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転校生

 子供が発症し、大人は発症しない。

 それは医学的根拠もなにもない迷信といわれているが、過去の凶悪事件を紐解けばどれだけ信憑性があるかは明白になる。

 事実、犯人のすべてが十代ないしそれ以下の少年少女だった。

 だから、大人は子供達を管理することを選んだ。そのために社会の構造すらも変化させたのだ。

 最初に変質したのは学校だった。

 これまで教師は教育者という建前があって学生を指導していた。それは建前でしかなかったかもしれないが、それでも学校という社会の縮図を形成する情操教育の場としての役割を全うさせるだけの意味もあったはずなのだ。

 だが、その建前がなくなりただの管理者としての役割だけを任じられた結果。

 教師は教育者とはほど遠い存在となり果てた。

 だから、子供達は自分たちのこと自分たちで行うようになった。

 それが共済という組織が出来た理由であり、経緯である。


                ※   

 

「それでぇ、君はどうしてあんなところに倒れていたのかしらぁ?」

 

 囁くような声音だった。

 ケンジの視線の先で女性が柔らかい笑みを浮かべている。

 無駄に露出が多く、短いスカートから伸びた太股や強調された胸元が艶めかしい。ふっくらとした唇は赤く瑞々しく、切れ長の瞳はケンジをまっすぐ見下ろしていた。

 その視線が、とケンジは内心つぶやいた。

 まるで無機物を見ているかように醒めているのだ。

 見つめられるだけで心がざわついてくる。それは決して良い意味ではなく、可能ならばすぐにでも逃れたくなる類のものだ。

 けれど、ケンジはその視線から逃れることができない。

 全身を拘束するベルトと鎖。

 ベッドに寝かせられた状態で施された戒めは、ケンジに抵抗の意味がないことを瞬時に悟らせた。

 何が起きて、何をされているのか。

 ケンジは内心の不快感を押し殺し、努めて冷静に言葉を発した。

「…ですから、さっき話した通りです」

「んー、でもぉ、気が付いたら倒れてたって言われてもねぇ。いくら授業で疲れてるっていってもぉ、十九時におねむは早すぎないかしらぁ?」

 猫なで声が神経を逆撫でる。

 こちらを舐めているとしか思えない言動は明らか挑発であり、実際この女自身がケンジを馬鹿にしているのだ。

 原口妙。

 ケンジとサトシの担当教師である。

「何が起きたのかは自分でもよくわからないんです。繰り返しになりますが、本当に何もわからないんです」

「うーん、先生としてはぁ信じてあげたいんだけどぉ。でも、それで納得するわけにもいかないのよねぇ。ねぇ、ケンジくん」


「その胸元の血、どう説明してくれるのかしらぁ?」


 血。

 ケンジのワイシャツは見事に赤く染まっている。胸元と言わず、ほぼ胴体を染め上げたそれは尋常ではない出血量を物語っていた。

 明らかに致死性の失血量。

 けれど、ケンジはこうして生きている。

 その事実が、原口にはとても気に入らないらしい。

「ですから、それもわかりません」

「ええー。うっそだー。いくらなんでもそんなのありえませーん」

 何が楽しいのか、けらけらと原口は笑う。そのくせ目だけは笑っていない。

 当たり前だな、とケンジは思う。

 ここでケンジの言葉を信じるのはよほどのお人好しか馬鹿だけである。少なくとも目の前の女はお人好しとはかけ離れた存在であり、馬鹿と言うには腹黒過ぎる。

 そもそも、ケンジは嘘をついてた。

 胸元を穿った切っ先。

 まっすぐとこちらを見つめる少女。

 倒れる直前の光景は鮮明に覚えているのだ。

「でも、本当なんです。本当になにも覚えていないんです」

「うーん。でもでもぉ、もしもだよ? ケンジ君がぁ、覚えてなくてもぉ、誰かを傷つけちゃってぇ、その返り血を浴びたなんてことも考えられるのよねぇ?」

 馬鹿くせえ。

 ケンジは素で言葉を発しそうになった。自制心で堪えたが、堪えたことによって生じた間が原口の目に留まった。

「あらぁ? もしかして心当たりがあるのぉ?」

 重圧が増す。

 見下ろす視線を受け止めるのが妙にしんどくて、正直に話してしまおうかと思った。

 けれど、ケンジは白を通すことに決めていた。 

「…本当に、わかりません」

 理由は、この女への不信感ももちろんある。けれど、何よりも面白くないのは拘束されている事実そのものだ。

 ケンジは既に疑われている。

 発症し、誰かを犠牲にした化け物だと思われているのだ。

 そんな状況で、日本刀を持った少女に刺されたなどとありのままの真実を伝えれば確実に隔離病棟へと搬送されてしまう。

 妄言癖まであると思われ、そのまま山奥で余生を過ごすなんて馬鹿な真似をするつもりは毛頭無かった。

「原口主任」

 ノックすらなく扉が開いた。

 入ってきたのは女性の職員だった。ケンジも何度か見た覚えがある。けれど名前は知らない。ケンジ達を汚物か何かを見るような冷えた視線を向けてくることに定評のある女で、あのサトシですら敬遠している人物だ。

 彼女はこちらを見ることもなく原口の元へと向かった。

 何かしらの書類を渡し、こちらに聞こえないように小声で何かを話している。

「それでは」

 かと思えばそのまま外へ出て行った。

 相変わらずのマイペースである。

 原口は気にしていないようで、そのまま書類に目を落としている。普段のふざけた態度とはまるで違う冷たい表情。一文も逃すまいと滑る眼球は、端で見ていて不気味そのものだった。

「うん、おっけー! ケンジ君の無罪が証明されました!」

 ばさり、と書類が宙を舞った。

 原口は満面の笑みを浮かべ、小躍りするようにステップを踏んだ。

 …本当にこの女の思考回路がわからない。

 ケンジは何が起きたのかを理解するのも面倒だったので、原口のテンションが治まるのを待った。

「ごっめんねぇ! 先生ぇ、ちょっとナーバスになってたかも。でもでも、これでケンジ君の疑いも晴れたわけだし、オールオッケーってことでいいよねん?」

「はぁ、そうですか」

「でも、その血だけはわからないわねえ。怪我もしてないみたいだしぃ。ケンジ君、吐血する人?」

「意味わかんないです」

 原口は鼻歌交じりにケンジの拘束を解いた。

 ケンジはゆっくりと上体を起こす。痛みや違和感はない。ただワイシャツが乾いた血のせいでバリバリしているのが気になった。

 胸元に触れる。

 ワイシャツには確かに縦長の穴があいていた。中のシャツにも同じ穴がある。なのに、肝心の肉体には傷が無かった。

「はい、これぇ。もうすぐホームルームも始まるからぁ、急いで準備してねぇ」

「は? ホームルーム?」

「それじゃ、後でね」

 原口はケンジの返事を聞く前に保健室を出ていった。

 渡されたのはケンジの体操着。

 ホームルームのことを言っていたから、そのまま授業に参加しろとのことらしい。

 壁にかけられた時計は午前八時を指している。

 とにもかくにも、何とかうまく切り抜けることができた。

 ケンジはため息を吐いて、ワイシャツを抜いだ。

 せめて家に帰りたかったがあの口振りではそれは許されないだろう。このまま抜け出してうちに帰ることもできるが、ケンジはその選択肢を思考から排除した。

 それで丸く収まるならそうすべきなのだ。

 まぁ、考えることは山ほどあるがそれも今日一日を無事に過ごしてからだと自分に言い聞かせる。

 ケンジは体操着に着替え、教室へと向かった。


                 ※

 がらりと教室の戸を開ける。

 廊下まで響いていたざわつきが一瞬で静まり返った。集まる視線。その全てを無視し、ケンジは自分の席へと向かった。

 窓際の一番後ろ。

 普段であれば決して目立つ席では無かったが、今日は違った。ケンジが席に着いても教室中の視線が離れることない。

 当然居心地の悪さは感じたが、ケンジはそれに文句を言うつもりはなかった。

 立場が逆であれば、ケンジも彼らと同様の対応をしただろうからだ。

 ただし、素知らぬ顔をしているサトシは後で殺すと心に誓った。

「はーいはーい、みんなおっはよぉー!」

 脳天気な声が響く。

 先ほどよりも数倍明るい声にケンジはそっと息を吐く。声の主は教壇に立つと、どこかわざとらしく言った。

「あれあれぇ? 皆どーしたの? 先生が来たよー? 日直の人ー?」

 原口は満面の笑みを浮かべている。

 どこまでも白々しい態度にケンジは内心感心した。この空気の中であっても原口はあくまで原口としている。その姿勢だけは見習うべきだと、何故かケンジは上から目線で思った。

 けれど、

「―――――」

 無言の視線がゆるむことはない。

 普段であれば日直が号令を掛ける程度には常識は残っているはずだが、今日に限っては別だ。

 常識では生き残れない状況を彼らは生き抜いてきた。

 だからこそ、この反応は正しいとケンジは思う。思うが、当事者としては勘弁してほしいと切に思う。

 ケンジは原口を見る。

 原口もケンジを見ていた。

 その目が何かを問いかけているような気がしたので、ケンジは一つうなずいた。

「はーい、はーい。みんな注ぅ目ぅー」

 当然、誰も原口を見ない。

 原口もそれを意に介さず、言葉を続けた。

「ケンジ君の検査はシロでーす。発症も感染の疑いもなく、これまで同様みんなと一緒に勉強できまーす。みんなが友達思いなの先生とぉっても嬉しいんだけどぉ、そろそろ無駄なことはやめましょー」

 途端、無言の重圧が消えた。

 ケンジは、そっとクラスの様子をうかがう。当然と言えば当然だったが、クラスの誰もがケンジに関心をなくしている。

 そのあまりに現金すぎる反応に、ケンジはさすがに文句を言いたくなった。

 せめて一言くらい声をかけろや。

 未だにそしらぬ顔をしているサトシは殺す、とケンジは固く誓った。

「うんうん、皆物わかりがよくて先生嬉しいよぉ。友達の心配も大事だけど授業も大事だからねぇ。それでは、今日も一日張り切って行こぉっ!」

 気の抜けた掛け声に応じる者はいない。

 それでも原口は相変わらず気にせずに笑みを浮かべ、連絡事項について伝達し始めた。

 いつも通りの朝の光景。

 とにもかくにもスタートした一日に、ケンジはようやく安堵の息をもらす。

 窓から差す朝日がまぶしい。そんなことを今更に思いながらケンジは教科書に手を伸ばす。

 もともと予習も復習もしないダメ学生ではあるが、一日くらいは真面目に授業を受けてもいいかもしれない。

 そんなことを思いながら、ケンジは数学の教科書を開き、


「それじゃ、転校生を紹介するわねぇ」

 

 そんな予想外の言葉を聞いた。

 がらり、と教室の戸が開く。

 入ってきたのはすらりとした長身の女性だった。腰まで伸びた黒髪を靡かせ、その長い脚を優雅にスライドさせながら教壇へ立つ。

 まっすぐな視線が印象的だった。

 意志の強そうな大きな瞳、すっと通った鼻筋と線の細い顎。肌は色白く、緩く弧を描く口元は見る者に爽やかなな印象を与えている。

「はじめまして。水元ハルカと申します。こちらには親の都合で転校してきてきました。わからないことが多いと思いますがよろしくおねがいします」

 はきはきとした声が響く。

 浮かべた笑みは朗らかで、普段は醒めた目でしかみないクラスメートも感嘆の息をこぼした。

 先ほどとは違う意味で教室の空気が変わる。

 原口でさえ穏やかな笑みを浮かべ、目を細めている。

 そんな空気の中で、ケンジだけが一人取り残されていた。教科書に伸ばした指先がふるえている。

 その立ち姿、まっすぐな視線。

 あるはずなのに存在しない胸元の傷が疼く。あのときとはまるで違う雰囲気に勘違いかと自問したが、ケンジの直感が即座に否定する。

 間違いない、あの女だ。

 全身から汗が噴き出し、唐突な寒気が吐き気を呼び起こす。鳴り響くサイレン。それが幻聴であることを自覚しながらも、ケンジは全身を硬直させることしかできなかった。

 と、

「あ」

 思わず声が漏れた。

 そうとしか思えないタイミングで彼女は表情を変えた。大きな瞳が更に大きく見開かれ、口元が半開きになっている。指先が教室の一点に向けられた。

 突然の変貌に誰もが振り返る。

 向けられた複数の視線。

 二度目のそれを、ケンジは無視することができなかった。


「あなた、どうしてまだ生きているの?」

 

 一泊の間をおいて騒然となる教室。

 二転三転する状況に、ケンジは思考するのをやめた。

 ため息を一つ。

 視線の先で呆けたような表情を見せる少女を見て、ケンジは思う。

 …まぁ、なんだ、この状況で考えることじゃないんだろうけど。

 

 思ったより美人じゃねえか、と。


面白かった!

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