第7話
ひとまず3人でパントリーに戻った。
というのも、調達してきた食料を収めるためだ。ボルネオが毎週木曜日にごっそりと一週間分を調達してくるらしく、まだまだ重なったままの食材が残っているらしい。いつも兄弟で収納するのだとか。
(ということは、カンファー様はボルネオ様と私の口論を耳にして駆け付けてくれたわけではないのね)
それもそうだ。こんな広い屋敷で人の声が届く範囲など限られている。偶然や奇跡よりも、目的があってパントリーの近くにいたと考えるほうが自然である。なんだか、がっかりしたような複雑な気分になったけれど、その理由はわからなかった。
3人はそれぞれ食料を並べ始めた。
「カンファーは養子なんだよ」
作業の途中で、急にボルネオが打ち明けた。
それはこんなところで、こんなことをしながら話すに値するのだろうか。あまりに繊細に過ぎる話題ではないかとカンファーを伺い見てみたけれど、これといって気にしている様子はない。黙々とジャガ芋を並べている。きっちりしておかないと気がすまない質なのか、均等に収めている様子が少し可笑しかった。大きな体でちまちまとした作業を好むらしい。
かなりの几帳面だ。
それに比べてボルネオは適当である。正反対の性格とみた。
「どうせ、気になってただろ? 俺達、全然似てねえし、骨格も全然違えし、なにより弟のカンファーが生業を引き継ぐっていうところとかさ。予め教えてやるよ。
そのとおり、俺は病弱だ。
見兼ねた親父が俺を育てるのを諦めた。だから施設からカンファーを養子に貰った。1歳のころからバカみてえに食うし、他の子どもよりも遥かにデカかったからな、こいつ。即決で貰ってきたらしい。
このとおり、親父の目は正しかったっつうことだ」
恵まれた体躯は、確かに天からの贈り物という以外にない。
けどな、とボルネオは続ける。すっかり作業する手は止まっていて、林檎を齧りながら麻袋の上に座ってしまう始末だ。
カンファーは手を止めていない。話など聞いていないみたいだ。興味がないようだった。
自分の過去は、どうでもいい。
リジンにとっては気遣う話題であっても、紛れもない事実をただ述べているだけに過ぎないから気にならない、そんな感じだった。
「可哀想な奴なんだよ、カンファーも。物心つく前から人の首の切り落としかたと、狙われたときのための護身術ばっかり教え込まれてきた。今でも読み書きできねえし、言葉も危うい。カンファーが13歳くらいで、どうも話ができねえなと思って教えようとしたんだが、なにせその頃から一流で忙しくしててな、禄に勉強もできなかった。
んで、あっという間に親父達は闇討ちされて殺された」
「……えっ」
リジンは文字通り言葉を失った。
この屋敷の防犯対策を見るに、迎撃や防御は完璧なのだと信じていた。まさか、そんな惨事があったとは知らなかった。
「仕事もそうだし、性格からして親父は相当に恨まれてたんだろうよ。護衛に扮した企図者が屋敷の前で仕事終わりの親父と、出迎えた母さんをめった刺しにして殺した。俺は留守番、カンファーは、たまたまお気に入りの斬首具が壊れて仕事に行けなかった日で屋敷の奥にいたから無事だった」
だから護衛は門扉を越えてこなかったのか。前例があるから、護衛は屋敷の柵の外までと取り決めがなされたのだろう。
「失敗に学んで、俺達の屋敷まで付いてくる護衛はたったひとりだけにした。それも、必ず毎回同じ奴。顔を覚えられるし、その日の様子とかで異変があれば警戒できるから。そうやって、どんどん俺達は生活しづらくなっていく。な、カンファー?」
カンファーは返事をしなかった。玉ねぎをまたきっちりと並べている背中が大きい。
ボルネオは語り尽くしたとばかりに林檎を齧った。器用に芯を残して、くるくると。
「けど、死刑囚となるとリジンは物資の調達にも行けねえなあ……。死刑は報せが街中に貼られるから顔も知られちまってるだろうし──いや、待てよ。牢の中から裏道を直接使って屋敷に来たってことは、皆に顔を晒したわけじゃねえってことだ。
お前の顔を知ってるのはせいぜい家族と、メイドとして仕えてた貴族の何人かと同僚。死刑執行する報せの姿絵が街中に貼付されてたとしても、ちょっとばかし雰囲気を変えりゃあいけんじゃねえか?」
ボルネオは芯だけになった林檎を床において、リジンに歩み寄った。目の前に立つと、観察するみたいにじっくりと見つめてくる。
いきなり髪に触れた。
以前まではひとつに結っていた髪は、投獄されるときにリボンを取られてしまっていた。洗もせず、梳かしもしていないボサボサ頭は、モップを乗せていると思われてもおかしくないほどに荒れていた。濃い茶色の髪は固く絡まっている。
「髪をちょっと短くして……ほら、首が細くて長いから絶対に短いの似合う。てか顔ちっっっっっさ!! 脳みそ入ってんのか、これ」
ぐにっと、頬を挟まれ、押し潰される。中央に顔の肉が集まって、ぶにぶにとされた。完全に遊ばれている。
しかも今度は無遠慮にリジンの体中に触り始めた。あまり他人と接する機会がなかったという生い立ちが、ここで遺憾なく発揮されている。
リジンはただただ驚いて、されるがままになっていた。女性であっても、こんなふうに体に触られた経験がなかった。
「背も低くないし、痩せてる。お前、なに食って生きてきたんだ? 腰が細すぎて、こうやって掴むと右手の中指と左手の中指がくっ付きそうだぞ。痩せすぎ」
がしっと腰を持たれて驚いてしまう。リジンはほとんど肌着しか着ていなかった。死刑囚に服など必要ないと、メイドの制服は剥ぎ取られてしまったのである。直に伝わるボルネオの手が男の体温をしていて、はっと息を呑んだ。
「胸もねえし」
(それは、否定できない……)
リジンはコンプレックスを言い当てるクイズをしている気分になってきた。ボルネオが指摘したすべては、リジンが自分の体で好きではない部分だ。
「男物の服を着ればなんとかなりそうだ! よし! 次の木曜日は一緒に出掛けようぜ! 服は俺が貸してやるよ! 腕の長さは──」
また体に触れようとボルネオが手を伸ばそうとするより先に、リジンは宙に浮いていた。
ひょいっと、いとも簡単に持ち上げられたリジンは、いつの間にかカンファーの隣に立っていた。しかもボルネオから遠いほうだ。
「あ!? んだよ、カンファー! まだ話の途中だぞ!」
「…………だめ」
(あ、駄目って言った)
リジンは昨夜、自分が頼んだことを思い出した。カンファーがその頼みを覚えていたのかはわからない。わからないが、作業する手を止めて言った一言は、リジンを少なからず喜ばせた。
「なにが!?」
ボルネオに問われ、言いにくそうにカンファーは床を見つめている。けれど、ゆっくりとした口調で言った。
「さわるの、だめ」
「なんで! 服の大きさがわかんねえじゃねえか!」
「つくる」
「作る!? あー、まあ、お前、裁縫とか編物とか得意だしな。屋敷中クッションだらけだ」
「だめ」
「今度はなにがだめ!?」
「ふたり、いっしょ、だめ」
牢で会ったときと、別人みたいだ。
どちらが本当の姿なのだろう。
誰も人を寄せ付けない、迫力のある口調と出で立ちの彼と、言葉を選びながら、たどたどしくも攻撃的でない言動の彼と。
それより、彼はどうしてリジンとボルネオが出掛けるのを厭うのだろうか。
両親の闇討ちがトラウマになっているのかもしれない。きっと、そうだ。家の前で、やっと両親が帰宅してきたと思ったら惨状だったのだから、心の傷は計り知れないに違いない。
リジンはカンファーにしてもらったことを真似て、カンファーの頭を撫でてやった。
「私は大丈夫です。ボルネオ様の仰るとおり、男性の格好をしてみようと思います。安心してください」
「そーそー! 俺だって少しは体も丈夫になったし、なんてたって相手の隙を突くのだけは上手ぇから、なんとかなるって!!」
カンファーは、耳を垂らした犬のように黙って撫でられていた。
そしてぽつりと言った。
「だめの理由、すこし、ちがう」
「……えっ?」
残念ながら、リジンには聞き取れなかった。