誘惑の香り
酔うにはまだ早い、とアンネリエは思った。そしてそれ以前に今日はまだ何も飲んでいない。
「いきたくなーい!」
それなのにイルヴァは領地を離れるのを嫌がって駄々をこねている。まるで酔っ払いのように。
「イルヴァったら。仕方ないじゃない」
「そうだけどぉ。アンネリエは私がどっか遠くに行っちゃって寂しくないの?」
「寂しいわよ? 私お友達ってイルヴァしかいないもの」
「家からほんっとでないものね」
一定期間その場で過ごすと、年をとらないことばがれてしまう。だから知り合う仲間は貴重だし、周りへの警戒も怠れない。
「中央の家にいるときはたまに街に連れて行ってくださるんだけれど。黒薔薇の領地は少し治安が悪いところがあるから基本的に家から出れないのよ」
「よく出会えたわよねぇ。迷子のアンネリエちゃん」
「あの時本当に心細くって。イルヴァのこと天使かと思ったわ」
太陽光を後ろにまとっていただけってオチなんだけど。
「まぁ、ちまたでは私たち悪魔って呼ばれてるみたいだけど」
「でも私には天使だったのよ」
「こんなお嬢様が路地で転んでうずくまってるなんて思わないじゃない?」
「知らない人ばかりで怖かったの。怪我もしてしまって」
「匂いと治り方で仲間だってわかったけど…逆に私じゃなかったら大騒ぎだったんだからね?」
「何度も聞いたわ。だから本当に助かったのよ」
「ま、私も仲良しの友達ができて嬉しいからいっか」
イルヴァのいいところは素直で単純なところだと思う。私にはまねできない、とアンネリエは常々感じていた。
「げんきんなんだから」
「ね、お土産何にしよう?」
まるで自分が貰うようなわくわくとした目で考えている。
「普通にただいまって帰ってきてくれたらそれでいいわよ」
「そんなの勿論じゃない!」
勿論、という言葉にアンネリエは自然と笑みがこぼれた。素直に喜びたいのに、不安が一緒にでてきてしまう。
「そんなこと言って。青薔薇や白薔薇のほうが暮らしやすいから帰るのいやになっちゃった、とかいっちゃいそうなんだもの」
「アンネリエがいないなんてつまらないじゃない」
「ほんとにそんなこと思ってる?」
「思ってるよー。でも私は黒薔薇に居すぎちゃったからそろそろ移らないと」
「中央では赤薔薇が悪魔狩りとかいって活発になってるってお父様が言っていたわ」
「そうみたい。私たちは髪にも瞳にも特徴がでないし、我慢しようと思えば血を飲むのも我慢できるけど、黒髪紫眼の子たちにはできないみたいね。何が違うのかしら」
「私たちは髪の色も目の色も他の人と変わらないからばれずにすんでいるけど…」
「怪我はすぐ治るし無駄に長生きで、成長が速いかと思えばすぐに止まっちゃう」
「私もそろそろ体の成長が止まるのかしら」
服のサイズがきつくならなくなってきた。
「何が悪魔よ、やんなっちゃう」
「はぁ…あ、そうだ。これ」
「ん? なぁに、その瓶」
「こないだ中央に行ったときに、トゥットファーレで試作品をいただいたの。感想が聞きたいそうよ」
「へぇ。私にはそんなのくれなかったのに!」
「イルヴァと是非って。感想が聞きたいっておっしゃっていたわ」
「ふぅん。ねぇ、最近よく行ってるみたいね?」
いたずらっぽい目でイルヴァが聞く。
「どこに?」
「どこってトゥットファーレに決まってるじゃない」
バレた、という顔で、アンネリエがそっぽを向く。認めたも同然だ。
「街に出たいからよ。行くのも中央に出たときくらいだし…」
「ふぅん」
「もう、そんな目で見ないでよ」
「そんな目ってどんな目?」
「さ、飲みましょ」
コトン、とテーブルに例の瓶を置く。
「逃げたわねぇ? でもありがたくいただきます」
「試作品だから少し小さい瓶らしいわ」
「ほんとだ。半分くらいなのね」
二人で何のラベルもない瓶をじっと観察する。みたところ何の変化もない。
「試作品だからじゃない?」
「おいしかったら買いに行かないとね」
「イルヴァ、あけておいてくれる? グラスグラス…」
「はぁい。えいっ、っと」
「あら? 香りが…」
「え? いつもと同じじゃない?」
「甘い感じの香り…」
グラスを二つ並べて半分ずつくらい注ぐ。
「さ、飲んでみましょ」
「そうね」
「イルヴァの無事と再会を祈って」
「乾杯!」
カチンとグラスがぶつかる。口の中に広がる香り。深く、甘く、それはアンネリエを夢心地にさせた。




