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第4話


「……え、誰?」


 リジンがひとりで待つ部屋に訪れたのは、王子という名が相応しい眉目秀麗な青年だった。白髪とも銀髪ともいえる髪はさらさらで、やや肩まで伸ばし過ぎてしまった感はあるものの、すっと通った鼻筋に、ほんの少し薄めの唇。清潔感漂う白シャツに黒のスラックスは、あたかも伝説として語り継がれる精霊にもみえた。

 白いもふもふクッションを抱きながら、ドアの(かたわ)らに立つ王子を見つめる。

 切れ長の、野生の狼のようなその瞳。その瞳は紛れもなく処刑人のものだった。雰囲気はまるで違うが、同じ目をしている。


「あ、な、なんだ、あなた様でしたか。その……すっかり様相が変わられたので戸惑ってしまいました。失礼を致しました」


 クッションを抱いたまま頭を下げる。


「かんふぁ」


 ところが頭上から降ってきたのは怒りでも許しでもなく、聞いたことのない言葉だった。頭を下げたままの状態で、リジンは考えを巡らせる。これ以上の無礼は許されまい。


(かんふぁ……? そんな言葉、あったかしら。どういう意味? それとも異なる言語?)


「かんふぁー」


 繰り返し、男は謎の呪文を唱えた。


(かんふぁって、なんなの!? かんふぁ。かんふぁ? んーーー!!)


「あ、お名前でらっしゃいますか? カンファー様?」


 閃いたのと同時に勢いよく頭を上げた。男はリジンの体を起こそうとでも思っていたのか、腰を屈めていたらしく、二人の距離は鼻先ほどもなかった。

 ひっ、と息を呑んで、後退(あとずさ)ったのは二人同時で、ややリジンのほうがより遠くに逃げていた。跳ね上がった心臓が屋敷に大きく響く。ふう、ふう、と呼吸を整えて、言った。


「ま、またもや、ご無礼を致しました……も、申し訳ありません。か、か、カンファー様とお呼びすれば、よろしいでしょうか」


 頷きもしないし、なんの動作もないけれど、おそらくそう受け取っていいようだった。


 彼はひどく無表情だ。

 それこそ廊下に並ぶ調度品の数々みたいに、どこか人工的で冷たい印象がある。作りものめいた美しさが拍車をかけるのか、リジンは次になにを言おうか迷ってしまった。


「あの……私は、なにをすれば?」


 問うと、目を見返される。リジンの発言がどういう意味か、図りかねているらしい。


「なにか、お仕事があれば喜んでお引き受けします。お掃除でも?」


 瞬きが首肯の代わりだった。

 クッションをベッドに置いて部屋を見回す。まずは窓を開け放って空気の入れ換えをしなければ始まらない。


「では窓を──」


 風が吹き抜けた。

 窓も開けていないのに?


 ──いや、風の正体は彼だった。


 入口付近に立っていたはずのカンファーが、音もなくリジンの傍を抜けたのだ。窓を背で守るようにリジンを睨み付けてくる。

 風のせいで蝋燭が消えた。

 闇の中で浮かぶ狼の双眸は、リジンの足を竦めるには充分だった。


 怖い。

 闇が怖い。


 狼の息吹がいつ喉笛に飛びかかってくるか。風を感じた瞬間、自分は死んでいるのではないだろうか。斬首具に跳ね飛ばされて、首が床に転がるのではないか。


 お母さん。


 あなたとふたりで暮らしたい。のんびりと、ふたりでスープを作りながら笑って過ごしたい。


(私、どうしてこんなに暗いところにいるのかしら)


 母を馬鹿にされて貴族を殴るのは、地獄に落とされてしまうほどの重罪なの?

 ならば、貴族はどうなの?

 私と母を人間とも扱わなかった彼女は、今ものうのうとメイドを侍らせて優雅に暮らしている。

 命の重ささえ、お金の量で決まるというの?


 リジンは蹲ってしまった。


 膝を抱え、悔し涙を流す。


 どうしようもない理不尽さと恐怖は、なぜか苛立ちに変わった。


 怖がらせてしまったと罰が悪かったのか、カンファーがのそのそと歩み寄ってくる気配があった。目の前になにかが差し出されて、触れてみるとまた白いクッションだった。


(なんなの……)


 噛み締めた奥歯がぎしりと鳴った。

 ここまできたら、なるようになれ。

 今まで抑え込んできた感情を爆発させる。


「私はリジンです! メイドです! 驚かさなくても、やってはいけないことは指示されたら守ります! やれと指示されたらやります! お料理もお掃除も身支度でもお買い物でもなんでも言ってくださればわかります! 言ってくれないとわかりません! だからいちいち驚かさないで!!!!」


 リジンの怒鳴り声は反響して余韻を残した。残響が、きぃん、と耳鳴りに変わるまでどちらも沈黙したままだったけれど、内心は真逆の反応だっただろう。苛立ちを言葉にしてすっきりしたが、拷問にでも掛けられるかもしれないと恐怖や不安も入り混じっているリジンと、ただただ驚いているカンファーと。


(い、いいのよ。とにかく言いたいことは言った。これまで貴族に諂って生きてきたんだから、これからは素直に言いたいことを言ってしまえばいいのよ)


 ふんっ、と鼻を鳴らしたリジンはどこか吹っ切れている。

 暗闇に目が慣れてきたところで、驚いた。カンファーがクッションを小刻みに撫でているのだ。その瞳がきょろきょろと不安そうに動いている。


「……慣れて、ない」


 そうして、たっぷりと時間を掛けて呟かれた言葉はやはりリジンが求めていたものよりもだいぶ少なかった。


 慣れてない、とは?

 なにに慣れていないのだ?

 考えて、すぐにわかった。


 人に慣れていないのだ。


 この広大で暗い屋敷にずっとひとりでいるせいで、人に慣れていない。誰になにを伝えて、どう伝えるのか、わからないのだろう。


 リジンは呼吸を整えた。


「駄目なら駄目と言ってください。やってほしいなら、やって、と。それだけでいいのです」


 瞬きでの肯定。


「あとは返事があると非常に助かります。わかったか、わかっていないのか。はい、いいえ、ごめん、ありがとう、おはよう、おやすみ、ごちそうさま、いってきます、いってらっしゃい、さようなら、こんにちは!」


 無表情のまま考えて尽くして、カンファーは瞳を左右に動かしながら言った。


「……あ……」


 たった、それだけ。


 その反応を見て、リジンは反省した。

 感情的になりすぎた。

 無理矢理に喋らせようとするのは苦痛を与えるに違いない。自分は苦手なことを押し付けるような、そんな高圧的な人間ではなかったはずだし、そうなりたくもない。ただあまりにも環境が変わってしまったから混乱して、カンファーに八つ当たりしているだけだ。


(私ったら、なんて最低なことを)


 深呼吸をする。

 心が穏やかになったところで、立ち上がって一歩踏み出した。カンファーが持っているクッションを一緒に撫でてやる。ふわふわと掌がくすぐったい。


「ごめんなさい……言い過ぎました。ただ、やっぱり驚くのは苦手ですので、駄目なことは駄目とだけ、言ってください。それだけで大丈夫ですので」


 暗い部屋で互いにクッションを撫で合うとはどういう状況なのだろうか。

 なんだか可笑しくて、どういう理屈なのかわからなかったけれど、ひとつ確かなことは、彼はとても素直で優しいということだ。

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