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君と歩くみち

作者: 下畑耕司

今日という名のある日、僕はお姉ちゃんと並んで歩く。

交わされる言葉は少ない。道端に転がっているいつもと違うものを見つけるとお姉ちゃんが僕にそれを告げ、僕はお姉ちゃんにそうだねと相槌を打つ。それが僕たちの間で交わされる会話だった。


秋の終わり頃、気温が下がったことを鼻先で感じる。僕にとっては大したことない温度変化だが、お姉ちゃんにとってはそうではないらしく、最近外に出るときは上着を羽織るようになった。


しばらく歩いているとお姉ちゃんがふと立ち止まる。

どうしたの?などと聞いたりはしない。ここでお姉ちゃんが立ち止まるのはいつものことだ。理由は分かってる。


「あ…。偶然だね」


数分待つとその時が来た。お姉ちゃんはそばを通りかかった男に歩み寄って言う。

彼はお姉ちゃんを見つけると笑みを浮かべ


「うん。偶然だね」


と返す。

僕の知る言葉で今のこの状況を言い表すならば、それは「必然」でしかない。

何がどうなると待ち伏せしていたお姉ちゃんと、いつも同じ時間に同じ道を通る彼が遭遇するのが偶然と言えるのだろうか。


「やあ、君も。こんばんは」


彼は僕にも挨拶をする。僕はふんと鼻を鳴らすだけで応えたりはしない。

僕を邪険にしたりしない辺り、彼は僕のことも憎からず思ってるのだろうが、だからといって僕が彼のことをそう思っているというわけではない。


僕は少し下がり、彼と並んで歩くお姉ちゃんを後ろから追いかける。

彼と話しているとき、お姉ちゃんは僕に構ってくれない。

でも僕だってそのことを別に構わないと思っている。こうしているときの彼女は、落ち着いていないけど嬉しそうな、不安そうだけど満ち足りているような、そんな顔をしている。

それは邪魔をしてはいけないもののような、触れてしまってはいけないような、そんな気がするのだ。


辺りはうす暗い。まだ辛うじて夕焼けの名残が空に見えるが、家に着く頃には真っ暗だろう。以前はもっと早い時間帯だったというのに、数年前からかこの時間に散歩をするようになっていた。

散歩の時間を決める権利は僕にはない。お姉ちゃんに行くよと言われれば付いていく。それだけだ。


「そろそろだね」


彼のその言葉に、お姉ちゃんの表情がこわばる。

視線の先にあるのは我が家だ。


「…ありがとう。送ってくれて」

「ううん。全然。帰り道同じだからね」


彼の言葉の後にいつも通り僕たちは彼と別れる。

分かっていたこと、決まっていたことのはずだ。彼は僕たち家族の一員じゃないんだから。


彼の背中が小さくなっていくにつれ、お姉ちゃんの笑顔もしぼんでいく。

僕はまだ家には入らず、ドアの前で待つ。心配だったからだ。目を離すとお姉ちゃんが彼を追ってどこかへ行ってしまうんじゃないかと。

もしそうなったらその時は、連れ戻すのは僕の役割だ。


僕がお姉ちゃんと散歩するのがいつの間にか日常になっていたのと同じように、彼と「偶然」会って、その度に遠ざかる彼の背中を見送るのも、彼女にとってただの日常になるだろう。

そのうち一喜一憂もしなくてすむようになるはずだ。

僕だってお姉ちゃんと散歩をするようになった頃は楽しくて嬉しくて仕方なかった。目に入るあらゆるものが輝いていた。だけど今の散歩にあの時と同じ感動があるかと問われれば、答えは「ない」だ。


ずっと続くものなんてない。それがまぶしければまぶしいほど、いつの間にか自分の中でありふれた形になって胸の奥にしまわれてしまう。

お姉ちゃんにとって僕が大事な家族でも、一番大事なものではないし、僕自身、そのうちお姉ちゃんから離れて遠くへ行かないといけない。


「入ろっか」


やがて気が済んだのか、お姉ちゃんは踵を返してドアノブに手をかけた。

たまにこのタイミングでもう一度通りに出て彼の後ろ姿を確認しに行ったりするときもあるが、今日はそうではなかったようですんなりドアを開けて僕と一緒に中に入った。

外よりもやや暖かい空気が、嗅ぎなれた匂いを乗せて僕たちを迎い入れた。


そんな風な日々はそれからも続き、お姉ちゃんと彼は飽きもせず毎日「偶然」散歩中に会い続けた。

気が付けば僕もお姉ちゃんも夏より一回り膨れていつもの散歩をするようになっていた。

吸い込む空気の冷たさに鼻先が凍る思いをしながら、僕はいつも通り彼と話すお姉ちゃんの姿を後ろから眺める。

言葉が発せられる度、吹き出しのように口から白い息が吐きだされる。暗い夜道ではその吹き出しが一際目立った。


途中、しばらく彼と会わない期間があったが、それでも僕とお姉ちゃんは散歩に行った。

お姉ちゃんが、目的を果たせないにもかかわらず僕と散歩をするのは、彼と出会うのは「偶然」で散歩自体彼とは何の関係もないということを暗に主張していたのだろうか。

別にそんなところで意地を張らなくても、誰もからかったりしないというのに。

本当は、彼と会えないうちは散歩なんて行かなくていいよと、言うべきなのだろう。それなのに僕は言えなかった。僕は彼のいない散歩を楽しんで、望んでさえいたのだ。

お姉ちゃんが僕とだけ散歩してくれるこの時間が、初めて散歩をしたあの頃のようで嬉しかったのだ。


そんな日々も気づけば終わり、いつの間にか彼のいる日常に戻っていた。

どうやら彼がいることに先に慣れたのは僕の方だったようで、久しぶりに彼と遭遇してもさほど心がざわつかなかった。

お姉ちゃんはそうではなかったようだが。


ある朝、目を覚ますと部屋を、否、家中を満たす甘い香りに気が付いた。

果物とは違う、甘さの際立った匂い。チョコレートだ。

僕以外の家族はチョコレートが好きで、特にお父さんは朝から機嫌がよかったが、僕はチョコレートを食べられない体質なので心など微塵も踊らない。


「喜んでくれるかな…?」


僕がいつも通りの朝食を摂っていると、窓の結露に指で円を描きながらお姉ちゃんがぽつりと漏らした。

独り言かと思ったら突然僕に向き直り、食事中の僕の頭をわしゃわしゃ撫で回し始めた。


「喜んでくれるかなー」


食事の妨げにはならないので僕は何もしなかったが、しかし物憂げなお姉ちゃんの表情をどうにかしてあげたかった。

どうすればいいのか、皆目見当もつかなかったのだが。


やがて気が済んだのか、乱れた毛並みを戻してお姉ちゃんは自分の部屋のある2階へと上がっていった。

暫くして戻って来たお姉ちゃんはいつもの、学校に行くための制服を纏っていた。

さっきは様子がおかしかったがいつも通りだ。そう思ったのもつかの間。僕の目はいつもと違うものを発見する。

胸の前で大事そうに抱えてる紙袋だ。中身はチョコレートであることはすぐに分かった。


「それじゃあ、行ってくるね」


そう言ったお姉ちゃんの目に宿った決意の炎たるや、一体何をするつもりなのかと心配になったが、どうやら杞憂だったようで、夕方前にはいつも通りお姉ちゃんは帰ってきた。

その日、お姉ちゃんと彼の間で交わされる言葉がいつもよりも少なかった気がしたのが気になったが、次の日にはいつも通りに戻っていた。

僕は日常が保たれていることに満足し、その日のことを重く考えずにおくことにした。


しかしその数日後、事件が起こった。


「お邪魔します」


彼が我が家に来たのだ。

動揺の結果、僕は硬直した。

僕が身動き一つとれずにいる隙をつかれ、彼はリビングに侵入、お姉ちゃんと一緒にお母さんとしばらく言葉を交わし、茫然としている僕の目の前をすり抜けて階段に足をかけた。

その先には2階が、お姉ちゃんの部屋がある。

回復した僕は慌てて2人の後を追ったが、僕が階段を上り切った頃には既にお姉ちゃんの部屋の扉は閉ざされていた。

さすがにこの扉を開けることには僕にはできない。しばらく部屋の前をうろうろしていたが、それでいい案が浮かぶわけでもなかった。


彼のことは前から知っていたが、まさかこんなに堂々とお姉ちゃんの、ひいては僕のテリトリーに侵入してくるとは思っていなかった。

今まで彼とお姉ちゃんは仲のいい友達としか思っていなかったが、これじゃあまるで彼が僕たちの家族になるみたいじゃないか。


認めたくない。


そう思ったのは確かだったが、しかしどうしてなのか分からない。どうすればいいのか分からない。

彼は僕に危害を加えるわけでもないし、お姉ちゃんと仲良しならば敵どころか仲間のはずだ。それなのに、どうしてこんな気持ちになるんだろうか。僕の気持ちなはずなのに、色んなところでねじれて自分のものじゃないみたいだ。


思考に沈んでいた僕の耳に誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。

今この家の中にいる人物を考えるとそれは間違いなくお母さんなのだが、どうしたのだろうか。やはりお母さんもお姉ちゃんのことが気になるのだろうか。


そう思って階段を見ると、お母さんはお盆を持って現れた。何が乗っているのかは見えないが、食べ物のようだった。

お母さんはいとも簡単にお姉ちゃんの部屋のドアを開け、中に入った。

それに便乗して僕はドアの隙間から部屋の中を窺い見たが、顔を覗かせたところでお母さんに阻止される。


「こらこら。2人の邪魔しちゃ駄目よ」


邪魔ではなく様子を伺っただけなのだが、お母さんにこう言われては仕方ないと諦めようとしたその時


「ちょっと待って。お母さん」


お姉ちゃんが立ち上がってこちらにやってきた。


「まだ紹介してなかったね。おいで」


そして僕を部屋に招き入れ、彼の傍らに座らせた。

彼が僕に向き直ったことで僕たちは対峙することになる。初めてだった。彼と同じ高さで目が合ったのは。


「彼は私の彼氏。…えっと、大事な人。だから悪い人じゃないよ。仲良くしてあげてね」


言ってお姉ちゃんは彼の手を取り、僕の鼻先へもっていく。

匂いを覚えろということだろうか。彼の匂いはこれまでに何度も嗅いだのでもう覚えているのだが。

ささやかな抵抗として、とりあえず彼の手を舐めておいた。お父さんだってこうするとたまに怒ることがある。きっとこれで僕の気持ちは彼に伝わっただろう。


「ん。よかったね。認めてもらえたみたいだよ」

「そう?それはよかった」


彼の口元から笑みがこぼれた。

僕は戸惑ってしまった。どうして彼がこんな反応をしたのか、分からなかった。

分からなかった?いや。違う。経験上、手をいきなり舐めても怒らない人はみんないい人だ。そう。彼はいい人なんだ。

築き上げたはずの壁がぼろぼろと崩れていく。もう言い訳はできない。


「ところで、名前は何て言うの?」

「ポチ」


僕ではなくお姉ちゃんが答えた。


「そのまんまでしょ?おばあちゃんが拾って、私が4歳くらいの時うちに来たの」

「そうなんだ。じゃあ、これからよろしくね。ポチ」

「仲良くしてあげてね。いい人だから」


そう言ってお姉ちゃんは屈んで僕の頭をさするように撫でる。

僕はお姉ちゃんにこうしてもらうのが好きだ。初めてここへ来た時のことを思い出せるからだ。

あの時はいつもすぐ見えるところに目が合った。それがいつの間にか僕の目の届かないところに行ってしまって、時折僕を撫でる時しか目が合わなくなっていた。


そうか。

分かった。さっきまで僕が彼を認めたくないと思っていたのは、僕のものでなくなってしまったお姉ちゃんの瞳を彼に取られてしまったと思っていたからだ。


でもいいだろう。もう分かった。彼になら、僕を見ていないときのお姉ちゃんの瞳をあげてもいい。僕がいなくなったその後もずっと、彼に任せてあげてもいい。

彼女は見つけたんだ。ずっと見ていたい人を、僕にとってのお姉ちゃんを。


「よかったね。お姉ちゃん」


幸せそうに目を細める彼女に、そう言えたらどんなによかったか。

まあ、これからもまだまだお姉ちゃんとの散歩は続く。そのうちきっと、伝わる日が来るだろう。

一応答え合わせとしてネタばらししますと、主人公はイヌ、普通の中型犬です。そのつもりでこの物語は作りました。

隠すように描写しましたが、勘のいい人は最初の「散歩」という言葉でもう疑い始めたんじゃないでしょうか。

本当は純粋に恋愛ものを書きたかったんですけど、僕はどうしてもこういう作品にしてしまいますね。悪い癖、なのでしょうか。この仕掛けが物語にとって雑味になってしまわないことを願うばかりです。

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