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水路 地下 始動

 王国デオフェルミアの城下、王都に住まう人々が今日も歩くその石畳の地面の下に、繁栄を支える地下水路が広がっている。


 人が最も旧き時代(ころ)、より神々に近かったとされる(いにしえ)の魔法と異種族の技術を待って建てられた城塞の名残りであり、険しい山岳にあってデオフェルミアが大国への繁栄を成し遂げられたのは、偉大なる過去の遺産があっての事だろう。


 王国の伝承には、建国の祖クリュー・デオフェルミアが泉の女神の加護を受け、その(いしずえ)を築いたと記されている…………










































「……ぶぁっは!っゲホ、ゥおぇッ!」



 噎せながら、水路から手を伸ばす人の姿があった。

 精一杯といった(てい)で、這い上がる。


 つい先ほど異世界から勇者として召喚され、そのまま聖剣の一撃による地下室の崩壊に巻き込まれた少年だ。



「くそっ、助けてくれるのかくれないのかどっちなんだよ、ふざけやがって…!」



 息も荒々しく、悪態を吐きながらよろめきながら、何とか立ち上がる。


 壁に手を付け、もたれかかりながら歩を進める。

 光がどこから入るというのか、四方の全てが石造りの真っ暗な水路で、何故か眼に映る淡い反射光のような矢印を頼りに彼は足を動かす。



 強く生を望む訳ではない。


 胸を焦がす憎悪ではない。



 特別な何か、異質な何かが彼を動かしているのではない。


 穏やかに過ごす植物のように

 平和な日々を暮らしてきた彼が、重厚な剣の前に命を晒され、強大な光に飲まれ暗い地下へ落とされて、それでも前へと進む歩みを止めない。


 そこには決して大層な理由も、大仰な信念もない。



「怪我がないのはラッキーだったけど、ほんとあの連中いつかぶん殴ってやる」



 動けるというのは、止まらないでいられるという事だ。










 程なくして、水面に映る月のような、曇りガラスの向こう側のような矢印が、その淡い線をクッキリと濃く変え始めた頃、真っ暗だった地下室の壁や床の面が見える程度には薄っすらとした光が分かるようになってきた。


 自然、先へ先へと歩みが早くなる。



 文字通り暗がりの道に現れた一筋の光を求めて、少年は角を曲がり────そして───────────────ため息が漏れた。


 思わず詰まったような、不恰好で(まさ)しく“漏れた”ものであったが、そんな格好のつかなさを気にする余裕はなかったし、元より彼はそんな性分でもない。


 ただ、目の前にある光景を脳が許容するまで数秒要したのは、あくまで一般市民である彼には仕方のない事だったろう。

 その光景を目の当たりにして後退りしてしまうことも、それで尻餅をついてしまうことも全ては仕方のないことだった。



「っ…な、あ…、え?」



 幅15cm程だろうか、彼の腕よりも太い鎖が少女の姿をした何かを、真っ白な人形のような女の子を全面から縛り付けるように貫いていた。

 傷口と称してよいのだろうか、鎖と何かの断面からは止めどなく水が溢れ出し、今しがた彼の通ってきた水路へと流れていく。


 開け放たれたダムのように、およそ160cmほどの体躯からは信じられない量の水が溢れ続けていた。



「────何者か」



 シン、と声が響いた。

 例えるならばそう、波紋を起こした一雫のような、決して大きくはないが広く伝わる澄んだ声だ。



「答えよ──何者か、と問うている」



 再度、声が響いた。


 明らかに威圧を増した声だけが、のっぺらぼうの何かから届く。

 混乱は頭を覆い尽くしていた。



「見え透いた芝居はやめよ。貴様の心域は怯えてなどおらぬではないか」



 人型の何かの頭上に水が集まっていく。

 殺傷力を誇るように不定形に移り変わりながら、今か今かと蠢く水の塊は、否応無しに視線を奪う。


 警戒が一手に集まる。


 後ずさりするように、重心が後ろへ傾き左足へ寄る。 

 逃げるように振り向き、足を後方へ突き刺すように蹴り出す。



 バシャン

 水面が弾ける音がして、すぐ後ろに忍び寄っていた水人形が糸が切れるように崩れ落ちた。



「……生意気な人間めが」


「は?」



 あんぐりと口を開け、自分が何をしたか分かっていない顔で飛び退く。

 眼前に迫る鋭く伸びた水を、仰け反る姿勢で鼻先に掠めながら避け、崩れた体勢をバク転の要領で整える。



「ふん、只者ではないらしいな、だが!」



 声が徐々に力を増していく。

 波紋のように凛とした音が、荒波のような力強く怒れるものへと変わっていく。


 その震える怒りに呼応するように、空気や地下室の壁全体まで振動が伝播する。



「貴様が何者であろうと時は既に満ちた。我が身を縛る封印も朽ち果て、幾千の眠りからこの怒りを解き放つ」



 その言葉は怒りに満ちたもので、まるっきり事情を知らない部外者が何を言ったところで止まるはずも無い事だけがハッキリとしていた。


 それに、塵埃が舞い亀裂が走る地下室で、揺れに耐えるだけでも精一杯の男には怒れるナニカの相手をする余裕はない。

 ため息を漏らしてしまう程の静謐な空間は、滅びを迎えるような揺れと塵にまみれ、今にもガラガラと音を立てて崩れそうな状況だ。



「忌々しい人間どもめがぁ!!」



 猛々しい咆哮は、凄まじい衝撃を伴って地下全体を反響した。見惚れるほど美しかった空間は見る影もなく、崩れていく瓦礫だけがつい先ほどの出来事と重なって悍ましく思う。


 大声と呼ぶに相応しい声量で、しかし吠え声と言うには腹に篭った唸り声に近い。

 恨みつらみを振りかぶった自暴自棄とさえ言える声色に思えて、目の前の怪物は恐ろしいと同時にどこか現実味のない悲壮を見てしまう。



「…貴様の感情、私を憐れんでいるな。生意気な!小癪な!傲慢な!貴様ら人間が我が有り様を嘲笑うか!!」


「ンな事言われても知るかよ!」



 翻り逃走を選ぶ。

 足は動く、体は竦んでいない。であれば選択肢は1つだ。


 ゲームのように戦わなければ道がないなんて事はない。マンガのように戦う他ないなんて思わない。非現実(フィクション)ではないのだから、選ぶ道は自由だ。



「逃がさん!」


「──へぶッ!」



 自由だった筈の道は、突如現れた水の壁に閉ざされた。見た目より水が多いのか、大きな圧力のようなものに挟まれて水の壁を通り抜けられない。

 いよいよもって戦うほかに道がなくなってしまった。



「ていうかマジで、俺が何したってんだよ!」



 迫りくる水塊を必死で避けながら、鬱憤の溜まった心情を吐露する。槍のように鋭い水、砲弾のように重そうな水、上から、横から、時として下から、常に全方位に注意を払うのは神経が削られる。

 見て、次の瞬間には最適解を選んでいるような判断の速さに自分でも驚くが、それを考えるだけの余裕は無かった。



「ハハ、アッハッハッハッハ、アーハッハッハッハッハ!」



 おそらく女の本体だろう人型は、広間の中央、水源とみられるど真ん中で高笑いをあげている。暴れて上機嫌なのか、それとも惨めに抵抗を続ける姿に愉悦を感じているのか、どちらにせよ、ここから女へとひとっ飛びに移動する手段も攻撃する手段もない。


 手詰まりの状態では相手の攻撃を避ける以外に出来ることはなく、刻一刻と崩壊を進める地下水路だけが、平等な殺意で確信をもたらしてくれた。


 どの道このままだったら死ぬ



「崩落か、水責めか」



 あるいはその両方という事もあり得る。

なんにせよ、どれも最悪であることに変わりなく、この地下水路の更に下に空間でもなくてはこれ以上の生還は望めない。

 ここが水源であるなら、ここより下に空間などあるはずもない……地下室の崩壊で五体満足だったのが奇跡だったのだ。諦める他どうしようもない。



「はぁ〜クソゲーかよ」



 降って湧いた非日常は、どうしようと光明のみえない暗闇で、愚痴を零す他に出来ることは無いという程だった。

 腹いせのように近くの瓦礫を投げつけ、いつの間にか落とした剣でもあれば、それもぶん投げてやるのにと、ズレた悔しさを抱え人生で二度目となる地下室の崩壊に巻き込まれた。

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