赤崎ケンジ
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その切っ先は、あまりに美しかった。
肉が裂かれ、骨を断たれる。
胸元に生まれた灼熱が意識を真白に染め上げて、体内に紛れ込んだ異物が嫌悪感を呼び起こす。
なにが起きたのか、と赤崎ケンジは薄れゆく意識で自問する。
少女だった。すらりと伸びた長身と、それに相反するように幼さを残す面立ち。見つめる視線はまっすぐで、澄んだ瞳には曇り一つない。
そんな少女が、身の丈すらも越える日本刀を握りしめていたのだ。
そこからのことは明確に覚えていない。
ただ向けられた切っ先とその立ち姿だけは覚えている。
その少女が、すぐ目の前にいる。
「ぁ」
胸元を貫く刃、その柄を握りしめた彼女はまるで動じていない。
見つめる瞳は相も変わらず澄んでいて、どこか純粋さすら感じさせられる。
一瞬が永遠にも思える瞬間。
赤崎ケンジは生涯最後の光景を決して忘れないように瞳へと焼き付けた。
そして、赤崎ケンジは死んだ。
☆
遠くでサイレンが鳴っている。
聞き慣れた音であっても不快なことにかわりはなく、無意識に物陰へ隠れようとする自分自身に赤崎ケンジは嫌気がさした。
時刻は午後17時30分。
スマホのアプリを起動し、今日のお告げを確認する。ニュースサイトの情報をアップするこのアプリは、今や学生にとって必需品である。
アップされるのは周辺の通報履歴。どこでどんな事件が起きているのか確認し、少しでも安全な道を探す。
「…使えねー」
舌打ちを一つ。
ケンジは真っ赤に染まった液晶を消し、山勘で帰り道を選ぶ覚悟を決めた。
本当に馬鹿らしい、とケンジは思う。
たかが帰り道如きになぜこうも真剣にならなければならないのか。
ここ数年の間に何度も自問したことであっても、決してなくならない疑問。その答えは既に理解していても納得できることでなくて、
「誰かぁああ、だずげでえぇええええ!」
甲高い声が響く。
ケンジは思考を中断し、声の方へと向かう。
民家の合間、薄暗い路地裏に男が倒れていた。
身につけた制服はケンジと同じ学校のもの。涙と鼻血を垂らして懸命に叫ぶ姿が何とも痛々しい。
その周囲に五人。
これまた同じ制服を身に着けた男達が険しい顔つきで見下ろしている。
ため息を一つ。
あまりに予想通りの光景に、うんざりしながら一歩踏み出した。
「うっせえんだよ、ばぁかっ!」
「金持って来いつったろうがよぉ、おまえ日本語わかんねえのっ?」
「い、いやだって言ったじゃないかぁ! も、もう小遣いもないんだっ! 先生だってこのことは知ってるんだぞぉ! つ、次は警察に言うからなぁ!」
なんとも情けない。
思わずそんな感想を抱いたが、ケンジにも言い分はある。
まず第一に他人に頼るのがよくない。こいつらみたいな馬鹿は説教で改心するはずもなければ、罰に対して逆恨みしかしない人種である。教師だろうが警察だろうが違いはなく、むしろ限度がなくなって更に酷い目に遭うだけだ。
第二にそんなはったりにもならない台詞を吐いても逆効果だ。
大人がどうして俺たちの話を聞くと思ってるんだ?
「おい」
「あ?」
五人が一斉にケンジを見た。
一番身近にいた馬鹿が間を置かずに間合いを詰めてくる。無駄に近い距離から睨みつけられ、ケンジはその無遠慮さにため息を吐きたくなった。
無駄に眉間に力が込められているものの、なんの迫力も感じない。
そもそも、そんな位置に顔を置いた時点で馬鹿丸出しである。
「んだ、てめ」
息が臭い。
そう思った時には、ケンジの身体が反応していた。
背中に鈍い衝撃。握りしめた右拳が少し熱くなったが、骨に異常はない。地面を踏みしめる感触も中々にいい感じだった。
視線を前に。
ゆっくりと倒れる馬鹿から意識を外し、残りの馬鹿どもを見る。
四人。
「てめ、いきなりなにしやがる…!」
次。
叫んだ馬鹿につっこむ。
よっぽど驚いたのか瞼を閉じて両手を前に突き出してきた。呆れかえる。他人を殴っておいて自分は殴られる覚悟もしていないとは。
ケンジはビビった馬鹿の顎を蹴り上げ、そのまま残った男達と向きあった。
残りは、三人と数えたところで、
「ぐぉっ…!」
腹に鈍い衝撃。
反射的に後方へ飛び退いた。ダメージはない。けれど、不意の一撃で勢いを殺されてしまった。
「そこまでにしとけよ、ケンジ」
野太い声。
一際でかい男が、丸太のように太く長い足を突き出している。片足のくせに安定感のある立ち姿にケンジはうんざりとした気分になった。
ケンジは自身の判断ミスを悟る。
潰す順番を間違えたのだ。不意をつくなら、この男からだった。
一つのミスが状況を悪化させていく。
ケンジはゆっくりと口を開いた。
「よぉ、ゲンゾウ。弱いものいじめは楽しいか?」
「…ったく、前にも言わなかったか? そういうのは流行らねえってよ」
「そうだっけ? ああ、そういや、んなこと言って前歯をお釈迦にした奴がいたっけな。差し歯の調子はどうよ?」
「吐かせ。腕折られて泣いてた奴が粋がってんじゃねえ」
ゲンゾウと呼ばれた大男はにやりと笑みを浮かべた。
残りの二人は表情を一切変えることなく、ケンジを見ている。それぞれが距離をとり、こちらの動きを抜け目なく見張っていた。
本格的にまずい。
この状態では三対一の差がモロに出てしまう。
「ケ、ケンジィイイイっ!」
「…あー、少し黙ってろ。やる気なくなっから」
情けない声が響く。
その声の響きがあまりに情けなくて、ケンジは肩の力が抜けた。半ば本気で投げ出したくなってくる。が、それでは単なる通り魔でしかない。それじゃ意味が分からないと自分自身を鼓舞した。
というか、そもそも。
「で。なんだよ、この状況は? 生徒の味方の共済様が弱いもの虐めとかずいぶんとすさんでんな、おい」
なんでこいつがボコボコにされているのかがわからなかった。
ゲンゾウがどこか投げやりに答える。
「給食費を払わねえんだよ、そいつ」
「…はぁ?」
ケンジは地面に倒れている男を凝視した。
びくり、と身をこわばらせる男。男は鼻血を垂らしながら、必死に訴えてきた。
「ち、違う! 僕は先生から支払わなくていいって言われたんだ! まじめにやってるから給食費はタダだって先生が」
「バカか、お前。タダで飯が食えるか。お前が払わない分赤が出てんだ、とっと払え」
「き、君たちこそなにを言ってるんだ? 先生が嘘言うわけないじゃないかっ!」
「あのなぁ、給食も物資も管理も何もかも俺ら共済がやってる。知ってるだろ? あいつらは俺らが用意した教科書読んでるだけなんだぜ?」
「け、けど、先生がそう言ったんだ! だから、だから、先生が正しいんだよ!」
くらりときた。
発言の馬鹿さ加減に折角上げたボルテージが一瞬でマイナスに振り切れる。
ゲンゾウの言葉は事実である。
給食費は共済に納めるべきものであり、共済が管理するものだ。教師の一存でどうにかなることでは決してない。
それはケンジどころか誰もが知る常識であり、少なくとも高校に入学するときにレクレーションで教え込まれたことでもある。
そもそもレクレーション自体、教師によって行われているのだ。
その事実を無視して、男は駄々をこね続ける。
先生が、先生が。
見かねたゲンゾウが心底面倒そうに言った。
「おい、ケンジ。こいつ、お前のダチだろ。なんとかしろ」
ケンジは天を仰いだ。
倒れている男はケンジのクラスメートであり幼少の頃からよく知る人間だった。
名前はサトシ。
ダチと言えば聞こえはいいが、実際は単なる腐れ縁である。クソ真面目な堅物で、なんでか知らない大人の言うことをよく聞くお利口ちゃんだった。そのせいで周囲からよく浮いていて、別の意味で浮いていたケンジとつるむようになったのだ。
だからといって気が合うわけでもない。
そこがまた面倒くさい、とケンジはうんざりした。
「なぁ、サトシよぉ。お前ホントいい加減にしろよ。お前んちが貧乏だなんて抜かすつもりならマジでぶっ殺すかんな」
「な、なんだよ! 僕は悪くないぞ!」
「お前は先公がいったら何でもその通りで済ますのかっつってんだよ、この馬鹿! あいつらは職業が教師なだけで、おれらの面倒まで見てくれるわけじゃねえんだよ! どうせ原口のクソあたりに吹き込まれたんだろっ?」
「せ、先生を付けろよ! それに原口先生はクソじゃない!」
「お前、この状況でもまだあの馬鹿信じてんのか? 本当におめでてえな!」
いい加減我慢の限界だったので、ケンジはサトシを無視することに決めた。なにか言いたげな視線を意識から外し、ゲンゾウと向き合う。ケンジは懐に手を突っ込み、一瞬躊躇ってから中身を取り出した。
「いくらだっけ?」
「三千円だ」
「…ほれ」
なけなしの千円札を3枚渡す。ゲンゾウは受け取るとあっさり警戒を解いた。ケンジはゲンゾウがこちらを哀れむような視線で見ていることに気づく。
「なんだよ」
「いや、付き合う奴は考えた方がいいぜ」
「余計なお世話だ」
「そいつもそうだが、いい加減うちに来いよ。どっちつかずじゃ、将来苦労するぜ」
将来ときたか。
ケンジは半ば本気でこの馬鹿を殺してやろうかと考えた。
ゲンゾウは両手を上げ、そのまま背を向けた。
「怖え、怖え。まぁ、気が向いたら来いよ。組合長もお前を気に入ってるからな」
そうとだけ言ってゲンゾウは表通りに足を向けた。残りの二人は倒れた連中を難なく担ぎ上げ、後に続く。
それで、それだけで終わりだった。
たかだか三千円。
その程度で収まる話にずいぶんと無駄な時間を過ごしてしまった。
「おかしいよ」
ぼそりとつぶやかれた言葉。
ケンジのものではない。地面に這い蹲ったサトシの言葉だった。
「なんでだよ。なんで、平気で人を殴ったりするんだよ! 言葉、言葉で声で、話し合ったっていいじゃないか! ぼ、僕は本当に先生から言われた通りにしただけなのに…! なんで誰も僕の話を聞いてくれないんだよぉ…!」
「こんなの絶対間違ってるよぉ…!」
嗚咽混じりの言葉はすぐに聞き取れないものになった。
サイレンは鳴り続いている。
携帯のアプリを開くまでもなく、今夜も赤い光が途絶えることはない。
そのくせ学生が泣き叫んでも誰も助けが来ない。通りから警察が来る気配もなければ、民家にいるはずの誰かが様子を見に来ることもない。
改めて考えれば、それがどれだけ異常なことか。
サトシの言葉は間違っていない。だからこそ、誰もこいつの言葉には耳を貸すことがないのだ。
まぁ、とりあえず。
「おれの小遣いどうしてくれんだ、このバカ野郎…!」
ケンジは見当違いなことで悩んでいる馬鹿の胸ぐらをつかんだ。
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