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第19話


「ケーキ作りは難しいですよね」


 ふたり、廊下に残されたリジンはボルネオに言った。

 ややあってから、ボルネオが囁くように返してくる。俯いたままのせいで、声はくぐもっていた。


「母さんは……俺には作ってるところ……見せてくれなかった……食べさせてもくれなかった」


 それは酷というものだ。

 見た目だけで過程と味を想像して作るなんて、よほどの達人でなければできない。本を読んだとしても、料理が得意でなければ難しかっただろう。


「作り方をお教えします。一緒に作りましょう」

「……本当に繋がったままでいい?」


 やっと顔を上げてくれたと思いきや、ボルネオの目は充血して真っ赤になっていた。疲れ切った顔をしている。たったの数分でごっそりと痩せてしまったみたいだ。


「もちろんです。()()このほうがいいのでしょう?」


 問うと、ボルネオは小さく顎を引いた。


「では行きましょう」


 手を差し出すと、握り返してくる。鎖で繋がったふたりは掌でも繋がって、ようやくカンファーの後を追った。



◇◆◇◆◇◆



 完成したケーキを見た兄弟の顔を、リジンはきっとずっと忘れないだろうと思った。太陽を見るような輝いた瞳こそが、彼らの本来の瞳なのだろう。この暗い屋敷は、その光を奪ってしまった。


(出来るだけ、叶えてあげよう)


 ケーキだけでなく、プリンだってアイスクリームだって、彼らが輝きを取り戻してくれるならいくらでも勉強して失敗して、なんだって作れるようにする。

 そう決心しているうちにホールケーキをほとんど兄弟で食べ尽くしてしまった彼らは満足したらしく、ボルネオは先にお風呂に入って上機嫌である。リジンとふたりでソファに並んで、うとうととしている。

 そこで気まずいのはリジンだ。


(ま、またお風呂はふたりで入るのかしら)


 一度はボルネオの風呂のために外されていた枷も、今はまたボルネオと繋がっている。カンファーはというと、ボルネオとリジンが座る向かいのソファーで編み物をしていた。

 誰も何も喋らない。静かな空間だけれど、ひとりでない安心感がある。

 けれど、やきもきしてしまう。


(自分から一緒に入りますかって、聞くのもおかしい気がするし……)


 けれど久しぶりに外を歩いて汗も掻いたし、お風呂には入りたい。ひとりなのか、ふたりなのか、そこが問題なのだ。


「あ、あの……お、お風呂──」

「ふぁーーぁ……ねみ……。腹いっぱいで眠くなってきた。そろそろ寝るかなぁ。ふたり、今日は風呂入んねえの?」


 素晴らしいタイミングで聞いてくれたとボルネオに拍手したくなった。その言葉で、やっと編み物から集中を切ってくれたカンファーが視線を向けてくる。リジンは目で訴えた。


(入る……! お風呂! 入りたい!!)


 ただ、自分の立場上、あまり自己主張してもいけない気もするし、一緒に入りたいと受け取られて痴女扱いされてしまうのも嫌な気がするし、どうにも自分からは言い出しにくい。


「お風呂、いこうか」


 カンファーに訊ねられる。


(やっぱり、ひとりでは行かせてくれないよね)


 期待も少しあったけれど、逃げない証明をしたいからリジンは素直に頷いて、兄弟でやり取りされる枷を見つめていた。


 そして結局、大きな浴槽にふたり並んでいる。


 ただ、前回と違うのはカンファーがなるべくリジンを見ないようにしているところだろうか。正直なところ、その行為は助かった。やはり男性に裸を見られるのは緊張する。


「ケーキ、ありがとう」


 湯気の中に言葉が浸透してくるみたいな小さな囁きだった。


「喜んでいただけたみたいで、私も嬉しいです」


 その『ありがとう』の言葉をきっとボルネオにも伝えたほうがいいのだろうと思う。けれど、ボルネオはあしらうかもしれない。そうなると礼なんか言わなくてもいいやと思われてしまうのも、ふたりの仲を後退させてしまうみたいで嫌だ。

 うーむ、と悩んでいると、カンファーの指が伸びてきて、ふと首を撫でられた。

 熱い指だった。


「痛い?」

「……えっ? ああ……! 首にある指の跡のことですね。大丈夫です。まったく痛みはありません」


 言うと、そっか、とだけ呟いて、しばらく沈黙が続いた。ちゃぷん、と浴槽の中の湯が静かに音を立てている。


(熱い……そろそろ出たいな)


 このままでは、のぼせてしまいそうだ。けれど、やはり主であるカンファーが動き出さないと動き出せない。元メイドの職業病というのか、付き従うのが身に付きすぎてどうにもきっかけがわからない。

 そんなとき、カンファーがそっと言った。


「あのね……もう、ぼくとお風呂はやめたほうがいいと思う」

「……それは、どういう……?」


 もちろん、ひとりで入れるならひとりで入れたほうがリジンも気楽である。ただ、妻として厭われるのは困る。どこにも行く宛などないのだ。捨てられてしまったら、逃げ続ける生活になる。資金がないと、いずれは朽ちていくだろう。ここにいたい。


「あに、言ってたこと正しい。ぼく、リジンにたくさん、痕をつけたくなる」

「……なるほど」


 確かに痛みを伴う痕は嫌だ。ボルネオは枷がなんとか安心材料になってくれたが、カンファーにとってはなにを与えれば安心してくれるのだろうか。

 なにはともあれ、ひとりでの入浴許可は非常に嬉しい。


「では明日からは私はひとりでお風呂と言うことでよろしいでしょうか? もちろん脱衣所等で見張っていてくださって構いませんし」

「うん……でも……一緒に入りたい」

「ん……?」


(入ってはいけない気がする。入りたい。どっちなんだろう?)


 カンファーを見ると、ねっとりとした瞳と目が合った。

 息を呑んだ。

 瞳の色は白なのに、紅く見える。熱っぽくて、猛々しくて、雄々しい瞳。普段の冷たい眼差しとは温度が違う。


「あ、あの──」

「あに、言ってたこと正しい。けど、ちょっと違う。確かに痕を残したくなる理由のひとつは合ってたんだけど、なんか、ちょっと違う」

「ち、違う……?」

「うん……背中を見せてくれる?」

「は、はい」


 くるりと背を向けて、膝を抱える。枷は繋がったままだから、片腕だけが不自然にカンファーのほうへ残った。その腕をカンファーは関節を捻り上げるようにしてリジンの背中に当てた。鈍い痛みが走る。


(折られる……ッ!?)


 けれどそこまでの力は込められずに、動けないだけで終わった。

 カンファーは、腕を背中で固定させたまま、もう片方の手でリジンの背中に掌を滑らせた。



「あ……つ……ッ!?」



 掌を追うようにして、背中に這う熱いものはなんなのか。

 湿っていて、蛇のように蠢いて、熱い吐息を伴うもの。


(な、舐められて……!?)


 逃げようにも腕を掴まれているし、さらにカンファーは逃げさせまいと肩を掴んできてぴくりとも動けなくなってしまう。

 背中に何度もキスをされた。時折、小さな痛みが走るのは強く吸われているからだ。


「か、カンファー様!」


 鳥肌が立つ。

 その鳥肌の立った肩を、やはりカンファーは指で弄ぶように撫でた。


「ぼくが残したいのは、こういうの。こういう、痕」


 また舌が生き物のように這う。背中、項。肩を甘噛みされて、じんじんと痛むほどに鳥肌が強くなっていく。

 声が出そうになって、抑えた。

 背後で、ごくりと生唾を飲む気配があった。


「ぼく、なんかおかしい」


 肩に、とん、とカンファーが額を乗せてきた。


(……熱い……?)


「リジンを食べたくなって、お腹の中が、お腹の、もっとずっと奥のほうがぐるぐるして、もやもやして、我慢できなくなる。いつか、リジンを襲いそうで、こわい」

「それは、そ、その……」


 夫婦といえど、リジンもまだ正直なところ、心の準備はできていない。だからあと少し待ってもらえるとありがたいのだが、夫としてどうしてもと言うならと、思考がぐるぐるする。


「……熱い」


 カンファーがそう呟いて、ぽちゃん、と音がした。

 不審に思って振り返ると、なんとカンファーが沈んでいる。


「はい!? ちょ、カンファー様!?」


 なんて重さだ。顔を水面から上げておくだけで全身を持っていかれそうになる。


(私ひとりじゃ無理だ)


「ぼ、ボルネオ様! ボルネオ様!」


 脱衣所のドアが開いた音がして、その後、ボルネオが不思議そうな顔で浴室に入ってくる。

 ふたりの顔を見比べて、片眉を吊り上げた。


「3人でヤりてえの?」

「わかってるくせに!!」


 とりあえず、体を隠せるようタオルを投げてくれたのは感謝した。

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