旅立ちの前に
鼻歌交じりでレオナルドがグラスをふきあげているときだった。バンっと勢いよく店の扉が開かれた。
「ちょっと! うちのかわいいアンネリエにちょっかい出さないでくれる?」
どうやらイルヴァさんの機嫌が悪いようだ。しかもそれを止めるアンネリエさんが不在ときた。さぁ、どうする。
「イ、イルヴァさん! 急にどうなさいました」
まずは要件だ。こちらに非があるとは限らない。
「こないだの試作品のことよ」
「ああ、お召し上がりになりましたか。いかがでした?」
「アンネリエが甘い香りがするって言ってたわ。私は何も感じなかったけど。その後からなんかぽけーっとしちゃって」
「甘い香りですか、ふむふむ」
「あんた達一服盛ったんじゃないでしょうね」
いつもより低い声に身を固くする。
「まさか! 誓ってそんなこといたしません!」
「どうだか」
「あれは時々特別なお客様にお試しいただいているんですよ。ほかの方にもお配りすることがあるんです。それでに一緒居飲んだイルヴァさんは平気ではありませんか」
「だいたいあんたたちいったい何を作ろうとしているのよ」
「私にはわからないですよ。あれをアンネリエさんに用意したのは私じゃなくて父ですから」
「はぁー元凶はトーマスだったのね。困ったものだわ」
「時々白薔薇のお屋敷に招かれることがあるようでしたが…関係があるんでしょうか」
「白薔薇が絡んでいるとなると薬の線が濃厚じゃない」
バンっと机をたたく。ひどく怒っている様子のイルヴァに、お客さんが今来ませんようにと願うしかなかった。いや、来た方が…
「まぁ、確かに否定しきれなくなってきますねぇ」
「私はとりあえずは何ともないけど」
「まぁ、イルヴァさんですし。滅多なものはお渡ししないと思いますよ。一応商売に命かけてますからね」
けど薬の開発に命かけてる白薔薇もかかわってるんですよね、と二人でため息をつく。
「余計なことはきかなかったことにしておいてあげる。まぁ、商売は信用っていうしー? 一応ここ黄薔薇のお店だから妙なことはしないとおもうけど」
「はい。看板の黄薔薇は我々の誇りですから」
「誇り、ねぇ」
「今日はわざわざそれを言いに?」
「そうよ?」
「アンネリエさんとご一緒に来ていただければ感想も併せてお聞きできましたのに」
「私もうここを発つの。その前に寄ったの。文句も言いたかったし」
そういいつつ、ちょっと大きなカバンを指さす。
「知り合って十年以上経ちますからね。さすがにもう厳しいですか」
「ほら、私ってかわいい系じゃない? だから化粧してもごまかせるのに限界があるのよね」
「確かにアンネリエさんと比べると幾分…」
「レオナルド、今アンネリエの何と比べたのかしら」
「お顔立ちのお話ですよ?」
「それにしては視線がもう少し下だったような気がするけれど」
「それは変ですねぇ」
今、笑顔を崩したらどんな目に合うか分からない。と、レオナルドは口の端を引きつらせる。
「ここの親子はほんっとどうしようもないんだから。文句言いに来たのにいないし」
「タイミングが悪かったですね。入れ違いで父は出かけたんですよ」
「根掘り葉掘り問い詰めるつもりだったのにーっ」
「それはこわい。命拾いしましたね」
「命拾い、ね。私らにとってあんたたちみたいなのは自分より少し早く死んでしまうだけなのに、あんたたちは私たちのことをよってたかってバケモノ扱い」
「ああ、そんなつもりで言ったのでは…」
「分かってるわよ。でも皆そうおもってるじゃない?」
「イルヴァさん…」
「そりゃ色々違うけど、でも同じなのに…」
「だからこそ違いが目についてしまうのかもしれませんね」
「そういうものかしら」
少し伏せられたイルヴァの横顔を見ながら、この人でもこんな表情をするのかと思った。きっと抱えているものは思っている以上に大きく膨らんでいるのだろう。
「それを許容できる人がまだまだ少ないんでしょう」
「…じゃあ行くわ。次に会う時には店主は変わってたりして」
「どうでしょう。なんだかんだ父が続けてるかもしれません」
「人はあっけなくいなくなってしまうし、しぶとく生き残ったりするものね」
「早いお戻りを願っています」
「うん、次こそ文句いってやんなきゃ」
「父がこのことを覚えているうちにしてください」
「ふふふ、じゃ。まったねー」
そういって店から出ていく背中は、いつもよりも小さく感じた。




