第31話 真打ち登場!
このままではマリューシャー教団は終わってしまう。
ポーチュラカ大司祭は、いつしかそのように考えるようになっていた。
いまの総大主教も、次の候補も、まったく凡庸を絵に描いたようなタイプで、善良なだけが取り柄の人物。
カリスマ性がないのだ。
信者の数は安定してはいるものの、ここ十年ほどゆっくりと減少傾向にある。
たとえば戦神バーンドーの教団などは、昨今ぐいぐいと勢力を拡大しているというのに。
トップか。やはりトップの差なのか。
バーンドーの総大主教は、もう、いかにも戦人が憧れるような筋骨隆々だし。
なんか最近では、あの筋肉に憧れて入信する女性も多いっていうし。
豊饒と商売繁盛の女神マリューシャーにも、偶像になるような個性がいれば、と、心楽しまぬ日々を送っていた。
そんなとき、老人はデイジーを知ってしまった。
輝くばかりの美貌。優しく慈愛に満ちた為人。人々を惹きつけてやまないカリスマ。
しかも少年。
いける、と、思った。
デイジーこそが救世主だと。
まあ、なんのことはない。ポーチュラカ大司祭もまたデイジーの虜になったひとりだというだけの話である。
様々な画策の末、老人はついにデイジーを手に入れた。
もうザブールになど帰すつもりはなかった。
マリューシャー教団の象徴として、君臨していただくのだ。
むろん妨害は予想される。
最たるものは、次期総大主教と目されるシャガだろう。
人当たりが良いだけの、あの青二才にとっては自分の地位を奪われることになるのだから。
だからメイサンが現れたとき、ポーチュラカは真っ先にシャガの謀略を疑った。
すぐに密偵を走らせ、アンキモ伯爵麾下にメイサンなる騎士がいるかどうか調べた。
そんな人物は存在しないとの報告を受け、今日さっそく断罪しようとした。
捕らえて背後を吐かせれば、イモヅル式にシャガも消せるはずだった。
しかし、事態は思わぬ方向に進んでしまう。
まさが魔族が襲撃してくるとは。
「闇の眷属が人間の宗教を嫌ってるのは常識でしょ。まして近々総大主教の交代があるかも、なんていったら狙わない方がどうかしてるわよ」
打ちひしがれるポーチュラカに、ミアが追い打ちをかける。
ゴタゴタしているのが判ってるんだから、そこを突いてこないなんてありえない、と。
「ぐ……」
「ミア。いじめたらだめ」
言葉に詰まるポーチュラカと、たしなめるデイジー。
お優しいことで、と、エルフ娘が肩をすくめ、説明する。
魔王軍の動向を啓示によって知ったシャガは、デイジーの安全を守るため、冒険者を呼び寄せた。
デイジーが所属していたチームの、チームメイトである。
それがミアとガル。
エルフの精霊使いと武芸者だ。
「わたしとしてはね。ほんとは言いたいことはいっぱいあるのよ? 大司祭さん」
騙し討ちで仲間を連れ去ったこと。
本人から連絡させず、事務連絡みたいなかたちで済ませようとしたこと。
別れの挨拶すらできなかったこと。
数え上げたらきりがない。
しかし、友のピンチとなれば話は別だ。
個人的な感情は一時的に眠らせて、デイジーを守る。
「友達だからね。仕方ないね」
肩をすくめてみせる。
その横で、ガルもまた頷いた。
なんという深い友情か。
小細工を弄してデイジーを手に入れたポーチュラカは、自らの行為を恥じた。
「すまなんだ……すまなんだ……」
両手をすりあわせて詫びる。
「話はついたかね?」
唐突に響く声。
ぎい、と、きしんだ音を立てて倉庫の扉が開いてゆく。
入ってきたのは若い男。
肩までの銀髪と赤い瞳が特徴的だが、彼にはもっとすごい特徴があった。
長い耳と浅黒い肌という。
「ダーク……エルフ……」
絞り出すような声のポーチュラカ。
「そうとも。マリューシャーの使徒よ。貴殿らが頭とあおぐべきものの命、摘み取るために参上した」
朗々と告げる。
恐怖のあまりに一歩二歩と下がろうとする足を必死に叱りつけ、両手を広げてデイジーの前に立つポーチュラカ。
自らの肉体を盾にしても、少年を守ろうとするかまえだ。
独善によって連れ去りはしたが、デイジーへの愛は本物なのだ。
「くくく。無益なことを。貴殿のようなご老体になにができる。そこな少年ごと焼き尽くしてやろう」
ダークエルフが近づいてくる。
このセリフ、じつはけっこうおかしい。
まとめて殺す気があるなら、わざわざ宣言しないでとっととやれば良かったのだ。
なんで物語の悪役みたいに、もったいぶった口上を並べてるんだって話である。
じゃきん、と、なんかすげー邪悪そうな武器を構えるダークエルフ。
顔を引きつらせる大司祭。
ガルが動く。
「みんな! 逃げるんだ! ここは某が引き受ける!」
戦斧を振りかぶり、ダークエルフへと向かって。
「ガルっ!? ガルゥっっっっ!」
「デイジー! こっちっ!」
悲痛な悲鳴をあげるデイジーの手を引き、ミアがダークエルフの横を駆け抜ける。
その瞬間、ごくごく小さな声で、
「クピンガのしたわ。よなすわこ」
と告げたことは、誰にも気付かれなかった。
剣戟と爆音を背に走る三人。
いつしか総本山の裏手の森にまで逃げ込んでいた。
もう建物内に安全な場所はないだろうとミアが予測したためである。
隠れていた倉庫まで発見されてしまったから。
ガルが戦っている間に、少しでも遠くへ逃げるしかない。
だが、徐々にポーチュラカが遅れ始め、ついに膝をついてしまう。
こればかりは仕方がない。
なんといっても、彼は老人だから。
いくら節制した生活をしていようが、少年の体力に勝てるわけがないのだ。
「ポーチュラカ大司祭さま! 大丈夫ですかっ」
先を走っていたデイジーが戻り、ポーチュラカの手を握って立たせる。
「デイジーさま……どうかこの老いぼれは、置いていってください……」
「そんなこと、できるわけないじゃないですか!」
悲壮な覚悟を見せる老人に、デイジーが首を振る。
見捨てるなんてとんでもない。
いろいろあったけど、ポーチュラカ大司祭はずっと良くしてくれたじゃないかと微笑む。
「……たしかに老人の足じゃ走り続けるのはきついわ。少し休んでいて。わたしが様子を見てくる」
ローブをひるがえし、エルフ娘が周囲を警戒するため走り去っていく。
「ミア。気を付けて!」
「大丈夫よ」
あっという間に見えなくなる姿。
ポーチュラカが必死に息を整える。
ガルの献身、ミアの勇気を無駄にしてはいけない。
何が何でもデイジーを守り抜かなくては。
疲れたとか走れないとか、言っている場合ではないのだ。
そのとき、
「きゃーっ!!」
絹を裂くような悲鳴が、森の中に響く。
「っ!?」
思わず叫ぼうとするデイジーの口を、とっさにポーチュラカが押さえた。
いけない。
声を出しては、こちらの場所を知らせるだけだ。
無限とも思える数瞬。
がさがさと下草が鳴る。
「こんなところにいたのじゃな。こそこそとネズミのように逃げ回るものじゃの」
赤毛の女が現れる。
ものすごく扇情的な服装だ。豊かな乳房を九割ほども露出させ、下半身だって、なんというか、もう目のやり場がないような感じである。
しかし、ポーチュラカが目を見張ったのは、女の服装のためではない。
側頭部から生えてた角。
羊のようにねじ曲がった。
こんなものをもつ人間は存在しない。
魔族。
「儂にここまで手をかけさせたのじゃ。ラクに死ねるとは思うなよ」
右手に提げた片手持ちのフランベルジュがぎらりと光る。
「そこまでだ!」
ふたたび響く叫び。
視線を転じると、右手にジャマダハルを装備した若い男が立っていた。
「フレイ!」
歓喜の声をあげるデイジー。
ポーチュラカも知っている。
デイジーが所属していたチームのリーダーだ。
「待たせたな」
歩み寄り、律儀に攻撃もせず待っていた女魔族の前にフレイが立ちはだかる。
「俺の親友には、指一本ふれさせないぞ!」
びしっと、すげー格好いいポーズを決めた。