006
すったもんだのランチを終えてオフィスに戻ると、デスクに手書きのメモが置いてあった。
ハイスクールやカレッジの学生が書くような丸文字を解読すると、ミネから電話があったから折り返し連絡するようにという内容だったので、すぐに受話器を取り、そらで覚えているミネの職場の番号へダイヤルを回した。
七回目のコールで、ようやくミネに繋がった。
『こちら××薬品工業、開発課のミネです』
「こちら××住宅産業、広報課のセキです」
『存じてます。案外、早かったわね』
ミネは、通話相手が僕だと分かると、途端にビジネスモードからプライベートモードへと口調を切り替え、用件を切り出した。
『早速だけど、今夜は帰りが遅くなりそうなの』
「また、ラボに泊まるつもり?」
『そうならないと良いんだけど、実験の結果次第では、朝帰りになるかも』
「大変だね。お疲れさま」
『ありがとう。まったく。プロジェクトリーダーなんて、碌なものじゃない』
受話器から聞こえてくるミネの溜息には、そこはかとなく疲れが滲んでいた。今度の休みは、気晴らしになるような楽しいスポットへ連れて行ってあげようかな。それとも、家でゆっくりさせてあげようか。
『まぁ、そういう訳だから、ミキを迎えに行って欲しいの。頼める?』
「良いよ。ミキのことは任せて」
『ありがとう。夕方遅くになっても帰って来なかったら、先に食べ始めてて良いから』
「わかった。あんまり無理しないでね」
『分かってる。それじゃ』
通話が終了したのを確認してから、僕は受話器を戻した。
すると、お手洗いから戻って来たホンが、スラックスの裾で指先の水滴を拭いながら、僕の傍へと近付いて来た。ハンカチやハンドドライヤーだけでは、肉厚の手を乾燥させることは難しいらしい。
「誰から?」
「ミネからだよ」
「ほぉ。帰りに、特売の卵を買って来いという命令か?」
「違うよ。帰りにミキを迎えに行って欲しいっていうお願いさ」
「なぁんだ、つまんねぇの」
そう言うと、ホンは自分のデスクへ向かい、ギシッという嫌な金属音を立てながら事務椅子に座った。
一度だけ、ホンと一緒に、マーケットの改装セールに行ったことがある。在庫整理のため、普段の半額以下の破格で販売されるとあって、店内は激戦地と化していたことを覚えている。
目当ての品を勝ち取ることが出来たのは、ホンが文字通りに身体を張ってくれたおかげだった。僕一人だったら、きっと敗残兵のようにズタボロになっていたに違いない。
戦利品を持ち帰りつつ、ホンは面白がって「また行こう」と誘って来たけれど、僕は二度と行きたくないと思っている。
そんなことは、ともかく。今は、目の前の仕事を片付けることに専念しよう。