021
勿体付けずに言ってしまえば、ミキが抱えてきたのは、カレッジ在学中から独身時代の終わりまでの写真を集めたアルバムで、手にしていたのは、何度もミネに捨てるよう頼んだ、生涯唯一のラブレターだ。
「貴女の凛とした佇まいを、花に喩えるならカミツレ。唯貴女の傍に居るだけで、不思議と心安らぐのです」
「きゃ~」
「もう、そのくらいで勘弁してよ、ミネ」
ブイヨンスープが煮込めた頃、リビングのソファーでは、帰宅したばかりのミネとミキがローテーブルにアルバムを広げつつ、二人してキャッキャとはしゃいでいる。
しかもミネは、性質の悪いことに、ミキが持っていた手紙を、僕にまで聞こえる声量で音読しているのだ。羞恥心でまともに聞いていられないし、穴があったら入りたい。
「恥ずかしいから、結婚したら破るか燃やすか食べるかしてって言ったのに」
「そうは問屋が卸すものか。文科の語彙力と若き情熱を駆使して編み上げられた名作を、後世に伝えなくして、どうします?」
「どうします?」
うぅ。二対一では、分が悪い。ミキを味方に出来れば、何とかイーブンに持ち込めそうなのに。
エプロンの端で手に付いた水滴を拭いつつ、何か形勢逆転出来る写真が無かったかと、リビングへ移動してアルバムをめくってみると、ふと、写真が二枚に重なっている部分を見付けた。手前の写真は、理事長から学位授与証書を受け取るスーツ姿の僕を写したショットだけど、下に隠れてるのは、何だっただろう?
破けたり剥がれたりしないよう、上の一枚だけを慎重に捲り取ると、本人すらすっかり忘れていた黒歴史が顕わになった。
「わっ! これ、ママなの?」
「あっ、駄目!」
「フフッ。そうは問屋が卸さないよ」
ミネが慌ててページを閉じようとしたので、僕は一手先にアルバムを持ち上げて躱し、リング式のページを折り返し、ミキに写真がよく見えるようにする。
「ミネは三年制の僕と違って、六年制の工科の学生だったもんね。卒業式への気合いの入れ具合が違うよ」
「ママ、とがってるね~」
「あの時の写真は、全部処分したものとばかり思ったのに」
写真に写っているミネは、ベリーショートの髪をワックスでハリネズミのように立て、チューブトップとハイウエストのジーンズを着た上に汚れや破れが目立つ白衣を羽織り、足元には踵を踏んで平らにしたローファーを履いている。
しかも、前夜に夜更けまで起きていたのか、目の下には隈が浮き、焚かれたフラッシュの所為ばかりでなく眼光が炯々と光っている。
入学初日に、留学に来たばかりで右も左も分からない僕が戸惑ってるところを、ミネが手助けしたのが、そもそもの馴れ初め。
その後もトラムやキャンパス内で顔を合わせることが多かった僕とミネは、自然と挨拶を交わすようになり、それが恋愛関係へと発展するのに、それほど時間は掛からなかった。
文理選択が逆なら出会わなかっただろうし、結婚を期にこの街へ移り住む事も無かったに違いない。
この恋愛結婚が最終的に正しい選択で、人生が幸せだったかどうかは、きっと、歳を重ねて亡くなる直前になっても、結論は出ないだろう。
だけど、少なくてもこの時点では正しい判断だと思っていたし、このささやかな幸せが、その後もずっと続いていくものだと信じていた。