007
アンダーリムの眼鏡を外して目頭を抓んでから、デスクに積み上がっている書類の束をボールペンの先で数え、次いで腕時計を確認した。
眼鏡を外したところで未処理の束の数は変わらず、球面のガラスの下にある針は、定時を過ぎていることを指し示している。
書類の上に「本日中」という赤いポストイットが貼っていなければ、キリの良いところで切り上げて帰るところなのに、なんて思いつつ、一番上の束を手に取ろうとした時、背後からやけに重量感のある足音と、いささか調子のズレた陽気な鼻歌が聞こえてきた。
振り返らずとも、それが外回りから帰ってきたホンであることは明らかである。だけど、一応、イスを半回転させて目視でも確認しておくことにする。
「お帰り、ホン。その様子だと、契約が取れたんだね」
「へへっ。半分は俺の話術だけど、もう半分はセキのパンフレットの力だぜ」
「半分は、僕の力じゃなくて物件の魅力だよ。――ウワッ」
「そう、謙遜するなって」
そう言いながら、ホンは満面の笑みで僕の肩を平手でバシバシと叩いた。これは上機嫌な時のホンの癖で、本人は力を抜いて軽く叩いてるつもりなんだろうけど、グローブのような手で叩かれると結構痛いので、出来ればやめて欲しいと思っている。
僕が内心で痛みに耐えてるとは、つゆ知らず、ホンは鞄を脇に挟み、僕のデスクに積み上がってる書類の束を鷲掴みし、一束ずつザッと目を通しながら言った。
「ま~た、あの課長に押し付けられたんだな。なまじ仕事の手が早いと、余裕があると思われて、任される書類の量が増えるだけだぞ」
「大きなお世話だよ。時間が無いから、返して」
ホンの手から書類を奪い返そうとしたけれど、僕の動きを見越していたのか、伸ばした手が届く前にひょいッと書類を高々と持ち上げ、自分のデスクへ向かいながらホンは言った。
「これは俺が片付けとくから、さっさと帰る用意をしろ」
「そういう訳にはいかないよ。頼まれたのは、僕なんだから」
「良いから、良いから。俺は独身で、アパートには誰も待ってない。お前は一児の父で、娘が迎えを待ってる。どっちが先に帰らなきゃいけないかは、明白じゃねぇか。それとも、力尽くで追い出されるのを、ご希望かな?」
鞄と書類をドサッと自分のデスクの上に置くと、ホンがパキパキと指の関節を鳴らしながら近付いて来たので、僕は慌てて眼鏡を掛け直し、デスクの下に置いてある鞄に急いで私物を詰め込み、おざなりな挨拶をして足早にオフィスから立ち去った。
この時、ある物を持ち忘れたんだけど、それについては、また次の話で。




