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手帳に控えている連絡先の中で、この国に住んでいる知人・親戚へ虱潰しに電話を掛けていった結果、今夜は、両親と兄夫妻、それから甥達が住む実家へ泊るしかないという事実が判明した。
実家に行くくらいなら、このままロビーで一夜を過ごそうかとも思った。だが、病み上がりの身にとって、固いベンチに手足を屈めて寝る事の身体的な負荷は、家族から冷ややかな態度をとられる精神的な負担よりも重いことが容易に想像できるので、選択肢から排除することにした。
「一晩で自活策を考えて出ていくように」
ゲストルームに通された僕は、しかめっ面の兄さんから、外気にも負けない冷たい声で、そう告げられた。兄さんにしてみれば、帰ったと思った弟が一宿一飯を求めてきたのだから、当然の反応だろう。針の筵とは、このことだ。
ちなみに、実家なのに僕がハイスクール時代まで使っていた部屋でないのは、隣の弟の部屋と共に物置にしているからだそうだ。
「ミキは、がっかりしてるだろうなぁ」
手短にシャワーを済ませた僕は、ベッドで横になって天井を眺めつつ、いきなり遠くなってしまった我が家の事を考えていた。
明日から、どうしよう。帰りの事を考えたら、ホテルに泊まるのは得策ではない等と考えているうちに、移動につぐ移動による徒労感と、日常では使わない領域の頭をフル回転させた事による疲れが睡魔を呼び、そのまま泥のように眠り続けた。
そして、翌朝を迎えた。
共通の話題が何一つない食卓で、砂を噛むようなブレックファーストを済ませた後、一秒でも早くここから出て行こうとトランクに荷物を詰め直していた。
すると、ドアが控え目にノックされた。
兄さんなら銀行へ行ったし、甥達もそれぞれジュニアスクールとハイスクールへ行ったはずだし、両親ならノックもしないだろう。そう考えると、ドアの向こうに居るであろう人物は、自ずと限られる。
「何でしょう、お義姉さん?」
部屋のドアを開けたまま、兄さんの妻で僕の義理の姉に当たる彼女を中へ通すと、何やら恥ずかしげに俯いたまま、エプロンのポケットに片手を入れてもじもじとしていた。
意図が読めず、僕が何か言おうと口を開きかけた時、彼女はエプロンのポケットから何かを取り出し、素早く僕のコートのポケットにねじ込むと、何も言わずに廊下へ向かった。
「はて? ……これは!」
何を渡されたのだろうかとポケットから取り出すと、それは簡素な封筒で、中には数枚のマル紙幣が入っていた。
驚いた僕は、部屋を出ようとした彼女を呼び止め、そのまま封筒を返そうとした。
「いけませんよ、お義姉さん」
「良いんですの。それは、私が個人的に貯めた物ですから」
「そういうことでは……」
「私としては、もう暫く泊めてあげたいけど、それは出来ないから、代わりに。何かとご入用でしょう?」
「そうですけど。でも」
「貰うという形が嫌なら、預かる物と思って、すべてが片付いたら、改めて返しにいらしたら良いわ。セキさん。あなたは、あなた一人の身では無いもの。ミネさんやミキちゃんも居るんですからね」
彼女は差し出した封筒を、頑なに受け取ろうとしないので、僕の方が折れることにした。
「では、この場は受け取っておきます。近い内に、必ず返しに来ますから」
「使うも使わないも、セキさん次第よ。私としては、役に立てて欲しいと思ってるわ」
そんな話をしていると、両親が日課だというウォーキングから帰って来た様子だったので、お義姉さんは、適当に挨拶してエントランスへと駆けて行った。
残った僕は、封筒をジャケットの内ポケットへと仕舞い、荷造りの続きを始めた。