第10話
どうしてこうなった?
右に顔を向けると、ボルネオの寝顔。
左に顔を向けると、カンファーの寝顔。
つまり兄弟は、リジンを真ん中にして熟睡しているのだった。
はっきり言う。
眠れない!
眉目秀麗な男性ふたりに挟まれて、どう眠りにつけというのか。ただでさえ、誰かとベッドを共にしたことなどない。女性であっても経験がないのだから、眠れというほうが無謀すぎる。
これは一体どんな試練なのでしょうか、神様。
(とにかく、深呼吸)
2度、3度と深く呼吸すると、だいぶ落ち着いた。
これは、そう、ボルネオが言い出したことだ。
兄弟以外が屋敷にいるのはいつぶりだろうかと、楽しすぎて離れたくないから一緒に寝ようとボルネオが提案して、もちろん断ろうとしたのにカンファーが「ぼくも」と言い始めるものだから収拾がつかなくてこんなことに。
世間一般的な、男女がベッドを共にする意味というものを、あまり理解できていないのだろう。無遠慮にボルネオが触れてくるのも、きっとそういうことだ。男女の垣根がない。
「眠らなくちゃ」
きゅっと目を閉じる。
途端、ボルネオがリジンを抱き締めるのだからすぐに目を見開いた。ぐっと近付くボルネオの唇が頬を掠める。
(ちょっと、ちょっと)
ぐっと身をよじって逃げようとするのだけれど、残念ながらボルネオの力は緩まない。
男性と関わるのはリジンだってこれがほとんど初めてだ。いつも令嬢に仕えてきたから、女性以外とまともに話したことがあるとすれば、令嬢の好みを伝えるためにシェフや仕立て屋を相手にしたくらいだ。
「なあ……」
「わぁ!?」
びっくりした。
驚いて振り返ると、ボルネオが瞼を閉じている。寝言だろうかと安堵していると、薄い唇が小さく動いた。夢と現を彷徨っているらしい。
「カンファーと、結婚したんだよな……?」
寝言ではないらしい。リジンは応えることにした。
「左様でございます」
「なら……ずっと、ここにいるんだよな……?」
「……? そのはずです」
「……よかった……ここに独りでいると……おかしくなりそうなんだよ。来てくれてよかった……」
眠そうな掠れた声で言って、今度こそボルネオは夢の中に堕ちていった。それでもリジンを繋ぎ止めんとする腕の力はそのまま残っている。
そうだろうな、とリジンは改めて思った。
ボルネオは言っていた。処刑人は体を維持しなければならないと。ならばカンファーは、あの体のために1日に何時間も鍛錬を積むはずだ。他にも趣味に没頭する時間もあるだろうし、眠る時間もある。その間、ボルネオはずっとひとりだ。
誰と会話するでもなく、なにをするでもなく、蝋燭だけで照らされた暗闇の中で終わりの見えない今日の終わりを待つ。
おそろしいほどの時間をそうしてきたのだろう。
そこに話し相手が現れたとなれば、しがみつくのは当然といえた。
そして、無論、そう思うのはボルネオだけではない。
「りじん」
名を呼ばれて、カンファーを見る。
やはり目を閉じたままだ。描いたような整った顔。あの力強く鋭い瞳が隠れているからか、柔和な雰囲気がある。彼もやはりボルネオと同じく夢の狭間にいるらしい。
「奥さん」
「左様でございます」
「ぼくの、おくさん」
「はい」
「ぼくだけの」
「はい」
「行っちゃ、やだよ。どこにも」
言われて、リジンは涙が溢れてしまいそうだった。
これまでのリジンは、彼らと違って明るい世界にいた。他の誰かからの恨みや襲撃など頭の片隅にもなく、働いて、明るい廊下を行き来して、なに不自由なく暮らしてきた。働けばお金が貰えて、そのお金も自由に使えた。歩くたびに襲撃に怯える日なんて存在しなかった。
そんな平和な日常の中で、リジンが必要だと求められたことは、やっぱり一度だってなかった。
リジンがいなくても成り立っていく世界。
リジンでなくても、代わりはいくらでもいる世界。
古くなったら捨てられて新しいものを買ってしまえば済む服のように、リジンは挿げ替えのきく消耗品に過ぎなかった。
だから、リジンは自分の居場所を確保するのに必死だった。
それは母に対してもそうだった。母に捨てられないように必死で、母にとって自分は邪魔なのじゃないか、消えたほうがいいのじゃないかと思いつつも縋りついて、ずっと自分のいるところを守り抜いてきた。
令嬢に虐げられても、それを耐えてきた。反旗を翻せば、居場所がなくなってしまうからだ。
けれど、母の侮辱だけは許せないと怒ってよかったと、今は思う。
自分の気持ちを押し殺す居場所なんて、居場所じゃない。
そんなの、辛いだけだ。
だからほら、リジンは今、とても嬉しい。
「……っく」
声を押しているのに、喉が鳴ってしまう。泣いていると悟られたくないのに、心が溢れてきてしまう。
(ここにいても、いいんだ)
彼らは自分を求めている。なにをするでもなく、自分という存在を求めている。
それだけで胸がいっぱいになって溢れ出してしまった。
兄弟達がリジンの異変に気付いたのはほとんど同時だった。ふたり共に、体を起こしてリジンの顔を覗き込んでくる。
「どうした」
「どうしたの」
ボルネオとカンファーに問われ、リジンは涙だらけの顔を両手で隠そうとした。けれど、ボルネオに右手を、カンファーに左手を降ろされてしまって叶わない。しかも、右の頬をボルネオに拭われ、左の頬をカンファーに拭われる。
やめてほしい。
そんなことをされたら、もっと泣いてしまう。
「嫌な夢でも見たのか? 大丈夫だ、俺もよく見る」
「ぼくも」
「一緒にいれば大丈夫だから」
「いっしょに、いるよ」
「離れないから」
「ここに、いる」
頷くだけが精一杯だった。
ふたりに抱き締められて、リジンは苦しくなるほどに胸がいっぱいだった。
(私の居場所は──)




