第3話
だいぶ揺られただろうか。
山奥の、とある屋敷に着いたとき、気付けば護衛はたったひとりになっていた。
大きな鉄製の門扉をくぐり抜けたあとは、護衛はいなくなっており、リジンと男の二人きりになってしまう。
気になって振り返ると、護衛は門の外から二人が屋敷に入るのを見守っていた。彼はここまでのようだ。
そのまま視線を巡らせる。
屋敷はぐるりと鉄柵に囲われ、さらに乗り越えられないよう屋敷をすっぽりと覆ってしまうほどに鉄線が張り巡らされている。空まで有刺鉄線で遮られた屋敷は、まるで鳥籠だ。
馬を納屋に繋いで屋敷に入ると、とても暗くて驚いた。
広大な屋敷に違いないのに、二人の他には誰もおらず、しんと静まり返っていて物悲しさを感じる。雨戸まで閉じられた屋敷の中は地下のように暗くて、男が手にした燭台の蝋燭の火がなければ牢屋に逆戻りしたと勘違いしてもおかしくない。
男は無言で服をひらめかせ、歩き進んでいく。
リジンも仕方なしに、その背を追った。置いていかれては堪らない。
玄関を入ってすぐの大広間から左右に伸びる階段のうち、左に続く階段を登っていく。
登りきった先にある扉を抜けると、やはりここも暗かった。細い廊下が続いているらしい。
所々に置いてある銅像が蝋燭の明かりに照らされて、ぎょっとする。物々しい飾りばかりがリジンを出迎えた。
大きな鳥の剥製が浮かび上がって、とうとう驚いて男の服の裾を掴んでしまった。
男がゆっくりとした動きで振り向いてくる。
おそろしい長身だ。
長年、メイドをしていたおかげで体格に合った服の寸法はだいたいわかるつもりだが、男の背は1メートル90センチメートルはあるに違いない。服の上からでもわかる膨らんだ筋肉は、身長も相まって輪をかけて迫力がある。しかも、黒塗りにした眼差しは三白眼で鋭い。闇の中に浮かんだ双眸に、ぎょろりと睨まれた気がして、さっと手を放した。
「も、申し訳ありません……」
リジンの謝罪に対し、男はうんともすんとも言わずに、また歩き始めてしまう。
(この人は処刑人。怒らせたらすぐに殺されてしまう。気に障ることをしないようにしないと)
リジンは咄嗟に手が出てしまわぬように、胸の前で手を握り合った。しがないメイドが祈る聖女のような姿勢で歩き回るのは、傍から見れば滑稽なのだろうけれど、生きるためならばやむを得ない。
「ひっ……!」
生首!
また火の明かりに照らされたものは、メデューサをモチーフにしたおどろおどろしい彫刻だった。人の屍ではないと気付いても、一度受けてしまった衝撃は簡単には冷めやらぬ。痛いくらいにばくばくと波打つ心臓を抑えていると、男の長い腕が伸びてきた。
そしてリジンの握り合った手を、片手で包み込んでしまった。
無言が続く。
(これは、もしかして怖くないと励ましてくれているのかしら)
背を向けたままの男は動こうとしない。しばらく様子を見ていたが、リジンは意を決して言ってみた。
「も、もう平気です。落ち着きました」
無言が続く。
けれど遠慮がちに男の手が離れていったので、やはり汲み取った意味は正しかったのだとリジンは思う。
それから角を3つ4つ曲がって、これまで通り過ぎたものよりも一回り大きな両扉の前で立ち止まった。
静かに男が指を差す。
(ここが、私の部屋ということかしら)
「わかりました」
頷いてみせると、男はおもむろにドアを開ける。
中は暗いが、応接間、書斎、寝室、浴室がひと続きになっている部屋なのだとわかる。壁紙も家具もほとんどが白で統一されていて、これまでの屋敷の雰囲気とは打って変わって明るい。これで照明さえあれば眩しいくらいに美しい部屋であるはずなのに、天井はおろか、ベッドサイドにもなにも置かれていない。
男がまた部屋を指差す。
「……ここで待っていろ、と?」
無言。つまりは肯定か。
ひとりにされるのは不安だ。
なにしろ暗い。
この男がいなくなれば、この部屋はまた暗闇に沈むだろう。
とにかくなにか蝋燭を探さなければときょろきょろとすると、小さなキャンドルが目に付いた。ガラス製の容器に入ったキャンドルで、火を付けたままにしても燃え尽きたら容器だけが残る仕様のものだ。たたっと駆けて蝋燭を手にし、戻る。
男の持つ蝋燭から火を借りると、リジンの手の中にも小さな火が灯った。
「お待ちします」
言うと、男の三白眼がしばらくリジンを見下ろしてきた。
美しい月色の瞳だった。金とも銀ともいえぬ、それでいて白ともいえぬ、淡い色。そのぶん虹彩がはっきりとした黒色だから、目付きには苦労するだろうとリジンは思った。
心配しているのだろうか。
「大丈夫です。大人しく待っていますから」
ただ、なるべく早く戻ってきてもらいたい──とまでは言えず、無理矢理に微笑んでみせる。すると、今度は男がきょろきょろとして、寝室のほうへ消えてすぐに戻ってきた。
手渡されたものは──
「……クッション……?」
真っ白なクッションだ。ふわふわで、真ん丸で、まるで白ウサギが丸まっているみたいな柔らかなクッション。
(どうして、これを……?)
不思議に思って三白眼を見上げると、目をぱちくりとしてクッションを指差してくる。リジンに真意が伝わっていないと察したのだろう、先程よりも指差す動作に力がこもっている。
(あっ。これを抱いていてれば怖くないってことかしら)
「わかりました。これを抱っこして、お待ちしています。これなら、怖くないです」
正しかったらしい。うむ、と無言で顎を引いたあと、男は影のように揺らめいて、音もなく部屋を出て行ってしまった。
よかった。
あまり凶暴な人ではないのかもしれない。
リジンはそんな感想を抱いた。