041
イベントにトラブルは付き物。だから、ひょっとしたら何か良からぬ事が起こるんじゃないかと危惧していたら、予期せぬ事が起きた。
「これ、本革なんだけど、染みになったら、どうしてくれんの?」
「知りませんわ。言い掛かりは、よしてくださいませんこと」
円形広場へ向かっていた途中の事。ライダースジャケットを羽織った線の細いティーンエイジャーと、モスグリーンの民族衣装を着た婦人が、一触即発の状態に陥っていた。よく見れば、青年は眉尻の辺りにピアスをしているし、婦人は特徴的なパーマヘアであり、シティートラムの最寄り駅で見かける人物だと分かる。
青年が指差す先には、ポツポツと黒い斑点があり、婦人は、片手に珈琲か何かが入った紙コップを持っている。
ただ、見覚えはあるとはいえ、一度も話した事も無い人達だし、第一、連れて歩いているミキに被害が及んではいけないから、婦人には申し訳ないが、気付かなかったフリをして立ち去ろう。そう思った矢先の事だった。
「あんたがやったのは、明らかだろうが。こっち来い……」
「やめてください」
「天誅!」
「ガッ!」
「キャーッ」
青年が婦人の胸座に掴みかかろうと前へ出た瞬間、二人の間を横から割って入るような形で、その辺の露店で売っているであろう骸骨の仮面を着けた女性が、青年の脇腹を飛び蹴りした。
その隙に、婦人はその場を走り去ろうとしたので、青年はよろよろと脇腹を押さえつつ、追い駆けようとした。だが、仮面の女性は、青年の背後に回り込み、片腕で相手の首を締め付け、もう片方の腕でしっかりホールドした。いわゆる、チョークスリーパーだ。
「因縁付けんのもたいがいにせんと、十六ハイスクールのジャックナイフが黙ってへんで(※訳・難癖を付けるのも程々にしないと、十六ハイスクールのジャックナイフと呼ばれた私としては見過ごせません)」
「ヒッ!」
青年は、発言を聞いて一瞬で青褪め、女性が締めを緩めた隙に腕を抜け出し、這う這うの体で、婦人とは逆方向へ退散した。
「ちんけなやっちゃ(※訳・大したことの無い人だ)」
青年も婦人も居なくなり、野次馬の人垣も解散したところで、女性は髑髏の仮面を外した。仮面の下にあったのは、髪色や背格好、服装、更には声質や身のこなしから、もしかしたらと思っていた通りの人物だった。
「やっぱり、ミネだったか」
「パパ、気付いてたの?」
「途中からね。――ダークヒーローが好きなの?」
ミキの手を引いて近付きながら、乱れた髪を結び直しているミネに話し掛けた。すると、ミネは、そこで初めて僕たちの存在に気付いたらしく、仮面を僕に押し付けながら耳元で囁くように言った。
「何も見てなかった、何も聞いてなかった。そういう体でお願い」
「記憶は消せないよ。ジャックナイフっていうのは?」
「知りたいなら、身体で教えてあげるけど?」
「遠慮しときます。それより、感情的になるとウェスタン訛りが出る癖は、早めに直してね。ミキが真似するといけないから」
「……なるべく抑えるよう努力するわ」
ひそひそと囁き合っている僕らが気になったのか、ミキは僕とミネの間に割り込みながら訊いて来た。
「なにをおはなししてるの?」
「ママが、ミキのお願いを聞いてくれるってさ。――ねっ、ミネ?」
「えぇ。ママに出来る事なら」
この後、ミネは、ミキの気が済むまで肩車をさせられたのだった。体力お化けだから、これくらいの事は平気な筈だけど、時々、ミキが見てない隙に僕を睨んでくる事があって、それだけは、ちょっとばかり得体の知れない恐怖を覚えた。
十六ハイスクールのジャックナイフも、夫には強気に出られても、愛娘には弱いのだ。