039
何も無い日というのは無いけれど、ここ数日は穏やかな日常を送れていたので、なるべく退屈しないように時計を大きく進めよう。
これは、リン秘書からカモミールエキスの入った香水瓶を渡されてから、十日ほど経過してからの出来事だ。
余談だけど、あの時の香水瓶は、家に帰ってから中身が何かを説明しながらミネに見せたのだけど、リアクションは薄かった。リン秘書の名は伏せ、心配した社員から貰ったとしか言っていないから、嫉妬の類では無いだろう。本心は分からないが、表情や仕草から推測するに、単純に興味がない風だった。
さて。半端に有休を消化した所為で、先週から曜日感覚がズレてしまっていたけれど、明日からは収穫祭で、その後は、そのまま冬期休暇に入るから、かえって丁度良かったかもしれない。
「パパ! みてみて~」
「あっ、コラッ。まだ、着付けの途中!」
キッチンでディナーの用意をしていると、この国の民族衣装に着替えたミキが、背中のウエスト部分からだらりと垂れたリボンを引きずりながら、パタパタと駆けてきた。その後ろを、ミネが追い駆けて来る。僕は、コンロの火を止めてから二人の方を振り向いた。
ミキは、頭にレースの縁取りがされた三角巾を被り、白い、ゆったりした袖のブラウスを着て、踝のすぐ上まで裾があるチェック柄のスカートを穿き、それらの上から細かな刺繍が緻密に施されたエプロンドレスを羽織っている。リボンは、エプロンドレスを固定するのに使う物なのだろう。
「可愛いね、ミキ」
「フフン。いいでしょう」
「仕上げまでジッとしててくれると、尚良いんだけど。はい、おしまい」
ミネは、垂れたリボンを大きな蝶結びにすると、これで終わりという合図に、両手で背中をトンと叩いた。
この子供用のドレスは、ミネの実家から送られて来た物で、ミネも小さい頃は、同じような恰好をして収穫祭に参加していたようだ。その証拠として、丁度ミネが今のミキと同じ年頃に撮ったと思しき写真が同封されていた。
それを見た僕は、ミネにも、こんなあどけない頃があったのだなぁと感心し、ミキは、写真の真ん中に居るのがミネだとピンと来ない様子で、ミネは写真を見るなり、両親に文句を言ってやると息巻いて受話器を取り、ダイヤルを回そうとした。最後のは、電話が繋がる前に僕がフックを押して阻止したけどね。
「パパとママは、あした、おきがえしないの?」
「お祭りの主役は、パパ達じゃなくて、ミキだからね」
「そうそう。まっ、着たくても大人用の衣装は無いんだけど」
家庭によっては、両親も成人用の民族衣装に着替えるというケースがあるらしい。きっとミキは、キンダーガーデンでそういう話を聞かされて、どうして我が家は違うのかと純粋に疑問に思ったのだけなのだろう。
僕が生まれ育った国がここでは無いという事で、ミキに周囲と違う事を意識させてしまう機会は、これからますます増えていくに違いない。そうした際に、みんなと違う事をプラスに捉えられるように支えてやることも、親としての務めなんだろうな。
「さっ。サイズが合ってる事は分かったから、パジャマに着替えるよ」
「え~、もうちょっと」
「駄目駄目。万が一にも破いたり汚したりしたら、明日、着られなくなっちゃうでしょう。ほら、こっちへ来なさい」
「キャー! パパ、たすけて~」
ミキはミネの腕に担がれ、そのままリビングへと戻っていった。僕は、再びコンロに火を点け、木べらで野菜たっぷりのシチューをかき混ぜ始めた。鍋の中では、人参や玉葱が、それぞれの持ち味を生かして共存している。