裏切りの理由
大きなテーブルの上に広げられたのは、中央区の地図だった。明日まわるルートの確認をしている。
「明日の巡回ルートは…ここの路地とこの大通りです」
「わかった」
ヨハンネスは特に何かを言うこともなくそう告げると席を立とうとした。
「あの、」
「なんだ」
「あ、いえ」
聞こうか聞かまいか。悩んでいる様子は見ている方がいらついてしまう。
「…なんだ。はっきり言え」
「その、僕、ヨハンネスさんのこと何も知らないなと思って」
仕事の話かと思えば何でもない話でため息をつく。
「何を知る必要がある。任務に必要なことがあったか」
「任務にっていうか、折角組んでますし。実は最初、少しだけ怖かったんですけど」
「だろうな。皆そうだ。俺に対してまず怯える。そして蔑む。何故お前がこの任務に就いているのだ、とな」
自嘲気味にヨハンネスは笑った。
「それはきっと知らないからだと思って。見た目は僕らと変わりないし、今は仲良くできたらなって思ってるんです」
「知らないから?」
「こないだ、任務の途中で転んだ子供に手を貸していたのをみました。前にもご婦人に扉を開けていたり、迷子を警備まで連れて行ったことも知ってます。他にも色々…僕、見てたんです」
「ステファン、お前気持ち悪いぞ」
ずっと見られたかと思うと少々引き気味に見てしまう。失言だった、と思ったがもう遅い。
「あっ、と、とにかく! ヨハンネスさんは優しいんです」
「そう、か」
そんな風に優しいと言われても、とヨハンネスは思った。
「そんなヨハンネスさんを見てたら怖いなんて思ったのも失礼だなと思って。謝りたかったんです。すみませんでした」
「別に謝る必要はない」
恐怖は潜在的にあるもので、隠そうと思ってできるものではない。
「あの、…どうしてヨハンネスさんはここにいるのですか?」
ここは敵地といってもいいのに。しかもそこで働いているなんて。
「…ずいぶん直球で聞くんだな」
それは意外なことだった。きっともっと回りくどく聞いてくるのだろうと思っていたから。
「あっす、すみません!」
度胸があるのかないのか、分からない不思議なやつだ。
「…知ってどうする」
どうもしません。ただ、
「ヨハンネスさんと仲良くなりたいんです」
とステファンは笑った。
「仲良く、してどうするんだ。任務に関係あるのか?」
「そういうことではなくて。…なんていうか…すみません…」
いつもと違ったかと思えばいつも通りのステファンだ。
「はぁ…お前は少し弟に似ている」
懐かしい感覚を思い出した。
「…! 弟さんがいるんですか!」
その言葉にステファンが食いつく。
「ああ、双子の弟だが全く似ていない。いつもおどおどしていて、何が怖いのか俺の後ろに隠れていた」
「僕、おどおどしてますか…?」
背はヨハンネスさんより低いので隠れてはしまいますけど。
「…ある夜、弟と街を歩いていて酔っ払いに絡まれた。肩がぶつかっただとかそんな理由だったと思う。俺が喧嘩を買った。あいつを逃がすために」
「弟さんが大事だったんですね」
らしいな、と思った。
「…ああ、親は普通の人間だったからな。とっくに死んでいて、あいつを守るのは俺だと思っていた。ただ相手が悪かった。赤薔薇の人間だったんだ。休みで飲み歩いてたんだろう。殴るそばから治る傷に気づかれた」
俺たちは切り傷でも骨折でもたちどころに治ってしまうからな、と困ったように笑う。笑ったところなんて自虐的なとき以外あっただろうか。いや、これも自虐的な笑いに含まれるのだろうか。
「…でも髪の色や瞳の色は…染めてたりしてたんですか?」
「もとからだ。今もな。俺は血への欲求も薄いし、黒髪でも紫の瞳でもない。だが怪我はすぐに治っていくし年を取るのも遅い。ここで働いてどれくらいたつだろうか。最初に組んだ奴は生きてるかどうかさえ…」
「逃げようとは、思わなかったんですか」
「当時の赤薔薇の当主と取引をした。弟を探さないこと。その代わり、匂いで俺のような悪魔を見つけ出すこと。一度、街で一人捕まえたが…どうなったかしらん」
まだ小さな少女だったことを思い出した。きっと親は心配しているだろう。それとももう死んでしまっていたのだろうか。
「匂いで、わかるんですか…?」
「ああ、わかる。滅多にいないがな。怪我をしていれば確実に分かる。だから俺の巡回は街の中なんだ。黒髪紫眼は森や過疎地に隠れ住んでいることが多いが、俺たちみたいなのは街中にも出てくることが出来る」
「じゃあ、こないだの…でも髪の色も瞳の色も普通で…」
「俺を見ろ。黒髪でも紫の瞳でもない。生き証人がいるというのに」
「そうですけどっ。そうそういるわけが…」
「だが、ないわけではない、のだろう」
だって目の前にいるのだから。それが何よりの証拠であり現実だ。
「そんな…でもヨハンネスさんがそういうのなら…。明日のルート、こないだと同じものにしましょう。もう一度会えるかもしれない。変更することを上に伝えてきますね」
ステファンはよし、と小さく呟くと部屋を出て行った。
「…俺は、弟を守るためにその他の仲間を裏切り狩ってるんだ。優しくなんかない」
ヨハンネスのつぶやきを聞いたものは誰もいない。




