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扉の魔導師

黒く透明な泉

作者: Cessna
掲載日:2017/11/10

【1】


「――――長い旅だね」


 僕が話しかけると、君は仏頂面で答えた。


「…………旅はもう日常だ。長いも短いもない」


 君は輝き始めた朝焼けに遠い眼差しを送り、続ける。


「目的地もない。帰り道ももう忘れて久しい。このようなもの、旅とは呼べまい」


 僕は君の横顔から、君の見つめる先へと視線を移した。

 朝焼けはダイヤモンドのように、菫色の空を眩く照らしている。

 君は独り言じみた調子で言葉をこぼしていった。


「あの蝶にも帰る家はあるまい。だが、いずれ疲れて眠りに就くだろう。その時に、全てがわかるはずだ」

「蝶? どこに?」

「それを探して、歩き出したのだ…………」


 僕はもう一度、君の言う蝶を探してみた。

 だがそれはすでにどこかへ飛び去ってしまった後のようで、僕には見つけられなかった。




 君は時々何かを食べている。

 本来僕らに食事は必要無いのだが、君は頑なに食事を続けていた。

 たまには僕も君に倣って、木の実とか、蜜とか、水とか、そういうものだけを頂いたりもした。


 だけどある時、君が動物の肉を取ってきた時には、僕は心底驚いた。


「なぜ…………そんなものを?」


 尋ねる僕に、君は平然と言ってのけた。


「血が必要だ。真に命を知るためには、私達はこれを味わわねばならない。…………でないと、忘れてしまう」

「忘れるも何も、元々そんなものは知らないだろう」

「…………だからこそ、血を浴びねばならぬのだ。穢れを伴わぬ知は脆い。今に風化してしまう」


 君は横たわる鹿の屍骸から、ズルズルと臓腑を引きずり出す。

 僕はすぐに目を背けた。

 命の証など、見ているだけで十分だと思った。




 世界は白いか、黒いか。

 誰かからふと投げられた問いに、君はためらいもなく答えた。

 ただ答えは問うた者には届かず、僕の耳にだけ入った。


「どちらも同じことだ。下らん」


 僕は君に、つまらないとハッキリ言ってやった。


「当然だよ。だけど、無色の世界などあるものか。何か答えはあるはずじゃないのか?」

「何色だろうと、あって無いようなものだ」


 君はフン、とすげなく鼻を鳴らして続けた。


「塗りたがる衝動こそ、本質よ。衝動は「点」のようなものだ。…………点に、色も何も無い」


 言いながら君は僕を見た。

 いつになく、熱心に。




 咲いては散る。

 散っては実る。

 実っては腐る。

 腐っては芽吹く。

 愛らしい桃色の花がまたフワリと開く。


 花吹雪の下で、どちらともなく呟いた。


「綺麗だ…………」


 僕と君は顔を見合わせる。

 たまには、僕らは頷き合うこともある。




 僕には密かに焦がれているものがある。

 最初の内、それはちっとも形にならなかった。

 だが時が経つにつれ、その夢は少しずつ僕の中で大きな位置を占めていき、何となく色らしきものを帯びていくようになった。


「それは、どんなものなのだ?」


 尋ねながら君は、海に小石を投げた。何度跳ねるか試しているようだった。

 僕は遥か遠くの水平線を眺め、答えた。


「大きなものだよ。…………すごく、小さなものかもしれないが」


 君は水切りを止め、僕の見つめる先を追う。

 僕は心の中でだけ、こっそり言葉を添えた。


「いつか君が言っていた「点」みたいに」


 と。




 イメージの「点」をいくら重ねても、「線」にはならない。

 形無きものに、色だけを秘めた存在に、世界は作れない。

 この衝動には、革命が必要だ。




【2】


 僕は時折、葡萄を一房もぎって食べる。

 果汁で指が染まり、甘酸っぱい味が口に広がるのが好きだ。

 気分が爽やかになる。

 君は物珍しげに、そんな僕を見つめていた。


「…………一つ、いかが?」


 僕が勧めると、君はおずおずと一粒、葡萄を受け取った。

 ためらいながら小さな口にそれを含む君は、まるで本物の子供みたいだった。

 君はすぐに顔を顰めた。


「まだ少し、酸っぱいと思うが…………」


 愚痴る君をよそに、僕はもう一粒葡萄を噛む。

 木漏れ日が僕らをまだらに照らしていた。




 見上げれば蒼く冷たい夜空。

 足下には燃えるような紅い曼殊沙華。

 君と僕は川辺でウトウトと微睡んでいた。


「なぁ…………ヴェルグツァート」

「何だい、ツヴェルグァート」

「今晩は良い月だぞ。満月だ」

「どれ」


 君に呼びかけられて、僕は薄っすらと目を開けた。

 君の言う通り、丸くて黄色い、冴えた月が上がっていた。

 満月には少し足りない気がしたけれど、僕は満ち足りた。


「…………うん、良い月だ」


 僕はほんの少し欠けた月を胸に抱いて、目を瞑る。




 森の中を行く時には、僕らは滅多に会話しない。

 蛍光虫がふわり、ふわりと飛び交う静かな闇を、足を忍ばせて恐る恐る歩いていく。


 ここは未来の苗床。

 命の芽吹く場所。

 君は肩に落ちてきた綿毛のような胞子を、フゥと一吹きして払った。

 片や僕は、掌に舞い降りてきた胞子を黙って見つめていた。


 一握りすれば、いとも容易く壊れる命。

 一撫ですれば、瞬く間に育まれる命。

 僕らは古い女神の名残だから、そんなことは朝飯前なのだ。


「…………ヴェルグツァート、それを放してやれ」


 ふいに、君が僕にきつい目を向ける。

 僕は一瞬、強烈な衝動に駆られたけれど、


「そうだね」


 と言って、おとなしく胞子を風に乗せた。


 夢が刹那、形を纏いかけた…………。




 冬の朝。

 雪原に一匹のキツネが死んでいた。

 僕らは何も言わずにその傍らを通り過ぎていく。

 だが擦れ違いざま、君はキツネに呟いた。


「…………そうか。寒いか」


 君は振り返ると、キツネに祝福の火を灯した。


 彼女の魔法はいつも、毛布の代わりにしかならない。しかも、かけてやるのがちょっとばかり遅い。


 君はしばらくキツネが炎に包まれる様を見守ってから、再び歩き出した。

 揺らめく火柱が、立ち止まったままの僕の影を色濃くする。

 僕には別の声が聞こえていた。


「「寂しい」…………「哀しい」…………?」


 祝福されたものは皆、静かに灰になっていく。


 ガバリと晴れた空の底で、僕は独り考えてしまう。

 …………感じてしまう。


 世界の虚空と。

 無数の命の言霊を。

 あたかも、僕という一点で耐えるみたいに。




【3】


 季節は巡る。

 葉は色づく。

 花は開く。

 実は結ばれる。

 大地は枯葉でしっとりと埋もれていく。




 君は僕で、僕は君。

 ずっと疑いも無く思っていたことが、ある日、壊れた。

 君は急に、僕とは違うと言い出した。


「なぜ、そう思うの?」

「貴様、気付いておらぬのか?」

「何に?」

「貴様には、あの蝶が見えぬのだ」

「…………蝶?」


 僕は君の指差す方を睨んだ。

 そこには何もいない。

 君は僕に、小石を投げつけるみたいに言った。


「貴様は勘違いしておるのだ。私達は最早、女神などではない。…………私達は、大地に蒔かれた一つの種に過ぎぬ」


 言いながら君は琥珀色の瞳を、まるで本物の人間みたいに滲ませた。


「ならぬ。私から行ってはならぬぞ、ヴェルグツァート。考えを正せ。元に戻れ。この世界に定まった色なぞ要らぬ」


 僕はそんな君の顔を見て、少しだけ胸が痛んだ。

 だが、僕は伝えなくてはならなかった。


「違うよ、ツヴェルグァート。君が間違っている。

 …………どんなに願っても、僕らはこの世界の仲間には永遠になれやしない。

 僕らは、何を食べようと、どんな穢れを纏おうと、この世界の循環には加われない。

 …………女神の残滓でしかないんだ」




 僕らには昔から、命の声が色濃く聞こえていた。

 聞こえてしまっていた。

 産声も、断末魔も、その間にある、形にならぬ言霊も、何もかも。

 僕らは弄ぶように彼らを撫で、殺めることができた。

 彼らは僕らに何も与えず、僕らと彼らは始めから断絶していた。

 僕らは彼らに生かされていないし、彼らは僕らを必要としなかった。


 唯一、僕らの母である女神だけが僕らと彼らの繋がりだった。

 だがその母も、今は無い。




 初めて君から離れた夜。

 僕はこれまでの旅について思いを巡らせた。


 僕と君は、もうずっと昔に、重なり合うように生まれてきた。

 否、燃え残っていたという方が正確だろう。

 女神である母は、僕らが目覚めた時にはもうすっかり燃え尽きていた。

 僕らには母のような偉大な力は無く、ただ幼い身体だけがあった。


 旅立ちの日には、強く渇いた風が吹いていた。

 君は僕より先に立ち上がり、歩き出した。


「…………待って。どこへ行くの?」


 君の背に向かって、僕が言葉を投げる。

 君は振り返って、こう答えた。


「わからぬ。…………それを探しに行く。自分が何者であり、どこへ行きつくのかを。夢の果てを」


 君の瞳はまるで金星のように輝いていた。

 僕はその星に吸い込まれるようにして、君の後を追った。




 ――――それから、僕と君は途方もなく長い旅をした。


 森を、丘を、海を、砂漠を、あらゆる夢の中を、どこまでも歩いて回った。

 僕は消えてしまった母を見つけたがっていたけれど、前を行く君の考えはサッパリわからなかった。


 きっと君の内にも母の余熱がわだかまっていて、それが君を突き動かしているのだと思い込もうとしていた。


 僕は、僕が感じる世界の重さも、あてどなく彷徨い続ける君の虚無も、いずれ母が全部燃してくれると…………今度こそ、燃やし尽くしてくれると、信じていた。今だって密かに期待している。


 あぁ、それにしても君は一体、何を信じて歩いているのだろう?

 僕には最後まで君の「蝶」が見つけられなかった。




「なぁ、ツヴェルグァート」


 僕の呼びかけに答える君の、素っ気ない声が懐かしい。


「何だ、ヴェルグツァート」

「僕らの名前は、誰が決めたのだろう?」


 樹上の君は僕を見るでもなく、のんびりと星の海に浸っていた。


「さぁ…………。どちらかが、気まぐれで付けたのだろうよ」

「どっちだと思う?」

「どっちでもいいではないか」


 僕は君の隣に登り、咎めたものだった。


「君は、いつもそうやって物事を曖昧にしようとする。名前は大切なものだ。ハッキリとさせたい」


 君は少しだけ僕の方へ顔を傾け、こぼした。


「貴様は、いつだって物事を塗り分けようとするな…………。この寂しがり屋め」


 君は誘うように、星へ目をやった。


「心配するな。世界は貴様や私が思うより、遥かに広く、深い。怖がるべきことなど、何も無い」


 …………そう。

 広く、深い。

 だから不安になるのだと、どうして君にはわからなかったのだろう。




【4】


 季節は巡る。

 葉は落ちる。

 花は散る。

 実は熟す。

 大地は枯れ木で豊かに肥えていく。




 僕は独りになっても旅を続けた。


 一度だけ、君の真似をして肉を食べてみた。


 不思議なことだが、細切れにして、焼いたり、干したり、煮たりしているうちに、ちっとも気味が悪いと思わなくなった。

 いつの間にか、それが動物だったことなんてすっかりわからなくなってしまう。


 君の言うことは半分は正解で、半分は間違いだった。

 確かに、食わねば命を忘れてしまうだろう。

 だが食ってばかりでも、忘れてしまうに違いない。


 時には食われるのが一番良いはずだ。




 逆に、動物を育ててみたこともある。

 これは何とも言えない試みだった。

 懐かれると、特に戸惑った。


「僕は、お前を(くび)るかもしれないよ?」


 忠告しても、あの動物は健気に尾を振って、僕の頬を舐めてきた。

 試しに殺めてみたら、最後の最期まで良い子だったから、僕は驚いた。


 …………あれは苦しそうにもがきながら。

 舌を蒼くして、死の間際まで喘ぎながら。

 僕を睨みながら。

 僕の腕を、命を振り絞って裂きながら。

 あれはついに僕を憎まなかった。


 怒りも恐怖もどれだけ感じたかわからないのに、彼は僕を蔑むことも、世界を呪うこともなかった。

 ずっと僕を見ていた。


 命に畏れを覚えたのは、あれが初めてのことだった。




 皮肉なことだが、僕は君と離れて、かえって考えを改める機会をたくさん得た。


 気まぐれに、わざと時間をかけて人間を育てていた時だってそうだった。


「ヴェルグ、来て」


 その子供は窓際に僕を呼びつけると、大きく腕を広げ、眼下の街の景色をひけらかした。


「さぁ、貴女には何が見える?」


 いかにも姫君らしい…………否、魔術に長けた人間らしい、自信と好奇心が、その紅く燃える瞳に爛々と瞬いていた。

 僕はわずかに微笑んで問い返した。


「気脈が見えるよ。細かな細かな命の網。…………君には、何が見える?」


 子供は頬杖をつき、僕そっくりに笑った。


「実は、私には湧き水が見えるの。貴女風に言えば、命の泉ってところかしら」

「ふぅん?」

「誰にも、玉座の主にだって、この泉は制御できないわ。いずこからか勝手に湧き出して、いつの間にかどこかへと浸み込んでいくの。流れ出る水だけがこうして、街として、山として、海として、人として、見えるのよ」


 賢しらな子供は私の瞳を、臆面もなく覗き込んできた。


「…………もちろん、貴女も泉の子よ?」


 彼女の戯言は、僕の気に入った。

 僕は望まずして、君が憧れていた居場所…………世界との繋がりを手に入れたようだった。

 姫君のアイデアが、浮ついていた僕を世界に沈めてくれた気がした。




 怒りから憎しみへ。

 憎しみから嘆きへ。

 嘆きから哀しみへ。

 命の声と色は、不思議な畏れを孕みながら絶えず移り変わっていく。


 言霊たちは泉の中心から、いくらでも湧き、沈んでいくのだった。


「ヴェルグ。貴女はたまに、とても遠い目をしているわ。一体、何を見ているの?」


 子供は瞬く間に成長するから面白い。

 だが、彼女の燃え盛る好奇心は生涯変わらぬと見える。

 僕や君と同じように、彼女は少し危なっかしいぐらいに、世界にまつわる知に餓えていた。


 僕は姫君に、惜しげもなく与えてきた。彼女からもらった知恵に見合うようにと、いかなる問いにも答えてきた。

 だから、その時も正直に話した。


「大きなものだよ。…………すごく、小さなものかもしれないが」


 いつか君に答えたのと同じ言葉を口にした。

 ただ、添える言葉だけはわずかに違っていた。


「いつか君が言っていた、「泉」みたいにね…………」




 イメージの「点」をいくら重ねても、「線」にはならない。

 形無きものに、色だけを秘めた存在に、世界は作れない。

 僕が聞く命の言葉は、未来永劫、外へ溢れることの無い「泉」。

 地の底で。

 目を瞑って。

 僕と共に、忘れ去られるべきものであると。

 ずっと思っていた。


 …………だが。




「ヴェルグ」


 姫君が、私に言った。


「そんな寂しそうな顔をしないで。

 …………貴女も泉の子よ?」




【5】


 とびきり風の強い晴れた日に、僕は革命を起こした。


 久しぶりに血で手を染めた。

 それは葡萄を()んだ時に似て、甘酸っぱく、爽やかで。

 少し寂しさが残る経験だった。


 母の炎は未だ遠く。

 だが僕の世界は…………僕が幾千年もの間、内に秘め続けてきた言霊たちは、ようやくこの世に芽吹いた。


 溢れ出した膨大な「虚ろ」は、どんな色もしていなかった。

 新しい世界を駆け抜ける風は無性に心地良く。

 僕はじっと風に吹かれていた。


 気付けば、僕の後ろに君が立っていた。


「…………随分なことをしたものだな、ヴェルグツァート」


 僕は愛しい姫君の亡骸を撫でながら、君を振り返った。


「ツヴェルグァートか。…………何しに来たんだい?」

「貴様、何をした? この世界の有様は、一体何だ? 貴様は世界に何をばらまいた!?」


 君は真新しい血溜まりの上で、激高した。

 僕は落ち着き払って答えた。


「…………ばらまいてなんかいないよ。元々あったものを、視えるようにしただけさ」

「まだ女神気取りか!?」

「違うよ、ツヴェルグァート」


 僕は冷たい娘の額に、同じぐらい冷めきった自分の唇を添えた。


「僕は一つの点だった。君と別れて、そうだと気付いた。

 だから…………泉となったんだ。透明な衝動の湧き出す、泉に」

「戯言を! この血の嘆きが聞こえぬとは、言わせぬぞ! 貴様はとんでもない闇を世界にもたらした!」

「違うよ、ツヴェルグァート」


 僕は姫君にそっと火を灯し、立ち上がった。


「確かに、僕の理想を叶えるために、玉座の主の寵姫には惨いことをした。特に、この紅の姫は、僕にとっては娘のような存在だったのに…………。

 だが、これはそれだけ、この世界に秘められていた闇の力が大きかったということの証だ。穢れの無い知などあり得ぬと、君も言っていたじゃないか?」


 僕は姫君を巻く炎を眺めながら、続けた。


「嘆きは巡る。憎しみとして、怒りとして、哀しみとして…………。この業火の後の灰もやがて、樹を育むだろう」


 肉の焼ける匂いが辺りにむらむらと立つ。

 風が火の粉を空高く運んでいった。


「僕が焦がれたものは、完成した。

 …………君の「蝶」は、見つかったかい?」


 君は何も言わなかった。

 炎が踊るように君の影を揺らしていた。

 ふいに、昔僕が殺めた動物の吠え声が聞こえた。

 僕は彼を連れて、歩き出した。




 世界は広く、深い。

 全ての言霊たちに、恵みあれ。

 …………実りあれ。





【6】


 ある昼下がり、瑠璃色の蝶が僕の目の前に飛んできた。

 僕は指先に彼を留め、考えた。

 この世界の美しさについて。


「どう思う、リケ?」


 僕の問いかけに、膝でうたた寝をしていた三毛猫が億劫そうに目を覚ます。

 ユラユラ揺れる二股の尾が、彼の機嫌の悪さをよく表していた。


「ニャァー…………ヴェルグさん、たまに変なことを聞く」

「この蝶を標本にしても良いし、庭で自由に飛ばしても良い。…………どうするのが一番、この美しさを留めておけるかな?」


 リケはクシャクシャに顔を顰め、もう一度「ニャァ」と鳴いた。


「リケは、そんなのちっとも美味しそうだと思いません。…………チョウチョなんて追っかけるの、仔猫だけですニャ」

「…………つれないな」


 僕はフゥと息を吹きかけ、蝶を野へと放した。

 瑠璃色は黄色い花が咲き乱れる野原へ、たちまち掻き消えた。




 リケは再度顔を上げると、目を細めて僕を見た。


「ヴェルグさん。今日は、葡萄は?」

「あるよ」


 僕は傍らのテーブルから葡萄を一粒ちぎり、リケにやった。食べるとお腹を壊す動物も多いが、どういうわけか彼は平気だ。

 リケはパクリと葡萄を頬張った。


「ヴェルグさん…………「胡蝶の夢」って、知ってるかニャ?」

「夢か現か。目に見えるものの儚さを例える故事だ」

「ニャイ」


 リケは口をもごもごとさせ、食べきると、ペロペロと脚先の毛繕いを始めた。果汁を舐めているのかもしれない。


「…………チョウチョを追っかけている仔猫は、自分が夢を見ているのか、起きているのか、わからニャイ…………。チョウチョも、リケも、ヴェルグさんだって、そう」


 リケは存分に果汁を舐めとると、大きく欠伸をした。


「美味しいなんて、儚いもの…………。何の目的も無い宴の、ほんの一幕に過ぎニャイ…………」


 僕は丸まるリケを撫で、遠くに目を凝らした。

 蝶は花畑の合間にヒラヒラと見え隠れして、やがて見えなくなった。




 咲いては散る。

 散っては実る。

 実っては腐る。

 腐っては芽吹く。

 愛らしい桃色の花がまたフワリと開く。


 この花吹雪の下、君は何を思っているのだろうか…………。


(了)

 この小説は、筆者が同時に連載中の小説『扉の魔導師<BLUE BLOOD RED EYES>』http://ncode.syosetu.com/n9009dl/の関連短編として書きました。

 本編では、今回登場した二人のその後なども描かれています。雰囲気はガラリと変えていますが、根本にある世界観は同じです。よろしければこちらもぜひご覧ください。

 

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