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もののけ討伐記 第一章

今回から「麗しのヤマト 前編」が始まります。

これからしばらく、どうぞよろしくお願いいたします。


さて今回は新しい仲間、キヨが登場します。

そして、得体の知れないもののけとの戦いが始まります。


お楽しみください!

第一章 キヨ

第二章 暗黒

第三章 別の世

第四章ふるさと



第一章キヨ


 その深い山懐で、おんなは必死になって逃げていた。

 逃げるからには敵がいるはずなのだが、おんなにもその正体はわからなかった。

 ただ恐ろしい気配を感じ、「これが噂のもののけか」と直感し懸命に駆けていた。

 おんなの名はキヨという。

 ムラ長からの指示で、海沿いのムラへ行き、塩を手に入れてきた帰り道のことである。

 岩肌をよじ登り、草木で手足を痛めながら、最短距離でムラを目指した。半刻ほどもそうしているとさすがに疲れを感じ、一休みしようと辺りを見渡すとやはり誰もいない。これだけ逃げてきたのだからもう大丈夫だと自分に言い聞かせ、背負ってきた塩をおろし、木陰に座るやいなや、竹筒の封をあけ、水を口にした。

「ふぅ」

 やっと一心地つくことができた。

 汗をぬぐい、貫頭衣をはためかせて涼をとった。冬の風は冷たく、あっという間に熱をさましてくれた。

 キヨがもののけの噂を耳にしたのは、半年も前のことである。男も女も食い殺され、討伐に向かった若衆も兵士も巫女も、みな帰ってこないという。身の毛もよだつ話であるが、離れたムラのことであるから、まさかこの辺りまでもののけが現れるなど考えもしておらず、よりによって我が身に降りかかるなど、なんて運が悪いのかと思った。もののけに食い殺される自分を想像してみた。それは耐え難い屈辱と苦痛に満ちたものであろう。キヨは、そんな悪い想像を振り払い、そして急いで立ち上がり、一刻も早くムラへ帰ろうと思った。再び塩を背負い、竹筒を腰紐に縛りつけ、一歩踏み出そうとした、まさにその時。

 驚愕と絶望が恐怖を纏って目の前に立ち塞がった。


 もののけは、そこにいた。


 キヨは狂乱の叫び声を上げ、なりふり構わず走って逃げたが、もののけも追ってくる。

「助けて、誰か、助けて」

 キヨはにじむ涙を時折手でぬぐいながら切に願った。

 しかしこんな山奥に誰がいるわけでもない。やがて追いついたもののけに足をつかまれ、前のめりとなって倒れた。


 ああ、自分はここで死ぬのか。

 夕暮れ時、薄暗い森の中で、それでもキヨは、枯葉と泥にまみれながら、はいつくばって逃げようともがいた。気立てが良く働き者のキヨは、ムラ長の指示を安請け合いしてしまった。その結果がこれだ。怖くて辛くて、懸命にもがいた。しかし不思議な力で手足の自由を奪われ、その腹に何かが食らいつこうとしていた。


 死にたくない、死にたくない、助けて、助けて。誰か・・・


 涙ながらにキヨがそう願った、その刹那。

 蒼白い炎を纏った一本の矢が、「ひゅん」といううなりをあげてキヨの鼻先をかすめ飛び、もののけに命中した。

 キヨには、何が起こったのかわからなかった。

 もののけは、この世のものとも思えぬ恐ろしいうめき声をあげ、霧散した。

 振り向くと、木立の間から夕日を背負って輝く人影が見えた。

「もう、心配いらぬ」

 その穏やかで温かな言葉の向こうに、トヨがいた。

 そしてタケノヒコが、次の矢をつがえていた。

 神々しい二人の姿に、キヨは汗と涙と泥にまみれた顔をあげ、あんぐりと口をあけたまま、溢れる涙をこらえられなかった。

「兄上、やりましたな」

 そう言って笑うヤスニヒコもいた。

 ああ自分は助かったのだと、安堵したキヨはそのまま気を失った。


 ゆらめく焚き火の炎のそばでキヨが目を覚ましたのはそれから何刻の後であろう。

 混濁した意識の中で、何やら人の話し声が聞こえてきた。

 「トヨ」「タケノヒコ」そういった言葉が盛んに出ている。

 はて。どこかで聞いたことがある。

 キヨは、その記憶を総動員した。

 そして、はたと気づいた。

 それは、敵だ。

 キヨは慌てて半身を起こした。

 おぼろげだった意識も記憶も明晰になってくる。

 タケノヒコとは、一昨年わがイズツ国に押し入った敵の名だ。キヨのムラに被害は出なかったが、都の破壊の凄まじさは耳に入っている。

 その敵が何故ここに?

 山中で敵陣に迷い込んだのか。よくよく考えてみるが、そのようなことはあろうはずがない。

「おう、女。気がついたか」

 そう言う大男がいた。

「怖い目にあったねぇ。かわいそうに」

 そう言う年増女がいた。

 かなりの人数だ。敵中のはずなのにその者たちは軍装でもなく、むしろ雰囲気は悪くない。

「ささ、まずは白湯でもお飲み」

 年増女がそう言って椀に入った白湯を持ってきた。年増女とは、カエデのことである。

 その白い腕から差し出された椀を見て、キヨは毒を疑い迷ったが、殺すつもりなら助けることもあるまいと思いなおし、喉の渇きの欲するまま受け取った。一口飲んで異常のないことを確かめると後は一気に飲み干した。そして一息ついた頃、シンが言葉をかけた。


「よかったな、女。御子様に助けていただいて」


 察しはついたが、キヨは問い返した。

「御子様とは誰ぞ」

 シンは、笑いながら答えた。

「トヨノ御子様だ。そなたの難儀をお気づきになり、わざわざ助けにまいられた」

 キヨは恐ろしい体験を思い出し、独り言のようにつぶやいた。

 あのもののけは、いったい・・・

 あの寒気と臭気を思い出すだけでも恐ろしい。

「そなたも知っておろう。わが国に現れ、人々を食い荒らすもののけだ」

 タケノヒコに秘剣を授ける使者を務めた若者がそう答えた。名はセイという。あれから皆とうちとけ、すっかり一味のようになって道案内を務めている。

「わが国?そなたはイズツ国の者か?」

「そうだ」

「敵ではないのか!そなたは裏切り者か」

 皆は焚き火の前で車座になって夕食をとっていたが、その中からヤスニヒコが立ち上がり、キヨへ歩み寄って、かがんで話しかけた。

「そなたは、頭の良い女子だな。気も強い。それに性根も座っておる。さすがはトヨ殿が見込まれただけはある」

 ヤスニヒコは笑っていた。その優しい笑顔に害意はなさそうだとキヨは思った。それに、敵兵すら殺さぬという程度にはトヨノ御子の噂も知っていた。キヨは恐る恐る上目づかいでヤスニヒコに聞いた。

「トヨノ御子様と?」

「そうだ。トヨ殿だ。神の声を聞いて、そなたの難儀がわかったのだ。決して殺されてはならぬ、神の思し召しだと申されてな。みなで助けにまいった次第だ」

「わたしを?」

「おう。そなたを助けるために我らも走りに走ったぞ。そなた、逃げ足も速いなあ。追いつくのが大変だった」

 キヨは考えた。たしかにトヨノ御子は神の声を聞くという噂を聞いたことはある。しかし、疑念は残る。なぜ私を助けたのか。そもそも、この一団は本物か?なぜここにいる?あまりにいきなりそんな言葉を並べられても、はるかに理解を超えていて、キヨは考えこんでしまった。

「そなたの名はキヨであろう」

 車座の奥から、凛とした声が響いた。

 キヨにとって、心をくすぐられるとしか言いようのない不思議な魅力に満ちた声であった。いや、それより。

 なぜ、私の名がわかるのか。

 そんな驚きをこめた独り言をつぶやいた。

「トヨ殿は、全てお見通しなのだ」

 ヤスニヒコは笑った。

 トヨは、確かに全てを見通していた。キヨはムラでは腕の立つ料理人であること。みんなから頼りにされていること、そして、武術や巫女の才能が人並み外れていること。


 トヨから見ると、今回、塩の取引きに出かけたのは偶然ではなかった。話があべこべのようではあるが、キヨこそ生き残る運命であった。悲しい話だが、キヨが海沿いのムラへ出かけている留守中に、そのムラはもののけに襲われ、ムラ人はみな食い殺された。出かけることによってその死から逃れられたのは、神の御心である。トヨはそう確信していた。


 さて、今は平静を取り戻しつつあるキヨだが、ムラ人全滅というつらい現実を明日には知ることになる。だからせめて今夜一晩は平穏な心で休ませてやりたいとトヨは思い、余計な事は言わなかった。


 その一団。

 つまり、敵国とはいえ人々の難儀を救うためのもののけ討伐隊は、タケノヒコ、トヨを中心に、ヤスニヒコ、タクマノ姫、ジイ、ゼムイ、ムネ、クロ、タク、スクナ、シン、カエデ、セイの十三人である。オノホコとヨナは加わっていない。アナトノ国の兵も、ナノ国の兵も、今回ばかりは参加を許していない。


 皆はキヨの事情をトヨから聞かされていて、つとめて優しく接した。もののけの話もなるべく避けた。ヤスニヒコやシンは、面白い話でおどけてみせた。そうしてみんなとうちとけはじめた頃、キヨは安らかな眠りについた。


 翌朝、キヨは明るい声で一行をムラに案内した。

 皆は、その声に優しく応じ、その先にある不幸な結末については口をつぐんでいた。

 草木が生い茂り、足元もおぼつかないような山道をゆき、やがて急に視界が開けると、足下に美しいムラの風景が広がった。

 キヨは立ち止まりその風景を見つめていたが、やがて難しい顔つきになった。

 遠くからでも様子がおかしいことは分かった。

 胸騒ぎを感じたキヨは一目散にムラへ向かって駆け下った。


 それは、あまりに無残な光景だった。

 そこには、もののけに食い殺されたムラ人たちの変わり果てた姿が四散していた。

 タケノヒコたちにとっても想像をはるかに超えていた。皆とともに死線をくぐったはずのカエデすらその光景を正視できず、また、同じような境遇であるタクマノ姫は、同情を禁じえず、ぽろぽろと涙を流した。

 キヨは、真っ先に半ば焼け落ちた自分の家に行き、家族の姿を捜した。しかし見当たらず、その辺りを懸命に捜し、ようやく井戸場の近くで父が母をかばうようにして死んでいるのを見つけた。食い散らされたようで、はっきりとかたちは残っていない。同じような状態で弟の骸もあった。


 キヨは絶叫とともに崩れ落ちた。そばにいたシンが、とっさにキヨを支えた。


 スクナがタケノヒコに言った。

「夜分、寝込みを襲われたようですな。訳もわからず、抵抗もできず、逃げ惑うばかりだったのでございましょう。それにしても哀れでございますなあ」

 強欲で気位の高いスクナも、三十歳を前にして、気性が多少は穏やかになってきている。

 タケノヒコは、キヨに近づき言葉をかけた。

「しっかりせよ。と、今は言わぬ。ただ流れるだけの涙を流せばよい」

 キヨの泣き声は一層大きくなった。

 キヨはこの時十六歳。その故郷は消滅し、帰るべき家も、親兄弟もなくなった。

 タケノヒコは皆に命じ、そして自らも先頭に立ってムラ人たちを埋葬した。


 二日目の晩。

 トヨは亡くなったムラ人たちのための祈祷を済ませると、カエデとともに舞を奉納した。煌々と灯るいくつものかがり火の中で、ヤスニヒコとシンが奏でる鐘太鼓のリズムに乗って、二人は息を合わせて舞った。そのあまりの美しさに、初めて見るセイは我を忘れて見とれた。三番目の舞が始まる時、キヨはやもたてもたまらず、自分も加わって舞い始めた。キヨは舞の名人でもあった。しかしそれは自己顕示のためではなく、理由もなく死んでいったムラ人への思いのたけの発露であった。

「みなの仇はきっととる」

 その頬をつたう涙が、いつしか乾いていた。

 タケノヒコたちとともに過ごし、その目的を聞かされたキヨの覚悟は決まった。


 それから十日ほど、一行はキヨのムラに留まった。キヨの秘めたる超常の力を引き出す鍛錬のための時間であった。トヨがみたところ、キヨにはトヨと同系統の破壊の力があるという。作戦ではトヨは常に本軍にいることになっているため、タケノヒコが率いる前衛軍にあってその力を役立たせようというものであった。それに、もののけを察知する能力もあり、まさにうってつけの人材であった。肝心なことは、キヨ本人がそれを望んだことにあり、そのためか上達も早かった。


 さて、先日キヨを襲ったもののけは使い魔程度のものでしかなく、八つからなる本体ははるかに強力であろうとトヨは言った。その正体について、核となる人間に無数のおぞましい怨霊がまとわりついているのではないかと推測したが、トヨの力でも、確信にまではいたっていない。


「サルもその一人なのであろうな」

 ヤスニヒコが嘆息まじりにそう言った。

「早くサル殿を取り戻して、また酒でも酌み交わしたいものでございます」

 シンがそう言うと、ヤスニヒコはシンの方へ振り向いては何か思いついたようにつぶやいた。

「そうか、酒か」

「なんじゃ、ヤスニヒコ。何か思いついたか」

 ムネがそう聞くと、ヤスニヒコは手を叩いて笑顔を見せた。

「酒だ。サルの唯一の楽しみだった。もしこの辺りにサルがいるなら、飛びつくはずだ。なに、サルでなくても元は人であるならみな嫌いではなかろう。酒を餌にして、おびき出してはどうか」

 シンが首を縦に振りながら言った。

「名案にございます。怨霊とて元は人。酒くらいは覚えているでしょう。へたに山歩きして捜し回るより、おびき寄せた方が早いのではないでしょうか」

 タケノヒコが言った。

「うむ。少なくとも試してみる値打ちはあると思う」

 トヨも確信はなかったが、タケノヒコの言葉に同意した。

「タケノヒコ様。もののけはまだそんなに遠くに行ってはおりませぬ。ここ三日のうちならば、その策はあたるかも知れませぬ」


 作戦が決まった。

 このムラに本軍を置く。タケノヒコら前衛軍はやや離れたところに酒を置いてもののけをおびき出す。かかったところで破邪の矢を浴びせ、呪文を唱え、タケノヒコらが斬り込む。さんざん戦って、もののけにも疲れが見え始めればキヨの力でもののけを圧倒し本軍に追い込む。本軍ではカエデの祈りで改心させる。それも叶わぬ時はトヨの破壊の力で討ち果たすというものだった。さっそく、クロとシンとセイが、来た道を引き返し、近くのムラで酒を調達するために走った。


 そして決行の夜。

 その夜は三日月で、わずかな月明かりしかなかった。

 現代の都市生活者からすると、当時の深夜は想像もつかないほどの深い暗闇と静寂が支配する。ときおり、得体の知れない獣の鳴き声や、風のわたる音が怖ろしげに聞こえる。そして、寒さを通りすぎ身を切るような冷たさに耐えながら、タケノヒコ、ムネ、ゼムイ、タクマノ姫、キヨからなる五人の前衛軍は、本軍より離れたところでもののけの出現を待っていた。どれくらいの時が経ったかわからないが、とても長く感じられたのは確かであった。


 神経を研ぎ澄まし、四方へ気を巡らせていたキヨが低い声で、しかし興奮を抑えきれない様子で言った。

「タケノヒコ様、来ました」

「策は当たったようだな。して、数は?」

「ふたつ、みっつ、いや、ふたつです。もうそんなに遠くではなく、ゆっくりとこちらに向かっておるようです」

 トヨによって見出され、引き出されたキヨの超常の力が、本人の気持ちの昂ぶりとともに、いかんなく発揮されていた。

「よし。みな覚悟せよ。これより我らは未知の戦いに挑む。何が起こるかわからない。しかしな、これまで鍛錬してきたことを忘れるな。必ず呪文を唱えつつ戦え。無理せず、トヨ殿のところに追い込むことが肝要。いいな」

「タケノヒコ様、お待ちください。敵はやはり三つ、いや・・・」

 キヨが迷いを露にすると、ムネが不機嫌そうに言った。

「どっちだ。敵の数は」

 うずくまって考え込んでいるキヨの代わりにタクマノ姫が言い返した。

「そんなに言われても困る。巫女の力はそんなに簡単に身につくものではないぞ。おおよそでも分かればいい方ではないか」

 ゼムイもとりなすように言った。

「武芸でもそうではありませんかムネ様。いきなり精妙を極めるなんてできません。それに我らの力があればひとつの違いくらい問題ないでしょう」

 武芸自慢のムネはくすっと笑った。

「そうじゃのう」

 キヨがカッと目を見開いて、低い声で言った。

「きました」

 酒を置いている方向へ、みなが注目した。

 そこには、黒い煙のようなものが二体いた。酒の入った甕を遠巻きにしながら口のようなところから細くて長い赤い舌をちょろちょろと伸ばしていた。

「へびのようなやつ」

 ムネが思わずそうもらした。

「タケノヒコ様、斬り込みましょうぞ」

 そう言うゼムイに、タケノヒコはかむりをふった。

「いや、まだだ。人の記憶があるのなら、酒には酔うものだと思い込んでおるかも知れず、その時が討ち取りやすかろう。呑ませてやろうぞ」

「あれが、敵」

 そういうキヨは震えていた。恐ろしさからくるものと、怒りからくるものと両方あって、どちらがどうかは分からなかった。

「姫とキヨは、破邪の矢を準備せよ。ムネとゼムイは斬り込みの準備だ。私の合図次第、みな呪文を唱えよ。そして、矢を浴びせてから斬り込みだ。いいな」

 皆、無言でうなずいた。

 そしてもののけは、酒を遠巻きにしていたが、やがて取り付き、二体で先を争ってむさぼるように呑み始めた。

 しばらくすると、タケノヒコの推察通り、まるで酔っ払ったかのように尻餅をついた。

「やや、タケノヒコ様の言われた通り」

 ゼムイがそう言うと、ムネも言った。

「兄上、今じゃ」

「いや、まだだ。しばし様子を見よう」

 すると、まるで人間の頃のようにはしゃいで見えた二体は急におとなしくなって、ねむりについた。

「おもしろいのう。まるで人のようじゃ」

 そう言ってムネが笑った。

「よし。今だ」

 タケノヒコがそう言うと、待ってましたと言わんばかりにタクマノ姫とキヨの弓から矢が放たれた。二度、三度と矢を放つと、もののけも気づき、よろよろと立ち上がろうとした。

 そこへ。

 タケノヒコが真っ先に斬り込んだ。

 ムネもゼムイも続く。

 しかし、斬っても斬ってもまるで手応えがなく、やがて本格的に目を覚ましたもののけが、いよいよその力を振るい始めた。猛り狂ったもののけが発する邪悪な波動によってムネとゼムイは何度も吹き飛ばされた。


「何じゃぁ!こいつらは!ワシと同じ酒乱のようじゃあ!」

 そう叫びながらムネはより遠くへ飛ばされた。


 ひとまずは、トヨの祈りを込めた勾玉などの護身用装身具によって致命傷は逃れているものの、そこら中にあるごつごつした岩や、草木でかすり傷だらけになった。タケノヒコは攻撃をかわし続けたが、それでも反撃の糸口がつかめず苦心した。合間を縫ってタクマノ姫が破邪の矢を浴びせたが、さすがに、使い魔よりはるかに強力な二体にはあまり効き目がないようだ。

「何か、弱点はないものか」

 タケノヒコは、剣を振るいながらも冷静に敵の様子を窺っていた。すると、オオババ様より伝授された呪文を嫌がる様子が見えた。

「皆、もっと大声で呪文を唱えよ!」

 タケノヒコがそう叫ぶと、誰からともなく調子を合わせて大声で呪文を唱え始めた。その声がいよいよ大音声となると、もののけはあからさまに嫌がり始めた。もののけは苦し紛れにタケノヒコらにあたり散らしていたが、そうなるとさすがに猛者たちである。逆上したもののけたちとは逆に、流れを冷静に見極めて、攻撃をかわしつつ、剣による攻撃よりも呪文攻撃を優先させた。みなは心をひとつにし、呪文の大合唱を続けた。

 そのような状態が一刻も続いた。

 さすがにもののけたちも疲れが出てきたようで、攻撃の矛先が緩くなってきた。

 タケノヒコは、その潮時を見逃さなかった。

「キヨ!今だ!そなたの力を解放せよ!」

 それは、あらかじめ示し合わせていたことだった。付け焼刃とはいえ、トヨと同系統の破壊の力で、トヨの待つ本軍へ押し込むというものだ。

「承知!」

 案の定、キヨから発する蒼白い衝撃波は、もののけたちを恐れさせ、じりじりと後退させた。その先に本軍はある。他の四人も、あらんかぎりの大声で、呪文を唱え、もののけたちに立ちはだかった。

やがて本軍に近づくと、本軍の者たちも声を合わせて呪文を唱えていて、もののけたちはすっかり呪文の輪の中に閉じ込められた。

 もののけたちの困惑する様子がありありと出ていた。

 頃合を見て、カエデが改心の呪文を唱え始めると、もののけの体の一部が剥がれて天に昇っていった。やがてすっかり小さくなったもののけの姿を見て、

「勝てる」

 タケノヒコがそう思った時。

 天地を揺るがす大音響とともに、雷光のようなものを纏った赤黒い大きな火の玉が、おそろしいスピードで皆の前に飛んできた。

 新たな敵か?

 タケノヒコはそう思った。

 皆、あっけにとられて呪文をとめた。

 黒い煙のような二体とは、明らかに格が違う。

 見るものを圧倒する邪悪の念の塊だった。

 弱っていたはずの二体は、するすると火の玉に合流し、それはますます大きくなった。

 皆はあっけにとられ、そのあまりの出来事に腰砕けになりつつあったが、タケノヒコは違う。より強い敵に出会った喜びというと語弊はあるが、そのような気分で武者震いすら感じていた。

「呪文を止めるな!」

 トヨがそう命じ、皆は思い出したかのように呪文を再開するとともに、破邪の矢をさかんに浴びせた。しかし火の玉は動じることなく、まるで一同を睥睨するかのように、辺りをゆっくりと浮遊していた。

 やがて的をトヨに定めたようで、いきなり襲いかかった。

「あぶない!」

 カエデが叫んだ。

 皆、一歩も動けずに硬直した。

 こんな敵にどう対応すれば良いのか誰も分からなかった。

 ただ、トヨが倒れれば全てが終わりだ。

 負けたのか。

 誰もが目を覆いたくなった、その時。

 タケノヒコは、我が身を盾にするように火の玉の前に立ちはだかって、全身全霊の気迫をもって高々と剣を掲げた。

 するとその剣は、轟音と蒼白い雷光をまとった。

 周りにいた者は皆、我が目、我が耳を疑った。あっけにとられたと言っていい。

 なおも火の玉はタケノヒコとトヨを押しつぶさんとばかりに迫り来る。

 あと一歩のところ。タケノヒコの間合いに入ったその時。

 カッと目を見開いたタケノヒコは、その持てる全ての力を込めて剣を振りぬいた。

 目の前が真っ白になるような閃光とともに、轟音を発しながら、火の玉は真っ二つに割れた。

 すかさず。

「カエデ、改心の呪文を!」

 トヨが叫び、続けて、

「破邪の矢を放て!皆、呪文を止めるな!」と命じた。

 タケノヒコの一撃に加え、たたみかける攻撃にあって、ついに火の玉は断末魔の大音響とともに、はじけて霧散した。

 そのなりゆきを皆は見届けた。

 しかし。

 誰も何も言えず、硬直したままだ。

 勝ったのか?

 やがてヤスニヒコがそうつぶやいて初めて、皆も我にかえった。

「ワシらの勝ちじゃ!」

 ムネがそう言うと、みなはやっと安堵した。

 皆にとっても、長くて辛い戦いだった。

 気がつくと、空が白み始めていた。

「おそろしい敵でしたなあ」

 スクナがそう言った。

 タケノヒコから笑みがこぼれた。

 カエデはへなへなと崩れ落ちた。

 クロとタクはお互いに笑顔を見せ合い、互いに手を叩きあった。

 タクマノ姫はヤスニヒコに飛びついた。

 ジイはゼムイの肩を叩きながら笑顔を見せた。

 セイは、ふうっと息を吐き、天を見上げた。

 キヨは、涙を浮かべた。

 皆が、それぞれに喜びをかみしめていた。

 その中心にあって、トヨは不敵な微笑みを浮かべていた。


 火の玉のあとを調べていたシンが、悲鳴のような声を上げた。

 皆は、さっと身構えた。まだ続きがあったのか。

 トヨが落ち着いて言った。

「そこには人がいるはずだ」

 シンの大声が返ってきた。

「サル殿です!ヤスニヒコ様、サル殿が倒れています!他に見知らぬ者二人」

「何?サルだと」

 ヤスニヒコが急いで駆け寄り、みなも続いた。

 ヤスニヒコは、倒れているサルを抱き上げた。

「サル、しっかりせよ。目を覚ませ!」

 何度か張り手を加え、体もゆすった。それでもサルは目覚めなかった。


 昼。

 一晩中戦い続けたため、多くの者が眠っていた。

 シンはサルの看病をしていて、タケノヒコ、ヤスニヒコ、トヨの三人は昨夜の戦いと今後のことについて話し合っていた。

 そして夕暮れが迫る頃、誰彼となく目を覚まし、夕餉の支度を始めた。


 それは、和やかなものとなった。

 現代風に言えば祝勝会といったところであろう。

 長くて辛い戦いであったが、それを皆、良き思い出のように語っている。

 正体が分からず、勝てるかどうかも疑問であった敵とまみえて、勝てることが分かったのだ。明るく語り合っても当然であろう。

「それにしても」

 クロが言い出した。

「あの時、タケノヒコ様の剣は光り輝き、轟音を発しておったが、一体何故であろうかの」

「セイ殿は何かご存知か」

 そう言われても、セイにも何故か分からない。

「さあ。タケノヒコ様は?」

 タケノヒコも、理由など分からない。ただ、トヨを守りたい一心で繰り出した剣が偶然にもあのような状況で威力を増した。

 トヨが断定した。

「神のお力です」

 クロは、いよいよ興味が湧いたように重ねて聞いた。

「それなら何故初めからあのようにならなかったのでございましょう」

「あの剣に宿りし神は、荒ぶる神ではない。タケノヒコ様の正しきお心が昂ぶった時のみ、そのお力をお貸しなさるようだ」

 ムネが言った。

「ふ~ん、そのようなものか。しかしなあ、何度も吹き飛ばされた我らからすると、あのお力を初めからお貸しくださればずいぶん助かったものだがのう」

 皆、笑った。大男のムネが吹き飛ばされた姿を思い出すと急に可笑しくなったからである。

「笑いごとではないぞ」

 ムネは不機嫌そうに言い、皆はいよいよ可笑しくなった。

「しかし、すさまじきお力でしたなあ。おかげで、トヨ様のお力がなくても勝てました。トヨ様のお体のことを考えますと、よろしゅうございました」

 何度もトヨを看病してきたシンがしみじみそう言った。

「まだ敵は五体残っておるらしいからのう。先を考えるとまことにその通り」

 と、スクナが言った。

「しかし、キヨは良くやった。たった十日の鍛錬であそこまでできるとは」

 ゼムイがそう言うと、キヨははにかんで答えた。

「御子様のお力です。私はただ無我夢中で、何やら不思議」

 そう言われて、トヨは肯定でも否定でもなく笑っていた。

「そうじゃ。これからもっともっと力を出してもらわぬとな。何しろワシらの剣は何の役にも立たなんだ」

 ムネがそう言った。

「あ、でもムネ様。ひょっとすると、皆様の剣に私の力を蓄えることができるかもしれません」

 ムネは狐につままれたような顔をしていた。

「蓄えると?」

「はい。私には分かります。何となくですが。はじめに皆様とお会いした時、タケノヒコ様が放たれた矢は蒼白い光を纏っておりました。あれは御子様が、そのお力を矢に蓄えられたからです。いや、まあ。蓄える、または移すと言うか」

「そなたにもできるのか?」

 ヤスニヒコが面白がって身を乗り出した。

「はい。あ、でも御子様のお力は桁はずれですから。それくらい私にも分かります。それよりはるかに小さな力しか私にはありませんが、似たような事はできそうな気がします」

「それは良い」

 ムネが高笑いした。

「わずかな力でも今は助かりますな」

 スクナもそう言って笑った。

 トヨは、微笑みながら皆の様子を眺めていた。

 しかしながら、その心中は穏やかなものではなかった。戦いがひとまず終わってトヨには全て見えた。今回の三体は、最後に出てきた赤い玉がサルで、もともとサルその人に強大な力があったためあれほどの力があった。しかしとりつかれて日が浅くまだまだ不完全であったから勝てたのだ。最初の二体は小者にすぎないが、それでもあれだけ苦心した。そしてこれから戦う敵は、はるかに強大だ。決してみんなには話せないことだが、今、こうして賑やかな夕餉をともにしている中から死人が出そうだと思うと、トヨの心は押しつぶされそうだった。


 「ことほぎ」という言葉が現代にも残っている。この当時にあったかどうか、定かではないが、めでたい祝いの席の気分を表すにはまことに適切な語感ではなかろうか。皆の心が蕩けだし、にぎやかな談笑にひときわ大きな花々が咲き誇る頃、トヨは一人、その見通しのあまりの暗さに、思わず席を立った。


 その夜は凛として中空に輝く三日月が美しかった。

 裏庭の手ごろな石に腰を下ろし、トヨはその月を見つめた。

 ため息をつく訳でも、困った顔をしている訳ではない。本人も何故だかわからないが、ただひたすらに月を眺めていた。

「トヨ殿」

 そう声をかけたのは、タケノヒコだ。このような状況はもう何度も経験している。特に抗う風もなく、トヨはタケノヒコの方へ視線を移した。

「そなたは、また一人で背負い込もうとしているのではないかと心配になった」

「また?一人で?」

 タケノヒコは微笑をたたえ、言葉をつないだ。

「そうだ。そなたはいつもそうだ」

「そのような、つもりは」

「ないようには見えぬぞ。たしかに私もそうだが、そなたの言うこの世の本当のありようが見える者は少ない。それでも私はそなたを信じている」

 ああ。やはりタケノヒコ様なのだ。とトヨは思った。昔と変わらぬ物言いに、トヨは少しだけ安堵した。

「そなたの側には私がいるから、そのことだけは忘れないでくれ」

 トヨはくすっと笑った。

「そうでしたね。タケノヒコ様は私の味方」

「ああ。そうだ。ずっとだ」

 先行きの暗さにめまいすら覚えたトヨの心は、いくぶん軽くなった。

「それほど残りのもののけは強いのか?」

「はい。比較になりません」

「うむ。それならそれで、こちらも更に手立てを巡らせば良いこと。明日にでも皆に相談しよう」

「しかし、不安を与えます」

「だから、一人で背負うことはない。実際に戦ってみて簡単にいく相手でないことは、皆も良くわかってたはずだし、覚悟もある。必要以上の気遣いは、かえって皆の心根を腐らせる」

「しかし」

 タケノヒコは微笑んだ。

「確かに今や多くの国の民がそなたを頼りにしている。しかしな、今ここにいる者たちは、そなたを頼るどころか、必ず守りたいと思っているのだ」

 トヨは目を丸くした。

「守る?私を?」

「そなたには話があべこべのように思えるかもしれないが、そのような気概を持つ者ばかりだ。その心を足蹴にすべきではない」

 トヨは黙り込み、タケノヒコはさらに聞かせた。

「皆の力を心を信じよ。そなたはもう、一人ではないのだ」

 その言葉は、トヨの心をうった。

 アナトノ国で、無理解な者たちに囲まれて疎外感を強めていた頃とは確かに違う。今や自分の周りには心からの笑顔を見せる者たちがいる。

 トヨはうれしくて、涙が溢れそうになるのを必死でこらえた。

 タケノヒコは、やさしく言葉をかけた。

「だから、一人で背負うのはもうやめよ。皆に助けを求めれば、みな快く応じてくれるぞ」

 トヨはタケノヒコにとりすがり、その胸に顔をうずめて泣いた。

 タケノヒコは、トヨの肩を抱き、なされるがままにしていた。

 ふっと肩の力が抜けていくのを、トヨ自身も感じた。


 翌日。


「あ、わかりました」


 皆に代わる代わる頼まれるたびに、キヨは軽く請け負って、破壊の力を矢に吹き込んでいった。

 傍目にはただのおまじないの様にしか見えないが、オオババ様のもとで修行をした姫とカエデには、その見えざる力が気配で分かる。

 姫が素朴な疑問として聞いた。

「そなたとトヨ様は、どっちがすごいのかな」

 キヨはぷぅっと噴出して笑った。

「あはは、姫様。御子様は大きさが違いますよ。御子様が太陽なら、私は、そう。ちょうど、このありんこぐらいでしょうか」

 その答えには二人とも驚きを隠せなかった。

「そんなにか」

「はい。御子様はね、まだ、その本当のお力を秘めておいでなのです。そのお力を全て解放されれば、森のひとつくらいは吹き飛ぶでしょうね」

「あの赤い光でか?」

「う~ん、ちょっと違います。御子様が本当の力に目覚められると、タケノヒコ様の剣のような蒼白き光になると思います」

「わかったような、わからぬ話だ」

「それに、トヨ様のそこまでのお力など、見た事はないよ」

「まだご本人もお気づきでないご様子。でも、私には何となく分かるのです」

「そのようなものかな」

「はい。あ、そうだ。ちょっといいですか?」

 そう言ってキヨは、その辺にあった木の枝を地面に突き刺して立てた。そしてわずかに遠ざかり、瞑想を始めた。一体何を始めるつもりなのかと、二人とも見守った。

 やがて、キヨの体がわずかに蒼く発光した時、

 ばちん。

 音を立て、木の枝が弾けた。

「これが、破壊の力・・・」

 姫がそう言い、二人とも絶句した。

 キヨはにっこり笑った。

「そうですよ。でもね、私にはこれが精一杯」

「トヨ様なら、それが森ひとつ吹き飛ばせるのか」

「はい。そのように思います。でもね、その場合、ひょっとすると悲しい結末を迎えることになるのかも知れませんね」

「悲しい結末とは?」

「お力をお使いのあと、臥せったりされていませんか?」

 二人は顔を見合わせた。思い当たるふしは、多々ある。

 表情を曇らせる二人の様子などお構いなしにキヨは断言した。

「命と引き換えの、悲しいお力なのです」 


完読御礼!

次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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