036
酒は飲んでも呑まれるなという諺がある。百薬の長としての度を超し、酩酊して前後不覚になるまで飲み続けてはいけないという意味だが、そこまで飲まずとも、二日酔いで頭痛になるまで飲むのは、我ながら飲み過ぎたと思う所で。しかも、低気圧が迫り、余計にズキズキとするというオマケ付きなのは、アルコールに逃避した罰が当たったとも言えそうで。
「はい。はい。すみませんが、よろしくお願いします」
上司が電話を切ってから受話器を置き、僕は大きく酒臭い溜息を吐いた。
そこへ、バスルームで歯磨きをしていたホンが、そのまま様子を窺いに、こちらへ歩いて来た。歯ブラシを口から出すとか、口を漱ぐとかいう選択肢は、ホンの頭の中に無いらしい。僕の何倍ものビールを胃に流し込んだにもかかわらず、平然としているのも解せない。
「有休、取れたか?」
「あぁ、取れたよ。これ、洗って返すから」
僕がルームパンツとセットになったカットソーの肩口を摘んで言うと、ホンは一旦、バスルームに戻って歯ブラシを置き、口を漱いで来てから言った。
「従姉が『柄が気に入らない』っつって勝手に置いてった物だから、好きに処分して良いぞ。それにしても線が細いよな、セキ」
ホンが、レオパード柄のラインが入った服をしげしげと観察しながら言うものだから、僕は、一晩で薄れかけていた羞恥心が蘇って来た。
「レディースサイズが合っている自分が嫌になるよ」
「嫌がるなよ。寝ぼけて襲いそうになるくらい、魅力的なのに」
「脱いで良い?」
「冗談だって。シャツとズボンが乾くまでは、着ておけよ。家に掛ける気力はあるか?」
電話を指差しながら、ホンが僕に問い掛けた。僕は、一度は受話器を持ち上げようとしたが、さっきまでの何倍もの重さを感じたので、そのままスッと指を離して言った。
「まだ、何と切り出して良いか分からない、かな」
「よしよし。ここは親友の俺が、営業で鍛えた巧みなトーク術で、関係を修復してやろう」
ホンは、心底から愉快そうに受話器を取ると、家の番号を聞いて来た。僕は、前に教えた筈なのにと思いつつ、七桁の番号を教えた。
「もしもし、ホンですが。……アレ? おたく、どちらさん? ――なぁ、セキ。マツって誰だ?」
マツ嬢が家に居るということは、ミネとミキも家に居るということだろう。昨夜、ミキを連れて車で向かった先は、彼女が住むマンションだったのか。
「ミネと仲の良い同僚だよ」
「オッケー。――俺はセキの同僚なんだけど、ミネさんは、どんな様子かな? ……あぁ、そう。怒鳴って悪かったと思ってるんだ。いやぁ、セキも反省してるみたいで、すっかり落ち込んじゃってさ。昼には戻れると思うんだけど。……そうなんだよねぇ」
この後、乾いた服に着替えた僕は、何故かホンに付き添われて家に帰り、ミネとの仲直りに成功した。
一晩の間に、ミネにもミネで思う所があったようなので、一旦、ミネに筆を譲り、向こうで何があったかを綴ってもらろうと思う。視点が変わるので、どうか頭を切り替えて読んでほしい。