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第21話


 広間の鐘が鳴った。

 それはリジンがこの屋敷で暮らしてから、何度目かの鐘だった。広間から遠く離れたリジンの部屋にも微かに響く鐘の()は、重くて悲しくて、苦しみに悶ているように聴こえる。

 そっと目を覚ますと、同じくボルネオが瞼を開けたところだった。

 ふたりはベッドの上で、同じ枕の上で、数秒、見つめ合った。


 カンファーはもういない。


 彼には正確な体内時計があって、水曜日の朝はとてつもなく早く起きる。リジンには本当に今日が水曜日なのかもわからないけれど、トレーニングに向かうのとは異なるカンファーの雰囲気から察するに、まず間違いなく仕事の日らしかった。


 ボルネオとリジンは広間に向かった。


 カンファーは、黒ずくめの影に早くも姿を変えていた。

 目の周りを黒く塗り、頭も口も鼻も、全身を黒で覆う。

 その背中に3本の斬首具が担がれていた。自分の背丈よりも大きな刃物を軽々しく担いでいるカンファーは、もうリジンとボルネオを見なかった。


「いってらっしゃい」


 ボルネオとリジンが言っても、目もくれなければ言葉もくれない。


 そして、瞳に光がない。


 水曜日の彼はカンファーではなく、根からの処刑人だった。


 玄関から光の中に消えていくカンファー。


 唯一、この屋敷から出られる日が仕事をしなければならない日だなんて、なんと皮肉なことか。外の空気を味わい、楽しむことも癒やされることもなく、嗅ぐのは血の香り、気にするのは罪人の首の太さ。


「カンファー様はいつまでお仕事を続けるのでしょうか」


 閉ざされた屋敷でリジンは問う。

 ボルネオは鎖で繋がった腕で頭を掻き、うーんと、唸っている。


「やめねえと思うよ、俺は」

「なぜです? こんなに、辛いのに」

「ギロチンは故障が付き物だ。手入れを丹念にしてやらねえと、一発で切れなくなってくる。そうなると、苦しいのは罪人だ。痛いのも罪人。でも、カンファーは絶対にやり遂げる。命を奪うから、せめてもの情けなんだろ。もしかしたら、あいつ以上に優秀な奴が現れたら、やめるかもな。それまではやめねえよ。今のところは自分が一番だと、あいつは知ってる」


 罪人達はなにをしたのだろう。いったい、どんな罪を? リジンのように膨張した罪を負わされている人もいるのかもしれない。そうなれば、せめて痛みを感じずに、というのは最後の情けになる。


「私は、こうして見送るしかできないのでしょうか。他に、なにかカンファー様のためにできることは、ないのでしょうか」

「一緒にいてやれ」


 意外な返事だった。

 驚いて見ると、ボルネオの顔はすっかり兄のそれになっていた。


「なにも喋らなくていい。なにもしなくていい。ただ隣でくっついてやれ。俺達は、それだけで充分なんだ」

「……わかりまし──」


 そのとき、玄関がノックされた。

 はっと肩が跳ねる。この屋敷に訪問者などありえない。カンファーならノックはしない。


 ならば、ドアの向こうにいるのは誰なのだ?


 ボルネオが目の色を変えて身を乗り出した。


 そこに、軟弱な彼はいなかった。



◇◆◇◆◇◆



「……カンファー様でしょうか──」

「ありえねえ。あいつはノックなんて絶対にしない」


 ふたりは玄関が見下ろせるという部屋に向かって歩いていた。ボルネオは手枷など気にもせず、猛然と突き進む。走るまでにはいかない、静かな歩み。


 やはり、これが男女の違いか。


 いかに病弱だったといえど、ボルネオの脚力には付いていけそうもない。何度も転びそうになりながらも、けれど、そのたびに耐えた。引っ張られる枷が腕に食い込んで痛む。この痛みが、きっと襲撃の恐ろしさそのものなのだろう。

 ボルネオは部屋に着くや、何故かドレッサーのカバーを外した。


(……えっ、外?)


 その鏡に外が写っているのだ。誰もいない玄関がひっそりと存在している。

 絵なのではない。


「反射を利用してる。雨戸にほんの少し隙間を残して、鏡を鉄線のあちこちに置いて、反射に反射を繰り返して玄関を見られるようにした。ただ、鏡の存在が知られるとあっちからも内部が見られちまう。だからいつもはカバーを掛けて、部屋も閉じてある。……誰もいねえな。いや……手紙か?」


 鏡で見えなくなるぎりぎりのところに、紙を巻きつけた石がふたつ落ちていた。あれを鉄柵の隙間から投げ込んだのだろう。それでノックに聞こえたに違いない。


「取りに行きますか?」

「行くわけねえだろ。誰が待ち伏せてるかわかんねえんだ。迂闊に窓を開けて、矢が吹っ飛んできたこともあんだぞ。家ごと燃やされかけたこともある」

「では、きょ、脅迫文とかでしょうか」


 公爵家に仕えているときに、数度、脅迫文が届くことはあった。金のやり取りの末、全財産を失ったものからの恨みつらみが(したた)められた怨念の塊は、怒りの矛先がずれていて首を傾げたくもなったし、ただの鬱憤晴らしのように思えた。


「脅迫……かもしれねえ。とにかく、気にすることじゃない。まともな手紙なんて今の今まで届いたこともねえんだ。屋敷中の戸締まり確認して、カンファーが戻るまで()()()()に籠城してやり過ごそう」


 鏡にカバーを掛ける。さらに雨戸の隙間もクッションで埋めてしまった。


「……ある部屋とは、パニックルームのようなところですか?」

「……まあ、ある意味ではパニックだな。……悪い、夢中で引っ張ってた」


 ボルネオはリジンの手首に滲む血に気が付いたらしく、悪びれた顔で手首を擦ってくれた。

 リジンは気にするなと首を振る。

 命を守るときに、がむしゃらになるなというほうが無理なのだ。

 今度は、ボルネオはしっかりとリジンの手を引いて屋敷中の施錠を確認した。


(カンファー様がお戻りになるまで、家を守らないと)

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