8.集中豪雨と雨の器
お読み頂き有り難う御座います。
アローディエンヌの元へ帰った義兄さまとシアンのお話で御座います。
今日は義兄さまが居ない。
そして何故かシアンディーヌも居ない。
何でも陛下が芋虫な我が娘を見たいそうで……そう言うときに限ってシアンディーヌは朝から人の姿だという……。赤ちゃんだから宥めようが何しようが変わらない。気の向くままだものねえ。
一昨日なんかずっと芋虫で天井からボテボテ落ちてたんだけど。
この頃虫籠を抜け出すテクニックを身につけたらしいわ。未だ生後3ヶ月なんだけどどういうことなのかしら。何なのかしら?まさかチートなの?
陛下……虫がお好きなのよねえ。
うーむ申し訳ないわ。がっかりされるでしょうねえ。
何か……こう、スイッチでも分かればなあ。次が有るなら芋虫コスプレでもさせようかしら。この世界に着ぐるみ文化、有るのかしら。うーむ、見た事ない……。
……眠いわ。
ここ最近まーまー睡眠時間が取れていないものだから……一般のご家庭の親御さんを尊敬するわ。この寝れない状況なのに家事に育児ってどうやるの。偉大にも程がないかしら。
で、暫くぶりに静かな1日……。
お昼ご飯を食べていてもシアンディーヌが脱走したという知らせは入って来ない。
何て……何て静かなの。
吃驚よ。
久々に本でも読んで……。ああ、日差しが柔らかいわ。ポカポカするわねえ。
何て平和なの。
義兄さまとシアンディーヌが居ない平日の休日……超貴重。
何時に帰って来るんだか分からないけど、満喫しなきゃ。
そう、ゆっくりと……お菓子でも……って、シアンディーヌ産んでから外に出ちゃいないから太るな。どうしたもんだ。
お茶オンリーだとタプタプしそうなのよねえ。
体操でもすりゃいいのかしら。
えーと、取り敢えず屈伸運動……。うーん、眠いな。
「ああもう、腹が立つ腹が立つ腹が立つううう!!」
誰だよ煩いな!!
人かうつらうつらしていたら、子供の癇癪のような声を上げて飛び込んできたのは……!!
……まあ、義兄さまよね。
白い繭改め、おくるみのシアンディーヌ片手に飛び込んできたのは……滅茶苦茶キレた様子の赤毛の耽美な男性。
まあ………私の一応……伴侶アレッキオ。
……一応を付けたら余計怒り狂いそうね。何をそんなにキレてるのよ。訳が分からん。
呆気に取られて、吃驚して、立ち上がり損ねたわ。
……あれ?視界がおかしい。
……!?
急に義兄さまの顔のドアップが!!
だから、何抱き上げてんの!?シアンディーヌはどうなった……あっ!!芋虫になって義兄さまの頭によじ登ってる!!
ちょ、首痛めるわよ!!この子、4キロ弱有るんだから!!
最近よく食べるからか結構重い!!貧相な私では抱えづらい!!腰痛抱えそう!!
「どうしたのアローディエンヌ!?しゃがみ込んで!?体が辛いの!?」
「いや……どうしたもこうしたも有りますか。単なる屈伸運動です!!抱き上げないで!」
「ああ可愛いアローディエンヌ僕の可愛いアローディエンヌう!!」
「て言うかシアンディーヌを頭に乗せないでください!!首捻挫しますわよ!!シアンディーヌ、いらっしゃい!!」
「あぶあー」
「えー勝手に登ったんだよお。ああアローディエンヌアローディエンヌアローディエンヌう!」
何なんだよ!!人の名前を連呼しないで!!
つか降ろせって言ってんだけど!!
くそっ、ジタバタしても全くビクともしない!!抜け出せない!!
大股で私を抱えたまま、長椅子に座られてしまった!!
「はあ、アローディエンヌう」
「義兄さましつこい!!何なんですの!!」
「だってえ!!王城で苛められたんだよ嫌な事言われたの酷いよ!!傷ついた!!」
「たあー!」
傷付いた?義兄さまが?
義兄さまが?悪役令嬢の義兄さまが?
思わずマジマジと顔を見てしまったけど……薄い青の目に溜まる涙が相変わらず耽美で麗しくて。
この顔を見つめていると、魅入られそうになるから真相が分からなくて地味に腹立つわね。
「……はあ、それは大変でしたのね」
「もっと労わって!!僕を慰めて可愛がってえ!!」
「お城に被害は与えてませんわよね?」
「知らなあい!ただ出口から出て来ただけだし!!」
………ホントかしら。
嫌な予感しかしないのだけれど。
「また壁とか吹っ飛ばしてないでしょうね」
「吹っ飛ばしてないし、もし吹っ飛んだとしても吹っ飛ぶ壁が安普請なんだよ!!」
王城に安普請って!!失礼にも程が有るんだけど!!大体よく壊してたらしいしな!!
「安普請だろうが何だろうが、経年劣化と非常時の脱出以外で大体の確率で吹っ飛ばす方が悪いと思いますわ」
「僕は傷付いたのお!!壁なんかどうでもいいじゃない!!アローディエンヌう!!」
良く無いだろ!!
あああ、絶対何か被害を齎してる。陛下にお詫び申し上げに行きたい。序に今芋虫のシアンディーヌでもお見せしたら御勘気を和らげられないかしら。
「そんな事より、何でしゃがみ込んでたの!?お腹痛いの!?傷が痛むの!?」
「いえ全く。だから単なる屈伸運動ですってば。筋力を付けようと。ちょっと義兄さま、服の裾捲らないでくださいます!?」
危ない!!止めなきゃ膝まで捲られてた!!何してくれてんのよ!!油断も隙も無いな!!
澄んだ目で見てこないで!!
「筋力?何で?」
「いや何でも何も。シアンディーヌもこれから大きくなるでしょうし、貧相な私では抱えられなかったら困るじゃ有りませんの」
だから心置きなく放っといて欲しいし、そもそも筋トレの入り口すら入ってない、と伝えようとしたら義兄さまがこて、と首を傾げた。
え?何かおかしい?
「シアンディーヌが重くなれば抱き上げなきゃいいじゃない」
「はあ!?それこそ何でですの!?」
「だって、アローディエンヌの細腕が怪我しちゃう方が大変でしょ。椅子の上で抱っこすりゃいいじゃない」
「いやでも歩いてる時に抱っこを強請られたら」
「歩かせればいいでしょ。というか今も這ってるよね」
意外。
……義兄さまって意外とスパルタなのね。もっとベタベタ可愛がるかと。
ああでも、夢の中でもアウレリオ君にそんなにベタベタしてなかった。寧ろ私へのベタベタをちょっと委譲出来ないもんなのかしら。いや、子供に押し付けちゃいかんか?いかんの?
あ、シアンディーヌが義兄さまの頭から降りて来た。
足とお腹の皺に赤い糸?ああ、義兄さまの髪の毛が絡まってるのね。
「使用人が居るんだからそっちに預けたっていいし、僕が抱くし」
「……まあそりゃそうなんですけれど。義兄さま、髪の毛痛くないんですの?」
「ああ、さっきブチブチ何本か抜けたね。意外と芋虫の足って強いなあ。短いのに」
そう言うのには怒らないのね。基本、短気なひとだと言うのに。
しっかし、義兄さまの怒るスイッチも良く分からんわね。
……正当な事でキレるような、意味不明な事でキレて癇癪起こすような……だからなあ。私には実害無いけど、余所様ではなあ……はあ。
義兄さまの抜けた髪が絡まった足と皺を寄り分けて、取っていると義兄さまが私の肩に頭を乗っけてグリグリしてきた。良かった、抜けたのは数本みたいね。
まあ、別に禿げはしないでしょうけど。
しかし、義兄さまの頭が重いわ。
「アローディエンヌ、僕も撫でてえ」
「はあ?何でですの」
「もおお!!撫でて欲しいの!撫でてえ!!僕疲れたんだからあ!!僕今日は我儘になるの!!」
め、面倒な。
大体……義兄さまが我儘で無かった時が有ったかしら?
義兄さまみたいに微に入り細を穿つような記憶力は無いけれど、私は反語で返すわ。
「はあ……」
シアンディーヌがスピスピ寝だした……何処から声が出てるのかしら。本当に謎だわ。
取り敢えず動かなくなったから、義兄さまのフワフワした赤毛を撫でる。
撫でる……というか、私の手に押し付けられてるんだけど。
「……それで、陛下は何の御用だったんですの?」
「不愉快な御用」
「……詳細はいいですけど、ちゃんとしましたの?」
「出来る訳無いようなことを言われたんだよ。まあ、対策はするよ。どうも陛下は僕を侮っていらっしゃるよね」
「……寧ろ陛下に御心労しかお掛けしてないでしょうが」
「職場は助け合うものだよね?子供が大人に迷惑を掛けるのはしょうがないでしょう?散々迷惑を被って大した助けも頂いてないしね」
……頬っぺた膨らましながら言われてもな。目がガチ切れてて怖いわ。
一体何が有ったのかしら。
「都合がいい時だけ子供ぶっているようにしか聞こえませんけれど」
「未だ成人じゃ無いのに誰よりも扱き使われてるんだよ!?おかしいよね!!ねえもっと撫でてアローディエンヌ!!」
確かに義兄さまは……有能でしょうしねえ。お仕事だってサッサカ片付くんでしょう。
だから……もしかして過積載気味なのかしら。
でも能力以上の事を求められるような陛下のお人柄でも無いでしょうし……。
そもそもチートに能力以上の事を求めるって、それ一体どんな重責なのかしら。
モブな頭脳の私如きではサッパリ分からないわね。
て言うか何時まで撫でりゃいいの。腕が疲れて来たんだけど。挙句、耳元に髪の毛フワフワくすぐったいし、肩口で喋られるとくすぐったいし!
「……というか義兄さま、何時まで撫でりゃいいんですの。いい加減疲れましたわ」
「疲れたの!?それはいけないね。休まなきゃ!!」
「……は?」
何で?と返す暇もなく、胸にへばりつくシアンディーヌを剥がして、私を長椅子に座らせて義兄さまが子供部屋へ消えていく。さっきまでダラダラしてたのに無駄に手際が良いわね。
何でまた?
……寝たから虫籠の中かしら。何と言うか、見た目は蓋つきベビーベッドなんだけど。一応脱走は出来ないようになって……居る筈なのに、何故か脱走して天井を這っているのよね。だから、子供部屋には施錠が欠かせない。
万が一出たら誰か踏んだら大変だし、天井から芋虫が降って来たら怪我するしな。
あ、戻って来た。
義兄さまが私の横に優雅に座って来た……割にくっついてくる!!
だから、幅寄せしてこないで欲しいんだけど!!
「……義兄さま?アレッキオさま、撫でるのはもう良いんですわよね?私、新聞を読みたいんですけど。狭いですし」
国外ニュースに見知ったお名前が有ったしなあ。
フランジール卿って、確かユディト王女殿下の近衛騎士様の事よね。
何なんだろう、気になるわ。
「何言ってるのおアローディエンヌう。これからじゃない」
「は?どういう事ですの」
寧ろ義兄さまが何言ってんだ?
私に表情が有ったなら、胡散臭さを貼り付けた顔をしていると思うわ。
窓に映った顔は通常通りモブで無表情だったけど。
「あのねえ、今からあ、僕がアローディエンヌを撫でるの」
「……は?」
撫でる?今から?
何だと!?
「……どういうことですの」
「アローディエンヌが居ないと癒えない」
「いや意味が解りません」
「アローディエンヌ、僕傷付いたんだってばあ!!」
「いや何なんですの!!さっき撫でたでしょう!!と言うか理由も無しにどうしろと!?」
これ以上何だって言うのよ!!
イラッとしたら、薄青い瞳が近づいて来た。
……奥が、凍ってるような。怒ってるのは分かるけど……揺らいでる?何かを隠してるのかしら?
「……理由、理由ね……。ああ、君の目は本当に綺麗だね。吸い込まれそう」
「……」
「理由はね、裂いて、燃やしてやるから……お楽しみにね」
……訳が分からないんだけど、物騒だと言う事は分かる。ゾクッとした。
……一体王城で何が起こったと言うの。
と言うか、誰に聞いたら理由を教えて貰えるのかしら。
いや、そもそもこれから私は義兄さまに離して貰えるの!?
また例によって例の如く脇腹を抉るレベルまで端に追い詰められてんだけど!!
「……はあ、アローディエンヌいい匂い。そろそろ季節的にミモザの香りとかどうかな。雨の器を連想させるような匂いを調合させるのもいいかもね」
シリアスが続かないな!!って!何してくれてんの!?頭の臭い嗅ぐな!!お風呂は入ってるけど、義兄さまと違っていい匂いが発生しない汚くなる一方のモブだぞ!?いや、仮にどうでも嗅がれたく無い!!
「頭の臭いを嗅がないで欲しいんですけど!!大体、……モブ……私なんぞにいい匂いとか需要無いですわよ!!贅沢です!!」
「アローディエンヌ何で怒るの?あー青い雨の器ってしとしと雨も集中豪雨も似合うもんね。静かに降る雨もから激しい雨……あ、表情のあるアローディエンヌに激しく怒って貰いたかったかも。笑顔も照れ顔も怒られたのも有るけど」
ひとの話を聞いてない!!いや、聞いた上で意味不明な話に繋げないで!!
て言うか何なのよ集中豪雨のイメージの香水って!!
大体雨の器ってアジサイの天辺凹んだ草だから、匂いなんて無いし!!
「聞いてますの!?て言うか集中豪雨って!!そんな意味の解らない希望される調合師さんが気の毒なんですが!!」
「商売にはあっと驚く奇抜さが必要なんだよアローディエンヌ。ルーロが言ってたよ」
「そうでしょうけど!!」
つか無駄な物は要らんのだけど!!と、言おうとしたら、義兄さまの甘い甘い声が耳に溶かされた。
耳元で喋るなあああ!!
「大丈夫、濡れたら乾かしてあげる。だから存分に僕を濡らしてくれていいよ。雨の器がよく似合う、可愛い僕のアローディエンヌ」
「って、卑猥な話は止めて貰えます!?」
結局その日の午後、調合師……調香師さんって言うらしいわ。
何でそんなにフットワークが軽いの。
「お、御目に掛かれて光栄で御座います!!雨の器の義妹姫様!!幾つか試作を持って参りました!!」
………テンション高く御挨拶頂いたけど、何でなの。
そんな畏まって頂く事何もしてないんだけど。……ソーレミタイナで船を動かしてくれた人や、シアンディーヌの時お医者さん的なオーラを感じるわね。義兄さまの配下って事なのかしら。
どんだけバラエティー豊かなの。
「ふーん、どれ?」
「若様!!こちら御前に!!」
………まあ、さっきより元気になったっぽいから良いか。
「ねえねえアローディエンヌう!どれが好き?どれが雨の器っぽい?集中豪雨っぽい?」
蝋で封をされて試験管を振ってる義兄さまは可愛い……ような気もするけど、集中豪雨は決定なの……?
私、そんなに怒ってるかしら……。
お香やアロマディフューザーなんかで雨イメージの香りは有りますが、集中豪雨イメージは無いでしょうね。