出会い
今後も定期的に更新していきます。
そもそものはじまりは、五年前。
首都圏にあるとある高等学校で起きた失踪事件にあった。
修学旅行当日に起きたその事件は、一学年の生徒および引率した教師のほぼすべてが行方不明となった怪事件。
出発から目的地までの道中、目撃証言と新幹線の乗車記録等からすべての生徒と教師が健在だったことがわかっている。よって、失踪した現場と考えられたのは宿舎である旅館であったが、そこから更に話が拗れた。
旅館にたどり着いたのは一人。
血塗れの学生服を身につけた女子生徒だけだったのだ。
受付をしていた仲居が通報。ほどなく駆けつけた警察官により少女は保護され、事件の概要が明らかになった。
それは、あまりにも荒唐無稽でおぞましく、なによりも単純な顛末だった。
食べちゃった。
妄言とも言うべき証言が偽ざる真実であったと証明されるのは、それから程なくだった。
そして、大人と子供の戦いが始まったのだ。
※
「ねぇ、ケンジはテスト大丈夫?」
「は? お前馬鹿なの?」
ケンジは本気で言った。サトシに無理矢理奢らせたアイスの棒をゴミ箱に放り込み、なぜか傷ついた顔をするサトシを見る。
サトシは恐る恐るといった様子で言葉を発した。
「な、なんで馬鹿にされなきゃいけないんだよ…!」
「まず一つ、この流れでなんでそんな風に会話をつなげようとするのかがわからない。二つ、頭いいお前にはわからないかもしれないがそんなどうでもいいこと聞くな。三つ、何よりお前がおれに言うべきことは他にある」
ケンジが一息に言うとサトシはさらに傷ついた顔をする。本当にこいつは扱いづらい。
「だって、さっきのはもう」
「すんじゃいねえよ。お前、どうせまた原口のクソに聞くだけだろ。あいつのことだ、適当に言い訳してお前をあしらうだけだろうが」
「でも、でも、もしかすると先生が伝え忘れたとか」
「そうか。先生なのにそんな大事なことを忘れる奴をお前は信じられるのか」
「ケンジ! いい加減にしろよっ! なんだよっ、先生をなんだと思ってるんだ!」
「大人はクソだ。おれらがそう思ってる以上にあいつ等はおれらをクソと思ってる。親子ならまだしも、連中にとっておれらは化け物予備軍だからな」
「…そういう言い方はよくないと思う」
「そうだ。そんなことを改めて言わせるお前が悪い」
なんだよ、それ。
吐き捨てるようにいうサトシ。
だが、それ以上にケンジの気分は最悪だった。こんな常識も知らずに連中に取り入ろうとする馬鹿が最も胸くそ悪い。奴らからしたら最も使い勝手の良いカモだとどうしてわからないのだろうか。
…この男が言いたいことは、ケンジにもよくわかっている。
教師とは生徒を導く存在であり、大人というこれから自分達が目指すべき人間の見本なのである。多少行き過ぎな面があるのは間違いないが、それでもサトシが言っていることは建前として考えれば理解できる。
けれど、その建前ですらとうの昔に意味を無くしてしまっていた。
「知ってるか? 原口のクソが今年から検査を毎月やることにするんだってよ。てめえらの都合でおれらの休みをどんどん減らしやがる。そんな奴を信じんのかよ?」
「いや、それは必要なことじゃないか」
「だって、僕らはいつ発症するかもわからないんだよ」
その病が社会に認知されたのはちょうど五年前、件の失踪事件の直後である。
症状は様々であり、その感染源は今以て不明。ワクチンや治療法さえ存在せず、発症した患者は隔離病棟へと連行される。
この五年で隔離病棟の建設が相次ぎ、郊外の山々の風景が一変した。それだけの感染力を持ちながら、致死性は皆無。国内で初めて認定された患者も今以て存命である。
そんなよくわからない病がなぜ問題になったのか。
それは感染者が発症した後の異常行動にある。
感染者は、常識で計ることのできない超常的な能力を手に入れるのだ。
「覚えてる? 中学の頃一緒だった武田は部活の先輩を全員ミンチにしたし、春日さんは隣のクラスの溝口を細切れにしてさ、他にもみんながみんなおかしくなったんだ。僕はあんなのもう堪えられない」
だから、先生に従うべきだ。
サトシはごく当たり前のことであるように言う。
確かにその通り。全く以てごもっとも。
その正論にケンジは心の中で拍手を送った。サトシの言葉に間違いはなく、何より筋が通っている。ここで反論しようものなら正論で叩き潰されるだけだろう。
だが、である。
正論はあくまで正論でしかない。
なによりその正論は大人側の都合でしかないのだ。そんあものを振りかざされるおれ達からすれば認めることなど決してできるはずもなかった。
「だから、こんな糞みたいなとこに押し込まれても仕方ないってか? 冗談じゃねえ。あの壁を見ろよ? あんな糞みてえなもんで区別して、自分達はでかい家に住んでやがる。おれらは廃墟同然みてえな家なのにだぜ? 実家に帰りたいって泣いてたじゃねえか、お前」
「む、昔のこと引っ張り出すなよっ。しょうがないじゃないか、法律で決まったことなんだし」
法、法律。
ケンジには細かいことはわからない。わかろうとも思わない。
ただケンジが中学生になる頃に大人達が決めたそれがケンジたちの現在を決定づけた。
ケンジたちが住む地区は保護地区と呼ばれている。
頭に番号がついているが、ケンジはその番号を覚えようとも思っていなかった。
そこまではいい。そこまでは、ケンジ自身許容できることだった。
問題は、壁である。
太陽が沈むのとは逆、東の空を見上げればそれは現れる。
視界のほぼ半分を埋める壁は、ケンジが中学生の頃にできたものだ。当時は無骨な鉄骨やら重機などが目について違和感しか覚えなかったが、今では当たり前のように風景の一部になっている。
市内を横断するほど広大な壁は、ケンジ達と大人を区別するためのものだ。
ケンジたちのいる側には十代の若者が、反対の側には大人達が居住している。と言っても、行政による強引な移住策に反発もあり、完全な住み分けとはなっていなかった。
もちろん、子供は別だ。
ケンジやサトシは強制的に移住させられたのである。
「くだらねえ。そんなこと言ってっからあいつらに馬鹿にされんだよ。法律って言ったって、大人が勝手に決めたことで」
「僕らも近い内に大人になるじゃないか」
「は?」
「あと最低でも五年。それまで我慢すればぼくらは大人になれる。そうすればこんな拘束はなくなるし、発症する恐れもない。そしたら自由になれるじゃないか」
正論ここに極まれり。
ケンジは頭を抱えたくなった。あまりにぐうの音も出ない正論がここまで腹立つものだとは思わなかった。しかも、こいつは子供の側であり、そのくせその論法で最も致命的な事実に気づいていないのだ。
確かにケンジ達は後数年で大人になる。
だが、その数年を大人の都合でどぶに流せと言うのだろうか。
「馬鹿くせえ。お前、どんだけマゾなんだよ」
「ケンジ」
「ついてくんじゃねえ!」
一喝してケンジは通りへと向かう。
サトシはついてこなかった。
辺りは既に暗くなっている。サイレンは未だに鳴り響いているものの、さきほどよりは幾分かましになっていた。ケンジはアプリを起動する。真っ赤に染まっていた画面もところどころに空白ができていることを確認。そこが今夜の帰路であり安全地帯である。
このアプリはケンジ達と同年代の人間が作った代物だ。
大人達の弾圧。無作為に子供達を狙ったそれは、至る所で行われている。通報は子供不信の大人から。対応する警察も真偽よりも自分たちの安全を優先し、検挙は苛烈の一言につきた。
ケンジ達と同年代であれば誰しも経験したことのある苦い記憶。それを避けるためだけに作り出されたのがこのアプリである。
本当に馬鹿げている、とケンジは思う。
こんな物を作らなければならなくなったことも、こんなものを必要とする自分自身も。
わずか数年。
それだけの時間で、どうしてここまで世の中がくだらなくなってしまったのか。
「ったく、あの馬鹿。まじふざけんなっての」
つぶやく言葉に意味はない。
ケンジ自身、そのことに気づいていたがどうにも気が治まらない。サトシの正論を前に反論ともいえない幼稚な言葉しか思い浮かばなかったことがそれに拍車をかけた。
あの馬鹿はなにもわかっていない。
正論は正論でしかなく、現実は別に存在するのだ。
ケンジはサトシとの問答を思い返す。あの男の言葉は正しく、その通りに生きることができるのならこれ以上ないほど模範的な人間になれることだろう。
だが、大人に従ったからといって発症しないわけではない。
何より、それだけの代償を支払っても他人に迷惑を掛けないという一点だけの見返りしかないのはあまりに悲しすぎる。
故に、ケンジはサトシの考えに同意することができない。するつもりもない。
かといって、大人に反発するかといえばそうでもない。大人の言葉の正しさは重々理解しているのだ。
それが現在のケンジの立ち位置である。
中途半端なのはケンジ自身が一番理解していた。
「…あん?」
ふと、ケンジは気づいた。
いつの間にかサイレンの音が消えていた。妙に肌寒く、街灯もどこか薄暗い。大通りを避けているのだから人通りが少ないのは理解できるが、それにしても誰ともすれ違っていないのはどういうことだ。
時刻は午後七時。
このくらいの時間ならほとんどの学生が自宅へ帰ることができていないはずなのに。
ケンジは立ち止まる。
妙な胸騒ぎがあった。ケンジは周囲に視線をとばし、すぐに違和感に気づく。どの建物にも明かりが点いていない。人の気配はなく、異様な静けさだけが蟠っている。
そもそも、とケンジは愕然とした。
こんな場所はおれは知らない。十六年間過ごした町で、なにより自分自身が知る場所をルートに選んだはずなのに、どうしてこんな見知らぬ場所におれはいるんだ?
「御免」
女の声。
凛とした響きは心地よく、ケンジは何の疑いもなく声の主を見た。
いつの間に現れたのか、一人の少女がいた。驚いたことに制服はケンジの学校のもの。遠目に見る限りずいぶんとスタイルが良い。黒髪を結い上げ、大きな瞳がまっすぐこちらを見つめている。
まるで一枚の絵のようだ、とケンジは思った。
同時に、本能が警鐘を鳴らしている。
ケンジは彼女を知らない。何より見たこともなく、こんなところで声を掛けられる理由もないはずだ。
様々な条件の重なりとこれまでの経験が、ケンジ自身に状況を正確に把握させた。
なによりも、彼女がその細腕に握るそれは、
「お命頂戴仕る」
紛れもなく日本刀そのもので。
ケンジが思考できたのはそこまで。
少女は瞬きの間に間合いを詰め、ケンジの懐に飛び込んだ。
そして、ケンジはその生涯を少女に奪われたのだった。
なんの前触れもなく、あっさりと。
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