういうヤスニヒコの言葉にみながうなずいた。


 さて、辺りが明るくなってから生き残った大男の人相を見ていたヤスニヒコは、どうにも見覚えのあるその顔を思い出そうと懸命になっていたが、どうしても思い出せず、側にいたスクナが先に気づいた。

「ヤスニヒコ様、あれですよ。あの港やらイズツやらで我らにからんだ、カノ国の・・・」

 ヤスニヒコも思い出した。

「おお、あいつか!」

 それはもう二年近くも前のことである。その間さまざまな事がありすぎたヤスニヒコにとって、思い出すのに一苦労しても不思議ではなかった。

「よくあの波間に消えて生きていられたものだ。しかも、もののけになっておったとは」

「手下どもはどうしたのでございましょう」

「おそらく食われたのであろう。弱き者どもであったからな」

「そう思うと不憫ですなあ」

「そうだな」

 キヨが話に割り込んだ。

「不憫などと。こやつに情けは無用です。今成敗なされた方が今後のためです」

 ヤスニヒコは困惑の色を浮かべた。

「しかし、もののけとしての悪行はこいつの責めではないぞ」

「だめです。生かしておいてはいつかきっと仇となるでしょう。どうも嫌な感じがしてなりませぬ」

「ふむ」

 ヤスニヒコは考え込んだ。

 手下ももたぬ異国人一人、いまさら成敗せずとも問題なさそうに思えた。それに今は百戦錬磨の仲間たちもいて、少々暴れてもたちどころに取り押さえる自信があった。

「まあ良い。処分はトヨ殿にまかせよう。今はひとまず手足を縛っておけ」

「だめです!」

「良い。せっかく長らえた命だ。断つ必要はなかろう」

 そう言い残し、ヤスニヒコはタケノヒコたちの様子を見に行った。


 午後になって、ようやくタケノヒコとトヨが目を覚ました。

 二人は、誰ひとり失うことのなかったことを喜び、安堵した。

 一方、カエデの方は幸い骨折などはなかったが、頭を強く打ったことと、おかしな熱が出たために、ムネがつきっきりで看病していた。

 ムネは、カエデに好意を寄せている。しかし、カエデはタケノヒコに思いを寄せていることが分っているから、何も言い出せずにいる。だからせめてこんな時は、自分が看病したいと思い、ずっとつきっきりだ。夢現の狭間で熱にうなされているカエデの額の汗をぬぐい、こまかく手ぬぐいを水で洗い、また額にかけてやる。そんなことをずっと繰り返していた。ハヤト国王の甥であり、国に戻れば女には不自由しない身分であるが、その厳めしい風貌にコンプレックスを持つムネは、これまでいかなる女も近づけていない。というより、どの女もムネの身分と風貌に怖れを抱き、心のうちをさらけ出すことはなかった。クニの子どもらは、ムネと目線が合うだけで裸足で逃げ出す者もいた。しかしカエデは違った。屈託なく笑い、ムネにも優しく接してくれた。そして何より、カエデは美しい。うりざね型の顔立ちも、舞で鍛えたしなやかな身体も。また、一途にタケノヒコを想う心根に女のまことを感じ、ムネはカエデをいとおしく想っていた。たとえ我がものとならずとも、美しいカエデを美しいまま守りたいと、ムネの想いはそこまで昇華していた。だから、熱にうなされながらも時折その肉づきの良い唇から「ムネさま、まことに申し訳ございませぬ」と言われるだけでムネは幸せだった。

 そんな心情など、普段のムネからは想像もできぬ他の者たちは、万事が大雑把で豪快なムネがこまやかな看病をしていることに驚いていた。


 夕刻には、タケノヒコもトヨも、普段通りの状態に回復していた。

 他の者たちが力を合わせて廃屋を建て直したこともあり、一同が野宿することもない。

 キヨによると近くにはもうもののけの類はいないそうだから、その日はゆっくりと休めそうだ。かまどからは炊飯の煙がたち、サルが仕留めたイノシシをキヨがさばき、姫とジイはその辺りから食用の植物を集めてきた。あれほど恐れたもののけを七体まで倒したことから、戦いはもう峠を越え、みなに余裕が生まれたこともあり、その夜の食事はいつになく笑いに満ちていて、珍しくトヨも笑っていた。


 それは、油断と言えば確かにそうだった。

 キヨですら、残り一体は遠くにいるから安心だと感じていたのだが、それは、いきなり現れた。


 夕餉の後、疲労もあってみなが早々と寝静まった頃。

 見張りのサルとゼムイですらうたた寝をしていた。

 一陣の風とともに、おそろしい冷気を感じたキヨが目をさますと、その鼻先に顔があった。顔のみが中空に浮かんでいて、身体はないように感じる。目玉が大きく漆黒の闇のようで、目じりは吊りあがって切れ長だ。その顔は、キヨを見下ろし、じっと見つめていた。

 それは最後のもののけであると、キヨには分った。恐怖のあまり、声も出ず、身体を動かすこともできなかった。

「ふむ。そなたはおもしろい」

 その顔はそう語った。

 いや、語るというのは正確ではない。頭の中に直接響いてくる。

「その怒り、そのうらみ、私にもらえぬか」

 怒り?うらみ?私にそのようなもの・・・

「ないとは言わさぬ」

 そう言われてもキヨに心あたりはなかった。

「そうか」

 と、その顔は言う。

「ならば、思い出せ」

 それは、いきなりキヨの脳裏に浮かぶ父母虐殺のイメージであった。

 その恐怖、その悲しみ、そして納得できずに死んでいった無念さが手をとるように感じられる。皆が想像した通り、ムラ人たちは寝込みを襲われた。訳も分らず、逃げまどい、罵り、そして手足の自由を奪われて生きたままはらわたを食いちぎられ、激痛にのたうちながら死んでいったのだ。

 時間は、とぶ。

 いや、というより遡ったようで、家族団欒の様子が現れた。そこにキヨの姿はなく、あの日の夕餉の後の頃合いなのだと直感した。弟は既に眠っていて、父母が焚火の周りで語り合っていた。

 父が言う。

「キヨも、もう年頃なのになあ」

 母が縄をないながら、笑顔で答える。

「あの子は、東国へ旅立ったニキノが好きなのですよ。あなたも分っているでしょう?」

 父は笑った。

「そうじゃなあ。ニキノはいい男じゃ。早く戻ってくれば良いが」

「そうそう、そしたら結婚させましょうね」

 父の穏やかな表情の中に、ふと寂しげな影が映った。そして話題を変えようとした。

「まあ、それより先ずは塩じゃな」

「はいはい。ムラ長のいいつけを守って塩を持って帰ったら、いっぱいごちそうしてあげましょうね。あの子の好きなくるみの焼きものも、いっぱいつくりましょうね」

 キヨの心は張り裂けそうだった。

 手を伸ばせば届きそうな家族の風景がそこにあった。

 あの日以来、心の奥底にしまった家族への思いが溢れ出てくる。

「ととさま、かかさま」

 ただいま。そう言って、そこに帰りたい。

 深い苦しみと葛藤がキヨを包む。

 理不尽に殺された家族の無念さを想うと、激しい怒りの炎に包まれそうだった。

 しかし。

 それはならぬ。

 激しい怒りの向こうに、やわらかでおだやかな光がさし、優しく諭す声が聞こえた。

 その声はトヨのものでもあるような、別のものでもあるような、はっきりとはしなかった。

 声の主は分らないが、ともあれキヨは踏み止まった。

 サルですら抗うことの出来なかった、もののけの罠には落ちなかった。

「ちっ」

 もののけは舌打ちした。

 罠が失敗しただけでなく、心の葛藤を乗り越えたキヨの魂はまたひとつ次元上昇したようで、もののけからするとやっかいな敵が増えたことになる。

「つまらぬ。ならばそなたも死ぬがよい」

 もののけはその裂けた大きな口をあんぐりと開くと、キヨに食いつこうとした。

 その時。

 キヨの身体も蒼白い炎をまとった。

 そして破壊の衝撃波がもののけを襲った。今までのキヨを大きく超える強い力だった。

 もののけは弾かれ、ややあとずさりした。

「チッ。おまえも高波動の者か」

 言葉の意味は、キヨにはわからない。しかし今の自分なら、この最後のもののけと戦えそうな気がした。

「今の私は強いぞ。おまえ、それでも私と戦うか」

 キヨは自分でも思いもつかぬ言葉を口走った。言った本人が慌てもしたが、大きく息を吐いて自分を落ち着かせると、確かに今までにない力が漲っていた。

「ふん、小娘が」

 もののけが放つ衝撃波がキヨに避けられ壁に直撃した時、側にいた姫とジイも目を覚ました。

「おわぁ」

 姫が悲鳴をあげると、素早くジイが護身具である勾玉を振りかざして姫の盾となった。

 姫も枕元に置いておいた勾玉を手繰り寄せ、さらに破邪の祈りを込めた剣を手にした。

「なりませぬ」

 戦おうとする姫をキヨが制止した。

「こやつは今までとは段違いの強敵です。姫様は、はようお逃げください」

「ばかを言うな。そなたを見捨てられぬ」

「そういう話ではありませぬ。邪魔なのです」

 姫はあっけにとられた。

「邪魔?私が?」

 力強くもののけを見据えるキヨの横顔には自信と気迫が漲っていた。

「姫様、わしらはともかくトヨ殿のところへ知らせに行きましょう」

 ジイがそう言って、姫を促して屋外へ出て行った。

 キヨともののけは互いの間合いを探りながら、相対していた。

 やがてジイが残して行った剣をキヨが手繰り寄せようとしたわずかな隙を突いて、もののけが衝撃波を放った。しかしキヨには織り込み済みだった。左手に持った勾玉を中心に防御の姿勢を固め、衝撃波を弾き返すと同時に剣を振りかざしてもののけに斬りかかった。しかし、もののけはそれをかわす。逆にわずかに隙のできたキヨの右わき腹を手のような実体のある何かが殴打した。

 キヨはそれをかわし損ね、激痛が襲った。

 一旦間合いを取り直し、機会をうかがおうとしたキヨのもとに、ヤスニヒコがいち早く駆けつけてきた。


「キヨ、待たせたな」

 ヤスニヒコは精一杯の見得を張ってそう言った。

 しかし、キヨには分かっていた。

「ヤスニヒコ様。引いてください。残念ながらこいつには敵いませんよ」

 わかっている。ヤスニヒコはそう思ったが、逃げるわけにはいかない。脂汗をかきながらも剣を構えている。その剣はタケノヒコの剣ほどではないが、ナノ国一番の業物である。

 もののけは、目を細めた。

「ほう。そなたも面白い。そなたは、月じゃ」

 ヤスニヒコもキヨも、その言葉の意味が分からなかった。

 二対一でにらみ合いを続けていた。

 そのうち、背後から皆が駆け付けてくる気配がし、キヨがわずかに振り返った時、ヤスニヒコが消えた。というより、もののけに吸い込まれた。

「あ!」

 キヨが悲痛な叫びをあげた時、もののけが霧散した。

 どういうことか。

 わき腹の激痛のためかすむ目を凝らして見ると、もののけのいた場所の向こう側にトヨが立っていた。

 ああ。トヨ様が来てくれたのか。

 しかし、ヤスニヒコ様が・・・そう思いながら、キヨはそのまま意識を失った。


 トヨの周りには皆も来ていた。

 もののけの消滅に歓声をあげた矢先に倒れるキヨを見つけ、シンが慌てて駆け寄った。

「キヨ、しっかりしろ」

 シンが抱き起こし声をかけてもキヨの意識は戻らなかった。

 そのわき腹はおかしな盛り上がりがあり、骨折しているのがわかった。

「誰か添え木を!姫様、癒しの呪文を」

 シンの怒鳴り声に、クロとタクが添え木を捜しに走り、姫はキヨにすがるように寄り添って呪文を始めた。

「キヨは大丈夫であろうか」

 そう聞くタケノヒコに、トヨが答えた。

「今のキヨはまた一段と強くなっていますから。今はそうとしか言えませぬ」

 それを聞いたジイがトヨに言った。

「さきほどは、恐ろしいばかりの気迫に満ちておったから、きっと大丈夫じゃ!」

「問題は、あのもののけを倒せていない事です」

 トヨの言葉に皆は愕然とした。

 暗闇でもあり、よく見えなかったが霧散したではないか。

「この世ではない、別の世に・・・」

 別の世?

 意味が分からない。

 誰もが沈黙した。

 辺りを見回していた姫が聞いた。

「あの、ヤスニヒコが・・・」

 もののけが消えた中空を見つめていたトヨが振り返って皆に言った。

「ヤスニヒコは取り込められた」

 何?それも意味が分からない。皆の表情はそんな感じだった。

「別の世へ、ヤスニヒコは連れて行かれたのだ」

 トヨは悔しさを滲ませるような厳しい表情をしていた。

 一同は、あまりの喪失感に打ちひしがれた。


完読御礼!

「邪悪で暗黒の存在」の次元に連れて行かれたヤスニヒコの運命は・・・

次回もご期待ください。

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