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殺人者の告白


 意味がわからない。

 それが、ハルカの言葉を聞いたケンジが率直に抱いた感想である。むしろケンジとしてはそのままの言葉で質問をぶつけ、彼女の言葉の真意を質したかった。

 が、ケンジが言葉をぶつける前に、


「あ、あのう」


 予想外の方向から横やりが入った。

 見れば、ダンディな物腰でこれまたダンディな見た目の店主がいつの間にか困ったような笑みを浮かべてテーブルの傍に立っている。

 どこか恐縮した態度で偉そうではなかったものの、不思議と卑屈にも見えない。

「申し訳ありませんが。店内で、その、小道具のようなものを出されるのはお控えいただけないでしょうか?」

 柔らかな言葉遣いだったが、どこか有無を言わせぬ響き。

 なにより言っていることが正論過ぎて、ケンジは思わず頭を下げた。

「す、すいません…!」

「ああ、いえ。謝る必要はありません。楽しくおしゃべりしているのを邪魔するつもりはなかったんですが」

「いえ、ほんとすいません。えっと、その、ご迷惑をお掛けしてすいません。すぐ出ていきますんでっ!」 

 注意された恥ずかしさもあって、ケンジは慌てて席を立った。ダンディーな店主は「いえいえお気になさらずに」と大人の対応を見せている。

 ケンジはひたすら恐縮していたが、不意に気付く。

 このアマ、呑気に珈琲啜ってやがる…!

「おい!」

「はい?」

 すっとぼけた顔でこちらを見つめるハルカ。

 どこまで本気かわからず、ケンジはとにかく睨み付けた。こちらの意図に気付いていないのか、数秒後にはまた啜り始める。

「おまっ! マジでふざけんじゃ…っ!」

「本当にお気になさらずに。コーヒーは冷めないうちに召し上がっていただくのが一番ですから」

 何故かダンディな店主に宥められ、ケンジは更に恐縮した。

 ハルカは優雅に珈琲を啜っている。

 ケンジはこの女にもう関わらないことを心に誓った。

 あの馬鹿の言う通りにしておけばよかったのだ。

「では、ごゆっくり。当店はコーヒーのおかわりも自由ですので、御用があれば申し付けください」

「あら、そうなんですか。こんなに美味しくておかわりもできるなんて、素晴らしいですね」


「けれど、残念。私に毒は効きませんよ?」


「は?」

 ケンジは耳を疑った。

 ハルカは未だにコーヒーを啜っている。

 毒、とこの女は言ったのか?

 毒が盛られているなら、なんでこの女はそんなものを飲んでいる? いや、そもそもなんで喫茶店の珈琲に毒が盛られている?

 ケンジの脳裏に様々な疑問が浮かんだが、どの疑問に対しても深く考えるのがあまりに馬鹿馬鹿しく思える。

 ケンジは、店主を見た。

 こんな荒唐無稽な話を聞かされてどんな顔をしているのかと考え。

 それが、的外れな考えだったことに気付いた。

「あら、どうかしましたか? 随分と怖い顔」

 無。

 そうとしか表現できないほど店主の顔には表情がなかった。そのくせ目だけは不自然なほどぎらついていて、ケンジは背筋が凍った。嫌悪感はもちろん、それ以外のなにかがこの男を決して許容してはいけないと警鐘を鳴らしている。

ハルカを見つめる眼差しは、およそ誰かに向けるものではなくて。

「あぁ、なるほど。あなた方はその手の人間ですか」

 ぎょろり、と店主の眼球が動く。

 黒い瞳がケンジを捉える。その視線に、ケンジは思わず身を固くした。

 が、

「そう構えないでください。確かに一服盛りましたが、そういうことなら事情が違う。お詫びにここのお代は結構です。デザートもサービスさせていただきますから」

 そうとだけ言って、店主は店の奥へと踵を返した。

 あまりにあっさりと。

 さすがに驚いたのか、ハルカも目を丸くしている。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。なんだよ、それ…?」

 ケンジは思わず店主を呼び止めた。

 が、店主は一度肩を竦めただけで厨房へとつながる扉へと手を掛ける。

 ケンジはハルカを見る。

 ハルカは険しい表情で鋭い声を発した。

「十五人。これがなんの数字か、わからないとは言わせませんよ」

 ぴたりと店主の動きが止まる。

 それを見て、ハルカは更に言葉を続ける。

「この半年間で消息を絶った女子生徒の人数です。いずれも私達と同じ学校の生徒であり、彼女らの住所もこの店の近辺。目撃証言から下校の際に何らかの理由で行方がわからなくなったことが推察されます。ここまで言えば、さすがにわかるでしょう?」

 

「ええ、それは私がやりました。その件でここに来たんでしょう?」


 これまたあっさりと。

 ごく当たり前のことかのように、店主は言った。

 それはおよそ罪の告白というにはあまりに自然すぎる態度で、ケンジは今度こそ言葉を失った。


                   *


「妻がね、殺されたんですよ。娘と一緒に。もうすぐ四歳の誕生日でね、プレゼントを妻と一緒に相談してたんです。娘はゲーム機が欲しいと言ってたなぁ、けれど、妻は女の子らしくぬいぐるみがいいと言ってたんです。結局、私は妻に従いました。ゲーム機を買えばソフトが必要になる。ソフトが増えればその分ゲームをする時間が長くなるからって。勉強をね、しっかり勉強をさせようと思ってたんです。私も妻も真面目とは口が裂けても言えなくて、それで苦労をしたものですから」

 独白は続く。

 店主は淹れ直した珈琲を注ぎ、小皿を二つ持ってきた。それそれをケンジとハルカの前に置く。

 小皿の上には三色のアイス。

 大きさはまちまちで、ケンジは思わず目を逸らした。大、中、小。小さなアイスはそれこそ食べるというにはあまりに小さすぎる。

「うさぎのぬいぐるみを買ったんです。なるたけ大きなものを、と思って専門店にまで繰り出して。抱えて帰るのは大変だった。ああ、当時は車も持ってなくて、駅からこの店まで歩いて帰って来たんです。娘の顔を見るのが楽しみでね、急ぎ足で帰りましたよ」


「そしたらね、倒れてたんですよ。店の奥で、折り重なって、血を流して」


 そこからの話はケンジにも容易に想像がついた。

 店主はそのまま通報。救急車を呼ぶもすでに心肺停止状態であり、搬送された病院で死亡を確認した。

 母子ともに、その短い生涯を閉じた。

「お腹からね、赤いものが飛び出してたんです。手足の関節は全部逆に曲がってました。指なんて爪まで剥されて、顔なんて私ですら誰かわからないくらいに腫れ上がってました。それでも息はしてたんです。赤い、血が混じった涙を流して生きようと頑張ってた。それも、救急車が来るまでだったんですが。…ああ、すいません。食事の時にするような話ではありませんでした。この話をするとどうしても長くなる。本題はまだこの先なのに」

 店主は世間話のような軽い調子で言葉を続ける。

 ケンジに言えることは何もない。

 ただ店主の言葉に聞き入り、その先を憂うしかなかった。

「犯人はすぐに見つかりました。よく店に来ていた女子高生達でした。…女子高生ですよ? はじめて聞いたときは訳が分からなかった。妻と娘の状態は明らかに、同性による犯行とは思えないと警察の方もおっしゃっていましたから。でも、なにより訳が分からなかったのは」

 

「彼女達が次の日も訪ねてきたことなんです。その次の日も、そのまた次の日も。今まで通りに毎日毎日、何食わぬ顔で私の前に現れたんです…っ!」

 

 なにも知らない店主は少女たちを歓迎した。

 店を開けられる状態ではなかったが、常と変わらずに訪問してくれる彼女達の心遣いを無為にするのは気がとがめたからだろう。あるいは、一種の逃避だったのかもしれない。これまでと同じ日常を演じることで、失った事実を忘れようとしたのかもしれない。

 そのどれが正解なのか、ケンジは確かめようと思わなかった。

 それは、既に踏み潰されたものだろうからだ。

「動機を聞いて目眩がしました。私達の家族の仲が良さそうだったから。それだけですよ。それだけの理由で妻と娘は殺されたんです。…いえ、それはまだいい。それはもう納得しました。所詮犯罪者の言葉なんて聞くだけ無駄です。問題はその後なんです。裁判では有罪判決が出た。せめて刑務所で罪を償ってほしかった。なのに」


「なのに、あの糞ったれな法律があの悪魔どもを守りやがったんだッ!」

 

 怒号。

 むき出しの感情に応えるものはない。ハルカは当然としてケンジもどこか醒めた目で男を見ていた。

 血走った目、歪み切った表情、鬼気迫る雰囲気。

 その全てが偽りのないものだと肌で感じることが出来た。だからこそ、ケンジは徐々に冷静さを取り戻している。

 この男の話。

 その内容はあまりにも。

「あの悪魔どもは今ものうのうと暮らしてる! なにが保護観察区だっ! たった数百メートル、そこであいつらは今も青春ごっこをしてるッ! その事実を知って、私は決断したッ! 悪魔は滅ぼさなければならない! だから」

「だから、無関係な人間を殺したと?」

「無関係なもんかっ! おれにはわかるッ! あいつらは悪魔だ! だから滅ぼさなきゃいけないんだッ!」

 もはや罵声ですらない。

 男の叫びにケンジは心底うんざりした気分になった。

 気が狂ったように主張する男を否定する気はない。男の言葉は被害者としてはごくまっとうなものだったし、ケンジの知る現状からすれば正論過ぎて反論することもできない。

 けれど、だからこそ、この叫びは無意味だとケンジは思った。

 この男の話は、あまりにも陳腐でどこにでもある話だったからだ。

「…くだらねえ」

 ぼそり、とケンジは呟いた。

 ケンジ自身、言葉にするつもりはなかったが、無意識のうちに出てしまったらしい。かといってそれを訂正するつもりもなかった。

「…今、なんと言いました?」

 鋭い眼光がケンジを射抜く。先ほどとは違う、黒い眼に込められた激情が迫力を倍加させている。

 けれど、それだけだ。

 ケンジはその視線を受け流し、ハルカの方へ意識を向けた。

「おい、なんでおれを連れて来た」

「さっき答えた筈ですけれど?」

「そうかよ。帰るわ」

 ケンジは返事を待たずに席を立った。

 呆けた表情をしている店主を押しのけ、出口へと向かう。スマホを取り出し、アプリを起動。大分赤く染まった液晶画面に辟易しつつ、帰りの経路を考える。

「あら、女性を一人にするつもりですか? そちらから誘ったくせに」

「思ったよりつまんなくてな」

 扉に手をかけ、からんころん。

 呼び鈴の音を聞き、ケンジは外へ出ようとして、


「いや、逃がすわけないでしょう?」


 何故か、押しのけた筈の店主が目の前にいた。

 見た覚えはある筈なのに見慣れない景色。つい、今しがた開けた筈の扉が奥の方に見える。

 店内に戻って来た。

 その事実にケンジはため息を吐く。

 目に見える異常性に、ではない。

 どうにもできないことがある。

 そんな当たり前の事実を改めて思い知らされ。 

 ケンジはハルカに付いてきたことを、はじめて後悔した。


面白かった!

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