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第12話


 カンファーは毎日、体を鍛える。人が見れば「狂っている」と愕然とするほどの鍛錬を毎日やってしまうのだから、やはりそれも才能といえた。今でこそ手の皮が厚くなったが、鍛え始めた当初は素振りだけで皮がずる剥けになったこともある。斬首具の柄にこびりついた自分の皮を拭き取るのも、なんとも思わないくらいには辛い毎日だった。

 鍛錬には半日が掛かる。それを終えれば食事をして、泥のように眠る。そうして水曜日に仕事をして、その日だけはなんの鍛錬もせずに趣味に没頭して心の安寧を図る。その繰り返し。


 だが今はリジンがいる。

 リジンが待っている。


 ベッドにボルネオと残していくのは本当に辛かったが、これも仕事のためだから仕方がない。それに、ボルネオの気持ちもわからなくはない。自分がこうしている間、あの兄はやはりひとりなのだから。


 塩になるほどの汗をざっと流して、リジンの元へ向かう。やはり厨房にいるだろうと予想したのだが、今日はそうではなかった。なにやら言い争う声が遠くで聞こえた気がして、走っていく。


 使っていない部屋が開いている。

 覗くと、ふたりが口論をしていた。


 その手が手枷で繋がっている。


 混乱した。


 どうしてそんなことになっているのだ?


 けれど、遠目からでもわかるが、手枷には我が家の家紋が刻印されている。処刑人一家が使う道具すべてに刻まれているもので、間違いなくあの手枷は我が家にあったものだ。ああいった類の道具は、地下に保管してある。簡単に盗めるものではないから、他人が襲ってきたわけではないだろう。


「どうしたの」


 訊ねると、リジンはほっとした表情を浮かべた。


「カンファー様……! 誤解なんです。私が逃げようとしたとボルネオ様が仰って」

「逃げようとしたじゃねえか」

「違います! それなのに手枷をつけて、一週間はこのままにと仰るんです。他はともかく、お風呂やお手洗いはせめてひとりで行かせてください!」


 え、そこ?


 手枷をつける云々ではなくて、お風呂やお手洗いなの?

 カンファーは小首を傾げてしまう。世論的には手枷はもしかして普通なのだろうか。手枷は鉄製だから、かなり重たいもののはず。しかも鎖付きとあれば、尚更だ。実際、リジンの左手首は既に痕が付き始めている。


「風呂に入るって言って逃げるつもりだろ!」

「逃げません!」

「お手洗いとか言って窓から逃げるんだろ!」

「しません!」


 本当に逃げようとしたのだろうか。

 カンファーは一瞬、疑いそうになった。けれど、なぜだかリジンは、そんなことはしない気がした。去るのなら、もっと道理を通すというか、けじめをつけてから行動に移しそうではある。


「あに、これ、よくない」

「うっせえな! ならリジンがいなくなってもいいのかよ!?」

「やだ」

「じゃあ、こうしておくしかねえじゃねえか!」

「お、お風呂は嫌です!」

「やっぱりそうやって──!」

「だから逃げないって──!」



「じゃあ、ぼくがつける」



 ふたりの口論に割って入ると、ふたりはぽかんとした顔でカンファーを見た。

 犬猿の仲なのか、息が合うのか、よくわからないふたりだなと思った。


「なんでお前なんだよ! お前は忙しいんだから、俺が監視してねえと!」

「男の人、女の人とお風呂はだめ」

「はあ!? なんで!?」

「普通、そういうもの」

「なんでだよ! 世の中どうなってんだ!」

「だから、僕がつける」

「なんで! お前だって男じゃねえか!」

「そうですよ! お風呂は私がひとりで──」

「僕達、夫婦。だからお風呂も大丈夫」

「……なるほど。まあ、そういうもんか?」

「ここで夫婦を利用しないでください!」

「でもお前が鍛えてる間はどうすんだ! あの部屋にリジンを連れて行く気か!?」

「あの部屋とは?」


 リジンにあの忌まわしい部屋の存在を知られたくない。カンファーはその一心だった。


「じゃあ普段はあに、お風呂だけは僕が付いていく。これでいいでしょ?」

「なるほど、それならまあいいか」

「全っ然! よくありませんが!? 逃げないって言ってるのに!」

「信頼は努力で得るもんなんだよ!」

「くっ……! もっともらしいこと言って!」


 へっへーんと(おど)けて笑うボルネオは心底楽しそうだった。久しぶりに、いや、初めてあんな顔を見るかもしれない。


 その事実がカンファーには悲しかった。


 自分が仕事を引き継いで処刑人にならなければ、ボルネオは平民として幸せに暮らしていたのではないだろうか。

 処刑人はその仕事柄、引退したらどの職場も引き受けてくれないと予想されるため、隠居後の生活を保障されている。地位はなくなるが必要最低限の生活をしていけるよう給金が出るのだ。


 その選択がよかったんじゃないか?


 カンファーはいつも思う。

 仕事を続けるのに、意味なんてあるのだろうか。


「もう! とにかく今は何時なんですか! 朝ですか、お昼ですか!」


 リジンの問いに、ボルネオとカンファーは肩を竦めた。

 そんなもの、この屋敷では意識したことがなかった。水曜日になると広場の鐘が鳴る。それだけが生活の基盤なのだ。


「時間がわからないって本当に不便! 時計はないんですか、時計は!」

「あるにはあるけど、でも今が朝の9時なのか夜の9時なのか、あんた見分けつくのか?」

「ぐっ……」

「気ままに、趣くままに生活してねえと、この屋敷じゃやっていけねえぞ? 大丈夫、俺が手取り足取り教えてやるから」

「なんか、いやらしいです、その言い方!」

「なんでだよ!」

「セクハラですよ!」

「せくはらってなんだ?」

「えっ」

「えっ」


 カンファーは、ぷっ、と吹き出した。

 ボルネオと同様、カンファーもリジンがいる生活が楽しくて仕方がなかった。

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