悪意とは、どんな系統のものかしら
お寒い中、お読み頂き有難う御座います。
劇場前で出会った老婦人に話を聞くことになったアローディエンヌです。
「あの劇場に苦情……というかね。脚本家、というのかしら」
此処は、劇場から少し離れたカントリー感溢れる良さげな喫茶店。
何故か、人当たりの良さそうなおばあさんとお茶をしているのよね……。白くなった御髪に、薄い緑の目をされている上品な御婦人よ。
因みに、私はその方とふたりではなくて、周りに護衛はしこたま居るのだけれど。
……多分、ええ。
モブにはよく分からないけれど、必ず居るのよ。隠れ方というか、カモフラージュが上手いからなあ……。
今回はドートリッシュがお腹を壊したから、ひとり演劇(囲まれてるけれど)の筈なのよね。だから、多分何時もより滅茶苦茶居そう。
……過保護だとは思うけれど、流石にこの立場と弱っちさではねえ。うう、頼りない我が身が情けないわ。
で、護衛は後で労るとして。
先ずはこの方のお話に集中よね。
「脚本家、ですか」
「ええ、お嬢さんもお芝居を観にいらしたから、あの脚本家の支持者なのかしら?」
「いえ、偶々目に入った演目を観ただけですの。特に支持も関心も有りませんでしたわ」
お嬢さん、って呼称は一応固辞したのよ。でもお若いからお嬢さんね、て押し切られたわ。まあ、私ってば確かに歳は若い……わよね。未だ。
まあ公爵夫人とか呼ばれても、威厳はないし、他国人だしねえ。セキュリティの面でも、余所の国の往来で身分を明かすのもなあ。……まあ、私みたいなモブの話を真面目に聞き耳立てる人居ないでしょうけれど、もしもの事もあるわ。うん、多分。
兎に角、呼称はお嬢さんで良いのかもしれない。実際この方からしたら、ショボい物知らずのモブ小娘だし。
それにしてもこの御婦人、宿屋の大女将さんらしいし、中々人当たりの良いお声の方ね。
「その脚本家とは、お知り合いですか?」
「ええ、何というか……悪意に満ちた人でね」
……悪意に満ちた……? うーむ、その人やっぱり滅茶苦茶目立つ赤い髪なのかしら。
って、いかんいかん。滅茶苦茶義兄さまの顔が浮かんでしまったわ。嫌な条件反射ね……。
じゃ、無くてよ。えーと、義兄さまが常に色々と悪意に満ちてるのは、とても間違っちゃいないけれど。今は違うわよね。
その悪意って、どういう系統の悪意なのかしら。
悪意に系統を求めるのも、間違ってる気がするけれど。
「人の体験話を、勝手に奪ってしまうの」
「え?」
体験話を……奪う?
……それって、嘘吐きってことかしら。
「病的な嘘吐きなのよ。例えば、ちょっと良い喫茶店でケーキを食べた、と言う些細なお話から……。ふたつとない悲惨で苦しい体験迄。その人に少しでも話すと、勝手に自分の話の種にされてしまうの」
「ケーキ程度は兎も角、……それはちょっとおかしいですわね」
それは地味に嫌なタイプ……いえ、かなり嫌な系統の悪意だわ。勝手に人の体験談を奪うなんて、謂わば成りすましって事でしょ?
近所でそれをもしやられ倒したら、人間不信になりそうだわ。自分の話を勝手にパクられるなんて。
「しかもねえ、勝手に脚本にしてしまうの」
「……脚本!? お芝居にするって事ですか!? 人の体験談をですの!?」
「そうなのよ。口が滑ってお話させられた私の体験談も、勝手に改変されてねえ。司法の場に訴えても、興行先を変えて逃げるのよ……」
「ひ、酷い……。それは酷すぎますわ」
人の体験談を勝手にパクって成りすますのもかなり酷いけれど、お芝居にするだなんて……。
パクリ話をお金儲けに使うって、かなり悪質よ。犯罪よ。著作権法とか無いのかしら。いえ、でも司法に訴えられるならそれっぽいの有りそうね。
でもアレカイナって、都市国家だと聞いたわ。もしかして興行先を変える……つまり、国を跨ぐと犯罪も有耶無耶になるのかしら。何て陰湿なのかしら。卑怯な手口ね。
「色んな所から訴えられているのよねえ、あの脚本家……。お嬢さんも、これ見よがしに危機に陥っている魚を見付けたら気を付けてね」
「分かりまし……魚!?」
さ、魚って!
まさか、昨日助けたばかりの、あの魚!?
た、確かに不自然に危機に陥っていた、とも見えるわ。今から考えると!
滅茶苦茶、滅茶苦茶、嫌な予感しかしないわよ!! この展開で別人いえ、別魚なら吃驚よ!
ああ、私の考えなし! 迷惑を掛けた使用人やドートリッシュとルーロ君に平謝りしなきゃ!
「そう、不自然に危機に陥っている大型の魚よ」
「……心当たりが、有りますわ……」
「まあっ! 本当に!? 何処に居るの、あの女!」
「女性だったのですか? って、どうしましょう……。身柄を警備騎士にお渡しした筈なんですが」
「無駄に官憲に追われ慣れていて狡賢いから、逃げてしまっている可能性が高いわね……。」
うわあ……マジで? 追われ慣れるだなんて、どんだけ犯罪者なのよ。
て言うか、あの劇場ってばそんなのを雇っててヤバ過ぎじゃないかしら。
あの変な話の続きは気になるけれど、もう観に行かないようにしましょう。悪人に追い銭をしてはならないわ。
「……ということは、ディエット家の話も誰かから奪った……のかしら」
「ディエット家?」
「あ、いえ……」
もしかして、あの母方の伯母……と詐称してる事になった人から話を奪ったのかしら。
でも、それにしてはリアルな脚本だったから、協力して書かせたのね……。
という事は、まさかまたディエット家の人なの? でも、この方のリアクションからしたら無関係……ぽいわね。
やだなあ。地味に関わりが有るじゃないの。
「その者の名前は、何というのでしょう」
「ドミ・マダットという名前だけれど、コロコロと名前を変えるのよ」
「逃亡者だからですか?」
「それも有るけれど、脚本に仕立て上げた『体験談の人物』の名前を勝手に使うの。今は……多分、今演っている演目の『傀儡皇女と渾名付けた登場人物』の名前ね」
それは益々犯罪じゃないの……。『傀儡皇女』の名前って何だったかしら。そもそも、出てきてたかしら……。うーむ、酷い目に有った皇子とカニしか記憶に無いわ……。パンフレット買っときゃ良かったかしら。
いえいえ、追い銭をしちゃいけないのよ。
「あの魚に、貴女は何も自分の事を話していないかしら? 家に上げたら最悪よ」
「い、家の池に使用人が離しましたので、中には入れて居ないですわね。それから警備騎士へ渡したと聞きました」
追いかけてくる人からドートリッシュと護衛が助けはしたけれど、新聞紙に包んで池に放り込んでシチュー食べさせたくらいだものね。特に話は……した記憶がないわ。
冷たいかしら、なんて思わなくもなかったけれどセキュリティ対策だったのね。
平和ボケしてる私が不用心なんだわ。ルーロ君と使用人は正しかったのね。
「入口を覚えられていたら、入りこまれているかも知れないわね」
な、何ですって!? どういうことよ!
「脚本家が空き巣兼業なのですか!?」
「大きいお屋敷なら、余計にね。入り込むのが上手なのよ」
……せ、セキュリティ……。今更だけれど、心配になってきたわ。
あの別荘は、結構草ボウボウだったし……。
シアンディーヌとアウレリオにとし何か有ったら……。有りそうでない……いえ、有り得るかも!
どうしましょう、心配で動悸がしてきたわ。
「か、家族に……。ええと、どうしましょう」
「お嬢様、若様がたはご一緒されておられます」
「え? あ、ああ……」
急に耳元で報告されて吃驚したわ。
と言うか、お嬢様……。久々にその呼称で呼ばれたわね。話を合わせてくれてる……。出来る使用人だわ……。
……義兄さまと一緒なら安心か。今日は、子守をしてくれてるんだったわね。相手を即座に焼き殺してないかが心配だな……。
「動じないのね、頼もしいお嬢さん」
「え、いえ、あの……恐縮ですわ」
これでも、滅茶苦茶狼狽えてるんだけれど。
まあ、普通に顔面が動いてないものね……。動じてないように見えちゃうみたい。
「兎に角、魚が現れたらご連絡くださいな。私、其処のカニの宿に泊まっているから」
「は、はい……。カニ?」
あれって……ドゥッカーノでも見た、大手チェーン店の宿屋さんよね。アレカイナにも展開してるみたい。
宿屋の大女将さんも、チェーン店に泊まるんだ。そりゃそうか。
「ん?」
今、通りを通ったのは何処かのお店の、新しい看板かしら。
何々……? こういうのつい読んじゃうわね。
『美しい姉に纏わりつく愚かで凡百な妹』
……悪意のあるタイトルねえ。美しい姉……。
義姉さまは美しいけれど、まさかネタに……。纏わりついてないけれど、義姉さまに纏わりついて! みたいな陰口を昔叩かれた事も有ったわね。
義姉さまが即座に報復に行ってた気がするわ。
え、まさか……。
義姉さまと一緒の所を、見られていた? 早速ネタにされてるって訳?
……しかし、ネタにされる程何も話していないけれど。他の人の話かしら。でも、凡百……。モブ的な単語はつい反応しちゃうわね。
「凡百ってのが、とても私っぽい……」
「……どうしたの、お嬢さん」
「あの運ばれている看板……引っ掛かりまして。だけれど、何も話していないのですが」
「……それは、妄想で誹謗中傷してくる場合ね」
「ええ……」
あ、護衛が動いたわ。
看板運びの人に尋問してるみたい。
「お嬢様、どうやら御考察が当たったようです」
「……本当に?」
うわあ、面倒な話になってきた。また義兄さまが怒り狂うわあ……。私が変な事しなきゃ良かった。今義姉さまの姿かもしれないけれど。
せめて、この街が火の海にならないようにしなきゃ。
「あの、教えてくださって有難う御座いました! 私、に……義姉と話をしますわ」
「ええ、お気をつけて」
「お嬢様、此方へ」
取り敢えずダッシュ……は無理だから、其処に止められていた馬車に乗り込んで、急いで貰ったけれど。
……何時馬車が用意されていたのかしら。徒歩で来た筈なのに。
何だか、義兄さまの゙掌の上って感じがしなくもないな。
義兄さまは、何時如何なる時もアローディエンヌが駆け付けてくれるとかなり喜びます。理由が何であれ。